第53話 命綱をかける

「命綱が、本当に必要なんだ・・・。パパにも」


 かっぱっぱとぺんにとってはさらにショックだ。

 パパとママの愛情の危機というのはそのまま、おにいちゃんとちびにいちゃんの存在の可否にも繋がる重大な問題なのだ。


「どうすればいいんだろう? いったい、ぼくたちに何ができるというのだ?」

 今朝の凛々しい決意が萎んでいき、ぴっちぃの胸に無力感が広がっていく。

 うつむいてしまうぴっちぃ・・・



「南京錠を掛けましょう」

 V茄子さまが、呑気なお母さんのように微笑む。


「南京錠のおまじない?」

「そうよ」

「あれは観光客の間で勝手に創作されたお話でしょう?」

「そうよ」

「科学的根拠があるの?」

「ないわ」

「?」


「おまじないに科学的根拠は要らないのよ。こじつけて言うなら〈模倣の原理を援用した共感呪術〉ってとこかしら。

『二人の愛が手をとりあってトモシラ川へ流れますように』って祈りを込めて鍵を掛ける。そのとき、カップルの心には誓いが生まれるの。『この愛を大切にします』ってね。初心が忘れ去られないように施錠されるというのは重要なことよ。〈鍵〉の意味を取り違えると破滅する場合もあるけど」


「本人がやらなくてもいいの?」

「いいわよ、代理で。ぴっちぃちゃん、あなたにはママの魂の一部が預けられているわね。あなたにもわかっていたでしょう? あなたが鍵を掛けるのよ。そうしたら、パパとママの愛の運命が前進する。サブ台帳の〈保留〉を抹消して〈済〉のハンコを押してあげるわ。あとは本人次第よ」


 やはり、ママの魂の一部を、ぴっちぃは担っているのだ。

 V茄子さまからそう言われて、ぴっちぃの心にともる小さな希望の灯。今が〈ここぞ〉という時だ。


「うん。ぼくが、代理人を務めるんだね。・・・・委任状はいいの?」

「でっちあげといてあげる」


 ところで、ここを訪れるカップルたちは、南京錠をどこで用意するのだろう?

 V茄子さまによれば、〇急ハ〇ズなどでちょいとおしゃれなのを買って持参する者もいるが、そんなにお金をかける必要はない。村のホームセンターで売ってるので充分だそうだ。道具の価格とまじないの効力との間に相関性はないらしい。


「いちど下山してホームセンターで南京錠を買ってまた登ってこなくちゃならないのか・・・? しんどいなー」

「ホームセンターまで下りなくてもいいわよ。そこの売店でも売ってるから」


 ぴっちぃは駐車場の売店で安いメッキの南京錠を買い、V茄子さまが指し示すフェンスのポイントに引っ掛けてロックした。

 V茄子さまがぴっちぃの手を包んで呪文を唱え、解錠用の鍵に魔法をかけた。


「この鍵が、最後のイヤシノタマノカケラよ。これを扱う責任者はパパとママ。使用にあたっては魔法のようなわけにはいかないわ。でもこれでいちおう、魂に初心を繋ぎ止めることができたはずよ」

「ありがとう! V茄子さま」


 みんなの周りをきらきら飛び回っていたもどきちゃんから、ひときわ輝く黄金の光が放射された。

 無限大記号もどきであったもどきちゃんが、真ん中から二つに分かれ、すーっと重なり合って同心の二重の円になった。

「わたしたちからも、ありがとう! V茄子さま。元の姿に戻れました」


「・・・・もどきちゃんって何者?」


「ふふっ。この子たちはね、パパとママの結婚指輪の魂よ。ほら、この小さなスリーカラーゴールドの輪っか、見覚えがあるでしょ?」

「ほんとだ。パパとママの指輪だ」

「くっついてはいたけれど向かい合ってなくて、ずっと平行線のままだったでしょう? この同心円の形が本来の姿なのよ。

 ペアのマリッジリングがあんな形になって、ハンギング・ロープのヴィジョンとオーバーラップしてたなんて、ぴっちぃちゃんも辛かったでしょう?」


〈そうだよ。こいつらのせいで、ぼくがこれまでどんなに心を痛めてきたことか〉


「そーだ! その鍵タイプのイヤシノタマノカケラに、もどきちゃんを融合させてあげましょう。一緒に連れて帰って、結婚指輪の実体に魂を返してあげなさいな」

「うん! そうするよ!」

 同心円となったもどきちゃんも弾けるような輝きを発して喜ぶ。


 結婚指輪は愛のしるし。それは人生の喜びも苦労も共にする誓いを表わす悲痛な覚悟のしるし。そして、人生を共にして幸せでしたと言えるようになりますように、という祈りのしるしでもある。



