第6話
昨日の彼女とのやり取りを思い返し、嫌われたかもしれないと陰鬱な気分になる。
どう答えていたら良かったのだろう。形軸人卦をはぐらかさなければ良かったか。
それに、最後の首輪は致命的だ。誰にだって見られたくないもの、簡単に触れられたくないものはあるだろう。
どうしてあんな会話しかできなかったのかとひたすら後悔しているうちに、職場についていた。
「あら、剋斗君。もう大丈夫なの? 脳天直撃コースで弾丸貰ったって聞いたけど?」
僕が机に向かう途中でそう訊ねてきたのは、なぎさ先輩だった。
肩にかかる黒髪、猫を思わせる瞳。師匠のボケに、いつも暴力でつっこみを入れている女傑だ。今日も真っ赤なスーツに白衣を羽織り、かすかに薬品の臭いをさせている。
「はい。なんとか大丈夫でした」
「無理しちゃダメよー。彼女が悲しむわよ?」
そう言って、にやにやとこちらの反応を伺っている。
「いや、彼女とかいませんけど」
「またまたぁ。あの美少女占い師ちゃんとこに通ってるんでしょ? 昨日も二人で仲良くおじゃべりしてきたんですって?」
「いや。別に通っているとかではなくてですね、ちょっと占って貰おうかと思ったので」
見えない圧力に押され、うろたえてしまう。
詰問されてる様子が仲良くと変換されている。いつの時代も井戸端会議はこうやって盛り上がってきたのだろうか。
「若い子はいいわぁ、青春ね。あの子なら、うちの剋斗君をあげてもいいわ!」
一人でうんうんと頷くのに合わせ、癖のある黒髪が、顔の横で軽く跳ねている。
「良い子よねー。可愛いし。明るいし」
「でも剋斗君にはまだ彼女なんて早いわよ」
いつの間にそこに居たのか、いつも掃除に来てくれている婦人が乱入してきた。
「何言っているの。もう十七なんだから。一番興味がある年頃でしょ?」
「でもあの子には、もっとリードしてくる方がいいと思うの。うちの息子みたいな」
さりげない息子自慢が入っている。僕を置いて二人は盛り上がりを見せていた。
「それはそうね。剋斗君はちょっと、男臭さが足りないわ」
「なんか、ナヨいのよねー」
「ダメよ、本人は気にしてるんだから。可愛そうでしょ」
気がつくとさらにお姉さま方が集まっていた。通路の真ん中で集まっているおかげで、自分の席につくこともできない。
ご婦人方の話し合いは彼女を持ち上げ、僕がこきおろされる方向に向かっていった。
「ちょっとストップ! 皆さんはなんで彼女の事を知ってるんですか?」
彼女の事を近所で評判の娘さんみたいに話しているが、ここに集まっている女性たちは、路占いに縋るような人たちには見えない。
「だって、良く昼間に占って貰うわよ。私たち」
「そうそう。夜のやつみたいに高くないし、良く当たるのよ」
「気さくで良い子なのよぅ。うちの子貰ってくれないかしら」
「ダメよ、うちの子だって狙ってるんだから」
今度は彼女の取り合いになっている。子供もいないのに、なぎさ先輩は楽しそうに混ざっている。
すらりとしてまるでモデルのような先輩は、社内男性陣による人気ランキングでトップ常連と言われているが、このおばさんっぽさが玉に傷である。
「今、私の事を年増って言ったでしょ」
「滅相もありません、お姉様!」
決して声には出していないはずだ。先輩はどうやって感じ取ったのか、じと目で僕を睨んでいる。僕は激しく首を横に振り、全力で否定する。
「とりあえず、プレゼントが良いと思うわ」
「はい?」
いきなり言われ、何のことか分からない。
「プレゼントはいいわねー。男は貢いで甲斐性を示さないと」
「女の子は贈り物に弱いのよね」
「片膝ついて、いきなり指輪あげちゃったりして」
「タキシードにネクタイして?」
「ないわねー。でも剋斗君やっちゃいそう」
「うわっ。気持ち悪過ぎでしょー」
勝手に妄想を挙げては、大声で笑い合っているみなさん。全くのでたらめでも、ここまで笑い者にされると正直へこむ。
「そういうわけで」
自分でも行き先の分からないどこかへ立ち去ろうとした僕に、なぎさ先輩が振り返る。
「今日はプレゼントを持って行ってきなさい」
「でも今日は特に会いに行く理由も無いんですけど」
「どうせ昨日、デリカシーの無いこと言って怒らせちゃったんでしょ?」
「な、なんで分かったんですか?」
「さっきすごく悩んだ顔してたわよ。なんでも良いから早く謝ってしまいなさい。こういうのは早いほど好感度アップよ」
ウインクしながら親指を立てた手を向けられる。
