チートスキルで無双できない人に捧げる異世界生活~現実を捨ててやって来た異世界は、思ったより全然甘くはありませんでした~

柏木サトシ

プロローグ

第1話 拝啓、異世界にて

 光あるところには必ず闇が生まれる。その言葉を最初に言ったのは誰だったか。


 街行く人々の楽しそうな声が響く華やかな大通りの真下に広がる地下空間、暗闇が支配する下水道をカンテラの僅かな灯りを頼りに歩きながら俺、橋倉浩一はしくらこういちはそんなことを考えていた。

 通路のすぐ脇を流れる水は黒くドロドロに濁っており、粘着質の泡が弾ける度に撒き散らされる臭気は、鼻がもげるのではないかと思うほど酷い臭いがする。さらに言えば、床や壁にこびりついている汚れは、服に付いたら臭いもセットで二度と取れないような気がするので、転ぶのだけは絶対に避けたかった。


 こんな不潔極まりない場所からは、一刻も早く立ち去りたいと思う。だが、それでも俺はここでしなければならないことがあった。


 最低限の防御策として鼻と口を薄汚れた手拭いで覆った俺は、暗がりを見つける度にカンテラを掲げては、塵一つ逃すまいと目を凝らす。

 すると、


「おい、コーイチ。見つけたぞ!」


 前方から俺を呼ぶ声が聞こえたので、声のした方へと足を向ける。

 滑る床に足を取られないように注意しながら進むと、長い髪を後頭部で一房にまとめ、快活な笑みを浮かべた美人というよりはカッコイイという言葉が似合う女性、シドが手招きしていた。


「お~い、こっちこっち」


 大きく手を振るシドの背後には、手と同じようにわさわさと揺れるものが見え、俺は思わずそれに目を奪われる。

 それは、獣の尻尾だった。

 シドの特徴はそれだけでなく、頭の両側、ボサボサの髪の間からピンと立つ二つの器官は、三角形の犬を思わせる耳の形をしていた。

 そう。実はシドは普通の人間じゃなく、狼の血を引く亜人種なのだ。

 嬉しそうに尻尾を振り続けるシドを見て、俺は思わず笑みを零しながら彼女に尋ねる。


「シド、アレを見つけたって?」

「おうよ。ヘヘッ、今日はあたしが先に見つけてやったぜ」


 どうだ。と豊かな胸を張るシドの足元には、人影が二つ蹲っていた。

 だが、その二つの人影は、シドが間近でどれだけはしゃごうとも身動ぎ一つしない。


 それもそのはず。その人影たちは既に亡くなっているのだ。


「じゃあ、早速、仕事に移ろうぜ」

「ああ……」


 シドに急かされ、俺も歩み寄ってしゃがみ込むと、手前に倒れている死体へと手を伸ばす。


「……うっ」


 死体をひっくり返すと、腹部が巨大な咢で噛み切られたかのような大穴が空いており、そこに大量の蛆虫が這っているのを見て、全身に鳥肌が立つのを自覚する。


「おおっ! こんな新鮮な死体に出会えるなんてラッキーじゃねえか!」


 顔を青くしている俺とは対照的に、シドはホクホクと笑顔を浮かべると、口が欠けた瓶を取り出して蠢く蛆虫を回収していく。

 あっという間に瓶一杯になっていく大量の蛆虫に冷や汗を流しながら、俺はその目的をシドに尋ねる。


「……もしかしてだけど、それ、食わないよね?」

「えっ、食べるけど?」

「――っ!?」


 信じられない衝撃の言葉に、俺は絶句して思わず固まる。

 そんな俺を見て、シドは堪え切れないと「ブッ!」と噴き出す。


「ウソだよ、ウソ。いくら貧しくても、蛆虫を食べるほど落ちぶれちゃないよ」

「じゃ、じゃあ……それは一体どうやって使うんだ?」

「これは川に撒くんだよ。そしたら魚がわんさかやってくるから、そこをガッ、と捕まえるわけだよ」

「な、なるほど……」


 一瞬、蛆虫を食べた魚を食べるのか? と思ったが、内臓を取り外してしっかりと火を通せば問題なさそうだと思い、俺はようやく一息吐く。

 そんな俺を見てシドは苦笑を浮かべると、死体を指差しながら話しかけてくる。


「そんなに蛆虫が嫌なら、こっちの死体を見てくれよ。こいつはあたいが処理するから」

「……任せた」


 その提案に俺は素直に頷くと、シドと場所を入れ替わってもう一人の死体へと目をやる。

 その死体は、体に穴こそ開いていないものの、首があらぬ方向に曲がっていた。他には革製の胸当てが大きく凹んでおり、この二つの傷が致命傷となったようだった。

 最近になって少しは耐性ができたものの、それでもスプラッターな光景に込み上げてきた吐き気をどうにか堪えると、俺はシドにこの二人を襲った犯人について尋ねる。


「これって、どんな魔物にやられたのかな?」

「これらは……多分、巨大なアリゲーターだな」

「それって、下水道のヌシと呼ばれる鰐だよね?」

「そうだ。ほら、そこにもう一つ手首だけの死体が転がっているだろ? そいつが頭からパクリといかれ、二人目に喰いつかれたところで、三人目が助けようとして返り討ちにあった。そんなところだろうさ」