「ひょっとして、いま南京錠を掛けたぴっちぃちゃんの行為が、パパとママに命綱を掛けた、っちゅう象徴的意味になりまへんか? V茄子さま」

 唐突におっさんが訊いた。


 ぴっちぃたちも、言われてみればそうかもしれないと思う。

 天上の雲間から恩寵を垂れる〈救済の命綱〉を象徴する黄金の光の筋が、V茄子さまの御力によってパパとママの無意識の海へ到達したと解釈できるのではないかと。


 V茄子さまはその質問には答えず、その代わりおっさんに言った。

「サンタのおっさん、あなたの本質はキューピッドでしょう? 似たような力を、あなたも発揮できるのよ。

 さっき台帳をめくったついでに、あなたのご主人たちの運命もちらっと見てみたわ。彼らは本体のほうもここを訪れたことがあったわね。そのときは南京錠のまじないなんて迷信だと思って何もせず帰って行ったわ。『くだらん』っていう発言の記録も残ってたわよ。

 あなた、本来の力で彼らに縒りを戻させる? それとも、もういいと思う?」


「・・・・そや。わし、キューピッドやったんや」


 おっさんは腕組みして考える。


 しかし、ご主人さまたちの望みがどっちなのか、いくら考えてもわからない。

 彼らがおっさんを可愛いがったという歴史がないから、おっさんにも彼らの気持ちが伝わらないのだ。

 製造され、リメイクまでされて晴れてお買い上げされた(UFOキャッチャーだけど)にもかかわらず、ご主人さまから一度も愛でてもらえなかったぬいぐるみというのも惨めなものだ。


 けれど、あんな奴らでもおっさんにとっては唯一のご主人さまだし、里心もついてしまっている。

「もうええかな、とも思うけど、もしまた二人がばったり出会うチャンスでもあれば、そのときは、わし、ちょっと働こかな・・・」

「おっさんがその気になれば、本人達の心も変われるわ」


 V茄子さまは続ける。

「ところで、おっさん、どうせ家に帰っても大事にされないんだから、ここでバイトしない? 人手が足りなくて処理が追っつかないのよ。愛と美の女神が過労死しちゃったらみんな困るでしょう? 私の助手になりなさいよ」

 ほとんど脅迫だ。おっさんには女神さまだってずけずけとモノを言う。


「ここは夜景もきれいだし、タイガス山牧場が近いから新鮮な牛乳だって毎日飲めるわ。チーズの生産もされてるのよ」

 物でも釣るV茄子さま。


「ほな、そうさせてもらいます。わし、こんな仮装させられてたから自分を見失っておりました。そやから境遇にも恵まれなかったんかもしれん。

 わしも本来の姿に戻って、これからは自分に与えられた使命を果たしていこうと思います」


 おっさんはついに、自らの存在の意味を、自らの本質であった〈キューピッド〉に見出すことができた。


「よかったね、おっさん。ぼくがそのコスプレを解いてあげるよ」

 ぴっちぃはおっさんの汚れたサンタ用の服をひっぺがし、リュックの中からソーイングセットを取り出して、お裁縫を始めた。


 汚れがひどい上着の袖口やズボンの裾などをジョキジョキ切り離し、比較的ほころびの少ない身ごろの部分から器用に羽根の型を切り抜いて裁ち目をかがり、おっさんの背中に縫い付ける。赤い羽根だ。共同募金ではない。キューピッドの羽根だ。

 本来は純白のはずのキューピッドの羽根だが、あり合わせの生地でこしらえたから仕方ない。薄汚れた赤い羽根だけれども、要は気持ちだ。

 キューピッド本体は天使部門所属であるため裸体で描かれるのが常であるが、おっさんの場合、その姿は想像したくない。

 白いズダ袋のなかには、かつてもぎ取られたハート付き弓矢がくちゃくちゃに丸まって入っていた。V茄子さまがそれにアイロンをかけて糊づけまでしてくれた。ぱりっとした。



 その夜、ぴっちぃたちはもう一度、V茄子ビレッジの宝石箱の夜景を鑑賞した。


「あれがメリケンコ波止場のポ〇トタワー、あっちが貿易センタービル、人工島への橋もライティングされてるでしょ。それから・・・」

 V茄子さまは観光ガイドさんになっていろいろ説明してくれる。


 V茄子さまとおっさんはご当地ワインで盛り上がり、ぴっちぃたちにもちょっぴりワインを飲ませてくれた。体がぽかぽかあったまる。

 今シーズンのタイガスおろしもたいしたことなさそうだ。

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