第2話

 帰途に急ぐ人々とこれから街へ繰り出す人々。一日で最も賑やかな時間となる夕暮れ時。夏の終わりも間近というのに、熱せられていた地面からの輻射熱により気温は高い。

 周囲をビルに囲われ、足元にはアスファルトが敷き詰められた街は熱が停滞している。室外機の排気とごった返す人ごみからの熱気により、わずかにそよぐ風は生温かい。日中のうだるような暑さの峠は越えたが、不快な空気が肌にまとわりついていた。およそ外出には向かない状況にも関わらず、僕は一人で街を歩いていた。

 白いシャツの袖を捲りながら、占いなんて行ってもしょうがないじゃないかと心の中で毒づく。

 こんな暑い日にわざわざ行く理由も分からないし、そもそも当分は任務も無い。何を占って貰えば良いのか分からない。

 嫌々ながら向かわなければならない理由を思い出しながら、大きくため息をついた。

 師匠曰く、最近忽然と現れた路占師がとんでない美少らしい。

『剋斗。お前、もう十七だろ? 周りに女もいない中で彼女の一つでも作るなら行動せにゃならん』

 師匠である四十過ぎの独身男はそう言い、あまつさえ俺の代わりにサインを貰って来いお願いしますと、頭を下げていきた。

 身近に女性はいるし、彼女が欲しいと言った覚えは無いし、あんたはロリコンかと文句が溢れてきたが、師匠の頼みであれば行くしかない。もし断って本当に土下座されたら、弟子としてみじめ過ぎる。

 その後。師匠は怒りの笑顔を浮かべて忍び寄ってきた同僚の女性陣に囲まれ、袋叩きにされていた。いつも通りの平和な日常であった。

 本当にここまで来る必要があったのかと自問しながら歩く。完全に日が暮れる頃、目的地にたどり着いた。

 左右に隙間無く立ち並ぶ店の電飾が明るく照らす表通りから外れ、わずか数歩入っただけで薄暗くなるビルの隙間。そこは表通りよりも多くの人々で溢れていた。

 都会のエアポケットの様なそこには、多くの辻占が壁を背に机を並べている。彼らの前には長蛇の列が出来ていた。占い師たちは路占と呼ばれ、手相や星回りではなく、ある種の能力で客たちの未来を診る。

 近年になって存在を公認され、科学的な研究がなされるようになってきたその能力。それを扱うことの出来る者達はデータベースに登録することで、路占師のような能力を使った職業を営むことができる。

 数万人に一人しか発現しないと言われる希少価値と、公認されながらも未解明であるという神秘性。それにより、能力が神の力であるかのように捉えられていた。裕福な者や人生に行き詰まった者たちが縋るように訪れ、高価な路占料で得た彼らの言葉に一喜一憂している。

 高そうな服装に身を包んだ者達とぼろぼろの身なりの者達という両極端な客層の中で、普通の高校生にしか見えない自分はかなり浮いているようだった。

 これだけの雑踏の中でも、目的の少女は直ぐに見つかった。

 周りは長蛇の列であるにも関わらず、彼女の前にだけ一人も並んでいない。師匠がお目当ての路占師について言っていたことを思い出す。

『その路占師は客を選ぶんだ。大抵の奴は依頼してもだんまり。何度行っても口ひとつ訊いてくれねぇ。俺も未だに占って貰ってない』

 どんだけ通ってるんだ、この人は本当に僕の師匠なのか悪い冗談ではないだろうかと眉間にしわが寄る僕に、師匠は続けた。

『ちなみに背は低い。胸はそこそこ。まさにお前好みだろ、剋斗』

 どうにも返答できずにいると、師匠は猫のようにするりと近付いてきた女性に関節を極められ、本気でタップしていた。弟子としてみじめになった。

 頭を振って師匠の姿を脳裏から消し、ぽつんと座っている少女の前に立つ。彼女はわずかに顔を上げ、その鳶色の瞳と視線が合った。

 ーー心臓が停まるかと思った。

 ゆったりと体を包んでいる高級そうな純白の上着。フードを浅くかぶり、隙間から覗く髪は薄暗い中でも煌めいている。無表情にこちらを見つめる顔にはわずかに幼さが残り、同い年くらいのようだ。

