第三話 ザクロとアイドーネウスⅢ
この男は言った。僕を自分の監視下に置く――と。ふざけるな、とザクロは言いかけたが言葉を飲み込んだ。
確かにこの男は得体のしれない何かに違いない。だが、この男は自分がやれる事をやった事を見抜いていた。もしかしたら、信用できるかもしれない。
いや、仮に信用が出来なくても……。
「利用すればいいさ」
アイドーネウスは、その紫色の瞳でザクロを射抜く様に、見透かすように見つめて告げた。まるで、ザクロが次に何を言おうとしていたのか、手に取るように分かったとでも言うかのように。
けれど、その視線は冷たいものではなかった。どちらかというと優しく見守る様な、暖かさを含んでいる。
だからこそ、ザクロは思った。何故この男は初対面の自分にここまで心が許せているのかと。おかしいんじゃないかと。だって、先ほどまでとあまりに雰囲気が違うじゃないか。
ザクロは一呼吸し、一度だけ緩めていた筈の警戒を再び持ち始める。
「そう。じゃあ、仮に利用したとして、だ。結局は監視下に置かれるんだろう?」
「無論だが? 君は俺を利用し、俺は君を監視下に置く。ただそれだけのシンプルな関係性。そしてここに金銭的リスクは存在しない」
「それが胡散臭いんだよ。んでもって金は取れ! 商売だろうが!」
腹立たしいと言わんばかりに、懐から依頼料として用意していたそれを取り出し、思いっきりアイドーネウスにブン投げた。
彼はそれを受取り中身を確認する。すると、その中には……大きい二つのアレキサンドライトが入っているではないか。大きさは大よそ手のひらほど。光の影響で色が変わるこの宝石は、今は澄んだ青緑の色を宿らせていた。
「ふむ色が強い。おまけに偽物ではないのか。……これの価値を君が知っているとするならば、投げ渡すようなものでもないだろうに」
「…………偽物とか思わないの?」
ザクロの疑いの言葉に、アイドーネウスはさらりと返す。
「俺は特殊でな。一目見ただけで、人や物の本質、在り方、性格、殺し方や壊し方が分かる。故に君がそんなちんけな嘘をつくとは思わない」
彼の言葉にザクロは絶句する。なんだその奇妙な能力は。人が人を見ただけで、そんなものが分かってたまるか。いや、それ以上に彼は先ほど自分を見極めたのを、経験故にと答えた。だとしたら――
「さっきの、経験則での見極めって嘘?」
「嘘ではないさ。ソレもあるが、こっちの眼もあるという話。双方を用いたが、こんな眼だ。言ったら大抵の人間に嫌われる。何なら、狂人すら俺を嫌う。滑稽な話だ。くくく!」
「じゃあ何故僕に言った?」
「うん? そりゃ惚れたからさ」
瞬間、ザクロは絶句した。いま、この男は、何を言った? 惚れた? なんで? その眼があるのなら、自分が一体どういった人間か瞬時に理解しただろうに。
無性別であるが故に、生まれた時から恋愛観も性別観もわからず、家族の愛からもどことなく疎外感を抱き、どこにも居場所がないはみ出し者の自分に?
そのくせただの一般人で、どうしようもないほどに普通で、誰かの何かの特別になる事すらなれない自分に惚れただと?
