第一章 12.本当の気持ち

 あれから何も喉を通らなかった。

 この国の為に戦争相手のゴル帝国へセーレ王女が嫁ぐこの現実に。


 それがゴル帝国から出されたこの長きに渡る戦争の終戦条件だった。


 第一王女であるラリア様は既にご結婚されており、別の場所に住まわれている。

 この何年も続く戦争で疲弊していた自国は、未婚の第二王女セーレ様を嫁がせるとして、この条件を飲んだのだった。


 あの無邪気な一人の少女を犠牲にして、この戦争が終わるのだ。

 これは仕方のないことだ、それは分かっている。


 だが、この終わり方に納得出来ない自分がいた。

 戦争終焉を幾度となく切望してきたが、こんなことは決して望んでいない。

 果たして王女は幸せになれるのだろうか。


(……いやいや、セーレ様はもしかするとゴル帝国での幸せが待っているかもしれない、そうだ……、きっと結婚相手はオレより強くて、カッコよくて……って、なんでオレと比べてんだよ!! あーーもうちくしょう!!)


 考えれば考えるほど、ドツボにハマりそうだ。

 しかし、頭の中はやはり王女のことでいっぱいだった。


(オレ、こんな奴だったんだな……)


 離れていくと分かって、初めてちゃんと自分に向き合えた気がした。

 今まで抑えていた気持ちがどこからか一気に流れ出るようだった。


 でも、どうしようもない。

 その事実だけが重く圧し掛かる。

 これからも、今後も、ずっとセーレ王女の護衛を出来ると思っていた。


 例え、気持ちを隠し続けてでも。

 例え、誰かと幸せになられても。


 彼女が幸せならそれでいいと思っていた。


『二人だけの約束ね!』


 この言葉がいつも響いている。


「お~い、お~~い。兄ちゃん、大丈夫か?」


「……はい、大丈夫です……」


「お~い、いつもの元気はどうした~? そんなんじゃ、セーレ様を守り切れねぇぞ~?」


「オレは元気です……、セーレ様は必ずお守りします……」


(そうだ、お守りするんだ、お守りを……! ……ゴル帝国に行ってしまわれた後は……?)


 そう考えただけで、心の奥の更にまた奥のどん底へ突き落された気分になる。


(だめだ、だめだ、考えるな! これは仕方のないことなんだ……!!)


「セーレ様! ご就寝でしょうか。どうぞ」


 ジダンの声が広い廊下に響く。

 目の前にはあのセーレ王女が立っていた。


「いえ、今夜は就寝前に少し風に当たりたいのです。ティスタ、庭での護衛を頼んでもよろしいでしょうか」


「は、はい、もちろんです」


 近くでウインクをしているジダンが目に留まる。

 そんなジダンに赤面するかのように下を向く自分がいた。


(なんでオレ、ジダンさんに赤面してんだよ……! だいたいこの人は一体本当に何を考えているんだ……!)


 もう、頭の中はごちゃごちゃだ。


(……今は、セーレ様の護衛に集中だ!)


 あの時のような美しい月夜だった。


 月に照らされた王女は、とてつもなく儚い。

 彼女を優しく包み込む風は、手が届かない彼女をそのままさらってしまいそうだった。


 涙が出そうだ。


(……おいおい、こんなとこで泣くなよ、オレ……! これは仕方のないことなんだ。これで戦争が終わるんだ……そうだ、終わるんだ!! 家族もきっと喜ぶし、町の人達も……。きっと……セーレ様も覚悟を決めておられるんだ……!)


 今まで戦争で荒れ果てた大地や、父のように死んでいった人達が次々に思い出される。

 疲弊している、確かにそうだ。

 このリンガー王国にもうそれほど戦力は残っていない。

 それにもうこれ以上、苦しんだ人達も見たくはない。

 誰もがそう思うだろう。


(だけど、だけど……!)


