第一章 13.泣いた日

 廊下にある大きな窓からは、今日も綺麗な青空が見える。

 彼女がここに留まる最後の日。

 ティスタはそんな最後の日をいつものように警備をして過ごしていた。


 ここ最近のリンガー王国は安堵と共に賑わいが訪れている。

 戦争が終わる、その朗報に国民中が嬉しそうだ。

 以前のティスタであればきっと自身もそうであったのだろうと思う。


 けれども、今は違う。


(この気持ちを認めてしまったのだから……)


 あれからのセーレ王女は以前より更に明るく笑いかけてくれる。

 そんな彼女を見て心が苦しくなるのだった。


 『大丈夫』、そんな言葉を聞くだけで自身ではどうにもできないこの現実に、悔しさと苛立ちが募る。


「残念だったな~兄ちゃん。まさかこんなことでお別れだなんてさ」


「……はい」

 

「お、今日は素直だな。ちゃんと思いは伝えたのか~?」


「……はい」


「いやー思いは伝えないとさー、って、えっ!? 伝えたのか!?」

 

「……はい」

 

「兄ちゃん、見かけによらずやるな~! で、どうだった!? なんて王女は言ってたんだ!?」


「……ありがとう……と」


 あの夜、少し彼女は驚いていたがそう言ってくれた。

 少し悲しそうな笑顔で。


「そっかーありがとうか~っておいおい、泣くなよ、お~い! こりゃ重症だ」


 あろうことかまた泣けてきてしまった。

 自分が情けない生き物だとは知っていたが、まさかここまでだとは思いもしなかった。


「す、すみません! 気になさらず……」


 泣いてはいけない。

 もう泣いたってこの事実は変えられない。


「あのなー兄ちゃん。こんな状況だし、もう言ってもいいかと思ってさ~」

 

「……何でしょうか?」

 

「王女さ、兄ちゃんのこといつも見てたんだぜ」

 

「……え?」

 

「兄ちゃんがたぶん入隊してからすぐだったと思うんだけど、剣の稽古中とかずっと窓から見てんの、兄ちゃんのこと。俺ここの警備長いからさ~いつも見てるから気になっちゃって~」


「……え?」


「なんか入隊前からあったわけ~?」


「そんなわけありません! オレは入隊後しばらくして初めてあの夜に……」


「あの夜~?」


 思わず口が滑ってしまった。


「な、なんでもありません! ただ本当に面識はないまま入隊したんですから、それは何かの間違いかと……」


(そんな時期からオレを見ていただなんて、あり得ない……)


「ま~何がその夜にあったのかは聞かないけどさ~、本当残念だな、こんな結末ってさ」


 ジダンはいつも気だるそうにして、人のことをよくからかったりしてはいるが、案外いい先輩かもしれない。


「……はい」


「いよいよ明日か~」


 明日、セーレ王女はゴル帝国へ旅立たれる。

 結婚式はその1週間後とのことだった。


「ま、元気出せよな! 俺が今度いい女紹介してやっからよ~! まー王女には到底敵わないけどな!」

 

「いや、オレはいいですから……」


 ジダンの優しさだろうか。

 肩を組んで明るく接してくれる。

 誰かにこうやって聞いてもらえるだけで、少し楽になることもあるんだなと知った。

 

「警備中申し訳ありません。セーレ様があなたにと」


 女性の声に振り向くと、そこにはいつも王女の隣にいる侍女がいた。

 すると、一通の手紙を渡された。


「……えっオレに!?」

 

「マジかよ~! やったな、兄ちゃん!」


 一通の封筒を渡されたティスタは心臓が高鳴り始めていた。


「開けてみろよ~はやく~」


「……だめですっ! 開けたらジダンさんまで見るじゃないですか!」


「兄ちゃんと俺の仲じゃんよ~誰にも言わねぇからさ~、ね、お願い!」

 

 明らかにこの状況を楽しんでいる。すると侍女は次にジダンへ一通の手紙を差し出してきた。


「それと、こちらはあなたにと。キレリア様からです」


「……えっ!?」


 ジダンが意表を突かれたかのように驚き固まっている。


「……女王っ!?」

 

「いやいや!! 俺は何もしてねえぇぜ!? そんな目で見るなよ、兄ちゃん!」


 キレリア女王と言えば、この国の主だ。


 代々的に白魔法の力を持つホリスト族の女性がこの国では力を持ち、王になる。

 そんな女王からジダンへ1通の手紙が手渡されたのだ。

 そんなことはもちろん滅多にない。


 そんな王族からの手紙を受け取った二人はその場で立ち尽くすのだった。


 ――


 ティスタの手紙にはこう記してあった。


『今夜、湖であなたに渡したいものがあります』


 それだけだ。彼女と最後に会える夜。

 月光でほのかに照らされた夜道を歩く。


(渡したいものか……)


