最終章 8.一粒の雫
「なんで……! またかよ!?」
段々と下から上昇していく透明色の己自身に成す術もなかった。
そんな時、雲の隙間から差し込む日の柱がいくつも海面に突き刺さる上空から、低く迫力ある声が大きく響き渡った。
『敬介、そなたにこの先を変えられるわけにはいかない』
「誰だ!?」
空を見上げながら
自身を名指ししているその声に強く問うが、返事はない。
「何の声!? 上空から聞こえるわ……」
どうやらリラにもその声が届き、他の者にも聞こえているようだった。
皆、次々に腰から剣を抜き、辺りを見渡し始める。
だが、声の主が見つからないせいなのか次第にざわつき始めた。
そんな中、この体はどんどんと無色透明になっていく。
「このままじゃ……どうすれば……」
「おいケイスケ! どうなってる!? お前の名前呼ば……、おい、なんだその体……!」
エダーがこちらへ急ぎ駆けよってきたはいいが、透き通っていく異様な自身の姿に気が付き、眉間にシワを寄せながらこの体を凝視し驚愕している。
その時だった。
周りのざわめく兵士達と共にリラやエダーさえも、その困惑と驚きの表情を身体に留めたまま、石像のように固まり、全てがぴたりと静止した。
大海原に囲まれた周囲のこの景色全てが――。
ゆっくりと波に揺れていたこの船も、風を掴み取るかのように受け止め膨れ上がっていた帆さえも、一寸足りとも動いておらず、幾度となく律動を刻んでいた波も一才その音を届けて来ない。
まるで自分だけをこの世界へ取り残し、他全ては時が止まったかのようだった。
すると先程までなかったはずの白い霧のようなものが海上中に漂っている事に気が付いた。
辺りは視界が奪われる程に真っ白だ。
「……どうなってるんだ」
緊張しながらも剣を強く握り、身構え続ける。
周囲をどんなに見渡してもまるで牢獄かのようにこの深く白い霧に囲まれ、空気中の水分のせいなのか、ヒヤッとした冷たい粒子がこの
すると背後から自分の名を呼ぶその細い声がこだまするかのように霧中へ響いた。
「敬介様」
――ずっと追い求めていたあの儚い姿がそこにあった。
「……セーレ、なのか……?」
「はい……」
今自分の目の前にあのセーレが立っている。
百年前のあの時の姿のままで。
黄金色の中に白の横髪が入り交じった長く細い光沢ある
だがその体は半透明で上空からわずかに射す日を通し、ほのかな光をまといながらも澄んだように透き通っている。
その実体なき姿を目にして心に込み上げてくるものを必死に抑えた。
「
「何言ってるんだよ……」
セーレは思い詰めたような表情を浮かべたまま、ゆっくりと話し続けた。
「ティスタは……私の最期に途方もなく悲しみました……。彼は死後であるにも関わらず、この先を変えようとしています。……敬介様に生まれ変わってまでそれを叶えようとしているのです」
彼女のその声は、柔らかく透明感があり、穏やかであったが、微弱に震えた発声にまるでその胸に秘めた思いを絞り出しているかのようだった。
「あなたはティスタではなく敬介様です。あなたにはあなたの行く末があるのです。このまま進むとそれさえも奪うことになるかもしれません……私が……このまま……」
彼女は言葉に詰まり、その悲しみに溢れた顔を少し下に向けた。
「……それがセーレの望むことなのか?」
セーレははっとした表情をこちらへ見せると、まるで言葉に出来ない何かがあるかのように、苦心する思いがその潤いを増す瞳に映されているようだった。
「私は……」
「セーレ、オレも前はそうだった……。それがみんなの為だと思っていたからだ。だがこの世界に来て色んな人達と出会い、様々な経験をして……それで分かったんだ。自分が本当に望むことを」
彼女はこちらに真っ直ぐで柔らかな眼差しを向け、優しく受け止めるかのように耳を傾けてくれていた。
「オレの事やみんなの事、天秤にかける必要は決してないんだ。一国の王女だからって……、いや、王女でもない一人の人間としてもう、我慢しなくていい。セーレはもう十分に耐えた、頑張ったんだ……。お願いだ、セーレの気持ちを知りたい……本当のその気持ちを……」
彼女の潤んだ瞳から、まるで溜め込み過ぎた気持ちが
「……私は、……ティスタと幸せになりたい……」
耐え続け長すぎる時間を越えて、その彼女の変わらぬ純真で清らかなティスタへの思いに、気が付くと頬に次々に暖かなものが流れ、視界が奪われていた。
それはまるであの男の強く深い思いが溢れ出ているかのように。
「……それでいいんだ。もうセーレは苦しまなくていいんだ、二度と……」
彼女はずっと締め切っていたその扉を開放したかのように、顔を覆い肩を震わせながら泣いている。
そんなセーレを見つめていると、どんな思いでゴル帝国へ赴き、最期を迎えたのか、痛々しい程に伝わってくる。
彼女はもう二度と、己を犠牲にしてまで傷つく必要はないはずだ。
すると、ずっと右手に握り続けていたホリスト鋼の剣から白い輝きが少しずつ増していく。
そして段々と目を塞ぎたくなるような光量へ変化していく。
『それでもまだ前へ進むのか……?』
この剣の光に反応するかのように、またあの不思議な低い声が空へ響いた後、霧が晴れだし、今まで止まっていた周囲の景色が一気に動き始めた。
そして消えかけていたこの体が段々と元に戻り始めている。
「体が元に……」
「良かった……!」
「一体何が起こった……おめ、なんで泣いてんだよ?」
時間と共に再び動き出した涙目のリラは安堵し、エダーは
「セーレが今、現れたんだ……。たった今ここにいたんだ」
静かに佇んでいた柔らかな日がかかるあの場所をそっと見つめると、やはり彼女は消えていた。
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