第一章 16.今出来る事

「なぜなんだ、なぜ……彼女はこんなことに巻き込まれなくちゃいけないんだ……」


 小雨から大雨に変貌した夜空に打たれながら彼女の元へ急ぐ。

 旅立つ時セーレ王女は笑顔だった。

 そう、自身の運命を受け入れ、あの無邪気ないつもの表情で皆に笑いかけていたんだ。


 だが、彼女はいつだって苦しんでいた。


 彼女はもう十分頑張ったんだ。

 この戦争終焉の為に。

 

 その結果がだというのか。


「くっそぉぉぉぉ!!」


 空は暗雲がうなりを上げ、雷が激しく鳴り響き始めた。

 真っ暗な洞窟はすぐそこだ。


「おい、なんだ貴様は!」


「どけぇ!!」


 ティスタは入り口にいる見張りの兵を次々に切り倒す。

 雨に濡れたホリスト鋼で作られたこの美しい剣は稲光に反射して輝き、そして鋭く敵を刺す。


 もう容赦はしない。


 近くで高波が打ち付けるこの洞窟から、沸いて出るようにゴル軍の兵士が飛び出してくる。


「貴様は……まさか密偵か!!」


 ティスタに鋭い剣を向け、大勢のゴル兵士達が四方八方からもやってきた。


 その時ジダンがこちらへ駆けて来る姿が目に入った。


「……あなたは戦ってはいけない! これを知らせて下さい! 一部始終を見て、知らせっ……!」


 次から次へと迫りくる敵の剣を受け止めながら、ティスタは大声で叫んだ。


「こいつ、誰に言ってるんだ!? 他に密偵がいるのか!?」


 敵と同じ鎧を着ているジダンが下手に動かなければ、密偵だとばれることはないだろう。

 そんな言葉を発したティスタは、まるでこの運命を受け止めたような感覚だった。


 分かっている、これは限りなく不可能に近い救出劇だということを。

だがそこで悲しんだり苦しんだってどうしようもない。

 今自分が出来る事を全うする。

 もう迷いはしない。


 雷雨が激しくなる。

 自分は泣いているのだろうか。

 大粒の雨に打たれた顔からたくさんの雫がしたたり落ちる。

 数多くいる敵の渦の中へ飛び込むように、洞窟へ足を速める。

 多くの敵と戦う中、相手から振り落とされる剣で段々と体に傷が増えていく。

 ドクドクと痛む。

 

 だが、まだ大丈夫だ。

 自分は動ける、動けるはずだ。

 

 死に物狂いでこの先へ進んでいく。

 

 その時、剣を持った蒼白な顔のジダンと目があった。

 こんな姿になるのは自分だけで十分だ。

 そのままでいてくれ、そう願うしかなかった。


 必死に洞窟の奥へたどり着くとそこには高台の岩壁に長髪の若い一人の青白い男が佇んでおり、手には恐ろしく鋭い短剣を持っていた。


「……密偵か。一人で乗り込むとは、冷静さに欠けた男だ……」


 その男の傍らには、彼女が横たわっていた。


「王女を……、セーレ王女をこちらに渡せ……!」


 この体はもう立っているだけで精一杯だった。


「美しく眠っている、彼女は……」


 彼女の頭をゆっくりと撫で、見つめている姿に吐き気さえする。


「触るな……!! その汚い手でセーレに触るな……」


「この女は私と結婚するはずだった。触って何が悪い……?」


 悲しみ、そして怒りで剣を持つ手が震えている。

 我を失いそうだ。

 

「セーレ……セーレは、彼女自身の未来を、幸せを……犠牲にしてまで、戦争を終わらせるためにこの国へ来たんだ……! オレは……そんな彼女を……笑顔で見送った……なのに、なのに……こんなことって……決してお前を許さない……!!」


「ハハッ、お前、この女を愛していたとでも言うのか? 馬鹿らしい。それがお前の下した選択だ。そしてこうなったのだ。愛する女が死ぬ姿を後悔しながら見るがいい!」


「違う、違う……!! そんなはずがない、あれは……あの選択は……」


 体がガタガタと震え始めた。

 自分が悪いのだろうか。

 彼女をこうさせてしまったのは全部自分のせいなのだろうか。


「さぁ、始めようじゃないか。この盛大なる素晴らしき宴を!!」


 その時、耳を塞ぎたくなるような雷鳴と共に雷が地上へ落ちたのが分かった。

 目の前の空間で大きく奇妙な赤黒い円陣が浮かび上がる。


「このゴル・ヒードが! 聖なる人ホリスト族である、王女ホリスト・セーレを生贄に捧ぐ! 出でよ、黒神チェルノボーグ!!」


 男が彼女の胸の上で、短剣を持ったその手を大きく振り上げた。


「やめろっ……、やめてくれぇぇぇぇ!!」

 

 赤く塗られたこの体で残りの力を全て振りしぼり、その男めがけこの剣を強く投げ放った。


 ホリスト鋼の剣は男の胸深くに突き刺さった。

 


 ――だが、間に合わなかった。 



 愛する人の胸から赤いモノが溢れ出てくる。

 これは現実なのだろうか。

 この逃れられない世界にどうあがいたらいいのだろうか。


「セーレ……」


 彼女を守りたかった。

 どうしても守りたかった。

 それさえも叶えられないのか。


「くっ……この死にかけめが……」


 男は苦痛の叫びをあげながら胸に突き刺さった剣を抜き、投げ捨てた。

 そして次の瞬間、薄気味悪く光った円陣からとてもつもなく巨大な黒い物体が出てきた。

 

「……おお! 黒神チェルノボーグ様……! ついに復活だ……!!」


 血だらけの短剣を持ったまま、その男はよろめきながらも薄気味悪く高々と笑っている。


 途端にその男の右目の横には黒い稲妻なような刻印が浮き上がりはじめ、ティスタが胸に突き刺したはずの傷が段々と治り始めた。


「……なんでだ……」


 あの剣を放った瞬間、数えきれない程の鋭い物が自分に突き刺さったのが分かっていた。

 冷たいこの地面に生暖かいものが広がっていく。


「……もう……これ以上……セーレを、苦しめ、ないで、くれ……」

 

 遠い場所で無惨に横たわる彼女に、赤く染まったこの手を必死に伸ばす。


 だが、どうあがこうがもう届かない。


 視界が段々と暗くなり始め、彼女のその綺麗な横顔がぼやけ始める。



 彼女を助けられなかった。

 

 なぜこうなってしまったのだろう。

 

 何かを間違えてしまったのだろうか。


 最後に触れたかった。

 

 また名前を呼んでほしかった。


 今、全てが闇に消えた。

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