 会えばこらえ切れない思いが溢れ、きっと涙が止まらないだろう。

 情けない奴だと分かり切っている。

 そんな無様な姿を最後の最後まで彼女に見せてお別れなのだろう。

 段々と近くなっていく湖にあの時の思い出がよみがえってくる。

 あんなに酷かった背中の傷はこんなにも綺麗に治っているのに、この心に空いた穴は治せなかったらしい。


 目に入った彼女は今夜も清らかに月に照らされる。


「ティスタ、来てくれてありがとう……! どこか痛むの?」


「すみません、お気になさらず……」


 足だけ湖に浸かり、心配そうに自分の顔を覗き込む姿はまるでそのまま水に染み込んでいくかのような儚さだ。

 水の精霊にきっと愛されているに違いない。


「治してほしい場所があったら言ってね! もう今夜までしか治せないんだから」


 また笑っている。


(その笑顔のせいで自分を余計にこうさせるんだ)


「……はい」


「そうそう、今夜はこれを渡したかったの。湖で清めてたのよ」


 湖から布で巻かれたものをゆっくりと取り出し始めその布をめくり取ると、そこには高貴さが溢れ、神秘的な空気さえもまとう剣が現れた。

 つかには透明で綺麗な石が埋め込まれている。


「これは……?」


「これは聖なる人ホリスト族に代々伝わる技法と、この周辺でしか採掘出来ない白いはがね、ホリストこうで作らせた剣よ。普段は王族しか使ってはいけない剣なんだけど、ティスタのために私が作らせたの。ぜひ使ってほしくて!」 


「……そんな、いいのでしょうか……オレが使っても……」


「ええ、もちろんよ! ここにはクリスタルが埋め込まれているの。このクリスタルは、私が生まれた時に発掘されたもので、ずっと肌身離さず持ってて……だから大事に……」


 セーレ王女の様子が変だ。

 下を向き、剣を持つ手が震えている。


「……大丈夫ですか?」

 

「ええ、大丈夫よ! はい、これ!!」


 無理やり自分に剣を渡すと、プイっとあちらを向いてしまった。


「ありがとうございます……」


「もう、そんな暗い顔やめてよね、私は大丈夫なんだから……!」


「……はい、申し訳ございま……」


「……なんでよ! なんでそんなにいつも悲しそうなの! 私はっ、私はっ、あなたに笑ってほしくていつもいつも頑張ってるのに……!!」


「え……」


 急にティスタへ向きなおった彼女が大声で叫ぶ。

 その目には大粒の涙が次々に溢れていた。


「ティスタっ、ティスタがっ、笑って、私を見送ってくれないと、私、私っ、不安で押しつぶれちゃう……!!」


 声を張り上げ泣き出してしまった。


「え、え、ちょっ……セーレ様っ……」

 

「私っ、ずっとずっと、あなたを、見てたんだからっ! 入隊してからすぐにっ……城門にいた夜っ、あなたを近くで見たくて……そしたら見つかっちゃって……! もう、こんなこと言うはずじゃなかったのに!! 言わずにゴル帝国に行こうって……!」


 ジダンに言われた言葉を思い出す。


「分かりましたっ、分かりましたから、落ち着いてください……!」


 唐突な事を言い放ち、泣き叫んでいる彼女をなだめるように抱きしめた。

 自分が泣くはずだった夜に彼女が泣いている。


「私っ、子供の頃、ふぁ、ファスタに護衛をしてもらってたの……。それ、でっ、あなたのことたくさんっ、聞いたの……」


「え、父さんがっ!?」


「そうっ……ファスタに、ちょっと頼りないけど、なんでも一生懸命に、家族を助けてくれる息子がいるって……嬉しそうに、いつもあなたの話をしてくれてたわ……」


「父さんがそんなことを……」


 父はこの後に戦死したのであろう。

 優しくいつも人の為だけに生きるような人だった。

 きっと戦いの最中も人助けをして人生を全うしたのだろう。

 父はそうやってこの世を去った後も奇跡のような出会いをプレゼントしてくれたのだ。


「ファスタに顔も似て、くせっ毛も同じで……あなたをたまたま見かけて……調べたら、やっぱりあなたで……不器用だけど一生懸命なところ……つい目で追っちゃって……ずっと気になって見てたの……そしたら、湖に急に現れて……そして、私のせいであんな風に……本当にごめんなさい……私っ、私……」


「セーレ様……オレ、最近落ち込んでばかりで……あんなに笑わせてくれてたのに……全然笑えなくって……すみません……」


 彼女の溢れる思いをしっかりと受け止める。

 二人とも苦しんでいた、それぞれの思いを抱えて。


「もう、ティスタはどんかんで、まぬけすぎるのよ! そんなところが、大好きなんだから……!」


 自分の腕の中で体をうずめ、泣き笑いながらも見つめてくれる彼女から暖かな制裁を浴びる。

 その愛しさに触れるように、迷わず彼女を強く抱きしめた。

 

 彼女のぼやけた輪郭に優しく触れた瞬間、月に照らされながら頬を伝う綺麗な雫が指に染み込む。 


 そしてこの本当の気持ちと共に、彼女の暖かな唇に優しく触れた。

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