第44話 うんどうかいの日

 さて、その日がついにやってきた。マキュリデバ高原地方、秋の住民大運動会。


 前日に町内会の役員さんたちや学校の教職員たちがグラウンドを整備し、テントの設営、万国旗の飾りつけなどの準備が行なわれていたが、ここの皆さんは仕事がものすごく速い。

 みんなてきぱきと作業をこなしていて、こっそり様子を見に来たぴっちぃたちは、びっくりするやら感心するやら・・・。それに、あまりのめまぐるしさに疲れてしまうほどだった。


 当日の朝には、婦人会や子ども会やPTAなどが屋台を出し、会場の外には、各地からテキ屋さんたちの屋台も集まってきている。ほんとにお祭りみたいだ。


 フレディさんやメイさんたちと談笑しながら一緒に会場へやって来たぴっちぃたちは、ちょっとした注目の的だ。


 なにしろぬいぐるみだ。かっぱの一家が歩くぬいぐるみを連れているなんて、当地でもさすがに珍しいらしい。

 みんな一瞬驚いたけれども、ぴっちぃたちがとても可愛らしいものだから、現実的かどうかなんていう問題はどこかへひゅんと飛んで行ってしまい、みんなが微笑みかけてくれる。


 ディコンくんは、この注目の中でクラスメイトたちがどんな眼差しを自分に向けているのか、まだ正視することができなくて、ちょっと離れて歩いていた。


「ディコンくん」

 後ろから声をかけられ、ぎくりとして振り向くと、ハヤテくんだ。周囲のお祭り気分のせいか、頬が上気して、ちょっぴり興奮している様子だ。

「リレーがんばろな。バトンパス落ち着けよ。それから、〈前進!〉やで」

 ディコンくんの肩をぽんと叩いてそう言ってくれたハヤテくん。

「うん」

 なんだかドキドキしてきた。


 開会式に続いてプログラム一番、参加者全員によるラジオ体操。

 ディコンくんとテイラちゃんは、ハヤテくんから教わったストレッチの方法を意識しながら、うまく体の筋肉をほぐしていく。

 後ろのほうからクスクス笑い声が聞こえるけれど、ディコンくんはもう気にしない。それに、それらの笑い声は、一緒に体操している可愛いぬいぐるみたちに向けられているのだ。


 競技が進行していくにつれ、ディコンくんはリレーを前にした緊張よりも、むしろ運動会の雰囲気を心地よく感じるようになってきた。これまで経験したことのない感覚だ。


 デバマキュリ一家は、午前中に行なわれたリレー予選を無事通過し、決勝戦に進むことになった。こんなのは初めてだ。

 今年は参加賞の四五ℓゴミ袋一パックではなく、他の賞品を貰えるのだ。だから、ここまできたらもう何でもええわ、ゴミ袋以外やったら、とテイラちゃんは喜んでいる。


 ディコンくんの走りは、去年までとは雲泥の差。同じ学年の子たちは皆驚いて、お口があんぐり開いてしまっていた。

 毎年からかいの対象となっていた、あのぴょんぴょん上に飛び跳ねる不恰好ないじけたディコンくんは、もうどこにもいなかった。


 テイラちゃんからバトンを受け取り、颯爽と駆け出したディコンくんの姿は、本当にかっこよかった。伝令の遺伝子が覚醒したかのような、勇壮な走り! 担任の先生もびっくりだ。