周りからは、ピンチをチャンスに変えるのよ! とか、男ってのはホントににぶいんだから、とか聞こえてくる。
「今日は早退しなさい。沼上さんには私から言っとくから。あっ、プレゼントも選ばないと。ちゃんとあの子が喜ぶ物を考えて買うのよ。ほら早く!」
そのまま背を押され、部屋を追い出される。
中からはまだ、失敗した僕をどう慰めるかを話し合う声が聞こえる。
「ふう。なんか凄い疲れた」
ため息とともに独り言が漏れてしまう。本当に疲れた。もう帰りたい。
携帯を取り出し、時間を確認する。司令との面会まではまだまだ時間がある。キャンセルして帰る訳にも行かず、机に戻れないので何もすることが無い。
どうしたものかと、うなっていると携帯が司令からの着信を告げた。
「はい。相馬です」
「沼上です。すいませんが、来る時間を少々早めて貰えますか?」
「大丈夫です。何時からが良いでしょうか?」
「私は、できれば今からが良いのですが。もう出社していますか?」
沼上司令は部下に対しても気遣いをしてくれる。形軸使いの素質を持つ人は少ないこともあり、うちは小さな部隊ではある。それでも、僕のような一番下っ端の名前も覚えているのは凄いと思う。
「はい。今から行きます」
「お願いします。では」
なぎさ先輩らとのやりとりで気持ちは今朝よりもさらに重くなっていたが、とにかく沼上司令の部屋へ向かうことにした。
エレベータに乗り、1階から最上階へ。白を基調とした通路を歩く。窓の外には、遮光ガラスで灰色に染まった世界が見渡せる。強すぎる空調に、来るときに捲っていた袖を戻す。
司令部屋の前に着いて、小さく息を吐く。襟元を正し、意を決して扉をノックすると乾いた音が鳴った。続いて、どうぞ、感情の無い返事がする。
「失礼します」
ドアを開け、軽く頭を下げつつ足を踏み入れる。
顔を上げて視界に入ってくる室内の様子は、仕事部屋というよりも研究室といった感じがする。
四方を囲む壁は書架になっており、金属のラックには専門書が隙間なく並ぶ。室内にはさらに二列の本棚が、入口から部屋の中心にあるデスクへと道を作るように配置されていた。
司令は入り口に背を向ける形で、高級そうなイスに座っている。
「急に呼び立ててすいません。そこにかけて下さい」
示されたシンプルなテーブルに、向かい合って座る。
司令は黒い細身のスーツをすっきりと着こなしていた。何かに悩み続けているような疲れが常に滲む黒い瞳。青白い顔は端正であるが、深い闇のようなその瞳が、わずかに近づき難い印象を与えている。白いものが混じり始めた髪を後ろになでつけ、清潔感というよりは潔癖性の気が感じられた。
「ご苦労様です。昨日の今日で来て貰って申し訳ありませんね」
口元をわずかに緩め、穏やかに口を開く。知性的な風貌と、意外にも穏やかな口調から、部下からの信頼は厚い。ある一名を除いてだが。
「いえ。傷も軽いものでしたので」
「そうですか。それは良かった。皆さん君の事を心配していましたよ」
「申し訳ありませんでした」
「いやいや、謝ることはありません。本来は私の方こそ、お詫びしなければならないでしょう」
自分の失態に、なぜ司令が詫びるのかといぶかしむ僕に、司令は続ける。
「警備司令からは、私が見誤り、君に無茶な出動を命じたと言われました」
僕に落ち度は無いと言いたかったのかもしれないが、それは侮辱でしかない。
「そんなことはありません」
思わず声に力が入り言葉を並べ立てようとする僕を、司令は片手をあげて制した。
「ええ。私もそうは思いません。私もあれほど強力な使い手だとは思っていませんでしたが、その可能性を考慮していたからこそ、大串君と二人での出動を命じたのです」
挙げていた手を下し、机の上で指を組む。
「君が少年の命を助けたことを、私はとても評価しています。大串君一人では、犠牲者を出していた可能性がある。君自身を含め、誰も命を落とさなかった。これ以上の成果は無いでしょう」
初めての任務を評価され、抱いていた劣等感が少し消えた気がした。昨日は感じることの無かった充実感が、心に満ちてくる。
「しかし、危ないところであったのも事実です。二人での任務ということで油断をしていたと言われても仕方がないでしょう。成功した者に罰を与えるつもりはありませんが、今後はこれまで以上に気を引き締めて下さい。期待しています」
「はい」
評価された喜びが大きく、もっと修練に励もう決意を新たにした。