 急に気恥ずかしくなり、あわてて視線を落とす。安物のシャツと黒のスラックス。あまりに平凡な服装に、彼女の前に立っている自分が惨めになってくる。周囲からは敵意にも似た視線を感じる。

 少しして顔を上げると、彼女はじっとこちらを視ていた。

 その瞳に違和感を覚え注視しようとした時、彼女の瞼はゆっくりと降ろされた。

「あなたは、私ともう二度と会うことはない」

 紡がれた声は銀の鈴が鳴ったよう。涼やかのその声に聞き惚れてしまう。一瞬遅れて、不思議な事を言われたと気づいた。

「えーと。それはなぜ?」

「あなたは」

 少女の瞼が上がり、澄んだ鳶色の眼差しが再び僕に向けられる。

「私に二度と会うことはない。あなたは、死ぬから」

 そう冷たく告げ、興味が無したように彼女は視線を下げた。

「僕は何で死ぬのかな? 正直、信じられないんだけど」

 その後も、いつ、どこで、なぜと訊いてみるがだんまりを決め込んでいる。

 いきなり客に死ぬと言い、理由や対処法など補足説明は無し。さすがに腹が立ってきた。

「君ねぇ……」

 さすがに一言いってやろうとしたこちらを、机の下から取り出した黒板を掲げて制す。

 そこには白いチョークで『おしまい。お代はこちら→』と少女らしい丸い文字で書いてあった。横にはファンシーなキャラクターの絵が添えられている。くまネコ。

 あっけに取られて言葉が出ない。

 続けて、くまネコのイラストがプリントされた小さな貯金箱を取りだし、ことりと机に置く彼女。

 気が付くと、周囲の人々がニヤニヤとこちらを見ていた。しつこくナンパしてると思われているようで、顔が熱くなる。

 バツが悪くなり、そそくさと代金を入れた。からんと小さな音が鳴ると、彼女は形だけのお辞儀をしてくれる。

 背を向ける寸前、黒板の隅にデータベースの登録書が挟んであるのが見えた。そこには登録番号、彼女の能力、氏名が書かれている。

 氏名は黒板を支えている指に隠れているが、苗字と思われる漢字は「灯里」と書いてあった。

 能力については二つの項目が箇条書きになっている。

 □形軸:<物質ー分子>

 □人卦:《観測》

 一部の人々に発現する異能の力、それは当人の資質によって様々な現象を引き起こす。路占師のような能力者たちは、形軸使いと呼ばれている。

 人によって千差万別なその能力は、形軸と人卦という二つの要素によって体系的に分類されていた。

 <形軸>は、物質、力、時空の三つに分類でき、それらの中でさらに細かく分かれているため多くの種類がある。例えば、<物質>の形軸であっても、彼女のように分子ということもあれば、液体や固体、さらには鏡や刀など限定的なものであったりもする。形軸はその人の身体によって決まると言われている。それは死ぬまで変わることはなく、また一人の人間が複数持つこともない。

 一方、精神により決まる性質が人卦と呼ばれている。こちらはさらに多様である。加速や停滞、伸ばす、縮めるなど、その人の心が反映されるらしい。また、成長と共に趣味嗜好が変化するように、人卦も変わることがあるという。

 形軸使いは<形軸>の対象を、《人卦》に沿った形で操ることができる人々である。なぜそのような力が発現するのか、どういった人に発現するのかは、まだ研究の途中であり分かっていない。

「分子の形軸で路占師って珍しいね」

 立ち去りかけた体を戻し、気になったので彼女に問いかけた。

 一般的に路占師の形軸は、<鏡>や<水>などであることが多い。それらは昔から占いに用いられており、客にとって安心感があるのだろう。

「むしろ分子って初めて見た気がする。どうやって占ってるの?」

「……」

 おしまい、なので返事はなかった。しつこく話しかけ過ぎたのだろうか、無表情ではあるが目が怒っている気がする。

「ごめん、もう帰ります」

 今度こそ踵を返し、振り返らずに表通りまで戻った。ここから住まいである寮までは徒歩と電車で三十分ほどかかる。とぼとぼと駅までの道のりを引き返し、帰路についた。

 師匠にサインを頼まれていたこと思い出したのは、寮に着くころだった。

 明日会ったら師匠にどやされるかも知れないが、占って貰えなかったと嘘をつけば良いだろう。

 ーー彼女の占い通り、本当に死んで二度と会えないとしたら。

 せめてもう一度だけでも声を聞きたかったなと、ぼんやり思いながら眠りに就いた。


 翌日、さっそく人生の危機がやってきた。

 本当に今度こそ殺されるかもしれない。畳張りの道場で師匠と対峙しながら、頬をとめどなく汗が流れる。僕と同じ黒いトレーニングウェアに身を包んだ師匠の鋭い眼光に射すくめられ、動くことができない。

