第二話 ザクロとアイドーネウスⅡ

 アイドーネウスの言葉を聞き、ザクロは左手で彼の右手を力強く引掻いた。


「気味が悪い。放せ」


 ギロリと至近距離で彼を睨みつける。内心怯えてはいるが、咄嗟に警戒態勢にしては上々だとザクロは思う。一方のアイドーネウスは短く「ふむ」と呟き、右手を大人しくザクロの顎から引き離した。


「すまんすまん。ついうっかり浮かれてしまった」

「浮かれた?」

「あぁ、年甲斐もなくだ」


 浮かれたという割にはアイドーネウスの表情は冷めている。いや、観察しているといった方が正しいか。視線という虫ピンが、先ほどからずっとザクロを狙っているように感じるのだ。

 少しでも逸らしたら—―脳天からずぶりと刺されてしまう。少しでも油断したら、そのまま両手両足を虫ピンで貫通され、固定され、腹を引き裂いて内臓を取り出して……はく製にされてしまう様な。

 考えたくもない可能性がザクロの脳裏をよぎり、気を紛らわせるかのように下唇を強くかみしめる。痛みは混乱した時ほど効き目があるのだろうか。ザクロは多少は落ち着きを取り戻し、話の腰を自ら折ることにした。


「それで、探す相手の情報提供……でしたっけ?」

「あぁそうだ。それと、敬語はもういい。本来の君の接し方で接してほしい」

「……わぁ、まぁそういう事なら」


 ザクロは懐から一枚の写真を取り出し、テーブルの上に載せる。写真の中にはザクロと一人の少女がとても楽しそうに映っていた。


「探し人はこちらの少女か」

「そうだよ。名前はデメテル・ラカベスムア。年齢は僕と同じ15歳。性格は非常におっとりして穏やかで、所謂悪徳商法で騙されてツボを買わされやすいタイプ」


 ザクロの説明を聞きつつも、アイドーネウスはソファに座り直し両手を組みつつ興味深げに目を閉じる。恐らくそのまま情報提示を続けろという事なのだろうか。

 ともあれ、情報提示をしなければ相手は探してくれない。ザクロは彼の仕草を気にせず、自身が知っている情報を吐きだし続けた。


「さっきも話した通り、僕が彼女を最後に目撃したのは一週間前」

「場所は?」

「ここ、ラムラダ東区にある僕らが通う学校アカデミア—―マルク・アンク」

「成程な。学校で分かれてそのままということか。ところで、ひと月になる事がある。君にとって彼女はどういう感情を向けた存在だ?」


 一瞬、ザクロは問われた意味が分からず目を点にする。親友だと言ったら親友なのだ。それ以上でもそれ以下でもない。なのにこの男は、どういう感情を向けた存在なのかと聞いてきた。この場合、どう答えればいいのか。


「大事な友達だけど」

「では君は、彼女が実は殺人を犯し、それを隠蔽するために逃げた可能性は考えた事はあるか?」

「何言ってんだよ! 彼女はそんなことしない! 言っただろ⁉ おっとりして穏やかな性格だって!」


 アイドーネウスの言葉に噛み付く様に、ザクロは叫んだ。自分の知ってる彼女は人を殺すこともない。ましてや、隠蔽するために逃げるような卑怯者ではない、と。

 たった一度のザクロの叫びから、アイドーネウスはその二つの意味を読み取り、ゆっくりと目を見開く。


「その保証は? 証拠は何処にある?」

「僕は彼女の友人だ、親友だ! 誰よりも彼女がそんな事をしない事をずっと知っている! 何なら学校の先生やクラスメイト、彼女の両親だってそういうはずだ!」

「くっくっくっ……! あっはははははは!」


 急にケラケラと嘲笑い始めた彼に、ザクロは鋭い敵意を込めて非難し始めた。


「何急に笑い始めてんだよ! 何がおかしいんだよ! どこも可笑しくなんかないだろ! 笑うな! 笑うのをやめろ!」

「くくくくッ……きはははははは! こいつは良い、実に良いぞ! 君は狂っているのだよ。それも盲目的に、どうしようもなく狂っている。可能性を考慮したまえよ、それともあれか? 発想が無かったのか? いやいや失敬。君はどこも可笑しくはないさ。あぁ、。くっくっくっく……!」


 彼の狂ったような笑い声と、初対面に対して取り繕うとしない無礼な言葉にザクロは心底腹を立て、その場を立ち上がる。

 もういい。こんな男を当てにしたのが悪かったのだ。所詮風の噂は風の噂。有名な探偵にバカ高い料金を払い、捜査に協力してもらえるのが圧倒的にましだ!

