第55話 ぴっちぃの祈り
ぼくたちに進むべき道を次々と示してくれた、ジュピ田さんの地図。
A4のその地図の真ん中に、もーにちゃんが短冊状のひらひらの
その印を囲むように、かっぱっぱとぺんはジュピ田さんの似顔絵を描き、ぼくはお礼の言葉を書いた。
それで紙飛行機を折り、ジュピ田さんのいる、ジュピタン在テッラ領事館がある町へ向けて飛ばした。
「見えてきたわ。J.S.T.M.の時計塔」
ぼくたちは、おうちへ帰ってきた。
窓からそーっと中を窺うと、リビングにママはいない。きっと今日も二階でお昼寝してるんだ。
かっぱっぱとぺんはさっそく、子ども部屋の隅に片付けられたメッシュ袋のなかに自分たちの実体を見つけ、虚体を解いて魂を実体に戻す。
すると、ほかのぬいぐるみたちが彼らに駆け寄り、抱き締め合ってお帰りなさいの挨拶をした。
〈ぶう〉〈ぞぞぞ〉〈まめきち〉。
〈まめきち〉っていうのは犬のぬいぐるみだ。お店では〈うめ吉〉という立派なキャラクター名で販売されていたのだが、ママが読み違えて〈まめきち〉になっちゃったやつ。ママはこういうのが多い。
まめきちと相似形の〈ちびまめ〉、その色違いの〈まめちび〉。この子が木登りをすると〈のぼまめ〉になる。
パンダの双子、〈Tちゃん〉〈Sちゃん〉もいる。この子たちは、おにいちゃんたちの名前のイニシャルがそのまま名前にされた。
ここんちの人たちはネーミングに関して安直だ。
ぼくはもーにちゃんと一緒に二階へあがり、寝室を覗いた。やっぱりママはお昼寝中だ。お昼寝といっても、ママの場合、三時間でも四時間でも寝ちゃう。寝過ぎだよ。
「人の習性って変わらないものね」
もーにちゃんが呟いた。
ママの手が、何代目かの〈ポストもーに〉お触りタオルケットを掴んでいる。
それを目にしたときのもーにちゃんを、ぼくは見ないようにした。
もーにちゃんは、少しの間、沈黙した。
しばらくして、ぼくが再びもーにちゃんを見たとき、もーにちゃんは、赤ちゃんの顔を覗き込むように、ママの寝顔を眺めていた。
「あたしはもう、この世のものじゃないから、ママに触ることはできないのよ。ぴっちぃちゃん、あとはよろしくね。あなたもいつか、あたしたちのところへ来られるといいわね」
ありがとう、もーにちゃん。気をつけて帰るんだよ。
ママはきっと、いつまでもきみのこと覚えていると思うよ。
だってきみは、ママの命の一部だもの。
もーにちゃんと永遠になるかもしれないお別れの挨拶をした後、ぼくは当分起きそうにないママの枕元に座り、ママのあられもない姿に苦笑してしまう。
その昔、パパとデートするときは、いちおうお化粧して一番マシな顔をパパに見せていたママなのに、今では、パパが見るママの顔はすっぴんで、しかも一番ヒドイのばっかりだ。
ただのすっぴんならまだしも、寝起きのよれよれのすっぴん、イライラして怒っているすっぴん、なりふり構わずバタバタしているすっぴん・・・。
パパのほうも、いちどママがコンシーラーという化粧アイテムを使っているところを目撃して、
『なにしてんの?』
と尋ね、
『こうやってシミをひとつひとつ塗り塗りしているのだ』
と聞くと、
『うわっ! 大変やな』
ってな調子で、ひとごとみたいだ。
結婚して十年も経つと、お互い直視しないようになってくるみたいだ。見てしまったものでも、見なかったことにしたり、なかったことにしたり・・・。いちいち厳格に反応していたら、もたないのだろう。
ぼくはリュックを下ろし、巾着袋を取り出して紐を解いた。
七つのイヤシノタマノカケラは、透き通った七色の煌きを放ちながら気化して、ママの体をぐるりと包み、それから順々に、ママの呼吸のリズムに合わせて鼻の穴からしゅぽしゅぽと吸い込まれていった。
最後にヌレオチババの気配が胸の上に乗っかると、ママは金縛りにかかったみたいに動かなくなり、声にならない呻きが洩れる。
ようやく指先に力が入り、お触りタオルケットの角をえいっと握り締めたとき、ヌレオチババの気配も鼻の穴からずぼぼっと入っていった。
いずれも美しくない吸い込まれ方だったけれど、いずれもママのイヤシノタマにうまく適合してくれることを祈っているよ。
ぼくにできることは、おそらくもうこれくらいだ。
ぼくはぬいぐるみだ。大好きなママから息を吹きかけられて魂を与えてもらった。
だからご恩返しをしたというわけではない。
どのような形であれ、ぬいぐるみとしての儀礼的使用においては、ぼくはすでに充分その役割を果たすことができてきたと思う。
そんなことはとっくに卒業しているのだ。
ママのイヤシノタマノカケラ集めに駆け回ってきたこの数ヶ月間の行動は、人間としてのママと、ぬいぐるみとしてのぼくとの、あるべき関係性を超えるかもしれない思いに突き動かされた結果であり、たぶん逸脱である。
ぼくの魂はこれ以上の逸脱は許されないだろう。
だからこの虚体の姿をママの目に触れさせるつもりはない。
ママに抱っこされることや撫でてもらうことは、虚体では意味がないのだ。ぼくの実体がママの人生から永久に失われるとしてもだ。
ママの魂は、この世のどこかに、それから、ママ自身の心のどこかに、ママと家族が本当の
時間に追われながら雑然と過ぎてゆく日常のなかに埋没して見失ってしまった真理を、雑然と積み重なった日常の地層のなかから発掘しなくてはならない。
積み重なってゆく日常のなかにこそ、大切な
ヌレオチババはママの人生の最後の課題となるのだろう。それはママ自身が受容し、自分の力で克服しなくてはならない問題だ。
虚体を解き、魂だけのぼくはママの傍らで横になった。
いつのまにか、ぼくも眠ってしまった。
夢のなかで、ぼくはママに抱っこされるんだ。
優しい優しいママの声。
ぬいぐるみの『ぴっちぃ』☆ 魂を救うソーラーシステムの旅 溟翠 @pmotech
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