 叩けば音がしそうなほどの殺意の塊が目の前にいた。鋭く引き締まった体。剣を振うために鍛え上げられた前腕は大きく発達し、もはや扁平になっている。それは長年の鍛錬の証だ。平素は厳つい容貌の中にどこか愛嬌がある師匠だが、今は表情を消し、日本刀のように鋭い眼光で僕を睨んでいた。

 昼はビジネスマン、夜は若者たちで溢れる中心街から離れ、新緑の山々の麓。長閑な地域に、周りの住宅地から浮いている7階建てのビルがある。『独立行政法人特定能力者対策特殊部隊統括本部』という、一体何を言いたいのか分からない名称が、黒曜石に彫られた建物。それが僕の職場であった。

 この組織は簡単言えば、形軸使いは危険なので子飼いにする、ならない人は取り締まる、それを仕事としている。そしてその地下1階、地上の熱波も届かないこの道場で、僕は師匠と相対している。

「剋斗、今の俺は血に飢えている。なんでだか分かるか?」

 師匠は冷めた口調であるが、その肩は小さく振るえていた。

「いや、何となく予想はつくんですが、そこまで怒るほどの事なのかが分からないといいますか・・・・・・」

「分からんか。そうだろうなぁ。お前のように師匠への思いやりというものがない男には、一生分かるまい」

「まさか僕がサイン貰い忘れたからって、そこまで殺気を漲らせてる訳ないですよね? ちょっとそこまで怒るのは信じられないというか。もはや自分で貰ってくれば良いじゃないですか」

「バカ野郎! 無視されては通い、時には3時間色紙持って立っててもサインしてくれないんだぞ! それを死ぬとか言われたくらいでチャンスを逃がしやがって」

 この人ちょっと怖いと思ってしまった。というか弟子が死ぬって言われた場合、世の師匠はその程度の反応なのだろうか。

「そういう訳で今日の授業は、模擬訓練だ。命まで奪るつもりは無いが、もしかしたら彼女の占いは当たってしまうかもしれんなぁ」

 犬歯をむき出しにし、ギラついた目で笑いかけてくる。

「落ち着きましょう師匠! そうだ今夜、いや今からま行って来ます! 次こそ絶対忘れませんから!」

「勿論だ。だが、その機会を得るためには、お前は今を生き延びなければならないな」

「もう訳わからないですから! 正気に戻って下さい!」

 これ以上言葉を交わす気も無いのか、師匠は解いていた構えを戻す。それを見て、こちらも慌てて構える。

 やるしかないと、その一瞬で覚悟を決めた。

 わずかな時間、睨み合う。ゆっくりと師匠の足が踏み出される。体は揺らぐこともなく、溢れていた殺気も重量さえも感じさせない、滑るような足さばき。

 それに見惚れる暇もなく、床を踏みぬくほどの音が響き、同時に僕の手から木刀が吹き飛ぶ。

 だがそれも計算のうちだった。これまで幾度と無く叩きのめされて来た経験から、受けも躱しも間に合わないことは分かっていた。

 こちらの木刀を弾き、師匠の動きがわずかに澱む。そこに次手への間隙ができる。そのタイミングに合わせ、左足で床を蹴った。その一歩で師匠の懐に飛び込み、かつ右手を突き出す力とする。

 完璧な動きだったはずだ。師匠の木刀をすり抜け、鳩尾へめがけて拳を突き出す。

 しかし、会心の拳が触れた瞬間に半歩、師匠は体を引いた。その僅かな動きで衝撃は受け流さてしまう。僕の態勢は伸びきり、身動きができない。

 敗北を悟り、絶望の表情を作る間もなく。砲弾のような衝撃を受けて僕の体は吹き飛んでいた。岩のような肩による当て身は、全身が痺れるほどの破壊力だった。

 道場の反対まで吹き飛びながら、妙にゆっくりと流れる時間の中で、師匠の右肩を前にした美しい残心を眺める。

 壁に激突し、後頭部に衝撃を感じる。そこまで知覚して僕の意識は途切れた。


 子どもが、その小さな体にあまる大きな首を二つ抱えている。まだ小学校にも上がっていない子供。

 ーーこれは自分の記憶、夢だと分かっている。だからといって醒めることはできない。

 首から滴る血で、両手から足まで真っ赤に染まっている。母と兄の頭部を胸に抱き、茫然と座りこんでいる。

 ーーこの夢も最近は見なくなっていた。昔は毎晩のようにうなされていたのだが。

 小さな家。畳とふすまの和室。

(なんで? なんでうごかないの?)