「あの、大串教官は? 本日は来ていないようですが」
師匠は監督者として処罰を受けてしまっているのだろうか。
「彼も処罰はありませんよ。現在は出動して貰っています」
僕の不安を感じてか、司令は安心させるような口調になった。
「なぜか最近、形軸関係の出動が多いのです。彼が居なくなると、正直うちの部署は持たないでしょう。ただ」
一転して疲れた表情になり、長いため息が聞こえる
「警備隊からはやり玉に挙げられました。今の警備隊長さんは、能力無しで形軸使いを単独捕縛できる方ですからね。特能隊は二人でも失敗しかけたと、嫌みを言われましたよ」
目がしらを指で揉みながら、手元の書類を軽くこちらへ見せる
「特能隊の存在意義について疑念を抱かざるを得ないと言われました」
書類のタイトルにはそのまま『特能隊の存在意義について』と書いてある。
「解体されてしまうのでしょうか?」
自分の失態がそこまで大事になるとは考えても居なかった僕は、慌てて司令に問いかけた。
「いえいえ。警備司令は、そこまで要求するほど無能でありませんよ」
それが一番厄介なんですが、と苦々しい顔で続ける。
「恐らく、次の予算審査へ向けたポイント稼ぎでしょう。彼は今の警備隊長ような人材を育成するためにと、予算拡大を図るつもりなのでしょうね」
警備隊の隊長を勤めているのは、生ける伝説のような人だ。あらゆる装備を使いこなし、単独で形軸使いを捕縛できる唯一の「一般人」。僕の歳には史上最年少で隊長に任命され、幾多の現場をこなしていたらしい。
「彼は百年に一人の逸材でるから、量産などできないと思いますけどね。特能隊を育てた方が、まだ費用対効果は高いでしょう」
やれやれです、と苦笑いしながら司令は続けた。
「内部抗争なんて、若い人にはあまり見せられたものではありませんね。今のは忘れて下さい。こっちの方は、私が何とかしますから、君は存分に鍛錬に励んで下さい。以上です」
「はい! では失礼します」」
返礼して退出しようとする僕に、声がかかる。
「最後に一つだけ疑問が。本当に軽傷だったのですか?」
「はい。病院からもすぐに帰されました」
向き直り答える僕の顔を、司令は不思議そうに見ている。
「ですが、銃弾が眉間に当たったと報告があります。なぜその程度で済んだのでしょう?」
「それは、大串教官がとっさに防いでくれましたので。それで弾の速度が落ちていたからだと思います」
訊かれたらそう答えるようにと、昨日師匠から念を押されていた。なんで司令にまで隠す必要があるんだろうと疑問を抱いてたが、師匠が強く主張するので、口裏を合わせることにしていた。
「確かに現場には折れた大串君の剣が落ちていたようですね。しかし計算上、それだけで十分な運動量を相殺できるとは考えにくいのですが」
「教官の形軸が強力だったから、ではないでしょうか?」
「そうですね。部下の危機に際し、平常よりも能力が高まったという可能性はありますね。だとすると」
一人で、結合力の増加率がなんやらと計算を始めてしまう司令。
「あの」
「ああ。呼び止めてしまってすいません。戻って結構ですよ」
「はい。では、失礼します」
内心冷や汗をかきながらも、平静を装いゆっくりと退出する。
閉じた扉から数歩離れた後、盛大にため息をついた。
危なかった。やっぱり沼上司令は鋭い。探るような質問と全てを見抜こうと観察する姿は、研究者の貫録があった。
そろそろ井戸端会議も終わった頃だろう。机に戻ろうと歩いていると、なぎさ先輩が現れた。
「ちょと剋斗君! まだ居たの? 早くプレゼント選びに行きなさいよ!」
「え、いや」
怒涛の勢いで手を引かれ、エレベーターまで連れて行かれる。
「仲直りするまで戻って来るんじゃないわよ? 分かった? 分かったら、とっとと行く!」
最後は背中をドンと押され、転ぶように押し込まれた。
体勢を立て直して振り返ると、良いことしたと言わんばかりに鼻歌を歌いながら戻っていく先輩の姿。
何か釈然としないものを感じるが、クビにはならなかったみたいだし、少しは傷が堪えたように装った方が良いかもしれないと考えることにする。ダメもとで謝りに行ってみようと、先輩のアドバイスに従うことにした。
昼間に街へ出るのはいつ以来だろうか、そんな疑問を浮かべながら、僕は昨日のデパートまで来ていた。白いタイルで見栄え良くデザインされた入り口に立つ。日差しを反射しているガラスの自動扉には、一枚の張り紙がされていた。
