第4話 ひろたん アザに思う
おととい、ひろたんは6歳を迎えた。
毎日毎日、大人に質問攻めに努めても、
6歳を迎えてなお、世界はいつも謎に満ちている。
知りたいことが沢山あって、
行きたい所が沢山あって、
見たいものが沢山ある。
だから、ひろたんには“なりたいもの”で一杯だ。
頭の中のひろたんは
時に学者先生に、
時にはジャングルに分け入る探検家に、
時には宇宙を駆け巡る船長にと、いつも大忙し。
そして、今、リビングの窓から見える庭の景色を眺めながら
そこにひらひら舞う蝶々の羽の動きをなんとかこの目に捉えようとしていた次の瞬間。
突然、”なりたいもの” が頭に浮かんでしまった。
一度浮かんでしまうと、もうそれになりたくって、なりたくって仕方ない。
どうしてもなりたい。
しかも、是非とも誰かに教えたい。
誰かに伝えたくって、伝えたくって仕方がない。
それもただ“なりたいもの”を伝えたいわけではない。
本当に伝えたいのは、この湧き上がる想い。
あぁ、これだ! という目の前がパッと開けたような爽快感。
でも頭に浮かんだものはこれほどハッキリしているのに、
上手に説明できる言葉が浮かばない。
うーん…と考える。
ふと、遠くの雲間に富士山が見えた。
窓の景色を眺めながらぼんやりと口をつく。
「富士山ってどの位?
30メートルくらい?
ひろたんがしびれるくらい?」
そんなひろたんの横、
食卓テーブルで一心不乱に折り紙を折っていた兄が手を止めて反応。
「え?30メートルはしびれるの? 何が?」
「体がビシビシしびれるよ。」
「えー…。てかなんで30メートル?もっと大きいよ。
3776メートルくらいだったと思うけど…。」
「ふーん…。」
そんなひろたんの前にさっきまで庭の隅を飛んでいた蝶がふわふわ飛んでくる。
「あ、蝶だね。もう春かなぁ。群馬行ってないなぁ。
4歳の時に行ったでしょ?でも5歳になってから全然行ってない。
行きたいよね、群馬。」
「え? 群馬? 富士山は? 」
「こんなに暖かいのに、群馬はまだ寒いの?
どのくらい寒いの?
こごえるくらい?
11度でひろたんが凍っちゃうくらい?」
「え? ひろたんは11度で凍っちゃうの?
冬だし、群馬は寒いし、
お父さんがすぐおばあちゃんと喧嘩するから
本当は行きたいけど今は行かないよ。
てか、富士山は?」
「ふーん…。」
そう言ってひろたんは突然、
テケテケっとリビングを出て玄関で靴を履き、
庭に出ておもむろに走り始めた。
「え?え?え?」
今日は何もかもが突然のひろたん。
つられるように庭に出てきた兄の周りをぐるぐる走る。
「え? なんで走る?
え? なに? なんで回る?」
驚く兄を気にも留めずに、
8畳分くらいの小さな庭の芝生の上を走り回って5周目。
ピタッと立ち止まったかと思ったら、そのまま横になってピンと伸びて寝始めたひろたん。
「え? なんで寝るの?
何、どういう事??」
恐る恐るひろたんを覗き込む兄。
真っ直ぐピンと仰向けに横たわるひろたん。
「うーん・・・転んだの。 」
「いやいやいや、見てたけど、自分で横になったじゃん! 」
「でも、さっき足をぶつけたから、今やさしくころんだの。 」
「さっき?どういう事? じゃぁ何で目をつぶって寝てるの? 」
そこでひろたん、ニヤリと微笑んで一呼吸間をおいて一言。
「バナナになりたいから。 」
「えぇぇ〜…………。」
言葉が出ずにたたずむ兄の気配を感じて、パチリと目を開けて一言。
「バナナになりたいから。 」
「あ…いや、ひろたん、何言ってるの?
人間は寝てもバナナにはなれないんだよ 」
「でも、西宇和バナナになりたいの。 」
「西宇和にはバナナはならないよ。みかんだよ。 」
「でもひろたんは、西宇和バナナになりたいんだよ。 」
「どうしてバナナなんだよ 」
「足が痛くなっちゃったから。転んでぶつけて青くなってるから。 」
「青くなるとバナナになりたくなるってどういう事?」
「だってバナナもぶつけると色が変わるでしょ? 」
「…うん。」
「お父さんが買った西宇和みかんは美味しいでしょ?」
「………うん。」
「みかんとバナナを混ぜて冷えたジュースにすると美味しいでしょ?」
「……………うん。」
「だからひろたんは最初から西宇和で冷えたバナナになればいいと思うんだよ。
11度くらい冷えたやつ。」
「…西宇和バナナになるために庭で寝るの?」
「ちがうよ。ぶつかって色が変わったから冷やされてるの。大地に。
冷え冷えになっておいしくなるか知りたいの。」
ひろたん、6歳。
この日、知的探究の新たな世界への扉を開き
ついに、“なりたいもの” を人外にまで広げたのだった。
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