第5話 院長室

「空気が重くなった」4階に上がって数歩進んだところで安国会長が言った。雪ちゃんも、そうですねと答える。僕には感じられなかった。

 構造は一部を除き他の階と同じだった。違う部分は奥の方の間取りを変え、壁を取り払ってナースステーションがあり、その手前に院長室があるところだ。

「メインは最後にしよう」安国会長の指示で院長室を最後にすることにした。

 ナースステーションや病室は特に変わった事は無かった。確かに病室に401号室と書かれている。

「違和感があるのだが… 」病室を見た会長は何か思う事があるらしいがその正体に気付いていなかった。

 大方見て回り3人で院長室の前に立つ。ノブを持った安国会長の動きが止まり、すぐにガチャガチャと動かす。

「鍵が掛っているようだ。押しても引いても動かないわ」会長は軽く握った右手の親指を顎に当て院長室の札を見上げる。「蹴破るか… 」

 物騒な事を言い始めた会長を横目に僕はノブを持ちそれを左右に振るように力を入れた。するとドアは右にスライドして院長室への道を開いた。

「そうか、引き戸か」会長は右手を下ろしお腹の前で左手のひらにポンと当てた。「田中、よくわかったな」

「ありがちな勘違いじゃないですか」僕は一足先に入った。後に続く2人。

 院長室は思っていたよりも綺麗だった。正面にビジネスデスクとふわふわしそうな懐かしい感じのする椅子があり、その後ろに窓がある。

左側に学校の職員室で見かける上段は透明、下は灰色の引き戸がある収納棚が3つ。

 右側には鍵穴のある高さ50センチほどの金庫が1つ、造花の観葉植物、扉の順にある。 

 扉を開けるとそこにはヨーロッパで見るような独立したバスタブと固定されたシャワーがあり、服などを掛けるのであろう枝が何本か生えた木製の服掛けが倒れていた。

「院長室にお風呂があるとは、恐れ入った」安国会長がキョロキョロと見回す。しかし気になったものはなかったらしくそこを後に院長室に戻った。

 各自で調べている時に、収納棚を調べていた会長がこちらに来てくれと僕らを呼んだ。

「これどう思う」会長が下の段を指さす

「空っぽだと思うのですが」

「天辰君なら気が付くと思うぞ」そう言われ雪ちゃんはしゃがみ込み目を凝らした。

「あっ」直ぐ何かに気が付き「雅人ちゃん、ここと」と空っぽの収納棚の底面、やや右奥に人差し指を当てる。

「天辰君はいい目をしているよ。田中、私の指をライトで追いながら見てみ給え」会長の指が底面をなぞりながらゆっくり奥に進む。言われた通りにライトを当てる。

 指が元の場所に戻って来る時に底面のある部分が他と比べ若干色が薄い事に初めて気が付いた。

「安国会長、これは? 」

「多分隠し部屋ならぬ、隠し収納スペースだろう。ちょっと待ってくれ」会長は右手で色の変わった周辺を叩いたり押したりした。中央部分を押したときその部分が沈み、離す指についてくるように浮かんできた。優しく引き抜くとそれは10センチ四方の箱だった。

 箱は灰色でどこも平ら。誰にも気づかれなかったおかげ状態はよさそうだ。しかし

「見れば見るほどただのキューブですよね、これ」

「仕掛けがあるのだろうが、さてどうしたものか」安国会長は手に取り振ったり叩いたりするが箱は何も語らなかった。

「これ、仕掛け箱とよ。会長さん貸してくださいな」雪ちゃんは会長から箱を受け取ると自分の懐中電灯を太ももに挟み箱に向け、僕に上から照らして、とテキパキと動いた。

「多分、どこかをずらすと… あっ」箱の面の一つが縦にスライドした。「いい感じ」雪ちゃんの手はまるで答えを知っているかの様に箱の中身をあらわにしていく。

 縦にスライドした面によってできたスペースに隣り合う面がまたスライド、隠れていた小さな引き出しが見えた。それを引き出して、スライドした面を元に戻す。その後最初の面を逆方向に動かして下に抜ける、そして箱の天井部分の面がそちらにずれる。

 雪ちゃんはそれをひっくり返して、中から落ちた物を手のひらで受け止める。

「中身は鍵だったとよ」紅いアクリルの札が付いた鍵だ。それを見て息をのむ僕。安国会長が

「すごいじゃないか! 天辰君」会長は興奮して雪ちゃんの手を取る「私たちはまだ誰も見たことのない秘密の一部を手にしている。お手柄だよ! 」語気に強さがこもる。

「会長さん、ありがとうございます」

「それにしても本物の仕掛け箱なんて初めて見たよ。なぜ解かったのだ」

「昔、雅人ちゃんのおばあ様に似た物を見せて頂いたことがあるとです」

「田中のか? 」

「はい、おばあ様の地元ではこな民芸品が盛んと… 」

「ん、ん」僕は分りやすく咳ばらいをして話を遮った。あっ、と雪ちゃんは話を止める。

「誰にも聞かれたくないことはあろう」会長はすまないと一言いい「何はともあれ収穫だ。これは田中が保管しておいてくれ」僕は鍵を受け取った。会長は、次はこれだと金庫を開けようとする。