『誠に申し訳ございませんが、本日は休業させて頂きます。』
お姉さま方の忠告通りにプレゼンとを買いに来たのだが、さすがに事件のあった翌日に営業できないらしい。ちょっと考えれば当然であるが、僕はそんなことも思いつかないほど世間知らずだったということか。
その場で途方に暮れる。
これまで女の子にプレゼントなどした事がない。まず指輪は却下というのは、先輩に言われずとも分かる。では他のアクセサリー類はどうだろう。個人的には銀細工の小物など、良く似合う気がする。でも趣味じゃないかもしれない。
服飾関係はダメだ。好みが分からないし、自分にセンスがあるとも思えない。かといって食べ物を渡すのも違う気がする。
完全に行き詰まり、気分転換にと近くの本屋へ入ることにした。最近の書店は本以外にも色々なものが置いてある。筆記用具は分かるのだが、食品やぬいぐるみは全く関係が無いと思うのだが。
週末は基本的に寝て過ごし、夕方から活動。買い出しついでに本屋へ行き、あとは読書をして過ごすのが最近の休日の過ごし方となっている。僕にとって本屋が、最も馴染む外出先と言えた。
平日の昼間に、土日と同じような行動をするという背徳感を味わいながら店内を回る。あてもなくフラフラとぶらついていると、キャラクタもののコーナーに差し掛かった。
そこで目に留まったのは、彼女と初めて会ったときにボードの隅に描かれていたくまネコのマスコット。僕が小さい頃から女の子たちに人気のあったが、今でも健在らしい。文房具から大きなぬいぐるみまで色々な品が並んでいる。
きっとクマねこは嫌いでは無いのだろうと思い、この中で決めることにした。
ぬいぐるみの柔らかい生地でできた頬をつつきながら、どれにしようか思案する。
いくつか種類のあるストラップの中から、白色で銀のベルを持ったデザインのものを手に取る。途方に暮れていた折りに出会ったのも何かの縁だろう。そのストラップを買って店を出ると、プレゼント片手にいつもの路地に向かった。
タイルで舗装された道を歩きながら、これは通ってるって言われても仕方ないなと心の中で一人苦笑する。考えたら既に3日連続で彼女に会いに来ていた。
この時間は夜に比べて人も少なく、主婦と思しき人やさばり中と思われる女学生ばかり。男子にとってとても居心地が悪い。
まばらに店を出している占い師の中で、特に行列ができているところがある。
それは、彼女の店だった。夜とは打って変わり、多くの人が集まっている光景に唖然とした。
確かに、夜の調子だと収入はほぼ見込めなさそうだが、もしや昼間の方が本業なのだろうか。多くの女性たちの声に交じって、時折彼女の澄んだ笑い声が聞こえてくる。
もう少し近くで見てたい気がしたが、周囲からの好奇の視線が痛い。一度表通りへ戻り、近くの公園で人がすくまで時間を潰すことにする。ベンチに腰掛けて先ほどの書店て買った文庫本を開いた。どうも集中できず、本文を少し読んでは挿し絵を眺めを繰り返すこと半刻ばかり。
昼と夕方の中間のような中途半端な時間帯になり、再び裏路地に戻る。客もほとんど居なくなり、彼女はちょうど店を片づけようとしているところだった。少し早足で近付く。
「こんにちは。また来てごめん」
まず、最大の要件を済ませることにした。
「昨日は、いきなり変なこと聞いてごめん。その、お詫びの印というか、これ」
頭を下げつつ、ストラップを差し出す。
長い沈黙。
頭を下げたままの姿勢でいると、プレゼントが受け取られた。無視されたらどうしようと不安だったが、少し安堵する。
「どちらさま?」
「え?」
まさかの人違いかとびっくりして前を向くと、彼女のきょとんとした顔。
白い外套。フードは背中へ下され、思わず見惚れてしまう相貌。雪のように白い首筋と、わずかに覗くほっそりとした鎖骨。
首には武骨な首輪が、無い。
「あれ?」
感情を現わした表情も、彼女の様子とは全く違う。
「アカリ、さん?」
そう問いかけると、目の前の少女は拗ねた顔をした。
「なーんだ。アカリのファンの人か」
彼女は大げさに肩を落とし、ため息をついた。
「私はトモリ。君のお目当ての人の、姉だよ。君の名前は?」
「僕は、相馬剋斗。君は本当にアカリ、さんじゃない?」
同じ容姿の別人に自己紹介をするという違和感に戸惑いながら再度確認する。
「だから、私はトモリだってば。で、君はアカリになんて言ったの? おねーさんに話してごらん」