 必死に感情を抑えようとすればする程、胸が詰まり、涙が溢れ出そうだ。


「ティスタ、付き合わせちゃってごめんね」


 その瞬間、ティスタは堪えていた一粒の涙がこぼれ落ちた。


「泣いてるの……?」


「な、泣いてなんかいません……!」


「またぁ~ティスタの泣き虫~!!」


 いつものような無邪気な笑顔で、笑いかけてくれる。

 そんな笑顔を見て、余計に涙がこぼれ落ちそうになるのだった。


「な、泣いてなんかいませんっので……!」


 思わず視線を反らしたが、いきなり王女に顔を掴まれたかと思うと、力づくで顔を戻され、じっとティスタを見つめる彼女がいた。


「やっぱり泣いてる~!」


「ちかっちかっ、近すぎますっ!」


 不意をつかれ、心臓の動悸がすごい。

 そんな様子を見てか、この輝く月夜の下で彼女は笑う。


「ティスタ……私は大丈夫だから!」


 力強く言葉を発する彼女とは裏腹に、とても寂しげに見えた。


「大丈夫って……!」


 これ以上口走るといけない、そう感じた。

 自分の思いが爆発しそうだった。


「ティスタ! 私って……偉いよね……?」


 涙を貯めて必死に笑っている彼女を、誰もが戦争を終焉させてくれる歴史最大の偉い人だと言うのであろう。


 しかし、果たしてそうなのだろうか。


 目の前の彼女はこれから訪れるかもしれなかった、自分の幸せを捨て去ったのかもしれない。

 国の為に、見たこともない、どんな男かさえも分からない、今まで敵対していた相手に嫁ぐ。

 自ら、未来の幸せを捨ててまで、民の為、国の為に、自分を犠牲にすることが、果たして偉いことなのか。

 そう思えば思うほど、自分の思いが止まらなくなる。


「……偉くなんか、ならなくていい……! あなたは自由に生き、幸せになる権利があるんだ……! それを放棄してまで……偉くなんかならなくていいんだ……この国の為に、自分を犠牲にするなんて許されるはずがないんだ……!」


 彼女を強く抱きしめている自分がいた。


「……ティスタ……わ、わたし…、が、頑張ってるんだから……」


「分かってる……セーレ様の頑張りはオレがっオレが……一番知ってるんだ…! 普段だってこんなに自分を押し殺してる……こんな方法間違ってる……! オレは認めない、だめだ…、だめだっ……! オレはっ、ただ……、セーレ様に幸せになってほしいんだ……!」


 強く、強く、思い切り抱きしめても、もうすぐ彼女はここを去る。

 自分のこの腕から消えるように、目の前からいなくなってしまう。

 そう考えれば考えるほどに、堪えていた涙、思いさえも一気に溢れ出てしまう自分がいた。

 二人を夜風が優しく包み込む。

 このまま風に乗り、二人で遠くに行けたらどんなにいいか。

 どんなにそう思ってもこの現実は変わらない。


「……ティスタ、ありがとう……あなたってこんなに暖かいのね」


「うわ! も、申し訳ありません……!!」


 感極まり思わず王女を抱き締めていたことに気が付いた。

 慌てて王女を離しても、事すでに遅しだ。

 それに、こんなに頑張っている彼女に、否定の言葉を言ってしまった。


「……ありがとう。正直に言ってくれて。それに、心配してくれて嬉しかったわ!」


「も、申し訳ありませんでした、大変失礼な事を言ってしまい……」


「……いいのよ、いつでもティスタの本当の気持ちを聞かせて」


 本当の気持ち。

 自分にとって本当の気持ちとはなんだろうか。

 彼女の頑張りを尊重する気持ちだろうか。

 それとも、彼女の幸せを思う気持ちだろうか。


(それは全て自分の本当の気持ちだ……)


 だが、何かを押しつぶしているようなこの感覚はなんだろうか。


 死に物狂いで彼女を助けるためだけに戦ったあの夜。

 とにかく必死だった。

 絶対に助けたい、それだけだった。

 兵士としてではない、ただ一人の男として。


 そして今、あの時のように自分の感情をさらけ出してしまうことを神様は許してくれるだろうか。

 

 彼女もまた等しく許すのだろうか。


「本当の気持ちは……」


 さらけ出せば、もう後戻りは出来ないだろう。


「……あなたを愛しているということです」


 必死に押しつぶしていたこの気持ちが真実だった。

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