第5話
翌日、普段通りに出社することにした。本当は一日休養したいところであるが、あの失態の後だ。早急に復帰して、せめてやる気だけはアピールしておきたい。さもないと本当にクビを切られるかもしれない。
格下相手に二人掛かりで負傷。一歩間違えば死んでいたかもしれない。本当に運が良かったと思うが、評価に響くだろうことを考えると憂鬱になってしまう。
さらに、あの後街へ出た先でも悩みの種が出来てしまった。昨日、気絶してからの事をつらつらを思い出しながら、寮から会社へトボトボと歩く。あの時。気絶していたのは数分だったらしいのだが、その後が大変だった。
目を開けた途端、人口呼吸でもされそうな距離に師匠の顔があり、びっくりして叫んだら、良かったとおいおい泣かれる。早く病院に行けとせっつかれ、医師に問題なしと太鼓判を押されて寮に帰りついたのが夜7時頃。
一息ついて間もなく、めったに鳴らない職場用の携帯へ上司からの着信があった。
「はい。相馬剋斗です」
「もしもし、沼上です」
携帯の向こうから抑揚の乏しい声が聞こえてくる。
「お疲れ様です」
「ご苦労様です。負傷したそうですが、容態は如何ですか?」
「はい。病院でも特に問題なしと」
「そうですか、大事に至らなくて良かった。念のため2,3日休暇を取って結構ですよ。出社したら、私のところまで来てください」
「分かりました。傷は本当に大丈夫ですので、明日行きます」
「そうですか。では十一時頃に私のオフィスで」
「はい。失礼します」
通話が切れた携帯電話を見ながら、呼び出される理由を考えるが、クビ宣告しか思い浮かばない。
速度超過と逆走の道路交通法違反、無謀な突入、一歩間違えば子どもが撃たれていた。最悪の事態は免れたものの、銃弾を浴びて気絶。僕一人だったら、その時点で人質もろとも灰になっていたかもしれない。
悪いことしか浮かばず、気が滅入ってきた。何か気の晴れることを考えようとして、占いへ行こうと思いついた。
昨日の死ぬという占いは、当たってはいないが遠からずだった。
一日で3回くらいは死にかけ、本当に一歩間違ったら予言の通りだったかもしれない。きっと良く当たる路占師なのだろう。明日の事とか、今後の就職先とか、彼女に一度占って貰うのも悪くない。
服は何にするかなど悩みつつ、シャワーを浴び、昨日の路地裏へ向かった。
結局変わり映えしない服装となってしまった。ファッションなんて気にしたこともなかったし、1年以上新しい服を買った記憶はない。
昨夜と同じような、白いワイシャツと黒のスラックス。違いと言えば、襟と袖の裏が、さわやかな青色に染められていることくらいか。
ネクタイでもしようかと試したが、童顔の新入社員か新人ホストみたいだったのでやめた。
袖を裏地が見えるように捲る。今夜も蒸し暑いが、不思議とそこまで不快には感じない。なんとなく心が軽い。
それを自覚して少し恥ずかしくなった時、そう言えば彼女は毎日店を出してるのだろうかと不安になった。だがここまで気負って出て来て、途中で帰るのは無しだろう。とりあえず行ってみることにする。
昨夜と同じく、電飾の煌めきから逃れて薄暗い路地に入った。
今日も多くの人々が、形軸という力による未来予測を求めて集まっている。
改めて見回すと、客層は中年の男性が多く、僕のような十代はいない。それは、路占が他と比べて料金が割高なせいだろう。科学的に研究がなされているという点で、オカルトよりも信憑性が高いと思われているようだ。加えて現代科学をで未解明であることが、人々にもしかしたらという気持ちを抱かせ、価格が高くとも、と思わせるのだろう。
普通の人たちにとって、形軸は奇跡か魔法のように見えるだろう。その憧れと希少価値から、価格が高騰している。思いつめ、必死の形相で並んでいる人。何かに脅え、ひたすら縮こまって順番を待つ人。それぞれの人生に行き詰まり、大金を出してでも救いを欲しているがここに押し寄せている。