「なるほど……」


 まるで見てきたかのように淀みなく答えるシドに、俺は素直に感心する。

 死体の状況からどのような相手に殺されたかを知るのは、この下水道で生き残るために必要なスキルだ。いざという時に備えるためにもっと勉強をする必要があるな……と思いながら、俺は再び首が曲がった死体に向き直る。


 大きく見開かれた死体の目をそっと閉じてやると、俺は「南無阿弥陀仏……」と念仏を唱えながら身につけている物を剥ぎ取り、麻でできた袋へと詰めていく。

 こちらの死体からは、赤く錆び付いた刃の欠けた剣が一振りと、継ぎ接ぎだらけの大きく歪んだ革製の鎧、カビの生えたパンと濁った水、そして僅かな銅貨が手に入った。


「こっちも終わったぞ。こっちもそっちとあんまり変わらないが、干し肉なんかをもってやがったぜ」


 久方ぶりに見る肉片に、シドは思わずジュル、と溢れ出てきた涎を飲み込むが、決して食べるようなことはせずに大事そうに麻袋の中にしまう。

 これらの貴重なたんぱく質は、彼女の大切な家族のために取っておくのだろう。

 そんな家族想いのシドに感心しながら、俺はもう少し探索して別の死体を探すか、このまま帰って手に入れた品物を換金するかを考える。


「だけどその前に……」


 そう言うと、俺は目を閉じて意識を集中させる。

 すると、脳内で自分を中心にソナーのような波が広がり、いくつかの赤い光点が浮かび上がる。

 その数、十と少し。最も近いものはシドのものだが、それ以外は……、


「……待った!」


 光点の正体に目星をつけた俺は、踊り出しそうなシドを片手で制止しながら光点の正体を告げる。


「大ネズミだ。しかも十匹はいる」


 光点の移動速度から当たりを点けた俺は、逼迫した様子で話す。


「もしかしたら死体の臭いに釣られてやって来たのかもしれない」

「本当か? 本当はもっと探索したかったけど……」

「ああ、これ以上はマズい。逃げよう」


 その提案にシドも頷くと、俺たちは荷物を纏めて一目散に逃げ出した。




 走り出して暫くして、遠くの方から「チューチュー」という鳴き声と共に、大ネズミが大挙して押し寄せてくる気配がした。

 正に間一髪という脱出劇に、俺は肝を冷やす。

 だが、冷や汗を流す俺とは対照的に、シドは余裕の笑みを浮かべて拳を突き出してくる。


「ヘヘッ、コーイチのお蔭で助かった。ありがとな」

「ああ、ギリギリだったけどな……」


 突き出された拳に、俺も拳を合わせて互いの仕事を労う。


 ……そう。これこそが今の俺の仕事で、この下水道にいる理由だった。

 俺たちは冒険に失敗し、死体となった冒険者の身包みを剥いで生活の糧とする死体漁りスカベンジャーと呼ばれる仕事を生業としていた。


 今更説明する必要はないかもしれないが、俺は現在、世界一安全と言われる日本にはいない。殆どの奴がもう答えに辿り着いていると思うが、ここは所謂、異世界というやつだ。

 異世界への召喚、もしくは転生と言ったら、チート能力を駆使して迫りくる敵をバッタバッタ倒しまくる俺TUEEEEや、現代技術を駆使してとんでもない偉業を残して可愛い女の子とキャッハウフフな関係になることが定番だが、残念ながら俺にはその定番の展開は待っておらず、実際は現代日本では到底体験できないような難易度ハードコアの逃亡生活だった。


 チート能力がない……というわけではないが、チートで無双するために必要な基礎体力がインドア派の俺には圧倒的に足りていない。

 可愛い女の子が全くいない……わけではないが、極貧生活で今日という一日を生き延びるのに精一杯で、とてもじゃないがキャッハウフフな関係を築くこともできない。

 これが異世界へとやって来た俺の日常……

 そんな俺だから、世に溢れる数多の異世界を舞台とした作品に憧れ、もしかしたら、いつか自分も異世界へと行けるんじゃないかと夢想している連中にこれだけは言っておく。


 異世界生活は甘くない、と。

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