第41話 いじめられてるけど・・・

 いじめを先生に相談するのは、ディコンくんも『なんかずるい感じ』だと思っているし、〈告げ口するのは悪い。汚い。卑怯だ〉という道徳的美学のような考え方も根強い。

 でもそれは誤解だ。〈告げ口が悪い〉というのは、たとえば、

『ゲシュタポの旦那、ここだけの話でゲスがね、あすこの店のあるじ、奴ぁユダヤ人でゲスぜ』

 ってな具合に、その密告によって、誰かが連行され列車に乗せられてガス室へ送られたりするような場合である。そんな告げ口は、確かに人倫にもとる行為だ。


 正義だと信じて密告した人もいただろうし、そうでもしなきゃこっちが疑われる、こっちの命が危ない、なんていう状況下で、良心の呵責に苛まれつつ密告してしまった人もいるはずだ。

 時代精神がまともじゃなかったわけで、社会のほうが異常だったのだ。誠実であることと理知的であることとナチスであること、この三項は同時に成立することはできないという。


 現代では、告げ口すると、

『てめェ、先公にチクリやがったな。汚ねえぞ、こらぁ』

 とか言われてまたポカリとやられたりするが、もともと汚いいじめ方をしてるほうが汚いのであって、そのことを先生に言いつけるのは、いわば一種の人権救済の申立であり、正当なのである。このへんがなかなか理解されていない。


 先生のほうも、その訴えが単なる利己的なものか、本当に児童が傷ついて人権が蹂躙されているのか、申立の正当性を見極める必要がある。もっと言えば、そもそも人権意識というか、人権に対するセンスが問われるのである。

 先生もたいへんだ。


「念のためきくけど、いじめられてること、お父さんやお母さんには言った?」

「絶対よう言わん。特にお母ちゃんは心配しすぎるから、事実を知ったら卒倒するんとちゃうか」

「やっぱりね。でも、ずっと続くようなら、いつかはきちんと話さなくちゃいけないと思うよ」

「うん・・・」

「最初はショックを受けるかもしれないけど、お父さんやお母さんはいつだって、きみの味方なんだよ」


 かっぱっぱやぺんには、学校でのいじめってどんなものなのか、ほとんどわからないのだが、ぴっちぃにはなんとなく想像がついた。


 クラスのなかに一人か二人くらい、スケープゴートが選ばれるのだ。選挙によってではない。いつからともなく、誰からともなく、暗黙の了解のうちに、ターゲットが絞られる。

 そして、その子をシカトしたり、団体行動の際にその子を仲間に入れてあげなかったり、その子が困るような陰湿ないたずらをしたりする。

 集団の中の誰かを、誰にでもわかるように、物理的にも心理的にも排除することによって、他のみんなの間に倒錯した連帯意識が生まれる。

 

 なかには、自分もターゲットにされるかもしれないと内心びくびくしつつ、そうならないように、いじめる側か、または無関係派の立場を死守しようとする者もいる。

 あまり人望もなく、やや暗めの子などが『やめろよ』なんて言ってしまったら、いじめられる側に転落だ。

 一人か二人の生贄の山羊と、その他大勢の迷える子羊たちだ。


 ディコンくんはもともと、お父さん似の顔のわりにナイーヴなので、ちょっとしたことでもすぐ気にしてしまう。

 ウジウジしたりオロオロしたりしていると、ますますいじめられてしまうのだ。


「ねえ、ディコンくん。今度何か嫌な目に遭ったら、はっきりと『やめて』って言ってみてごらん」

「そうね。毅然とした態度を示す必要があるわ。・・・って言うのは簡単だけど、実際には難しいわよね。でも、ぴっちぃちゃんの言うとおり、いちど『やめて』って言ってみたら? 言葉に出して言うことで、勇気が出てくるかもしれないわ」


 ぴっちぃともーにはディコンくんに、学校での態度について、いろいろとアドバイスした。

 朝、教室に入る時、『おはよう』って声を出して言ってみる、目を伏せないで人の顔をきちんと見る、などなど。

 確かに、言うのは簡単で、現実には難しいのだけれど、少しの勇気が状況を変えるきっかけになるかもしれない。


 かっぱっぱもぺんも一生懸命励ました。

「ディコンくんが悪いことをしていないのだったら、いじめられちゃいけないんだ。カッパでもデ〇パでも、ありのままのきみでいいんだよ」


 こんなふうにぬいぐるみたちから励まされると、ディコンくんの心にも不思議とちょっぴり自信が芽生えてくるようだった。

〈ぴっちぃちゃんたちは、ぼくのことを大切に思ってくれてるんや〉

 と感じることができて、なんだか、自分でも自分のことを大切に思えるような気がする。


 「リレーのほうは、練習してみたら? 筋力トレーニングとかやって、少しでも速く走れるように頑張ってみたらどうかな?」

 ディコンくんも、速くなりたいのだ。努力してなんとかなるものであれば、努力してみようではないか!


 普段はいじけ気味のディコンくんだが、なんだか今夜は素直な気分になってきた。

 頑張ってみようかなという気持ちが、ほんの少しわくわくしながら涌いてくる。

「うん。そやな。練習してみるわ。それから、あした、学校行ったら、みんなに『おはよう』って言うてみる」

 そうだよ、ディコンくん。まず一番に大切なのはポジティブな気持ちなんだよ。

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