第3話

 荒れた道も難なく走行できる黒のSUV。僕が乗り込むと、ドアを閉めるより先に車は急発進した。

「ちょっ、師匠!」

 慌ててドアを閉める。

「飛ばすぞ! ちんたらしてたら1時間かかっちまう!」

 なんでそれを三十分って言ったんだろうか。それが社会人というものか。無理やり納得してシートベルトを締める。

 ファーストで30kmまで加速し、鮮やかにシフトレバーを操作。あっというまに100kmまで到達。なおもアクセルを踏み込む。

「さ、さすがに危なくないですか?」

 みるみるスピードメーターは上昇し、140手前を指しているように見える。

「大丈夫だ。この速度なら逆に捕まらん、という噂だ」

「じゃあ、さっき一瞬明るかったけど大丈夫ですね。ってそういう問題じゃなくでですね、さすがに師匠でもこの速度で事故ったら死んじゃいますよ?」

「心配するな、俺はゴールドカードだ。今まで捕まったことは一度もない」

「それって、ばれてないだけで色々やってますよね、絶対」

「コネがあるからな。たいてい何とかして貰えるんだ。いいか剋斗。人生で重要なのは、困った時に助けてくれる友人なんだぞ」

「覚えておきます。師匠のようにならないためにも」

「はっはっは。持て余した尊敬の念がため息から漏れてるぞ。隠すならもっと上手くしないとな」

「そうですね。どうやったら僕の気持ちを伝えられるのか、よく考えておくべきでした」

 何を言っても無駄なのだというこの諦めを、どうやったらこの人に伝えられるのだろうか。

「そうだな。次は感情の隠し方を教えてやらないといけないな」

「むしろ、感情の読み取り方を習って来て下さい」

 諦めを通り越して呆れてきた。

「本当に事故っても大丈夫なんですよね? すごい衝撃緩和機能みたいなのついてるんですか?」

「俺は捕まったことがないと言っただけで、安全とは言ってないぞ」

「確かに。それって」

「まあ、60kmくらいまでなら何とかなる。俺の師匠は100kmからでも受け身でなんとかなったって言ってたな」

「心配するなって言ったじゃないですか! とりあえずアクセル離しましょう! ほら、前トラックで塞がって……うそ!」

 片側二車線の道路、左は大型トラック、右はトレーラーが走行している。車は、そこに法廷速度の倍以上のスピードで突っ込んでいく。

「ししょーー!」

「ちっ。やばいな!」

「初任務の前に交通事故死ってあんまりです!」

「いや、移動も仕事中だから一応殉職になるぞ」

「そういう問題じゃないんです!」

 車はどんどんトレーラーに近づいていく。

 何を思ったか、師匠はさらにアクセルをふかし、スピードを上げた。けたたましくクラクションを鳴らす。

「!?!?」

 もはや声も出ない。スローモーションになった視界で、僕は昨日のことを思い出していた。

 彼女が言ってた、死ぬってこのことか。良く当たるんだなぁ。恐怖で僕の心もメーターが振り切れたようで、穏やかですらある。せめて車に注意とか、ダメな大人について行くなとか教えて欲しかった。

「行くぞ! 掴まってろよ、剋斗!」

 この速度であり得ない急ハンドルを切りつつ、ギアを落とし反対車線の右端へ。もちろんそこには対向車が迫っている。

 鳥肌が立つほどの相対速度で目前に迫る対向車を、ギリギリでかわしで元の車線まで戻った。

「よっしゃー! 見たか剋斗! 秘儀、二車線追い越し! 免許とったらこれも教えてやらにゃ……ってどうした? おーい」

 開いた口が塞がない。僕は完全に固まり、ただ祈り続けていた。

 キッとこぎみ良い音を立てて、車は停止した。

「着いたぞ」

 師匠に揺さぶられて、現実に帰還した。

「着きましたか。ここは天国ですか?」

「何言ってんだ。現場だよ、現場」

 無茶な追い越しの後の記憶はないが、無事に到着したらしい。目の前にあるのは割と市街地に近い、大型のショッピングモールだ。

「ジャスト三十分だ。大人は時間厳守じゃないとな」

 あごに手を当ててポーズを決める師匠。時間以外にも守らなきゃいけないものがあるだろという言葉は飲み込んでおく。

「じゃあ早く駆けつけましょう」

「まあ、待て」

 走り出そうとする僕の襟が掴まれる。

「いいから俺についてこい。今回は初陣だから、とりあえず黙って指示に従ってろ」

 奇跡の生還を果たし、テンションが上がってしまっていたようだ。

「すいませんでした。生きてることが嬉しくてつい」

「俺の運転テクニックに感謝するんだぞ」

 感謝するどころか、あんたのせいだと思いつつ後に従う。

「んじゃ、警備隊さんと合流して、状況を把握。突入の許可貰うか」

 軽い様子に、あまり緊張感が湧いてこない。こんな感じでいいんだろうか。

「とりあえず状況を説明するとだな。ターゲットは1名、男。形軸使いのようだが、データベースに該当になし。警備隊からは炎を操っていたとの報告がある。人質を取って立て篭もっている。言動に不明瞭な点が多く、薬物を使用しているとみられる」