 指導したハヤテくんもうっとり見とれるほどだった。

〈ディコンくんって、本番に強いやないか。知らんかった〉



 さあいよいよ、家族対抗リレー決勝戦。

 予選を勝ち抜いた数組の家族での一本勝負だ。ハヤテくんの家族もいる。

 各組走者は四人で、ひとり一周ずつ。人数の多い家族は選手を四人選ぶ。足りない家族は親戚縁者から助っ人を頼んで四人にする。デバマキュリ家はちょうど四人だ。


 4×400とはいえ毎年あっという間に勝負が決まってしまうのだが、全町民の期待と興奮がこの短い時間に一気に集中する。

 せわしないといえばせわしない。何事もものすごい集中力でぱぱっと盛り上がり、ささっと済ませるのがこの地方の流儀なのだ。


 パーンと乾いたピストルの音。

 第一走者はフレディさん。さすがは伝令の末裔。圧倒的な速さで、二位に大差をつけてメイさんにバトンを渡した。

 足がすらっと長く、スレンダーなメイさんの走る姿は、それはもう優美なカモシカのようだ。なにしろ一歩の距離ストライドが長い。優雅な走りでもスイスイ進む。

 第三走者のテイラちゃんはまだ小さいけれど、にこにこ楽しそうに、そして一生懸命走る姿がみんなの喝采を浴びる。

『あわてて転ばんように気をつけろ。コーナーは慎重に回れよ』

 とハヤテくんから教わっていたから、そのとおり気持ちを集中して走った。

「よかったぁ。こけんかった。さあ! おにいちゃん! 行け~~~っ!」

 アンカーのディコンくんにバトンが渡されると、クラスメイトたちの目はディコンくんに釘付けに・・・。


 予選の時のあの姿は幻じゃなかった。まぐれではなかった。

 瞳の奥に真っ直ぐな自信を秘めて、見違えるほど逞しく、トラックを疾走するディコンくん。


 いっぽう、ハヤテくん一家も速い。ずっと二位につけていたのはハヤテくんの家族だったのだ。そして、アンカーはハヤテくん。

 彼のスポーツ万能ぶりは学年でもトップクラスだ。ディコンくんはものすごく速くなったけれど、ハヤテくんはさらに速かった。


 予選でのディコンくんの勇姿に刺激されて、なぜか闘志というより同志愛みたいな情熱が燃え上がってきていた。

 決勝で、全力を尽くして走ることが、ディコンくんへの友情と敬意を示すことになるのだ、とハヤテくんは思う。


 ハヤテくんはトップのディコンくんにぐんぐん迫り、二人の距離がぐんぐん接近していく。


 最後のコーナーを回り、いまにもディコンくんに追いつくかと思われたそのとき、ハヤテくんがずざーっと勢いよくすっ転んだ。会場のあちこちから悲鳴が上がる。

 これでデバマキュリ家圧勝かと思われた次の瞬間、ディコンくんがハヤテくんに駆け寄った。

「ディコン! はよ行け!」

 ハヤテくんが叫ぶ。

「大丈夫か?」

 ハヤテくんを抱き起こそうとするディコンくん。

 三位の走者が迫ってくる。


 転がったバトンを拾い、立ち上がったハヤテくん。そのハヤテくんの手をつかみ、ディコンくんは走り出す。

 二人はがっしりと手を繋いだまま、最後の直線距離をダッシュする。三位走者を再び引き離し、二人一緒にゴールテープを切った。

 どよめきが涌き起こった。


 フレディさんはぴっちぃに抱きつき、歯を剥き出し、のけぞってシャウトする。

「わしらがチャンピオンや! 我が友よ! ほんでわしらは最後まで戦い続けるぞーっ!」

「ギュギュギュギュィーーーン」

 メイさんも唸った。ディストーションの効いたいい音だ。


 傍にいたハヤテくんのお父ちゃんお母ちゃんお姉ちゃんも、フレディさん、メイさんに抱きついてきて、決勝戦を共に相戦った他の家族も、彼らと肩を組んで合唱した。

  We are the Champions!

  We are the Champions!

 みんなみんな、一緒に喜んでくれている!


 最後のプログラム、参加者全員によるフォークダンス。

 このころには、もうほろ酔い気分のおっちゃんや、すでにできあがっちゃってる爺ちゃんたちもいて、お祭り気分が最高潮に達するのだ。

 幾重にも輪を作り、マキュリデバ音頭のジェンカを踊る。フクザツなリズムだ。


 去年までは、フォークダンスの時間になるとこっそり抜け出してひとり家に帰ってしまっていたディコンくんも、今年はみんなと一緒に輪に入って踊った。

 クラスメイトたちも、次々にディコンくんと手を繋ぎ、肩を組んで踊ってくれる。


「ディコン、すごいやないか!」

「ほんま、めっちゃかっこよかったぞ!」

「こんど一緒にドッヂボールしょうな!」

 みんな、爽やかで、晴れやかで、優しい気持ちになっていた。


 どの子も、存在そのものが、尊重されるに値する大切な命なのであるが、いじめを克服するためには、どちらの側も、誰も何も変わらなくていいわけではないのだ。


 他者との関係がうまくいくように、お互いに対する思いやりや誠実さ、ちょっとした距離のとり方、責任、といったことを引き受けていかなくてはならない。

 そういうことが特に何も意識しなくてもうまくできる人もいるが、ちょっと努力しなくてはうまくできない人もいるし、かなり頑張らなければできない人もいる。

 完璧な人はいないし、うまくいかない時だってある。

 それでも、近くからでいいから、周囲に目を向けて、話しかけてみよう。話を聞いてみよう。

 ちょっとした勇気が要るのは誰にだって同じだ。



 表彰式において、今年の家族対抗歌合戦、じゃなくて家族対抗リレーの優勝家族二組に、町の長老ヘルメス爺さんから金メダルが授与された。

 クラリティVVS級のダイヤモンドのように純粋・透明かつ硬質で、オパールのように滑らかな虹色の輝きを放つミルキィかつ柔軟な、パラドキシカルな宝石が埋め込まれた金メダルだ。

 ヘルメス爺さんは表彰台のディコンくんの耳元に、

「勇気のしるしじゃよ」

 と囁き、小さくウィンクしてみせた。


 それから町じゅうのみんなは、もちろんぬいぐるみたちも一緒に、最高においしいたこ焼きをたくさん食べた。

 テキ屋さんもガッポリ儲かった。

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