落胆した様子から一転、少女は面白がるように笑顔を浮かべている。
「別に。大したことじゃ無い、訳ではないんだけど。とにかく、また出直すよ」
「えー。アカリが男の子と話すことなんて滅多にないんだから。もう少し詳しくお願いします!」
なぜか頭を下げてくる。こんなに感情表現が豊かなのは、確かにアカリではないのだろう。
「本当に姉妹なの?」
「ほんとに本当だよ。不出来な妹ですが、宜しくお願いします」
もう一度ぺこりとお辞儀をするトモリに合わせ、僕も頭を下げる。
「こちらこそ、宜しくお願いします」
「ほら少年。既成事実もできた事だし、お姉様に包み隠さず話しなさいな」
裏表の無い、心から楽しそうな表情。
「いや、既成事実って訳が分からないし」
明らかに使い方を間違っていると思う。
「お姉様って、どうみても年上には見えないけど」
「見た目で人を判断しちゃいけないぞ、少年。でも女性の年齢は若く言うのは基本だね! うーん、四十五点くらいかな。ちなみに百点満点で」
「低すぎる!」
「あはは。そーでもないんだけどね」
明るい笑顔。アカリもこんな風に笑うのだろうか。
四十五点と言われたことに対する落胆を表情に出さないように、なんとか取り繕う。
「ところでこれ、私が貰っても良い?」
開いた手のひらに、先ほど差し出したストラップが載っている。
「実はこれアカリじゃなくて、わたしの趣味なんだよね。すっごい気に入った! 代わりタダで占ってあげるからさ」
ストラップを小さく振り、ねだってくる。揺れるたびに、袋の中で銀色の鈴がチリンチリンと鳴っている。
「うーん。でも、それはアカリに買って来たから。じゃあ、代わりに、今から何か買って来るよ」
無下に断ることもできず、ついそう申し出てしまう。
「うわ! ナイス返し! 一途で好印象ですねえ」
何が嬉しいのか、さらに笑顔が大きくなる。
「んんー?」
急に背伸びをして、こちらの目を覗きこんでくる。
「な、なに?」
「ん~?」
さらに顔が寄せられる。アカリと同じ、明るい褐色の瞳。
こちらに倒れ込むんじゃないというくらいまで近付き、彼女の長いまつげの一本一本まで見える。
「ストップ! 近い!」
あやうく唇が触れそうに感じ、肩を掴んで止めた。
「いいねー。君は見込みがある!」
体を離し、なぜかその場でくるりと回る。白いスカートがふわりと膨らむ。
「覚えておいて。どうしてもアカリを止めなきゃいけなくなったら、わたしの瞳を思い出してね」
人差し指で片目を示す。
「一瞬だけ、助けてあげられると思う」
なんのことかさっぱり分からず、ぽかんとしてしまう。
「と、言う訳で。今からプレゼント買いに連れてってよ!」
こちらの返事も聞かず、手を取ってひっぱってくる。
「う、うん。良いけど」
小さな手。細い指。少しひやりとする冷たさが心地良い。
「あっと。その前に」
あっさりと手を離し、タロットカードを取り出す。
「一枚引いて」
裏向きのカードが、目の前に扇状に広げられる。
「君は形軸使いなの?」
「わたしは違うよ、これはただの占い。でも良く当たるって評判なんだから! ほら、早く選んで。あと、わたしはトモリって呼んでいいからね」
強引に一枚選ばされ、これが既成事実ってことかなと思う。
「あちゃー。コクトはこれから大変そうだね」
いきなり呼び捨てにされた。
「大変って、今から君と買い物に行くことが?」
「トモリで良いってば。うーん、具体的には仕事に波乱あり! 上司は選びましょう! かな?」
「そうですか」
それは今更選べるものじゃないと思う。
「信じてないな! あとで後悔しても知らないんだから!」
頬を膨らませてむくれる姿は、昨日のアカリと少し似ている。
「はいはい。気をつけます」
適当な返事に拗ねているトモリを見て、自然と頬が緩む。
「じゃあ、行こうか」
そうこちらから誘うと、アカリの顔がこわばる。急な変化に驚く。
「ごめん、急用思い出しちゃった。デートはまた今度ね!」
そう言って身を翻すと、トモリは早足に路地を出て行った。
取り残され、彼女の後ろ姿を茫然と見送る。その軽い足音が聞こえなくなるまで、僕は身動きできず固まっていた。
別にデートに誘ったつもりは無いのだが、なぜか振られたような気分だった。立ち直るには時間が掛かるかもしれない、そんな確信を抱いていた。
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