「流石にダイヤル式は開けられないか」諦めて僕にも試す様に人差し指で金庫を指す。

 僕はダイヤルを動かした。いくつか回すとガチャっと音がして金庫が開いた。

「田中… 」

「たまたまですよ」僕は焦って手を振った。

 中には大学ノートと錠のついた箱。僕はノートを取り出して会長に渡す。

「これは… 」会長は懐中電灯で表紙を照らし「実験等覚書手記帳… 」安国会長の頬はノートに反射した光で怖いくらいににやけていた。

 院長の机にノートを置き、安国会長はふわふわ椅子に座り「君が音読してくれ給え」と僕を指名した。僕は会長と机を挟んで相対しノートをこちら向きにする。雪ちゃんは隣で覗き込む。

「空気が重くてね、少し休憩させてくれ」

「はいはい、じゃあ読みますよ。字がかすれて読めない所は〈〇〉って言うので」

「ああ、頼むよ」会長に促され僕は懐中電灯を照らしノートを開いた。


「実験等覚書手記帳

昭和○年○月〇日

帰宅すると妻に帰りが遅いと叱られる

 〇日 妻にお酒を捨てられる

 〇日 タバコを部屋で吸うなと怒られる

 〇日 妻に会合での態度が悪いと怒られる

 〇日 最近研究ばかりで帰ると妻が○〇

 〇日 妻は協力者の「〇中さん」が苦手らしい」

「尻に敷かれているねぇ、まさに鬼嫁だな。それにしても実験のメモと言うより日記だね」会長は目を閉じている様だ。ほとんど読めない箇所は飛ばしていく。

「続けますよ

 平成4年○月〇日 

マウスでの実験は成功。人への臨床はまだ先、間に合うか

 〇日 久しぶりに孫に会いに行く、どうやら同い年の友達が出来たらしい。仲良く手を繋いでいた。妻と遊ぶそうだ。

 〇日 娘が婿と喧嘩し孫連れて戻ってきた。妻は嬉しそうだが婿殿が気の毒ではある。実験に支障が無ければいいが

平成10年8月3日 

妻の○○あし、しかし研究は大詰め

 14日 

研究は残すところ人への臨床のみ、予定通りに明日B1実験室で執り行う。これでマサ子ちゃんを救える

 15日 

実験は失敗した、間に合わなかったばかりか最悪な結果に。〇ナ〇の機転で被害は最小限に抑えられたが… 」ここから頁はいくつか破れていた。

「〇日 

病院を閉じることを決意。子供たちはみな独立している。一人くらいは何とかなるだろう。

 〇日

指輪をしまう。もしつけることができたならどんなに良かっただろうか」頁をめくる音のみが部屋に響く。

「平成〇年○月〇日

私も死期が近い、妻にはもう会えないだろうが、許してくれ」

「ここで終わりです」僕はノートを閉じ、目をこすった。

「これだと悲しいな、実験が失敗して、妻も救えず、か」安国会長にもセンチメンタリズムがあるのか。そう思ったと瞬間会長が椅子から飛び上がった。

「どうしたと、会長さん? 」

「田中、さっきB1実験室って言ったよな。B1って地下の事じゃないのか! 」どきりと嫌な予感がした。

 その時ズシンと空気が揺れた。身体に重圧が確かに感じ取れた。安国会長は駆け出した。それを二人で追う。会長はすぐに3人が使ったであろう階段の方へ。続いて僕らも駆け下りる。

「どうしたのですか」

「杞憂ならいい、ただならぬ気配を君も感じただろうっ」会長はこちらを振り向きもせず降りていく。

 1階の表示が見えた時に「いやあああ」と悲鳴が小さく、しかし確かに聞こえた。それと同時に物凄いプレッシャーを感じた。

「夏美っ」会長は小さい足を全開にして2段飛ばしで降った。

 地下についた。「どこだっ」会長の声が反響する。それが返ってくる前にドンっと鈍い音、すぐに鉄パイプが落ちたような音がした。

 音のした方に走り、一番奥の扉から光が漏れている。3人で飛び入った。

 プスプスと音をたてていくつかの電灯が広い部屋を薄暗く、しかし奥の少し手前まで見える位に照らしている。

 中には立ち尽くす藤橋。その少し隣でへたり込んでいる布藤さん。左奥には安田先輩がうずくまる。近くにパイプがあり奥へ転がって行く。パイプが奥で何かの足に当たった。そこに怪物がいた。

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