ザクロはさらに度し難いと顔を歪め、彼に淡々と告げる。
「莫迦だ、もしくは阿保。そうじゃないならお前はその眼で価値観がゆがめられたんだろ。バッカじゃない? こんな何の価値の無い僕に惚れるとか、正気じゃない」
「む……酷い言い様だな。確かに俺は正気じゃないさ。俺のやる事成すことすべてに正気、理性は要らないから捨てた様な男ではある。しかしな、俺は君の根っこを知ったからこそ惚れたんだ、ザクロ」
きらりきらりと輝くような美形が、微睡む様な微笑を浮かべてザクロに愛の告白をして来たではないか。だが、それでも一方のザクロは――苦虫を噛んだような表情を浮かべている。
要するに理解ができないのだ。ザクロにとっての自分自身は無価値そのもの。この生きてる社会で愛が必要だというのなら、彼の者はことごとく恋愛が分からない。
性別が無い。ただそれだけで男の考えも女の考えも、ましてやそれらがお互いを好ましく思い、沿い慕う、場合によっては憎悪や執着に至る感情が分からないのだ。
ザクロは生まれながら、良心が何故愛し合うのか分からなかった。たまに喧嘩をするのを見ては、余計に何故? と常に疑問に浮かべていたし、それを問う事がタブーだと本能的に理解していた。
やがてザクロが成長し、学校に行き社会を知れば知るほど余計に分からなくなっていった。何故愛せる? 生存本能のせいなのか? じゃあ何で自分には性が無いのだ?
けれど同じように性が無い者達も、愛し合う事が出来ている。
自分だけが分からないのか? 自分だけが理解できないのか? じゃあ何で自分は生まれて来た? 愛し合う夫婦の男女の間に生まれて来てしまったのだ?
分からない――愛が、恋が分からない。分からないって事は、自分はきっと無縁に違いないのだ。実際、自分に惚れたという相手は誰一人いなかった。友人は少人数ながらいた。自分を好ましく思い、面倒を見てくれる大人の知り合いも少人数ながらいたはず。
両親にだって、子としての愛情を確実に受けていた。
わからない。わからないわからないわからない! 何もできない自分は無価値だ。何も特化で来てすらない自分は無意味だ。あぁ、だから多分きっとそうだ。だから自分を愛する人なんてだれ一人、自分に恋をする人なんて誰一人として出会わなかった。
そう納得して生きて来たのに……。可笑しい造りの無性別として生を受けた事を、こうしてどうにか納得して生きていたのに!
込みあがった感情が何なのか、ザクロにはわからない。これが愛情? これが恋? いいや、きっと違うのだ。これは恐らく悔しさ。
あの美しい男は、自分を一目見て理解して、その上で愛し恋したと言い切りやがった! 最低最悪! 自分の地雷を徹底的に踏みぬいてきやがった!
「ふっざけんな! 莫迦阿保変態ムカツク! 僕お前嫌い!」
どうにか感情を抽出し、こみ上げた言葉がこのざまである。初めてなのだ。向けられた愛も恋も。そして、それが自分を形成してきた価値観を否定するものだと知ったのも。だからこそザクロは顔を真っ赤に染め上げ、目に涙を浮かべ威嚇した猫のようにフーフーと息を荒げている。
怒りなのか恥ずかしさなのか分からないそれを、どうにか制御しようとしているザクロ。一方で、その様子が愛らしいと言わんばかりに、アイドーネウスはさらに微笑んで彼の者の両手をとる。
「実に良い。素晴らしい。何なら今直ぐ籍を――」
「入れるわけないだろ! 頭トんでんの!? いや、トんでたわ!」
「むむむ。実際合理的な事だがな? 君はその歪な迄の最低底な自己評価のせいでメンタルが危ない。率直に言うならまさに少年兵の如し!」
彼から紡がれた言葉は、とても惚れた相手に向けた様な言葉ではなかった。
「少年兵が何故危険だと思われるか分かるか? 身寄りもない、学も無い子供に、己の存在価値と言わんばかりに正義と唄い、殺せば衣食住も与えると教え込む事で――人を殺す為に手段を選ばなくなる。なんたって、人を殺せば生きていける。身近な大人に褒められる。場合によっては性的暴行を受ける性処理道具から抜け出せる。人を殺すだけで、地獄から抜け出せる。己が存在価値を見いだせるからだ。その為なら――自分の体に爆弾を巻かれ、正義のために自爆してこいと言われても、友が為、仲間が為に半狂乱で死ねるのだ。殺せるのだよ」
其れは言葉のナイフ。いや、断頭台だろうか。まさに、彼はザクロの本質を赤裸々に、嫌々しいほどわかりやすく、それでいて具体的に語っていた。本当に酷い男である。愛している、恋しているというのであれば、もっと言葉を選んでもいい様な気がしなくもないと、ザクロは少しだけ思う。
だが彼は、こうとも付け加える。
「だからどうしようもなく、君を救いたいと思う。君が例え、根本から自壊的であろうが、自罰的であろうが、俺が君を心の底から救い続ける。愛しているんだ、大好きなんだ。君には未来が――可能性がある」
あぁ、まただ。またこの男は優しく見守る様な、包む様な、暖かい言葉とまなざしを向けて来ているのだ。本当に理解ができない。
大体こんなに見眼麗しく、美しく、温かく人を愛せるのなら自分でなくていい筈なのに。損得勘定が死滅しているのか? もしくは愛やら恋というのは、これほどまでに人を破綻させ、矛盾思考に浸らせるのか?
