最終章 7.背中
「なんですって……!?」
リラの動揺した声がこの暗闇中に響く。
その兵士の凶報に、既に城から遠い地にいるこの第一部隊を重たい空気が包む込む。
「お母さまは……?」
「キリア女王は、恐らく近衛隊と共に地下の抜け道から脱出したと思われます。ですが、はっきりとは分からず……申し訳ありません……」
リラの問いに若い兵士が申し訳なさそうに答える。
抜け道とは、あの頃のセーレが夜中に湖へ行くためにこっそりと利用していた道のことだろう。
皮肉にも
「被害状況はどうなってる!?」
馬車から飛び降りたエダーが急かすように若い兵士に問うと、その兵士は馬からすぐに下り、即座に答えた。
「私が城を出た際にセーレ様が眠る館へ
暗い表情でその兵士は答えたと同時に、悔しさも溢れ出ているようだった。
青い長髪の男というのは、恐らくヒードだ。
ついに自ら動き始めたというのか。
不安が的中したかのような、とてつもなく嫌な予感がした。
「セーレ、セーレは……!? どうなったんだ!?」
「……この状況で城の兵も少ないため、恐らく連れて行かれたかと……申し訳ありません……」
その返答にまるで更なる闇の中に放り込まれたかのように、目の前がただならぬ暗さになった。
セーレがまた連れて行かれた。
まただ。
この現実が自分に重く圧し掛かる。
「……今の距離じゃ、助けにはもう間に合わない……セーレを連れ戻すんだ。ゴル帝国から。彼女はまだクリスタルに包まれている。まだ……まだ大丈夫だ、きっと……」
まるでそう自分に言い聞かせるように、このどうしようもなくざわつく気持ちを少しでもなだめられるような言葉を口から出した。
リラは下を向き黙り込んでいる。
すると次に顔を上げた彼女は、先程まで悲しみに身を投じていた姿とは別人になったかのように、何かを決心した力強い表情に変わっていた。
「……これは予想出来ていたこと。前へ進みましょう」
その目から強い志がこちらにまで伝わってくるようだった。
本当なら今すぐにでも城へ戻りたいだろう。
でも、
彼女は引くことを選ばず、前へ進むことを選ぶ。
――いつだってこの険しい道を。
「ご苦労だったな。お前は少し休め。こちらの隊から
エダーが早馬で駆けてきた疲労困憊の兵士の肩に手を置き、彼をねぎらうようにそう伝えた。
エダーは素早く他の兵士達に、このまま引き続きイーザック港へ向かうよう指示する。
このような事態が起こっても冷静に判断するエダーはとてつもなく勇ましく見える。
そして、いつの間にかこんなにも不安に飲み込まれていた自分に気が付いた。
いや、皆そうだ。
ここで気持ちさえも引き下がってはだめだ、しっかりするんだ。
奮い立たせるように、己を引き締めた。
「セーレ、必ず助けてやるからな……」
――
重たい空気を纏う第一部隊はそのままイーザック港へ進み、到着した頃にはもう深夜近くだった。
すぐに船へ乗り込み、体を休め、朝出港の予定となっている。
この港はリンガー王国の南に位置し、気候的にはとても過ごしやすい暖かさで、海の香りと共に夜の風がこの不安な気分を和らげてくれるような優しい港町だった。
辺りの景色はまだ暗くてあまり見えなかったが、港中にいくつも点々とある松明の炎が真っ暗な海をほのかに照らす。
そんな海に、第一部隊を乗せる大きな帆船が十隻浮かんでいる。
下から照らし出される松明からの陰影のせいか、より一層大きく見え、迫力ある威風堂々とした船だった。
そんな船に次々に食料や物資が運び込まれる。
すると遠くにいたエダーが、こちらに歩み寄ってくる。
「ケイスケ、ちょっといいか」
なぜか少し睨みをきかせながら、彼は話しかけてきた。
「……オレも話がある」
「リラのことだろ」
「え!?」
そのエダーの思いもよらぬ言葉に思わず、戸惑いを見せてしまった。