 感情が振り切れたのか、涙もなくだだ不思議そうに、胸に抱いた首に問いかける子ども。

 ーーこの先、犯人の顔が思い出せない。

(だれ?)

 入口に立つ人影。顔は、見えない。顔だけが分からない。その手には輝く刃。

(どうして?)

 刃が消える。人影は立ち去る。目に焼き付いた輝き。

 ーー僕は犯人の顔を見ていたはずだ。でも、なぜか思い出せない。

(お母さん、お兄ちゃん。重いよ)

 抱えた首。止まらない血。抱きしめて離せない。

 ーーこれが原点の記憶。死を理解した瞬間だった。


「おーい。帰ってこーい」

 目が覚めると、師匠にぺち、ぺち、と頬を叩かれていた。

「死ぬかと思いました!」

 頭突きをする勢いで飛び起き、師匠に猛抗議する。

「じゃあ生きてるってことだ。良かったな」

 師匠はあっさりと身を引き、何事も無かったように答えた。

「全然良くないです! だいたい何なんですか? 朝来たらいきなり道場に連れ出されるし! 今の俺は血に飢えている、とか訳分かんない事言って強引に木刀持たすわ吹っ飛ばすわ! 土下座して謝っても無理やり続けるし!」

「おっ、元気だな。 じゃあもう一本いくか?」

「いきません! 今ので気絶3回目ですよ! さっきのでお花畑が終わって川が見えて来ちゃったんですから!」

 人を3回も臨死体験させておいて悪びれた様子もない。

「本当にどうしたんですか? まさか本気でサイン欲しかっただけでじゃいですよね?」

 根本を解決しないと、本気で川を渡ってしまいそうな気がする。

「お前に俺の気持ちは分からん!」

 何度目かのセリフを吐きながら、師匠は漢泣きし出した。

「少し顔が良くて髪さらさらで体が細いって程度で、彼女に占って貰いやがって! しかも師匠から頼まれたサインも忘れてしつこくナンパ! 弟子の風上にも置けん! この軟弱ナンパ野郎が!」