甘ったるい。ココアにマシュマロとチョコを大量に入れ込んで、上から砂糖を入れて混ぜた様な甘さだ、とザクロは感じた。心地いい甘さではない。胸焼けして、一口飲んだだけで吐き出すような糖分の暴力の様な何か。
「という訳で、君の友人が見つかるまでの間で良い。同棲しよう」
「…………ハァ?」
何を言いやがったこの男、といったニュアンスを含めてザクロはため息を零す。つまり、それは、友人がすぐ見つかる予定はないという事である。いや、それだけはまだいい。同棲? こんな男と? 正気ではない。狂っている。まさに理性の無い狂人。
そもそもこの男、本当に見つける気があるのか? 宝石を依頼料として渡した手前、今更返せとは言い難い。なんせ、あの宝石はザクロが持っていた中で唯一価値があるものだ。
本来なら、友人であるデメテルにすら渡したくない唯一無二の宝物。亡くなった祖母がこっそり自分に渡してくれた、希少価値の高いもの。
何より、彼女がくれた最後の誕生日プレゼントなのだ。手放したくはなかった。けれど、持ち金も対してない学生の身だ。大事な友人を取り戻す為には……手放すほかなかった。
「大丈夫だ。むしろ、大船に乗ったつもりで安心しろ。君の為になら全力を出す」
「意味わかんないんだけど」
さっぱり意味は分からない。また、アイドーネウスから向けられる恋慕も分からない。どのようなメカニズムをしているか理解不能。一言でいうなら気味が悪い。
けれど、彼に対して訪れたのは自分自身。彼に話してしまったのも自分自身。寄りにもよって自分の根本的性格やらなんやらを見たのも彼だ! おまけに殺し方まで知っただと?
(この狂人のことだ。さっくりと僕を殺して、上手い具合に自殺死体としてでっち上げることは可能かもしれない。……やだなぁ。面倒だなぁ)
殺されたくないな、ではなく面倒だなと思うあたりザクロも非常に歪ではあった。しかし、そうなれば彼の条件を嫌々ながらも受け入れるしかない。自業自得の出来事なのだ。利用できるなら利用させてもらうしかない。
「僕にはさ、お前の愛やらなんやらはわからないよ」
「分からないなら知ればいいだけの話」
「お前が利用しろって言ったから利用するだけだよ」
「それも案ずるな。君は自分が思うより二回り程不器用だからな。自虐的になるな」
会話が――できていない! いや、できてはいる。できてはいるが、会話になっているようでなっていない。まるで宇宙人か、人語を話す別生命体との対話の様だ。
一瞬でも逸らすだけで気を失いそうで、見つめただけで困惑しそう。だが結局、交換条件を飲むしかないのだけは、いつの間にか双方の間で確定条件となっている。
(本当に、分からない。一体何なの? このアイドーネウスという男は!)
等と心の中でザクロは大いに叫んだのだった。
Lamrada Horror Show 大福 黒団子 @kurodango
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