 形軸使いは、届け出が義務付けられている。自らの形軸と人卦を申告し、それが相違ないと確認されるとデータベースに登録され、証明書が発行される。

 それを持たなければ捕縛、状況によっては禁錮や罰金が科せられることもありうる。反面、登録者にはそれぞれの能力を生かすことのできる仕事を手厚く斡旋して貰える。この制度により、国は彼らをコントロールしている。

 しかし能力は突然現れ、それが犯罪行為に用いられることもある。そういった者を取り締まるため、僕らが必要とされている。

「特殊部隊、大串大門および相馬剋斗です。状況は?」

 警備部隊に合流し、師匠は即座に問いかける。

「お待ちしておりました」

 現場の指揮官と思しき男が返礼を返してくる。

「状況に変化なし。ターゲットは人質を取り、立て籠ったままです」

「ターゲットからの要求は?」

「逃走用の車、ヘリ、食糧。身代金六億、仕事の斡旋を要求していますが、内容が二転三転しております。今は酒と薬ですね」

「とんだ薬中だな。データベースに該当者は?」

「ありません。警察のリストには、前科ありと記載があります」

「詳細を」

 矢継ぎ早に交わされる会話。さっきまでだらけていた師匠がちょっと本気を出している

「氏名は横田広良、三十五歳。禁止薬物の服用で五年前に逮捕。常習犯であったため、実刑判決を受けています。駆けつけた隊員の証言では、身長170cm前後、痩せ型。包丁とライターを所持しているとのことです」

「その隊員は能力を見たのか?」

「はい。交渉のために入ろうとした瞬間、ライターをこちらに向け、火炎放射器のように炎が伸びてきたとのことです。距離は10mほど。人質は彼の近くに集められていました」

 報告している一般隊員の表情に緊張が見える。おそらく彼も犯人の形軸を見たのだろう。小さなライター一つで人を丸焼きにすることもできる、それが形軸使いだ。

 しかし、犯人の能力にさらされながら、彼我の距離、人質の配置をとっさに把握している。命をかけてこの任務に就いている男の姿に感服した。

「人質の様子は?」

「二十名ほどが集められています。主に同フロアに居た買い物客と従業員と思われます。形軸に阻まれたため隊員が潜入できず、正確な人数は不明ですが」

「分かった。充分な情報だ。感謝する」

 師匠は顎に手をやり、一瞬考え込む。

「よし。これより我々二名で突入する。警備部隊は続いて突入、援護を頼む」

「了解しました」

 隊員は返礼をし、隊員たちに指示を出すべく立ち去っていく。

「お前も返礼しろ、ばかもん」

 師匠に頭をこずかれ、慌てて返礼した。

「犯人は両手が塞がっている。つまり人質を抱えてはいないだろう。さっきの話だと、こちらが入った瞬間を狙って形軸を使ってくるはずだ。それは俺が防ぐ。その隙にお前が狙撃しろ」

 二人で装備を取りに車へ歩きながら、アバウトで出たとこ勝負な計画を立てる師匠。

「人質を抱えてたらどうするんですか?」

「そんときは臨機応変に、だな。何とかならんかな?」

「絶対なりませんね」

 即答されたのが堪えたのか、少し寂しそうに肩を落としている。

「まあ、何とかなるだろ。出たとこ勝負だ!」

「初陣がこれって……」

「心配するな。俺の時なんて師匠が適当に立てた計画がもろに裏目ってな。とりあえず一人で全滅させてたぞ。俺はお使いに出たくらいの気分だったな」

「その人に一度でいいから会ってみたいですね」

 そして文句を言いたい。なぜこんな教育をしたのか。

「まだ生きてるが、もう八十のじいさんだからな。五年くらい前に、日課の斬鉄ができなくなったから引退するって言って出てったが」

 七十五歳まで鉄が切れるなんて凄すぎる。緊張感無く師匠と話をしながら車に戻る。

「師匠はどっちの得物で行くんですか? 細い方ですか太い方ですか?」

「今回はこっちだな。色々と便利だからな」

 神話に出てくるような、勇壮な装飾が施された透明な大剣を取りだした。

 それは限りなく純粋な水から成る、美しい氷の塊だ。幾重ものイオン交換膜を通すことで不要な元素を排除し、あらゆる微細物質も通さぬ原子膜をくぐらせて精製される超純水。それを固めて造られた、<水分子>の形軸使いに手向けられた大剣。