そんな重苦しい空気が漂う中で、ぽっかりと穴が開いたところがある。もしやと思い人垣の隙間から覗くと、案の定、彼女が店を出していた。
離れたことろで三回深呼吸をし、鼓動を落ち着ける。何気ない様子を装いつつ、彼女に声をかけた。
「やあ、こんばんわ」
片手を挙げてあいさつしてみる。
彼女は呆けたような顔をしている。薄いピンク色の唇が僅かに開かれ、大きめの瞳がまんまるになっている。
その顔を見て、つんけんしてなければもっと可愛いのにと思った。昨日の苦労が報われた気がする。
「なんで」
混乱から立ち直り、冷たい表情に戻って問いかけてくる。
「なんで、生きてるの?」
「なんでと言われても。運が良かったからとしか」
真剣な様子で問いかけられるが、正直自分でもなぜ無事だったのか分からない。表情からは読み取れないが、何となく胡散臭いものを見るような眼を向けられている気がする。
「あなたの名前は?」
透き通った声で問われ、ちょっと緊張しながら名乗った。
「相馬剋斗。君は?」
「わたしは、アカリ」
それは名前なのか苗字なのか。訊ねる前に、いきなり彼女は勢い良くイスから身を乗り出し、机に手をつき立ちあがる。
「あなたの形軸は何? 人卦は?」
こちらを見上げる表情は、一体何がひっかかるのか、とても必死そうだった。
「形軸は流体、人卦は加速。証明書も出そうか?」
ふるふると首を振る。そんな物は見なくても分かるとでもいった雰囲気だ。口を引き結び小さく首を振る様は、不機嫌な小動物のようで微笑ましい。
「あなたは、絶対に何か隠してる」
理由は分からないが、何か怒らせるようなことをしていまったようだ。まるで親の敵のような眼で睨まれる。
「何を隠しているの?」
「えーっと。思い当たる節は、ある。でも」
かつて師匠に口止めされた、僕の人卦。
彼はそれを報告する義務があったはずだが口をつぐみ、データベースにも記載されていない。
「でも?」
「知りあって間もない君には、まだ言えない。かな」
彼女はむっつりと黙りこみ、すとんと音を立てて座った。その動きで、彼女のフードがはらりと背に落ちた。
思わず息を飲む。
フードの下から現れた髪は、申し訳程度の明りの中でもきらきらと輝いく白銀色。まだ幼さも残る顔つきは、美しく整っており、誰もが見惚れてしまうだろう。
だがそれ以上に目を惹くものがあった。
透けるように白い肌をした少女には似合わない、漆黒の首輪。太い、金属にも有機物にも見える質感が、彼女の首に付けられている。
僕の視線に気づき、彼女は慌ててフードを深くかぶり直した。
「それは、何?」
ファッションとは縁遠い、黒い塊。まるで、実験動物にされているような。
「なんでもない。忘れて」
こちらに背を向け、肩を緊張させている。
どう見ても普通じゃないが、それこそ知り合って間もない僕には、それを問いただすことができない。
「分かった。見なかったことにする」
そう返すのが精一杯だった。
彼女はもう、こちらを見ようともしてくれない。
「実はまた占って貰おうと思って来たんだけど」
ダメでもともと、お願いしてみたがやっぱりダメだった。頑なに僕に向き直ろうとしない。
「また、来てもいいかな?」
その問いも、完璧に無視された。
昨日に続き、周囲の男性たちからの視線が痛い。今回はもはや、まるで犯罪者を見るような視線を向けられている気がする。
ごめん、と小さく一言謝り、たった今来たばかりであるが退散することにした。
表通りに戻る。ネオンの明かりに惹かれたように集まる人たちの喧噪が、どこか遠くに感じた。
見上げると、ビルで切り取られた空には月が浮かんでいる。白銀の満月だった。
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