 響き渡る声に、心が醒めていく。

「それで。僕への腹いせに、木刀でボコボコにしたと?」

「い、いや、そのな。あー。さ、さっきの試合は良かったぞ。お前も腕を上げたな!」

 こちらの怒気が伝わったのか、師匠はしどろもどろに話を逸らそうとしていた。取り繕う材料を探すように視線がさまよっている。

「いやー、本当にいい動きだった! 刀を捨てて、徒手でのカウンターか。普通は思いつきもしない」

 何も答えず、師匠を思いっきりジト目で睨む。

「……すまなかった」

「僕は本気で怒ってるんですよ! 本気で息できないし、頭は痛いし! 川の向こうには家族がいました!」

「・・・・・・すまん。思い出させちまったみたいだな」

 申し訳なさそうに、頭を下げられた。

「最初は一発ガツンとして終わろうと思ってたんだが。思ってたよりもお前がいい動きするもんでな。嬉しくなっちまって。強くなったな、剋斗」

 しんみりと、労わるように言葉をかけてくれる。

「そんな褒めても、ごまかされないですよ」

 そう言いつつ、気恥ずかしさでつい顔を背けてしまう。

「それに、もう大丈夫ですから」

 輝く刃を提げた能力者に母と兄を殺され、父は行方不明。天涯孤独の身になった僕を引き取ったのは、形軸使いを集めているこの職場だった。

「そうか。まあ、最近は能力もだいぶ使えるようになって来たしな」

「それは関係あるんですか?」

「俺たちは過去にトラウマを持ってるやつが多い。だが能力が制御できるようになると、それを乗り越えられているらしい。理由は分からんが、お前ももう大丈夫だと思うぞ」

 こちらを元気づけようとしてくれる笑顔。同類を憐れむのではなく、同志を導こうとしてくれている。

 家族を目の前で惨殺され、塞ぎ込み、復讐だけを生きる糧としていた僕。

 それを救ってくれたのは、師匠がこうやって接してくれたおかげだと思う。

「ありがとう、ございます」

 弟子が師匠に礼を尽くすように、自然と頭が垂れる。

「よせよ。照れるじゃねーか」

 師匠は鼻をむず痒そうにしながら、顔が赤くなっている。

「でもな、本当にお前はもう免許皆伝だ」

「僕はまだまだです。師匠からまだ一本も取れてない」

「いや。さっきの試合ができる奴に、俺から教えられる事はもうない」

 急な真面目な顔になり、師匠は言う。

「昔のお前は、完全に復讐ばかり考えていただろ。寝ても覚めても、飯を食ってても、試合していても。剣を握ったら、全ての思考を捨てないといけない。勝つことも殺すこともだ。ただ、己の技とその時の状況を捉え、動くだけだ」

「そんなのは、ただの機械でしょう? 師匠の目標はそんなものなんですか」

「そうなんだよ、それが剣になることだ」

 僕は、そんなものになるために腕を磨いていたのだろうか。確かに僕は、復讐のための力が欲しかった。犯罪を犯す形軸使いたちを、全て殺してやりたい、そのためなら心も、命も売り渡すと。

 でも今は、自分の気持ちが分からなくなっていた。

 ここに来て師匠や他の同僚たちと出会い、僕は生きたいと思うようになった。それは翻って、他者も同じく考えていると理解し、復讐のために、その命を奪うことが正しいと断言できなくなったという事だ。

 だが、それでも。全てを捨ててでも、家族の仇を討ちたいという気持ちもある。未だに、犯人を見つけ出して八つ裂きにしてやりたい、力さえあれば皆殺しにしてでも、犯罪者を撲滅したいという気持ちもある。

 僕の心の中にある相反する望み。実際に犯罪者と相対したとき、どうするのか、自分でも分からない。

 そんな悩みが顔にでたのか、でもな、と師匠は続けた。

「俺たちの究極の目標はそれだが、剣を振るうのは人間でいい。つまり、俺が稽古で教えて来たのは、ただ道具を上手く使う方法だ。剣という道具を使いこなすには、何も考えてはいけないんだ。だが、それをどこに使うのかはお前が決めることだ、剋斗」

 こちらの目を、先ほど稽古の時以上に鋭い眼差しで覗き込んでくる。

「さっきのお前は、心を空にしていた。ただ自分にできる技を、状況に合わせて使う。お前が負けたのは技が足りなかったからだ。それはこれから自分で磨け。もちろん、今まで通り俺が稽古をつける。お前が剣という道具を復讐に使うなら、それを果たせるだけの技を鍛えろ。剣に心は、無関係だ」

 やさしく力強い手が、僕の両肩に置かれる。

 師匠からの訓示に、心が熱くなる。これまでの感謝に胸が詰まり、言葉が出てこない。

「とりあえずこれからは・・・・・・おっと」

 師匠の携帯電話から、ポップでありながらダークな、不穏な感じの着信音が鳴った。

「大串大門です」

 仕事の口調になっている。おそらく出動要請だろう。二言三言のやりとりがあり、どうやら細かな指示を受けているようだ。

「了解致しました。三十分後には到着します。は? 相馬剋斗も、ですか。了解致しました。同行させます」

 突然名前を呼ばれて驚く僕に、師匠は仕事の口調で告げる。

「相馬剋斗、司令からの命令だ。今より大串大門の指揮に入り、現場へ同行。形軸使いによる犯行の制圧を援護せよ。状況は移動中に追って伝える」

「はっ! 了解しました」

 かしこまって返答する僕に、師匠はいつもの口調で付け加えてくれた。

「そう緊張するな。お前は免許皆伝だって言っただろ」

 そのやさしさが嬉しく、緊張がほぐれた気もする。でも。

 本当に犯罪者を前にしたら、僕はどうするのか。自分の行動を制御することができるのだろうか。一抹の不安を抱きつつ、人生初の現場に向かうため、急いで道場を後にする。

 装備を着込む時間も惜しまれるため、トレーニングウェアのまま師匠の運転する車に乗り込んだ。

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