そんな自分に彼は呆れたように口を開いた。
「お前な……、俺がどれだけリラと一緒に過ごしたって思ってるんだ? 妹の事なんてちょっと見るだけでだいたい分かる。それにお前ら二人から出るあの空気感でな」
エダーの察知能力が普通なことなのか、それとも特殊能力なのか気にはなるが、どちらにせよ彼には全てお見通しのようだ。
「エダー、オレは……リラを……」
「ああ、お前の気持ちなんてとっくに分かってたさ。だからリラのことを頼んだんだ。……っておい、まさか……自分の気持ちに気付いてなかったのか?」
「へ……?」
「へ? じゃねーよ! たくっ……お前がお前に気付いてなくてどーすんだよ!」
エダーはその広い肩をすくめ、これ以上の茶番に付き合いきれないといった表情だ。
そう言われれば自分の気持ちにここまで敏感になったことさえなかったかもしれない。
他人にそこまで興味を持ったことも今までなかった。
生まれ育った世界にいた頃の自分は生活と妹のことで頭がいっぱいだった。
それに気が付いていなかっただけで、また傷つくことを避けていたのかもしれない。
――誰も愛さなければ、もう二度とあんな思いをしなくていいのだから。
だが、この世界に来て何かが変わった。
いや、変わらせてもらったのかもしれない。
「……オレはこの世界に来て自分の非力さを知った。でもそんなオレを助けてくれ、慕ってくれる人達に出会った。そんな中で彼女、リラは……オレのなくてはならない人になったんだ……」
「お前にその覚悟はあるのか……?」
エダーのその鋭い真っすぐな視線に負けぬよう、自分もエダーに力強く目を向け、この意思を送る。
「……もちろんだ」
その言葉をいい終えた途端、エダーが急に後ろへ振り返った。
彼の広い肩幅から広がる
「……分かった。もういい。お前もアイツも言い出したら聞かないからな」
「エダー……ありがとな、ほんとに」
「……リラを泣かせたら、化けて出てやるからな」
そう言い放つと、こちらに一瞬足りとも顔も見せずにそのまま足早に去って行った。
彼の男気溢れる一面と、兄としてリラの幸せを願う一面。
本来なら必死に止めたいはずだ。
だが、彼もまた妹の望む未来を優先したのだろう。
「……必ず幸せにするから」
その言葉を一言、もう小さくなった男の背中に呟いた。
――
朝が来た。雲が多くかかる、まだ
海風をいっぱいに受け止めた真っ白な帆が次々にばさっと大きな音を立て始める。
十隻の船はついにイーザック港を出発したのだ。
海を黄金色に染める太陽がゆっくりと山から覗き始める。
すると昨晩はよく見えなかった港の近くに佇む町並みがはっきりと浮かび上がる。
真っ白な
その白と原色のコントラストがとても美しく華やかだった。
甲板から段々と遠退いていくその綺麗な景色を見送る。
「いよいよね……」
リラが隣にそっと来ると、呟いた。
彼女の長い髪が海風に撫でられるようになびいている。
「ああ」
第一部隊を乗せたこの十隻の船は湾岸にあるゴル城へ向かう。
必ずこの戦いを制さなくてはならない。
この国のためにも、そしてずっと耐え続けているセーレのためにも、あの役目から必ず解き放つ。
改めてそう決心をし、無限に広がる目の前の地平線を見つめた。
分厚い雲の間から朝日が少しずつ差し込み、この船を段々と照らし始めた。
そして自身の体にもその太陽の明るい日光がかかった瞬間だった。
リラが突然目を見開きこちらへ驚きの声を上げた。
「ケイスケ……!? 体が……!」
その動揺した彼女の声に自分の体へ目をやると、まるでこの場所に立つことを誰かが拒否しているかのように足元から段々と体が透き通り始めていた。
またこの世界から消えてしまうかのように。
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