 いや、むしろ最初からそうすればよかったのだ。なぜ自分はこんな男の元を訪ねてしまったのか不思議でならない!

 ザクロが急いでこの場を立ち去ろうとした瞬間、左腕をアイドーネウスに掴まれてしまった。咄嗟に振り払おうとするも、馬鹿にならない腕力で掴まれているのか、全く微動だにしない。


「落ち着けザクロ。どこへ向かうつもりだ?」

「どこって、ここ以外の事務所に決まっているだろ! こんな最悪なところに頼ろうとした僕が馬鹿だったよ! だから別の―—」

「この件に関しては俺が一番まともに対処できる。他の場所に持ち込んでみろ、君は殺人をしなくちゃならない羽目になるぞ?」

「何言ってんだよ! さっきから言ってることが訳分かんないんだよ!」


 何度も何度も腕を振り払おうとするが、やはりびくりともしない。ならばと、口で文句を言うが相手は表情を変えないどころか、動揺すらしていない様子だ。

 相手は自分を狂っているなどと言っていたが、狂っているのはやはりこの男、アイドーネウスの方ではないか?


「どうして僕が殺人をしなくちゃならない羽目になるんだよ!?」

「君にはその気質がある」


 気質などと言われても自分に分かるわけがない。そもそも、人を殺すだなんて発想はザクロの中にはない。だからこそ、余計にアイドーネウスの言っていることが分からないのだ。

 自分は人探しをしたい。友人の無事を確かめて、いつも通りの穏やかな日々を過ごしたいだけに過ぎない。それがどう転べば殺人に結び付く?


「君―—焦っているだろう?」

「あ……?」


 一瞬、どくりと心臓が強く鳴り響く。何故? 分からない。けれど、アイドーネウスの言葉をザクロは聞き逃せられなかった。

 アイドーネウス自身も、ザクロの様子を察したのだろうか。言葉をさらに畳みかけて来た。


「君はこの一週間、おそらく何もしなかったわけではない。しかし、何も情報をえれなかったから、。自分で自分に腹を立て続け、望んだ結果を早期にえれなかったせいで精神が荒んでいる」

「そんなわけない。僕はただデメテルが心配で」

「ふふふ。君は本当に友人が心配なのかな? それとも、何も得られず変われない自分を認められずにもがいているのかな? どちらでも良い。その答えを見つけるのは君自身の役割だ。しかし、だからこそ危険だと理解するのだ。君はその焦りでいともたやすく他者を殺し、其れを自分の非ではなく他者のせいに出来る」


 怪しく、けれど的確にザクロの心を抉る様な言葉に……覚えのない筈のじりじりとした焦りを感じてしまう。彼の言葉は何一つ正しくないんだ。正しくない筈なのだ!

頭の中で何度も叫び、アイドーネウスから紡がれる言葉をどうにか否定していく。

 しかし、同時にザクロは心の憶測でこうも思った。自分が、焦っていないという確信ができない、と。

 ふと、アイドーネウスはザクロの腕から手を離し、ザクロの前に移動して優しく頭を撫で始める。


「君は無能なのではない」

「……え?」

「君は実に愚かだ。しかし、それは君が馬鹿であるという事にも無能であるという事にもならない。俺の独断と偏見で判断するのであれば、君は君のできることを十分にこなしている地点で有能だ」


 何を言われているのか、何をされているのかザクロには一切理解できなかった。この男は可笑しい。先ほど自分と友人のことを嘲笑ったはずなのに、今では急に自分のことを褒め始めている。一言でいうなら、ただひたすら不気味だ。

 強いて言うなら、人の皮を被った何かだとザクロは直感的に判断する。アイドーネウスの変わり方といい、言葉といい、まともな神経の人間が発する其れではないのだと。だからこそ、きっとこの男の本性は人の皮を被った何かなのだ。得体のしれない怪物の様な何かなのだ……。


「ザクロ、君の依頼を受けよう。報酬は要らない。あえて言うなら、君を俺の監視下に置かせてくれ」

「いやだ」

「そうか、ならば強制手段だ。君を俺の監視下に置く」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る