「お前は長い方? 短い方?」

「短い方にします。10mくらいなら問題ありません」

 僕の手にあるのは、小さな拳銃。黒い鋼のごとき質感。グリップは手に馴染み、わざと重みをつけて標準を安定させている。

 見た目と異なり、初めて持った人が拍子抜けするほどに軽い。なぜならだたのプラスチック製だから。

 銃弾の代わりに水が出るようになっている。つまりは水鉄砲。師匠のようなお金のかかった超純水ではなく、だだの水道水が汲まれている。

 僕の<水>の形軸、《加速》の人卦で弾丸に匹敵する速度で水を射出でき、万が一敵に奪われても問題ない。まさに理想の銃器、なのだが。

 この専用装備の格差が納得いかない。師匠の格好良すぎる剣とは雲泥の差だ。ひがんだ目線を投げてしまう。

「そんな目で見るなって。お前の水鉄砲は安上がりで良いって、技術部からは好評らしいぞ」

 全くフォローになってないなぐさみを貰い、こちらの肩に勢い良く腕が回される。

「うっし。じゃあ、一仕事行くか! まかせたぞ、水鉄砲!」

「僕も評価が上がったら、師匠みたいな装備貰えますかね?」

「まあ、予算が余ってたら作ってくれるんじゃないか? っていうかもう自分で買ってこいよ。最近の百均なら格好良いのあるんじゃないか?」

 世の中の実力主義は残酷だった。

 装備を取り引き返すと、デパートの入り口は警備隊によって包囲されていた。彼らは皆、盾と警棒を構えて僕たちの到着を待っていた。

 横を見ると、師匠と眼が合う。先ほどとはうって変わって真剣な眼差しで、一つうなずく。

 自動ドアの手前で、呼吸を整える。一歩踏み出すと、ドアが開きだした。その途端、わずかに開いたその隙間から、強烈な熱波が押し寄せる。先に報告を受けていても、これがライターから出ているとは信じられない。まさに火炎放射器のような火力が目前に迫り来る。

 その炎がこちらに届く前に、氷の壁によって阻まれる。

 師匠は大剣を正眼に構え、《固結》の人卦によって刀身を盾のように広げていた。

 とっさに僕はうつ伏せとなり、標的を確認する。

 いくら師匠の形軸でも、この熱量に対して永くは持たないだろう。すでに一部が気化し、水蒸気となっている。

 チャンスは何度もない。ここで外せば再突入は困難になるだろう。

 頭上に荒れ狂う形軸の炎。その先に相手の姿を認め、ゆっくりと引き金を引いた。

 本来、水鉄砲程度の速度しか持たない水流は形軸により加速されて水のレーザーとなる。きらめく一条の糸は、狙い違わずターゲットの右手首を貫き、ライターを取り落とさせた。

 同時に炎は消え、すぐ後ろで待機していた警備隊がなだれ込む。

「来るな、来るなぁ!」

 撃ち抜かれた手を抱え、男は後ずさる。

「これを見ろ!」

 新たなライターを左手に持ち、この猛暑の中着ていたコートを広げた。そこにはダイナマイトと思しき筒が、大量に吊されている。

「こいつに引火すれば、こんなデパートなんて木端微塵……あれ?」

 男がコートを広げようと一瞬気を逸らした隙に、僕は水鉄砲を本来の目的で使っていた。

 ぴゅーと放物線を描いて飛んだ水は、取り出したライターの火を消していた。

 男も、警備隊も、人質すらも。あまりにこの場にそぐわない状況に、居合わせた全員が僕の手元を見つめて固まっている。

「やっぱ役に立つじゃねぇか、水鉄砲」

 笑いを堪えている顔で師匠が言ってくる。

「こっちは凄い恥ずかしいんです! って危ない!」

 硬直から回復した男は、懐から拳銃を取り出していた。

「馬鹿にしやがって! 一人でも道連れにしてやる!」

 男が狙う先には、一人の子供がいた。

 間に合うか分からなかったが、とにかく必死に射線上に飛び込む。子供を突き飛ばすと同時に、眉間に衝撃が来た。

 その瞬間、彼の脳裏に浮かんできたのは死の予感ではなく、美しい白銀の髪をした少女、その言葉。

 ――私に二度と会うことはない。あなたは死ぬ――

 意識が消えかける中、師匠の怒号と誰かがはり倒される音がした。

 心に殺意が浮かんでくる。あの犯人を殺そうと決めたが、体は動かない。視界は真っ暗になった。

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