第34話 不器用なふたり

 ロージーは、ネプチュン鳥島村の地方公務員採用試験に受かり、卒業後Uターン就職することにした。進路を決めるにあたり、それとなく聞いていたフォーチュンの志望も意識していた。


 フォーチュンは最初から、大学院へは進学せず、ネプチュン鳥島へ戻って就職するつもりでいた。大都会はまず体力的にきついし、実家ではバラ中の兄が家出したまま帰って来ないし、家に残っているのは両親だけだ。兄のことで心労を重ねている両親の傍に、自分だけでもいてやりたいと思っていたのだ。

 技術系の学部を選んだのも、ネプチュン鳥島で唯一の産業であるビイル薔薇関係の機械を扱うメーカーなどが地元に何社かあるので、そういった会社に就職したいと考えていたからだ。


 翌年にはフォーチュンも第一志望の蒸留器メーカーに就職し、二人は今度は地元でデートするようになったが、やはりこれといって何の進展もなく、たいていロージーが誘って二人でぶらぶらお散歩やドライブをしながらおしゃべりしてバイバイ、というのが続く。



 二十代後半になると、そろそろ結婚して子どもも欲しいなと思うときがある。ロージーにとっては、その相手はもうフォーチュン以外に考えられなかった。

 フォーチュンだってちゃんと就職して立派な社会人になっているのだから、そろそろ自分の家庭を持ってもいいはずだ。


 思えばこれまでフォーチュンは思いっきり優柔不断だった。

 ロージーがデートに誘えば付き合うけれど、自分からはあまり誘わないし、ましてやロージーに特別な好意を寄せていると思わせるような言動はほとんどないのだ。

 そういえば『好きだ』とか言ってもらったこともないような気もする。敢えて訊いてみたこともないような気もするが・・。あ、自分も言ったことなかったっけ・・?


 んでもってキスだって、あのときのどこに何回っていうのはひとまとまりで一回とカウントすれば、ほんとに一回だけだ。十年近くも付き合っているのに。フォーチュンはそれで平気なのだろうか?


 このまま付き合っていても、フォーチュンからプロポーズしてくることは、まずないだろう。ならばこちらからいくしかない。 


 ロージーは思い切ってフォーチュンに、お互いの将来のことについて真剣に考えて欲しい、私はあなたと結婚したいと思っている、あなたもそろそろ家庭を持つべきだ、一緒になってくれないか、と極めて明確に告白した。

 そしたら、フォーチュンからも思いのほか明確な答えが返ってきた。


「ロージー、君はいい人を見つけて幸せになれ」

「・・・・」


 なんだと?

 では今までの付き合いはいったい何だったのだ?


「ごめん。優柔不断なのは自分でもよくわかっているよ。一緒にいたいのは僕だって同じさ。ロージーは大切な人なんだ。だから、僕ではだめなんだよ」


 フォーチュンは兄のバラ中問題に加えて、もうひとつ、自分のなかに大きな影が忍び寄ってくる不安を抱えていた。

 十代の終わり頃から、時々、胸の奥にだるいような息苦しさを覚え、意識を呼吸に集中させないと息が止まりそうなくらい苦しくなるのだ。

 そんな発作が最近では頻繁に起こるようになり、職場でもぎりぎりまで我慢して倒れそうになってしまったこともある。

 こんな健康状態では家庭生活はおろか、仕事だって続けていくことが難しいかもしれない。


「病気で失業したら子どもの扶養なんてできないではないか。僕の両親は共働きで、一生懸命働いて僕を第四大へってくれた。ロージーのご両親だってそうだろう? 教育費はずいぶんかかるものだ。下宿させるのではなおさらだ。

 病弱な身体では生命保険契約の被保険者にもなれない。育英年金付学資保険の保険契約者にもなれないんだよ。審査に通らないのだ。僕の身にもしものことがあっても、死亡給付金も育英年金も出ないのだよ。

 そうなったら妻子が路頭に迷うではないか。いやロージーは公務員だからそんなに困らないだろうけれど、それでもシングルママでやっていくのも、離婚シングルならまだしも、死別シングルで、しかも夫の保険金も貰えないというのはきついかもしれないぞ」


 フォーチュンには、ロージーが思っていた以上に真面目な考えがあったようだ。結婚するなら、将来にわたって責任を持てる身体でないとだめなのだ。

 一方で、なかなかロージーと離れられないことを申し訳なく思い、やっぱりきちんと話をして別れたほうがいいかなと考えていたところだったという。


 協議の末に二人は別れることにした。

 ロージーはその場は気丈に、

「これまで一緒にいてくれてありがとう。お互い頑張っていこうね。じゃあね」

 なんて言って別れた。

 家に帰ったら、ひとりで泣いてしまった。何年も付き合って失恋しちゃった。


〈私ったら自分のことばかりで、フォーチュンの気持ちや健康について何も考えてあげてなかった。これまでだってフォーチュンは体調を崩すことも幾度となくあったのに、私は深く追及もせず『早く元気になってね』なんて口先だけで言ってたわ。きっと随分苦しかったんだろうに。なんて思いやりがないんだろう、私。それなのにフォーチュンは私の将来のことまで心配してくれてたなんて〉


 ロージーはそんな自分自身が恥ずかしくなり、それからはもう、電話をかけることもしなかった。



 フォーチュンと別れてから一年余りが過ぎ、ロージーが三十歳の誕生日を迎えて数日経ったある日、ポセドン村長がロージーのデスクへやって来た。

「ひと月ほど前からフォーチュンドリャくんがまた入院してるそうだ。今度は容態があまりよくないらしい。これから見舞いに行くんだが一緒に来るかい?」

 と誘われ、ついて行った。村長は二人の仲も、去年別れたことも知っている。


 一年ぶりに見るフォーチュンの姿に、ロージーは涙がこぼれそうになる。

 幼い頃の面影を残していたあの穏やかな微笑みが消えて、険しささえ漂う目元に、削げ落ちた頬。予想以上に病状は深刻なようだ。


 村長はフォーチュンに名産ビイル薔薇茶葉の芳香茶を飲ませ、分厚い掌で肩をさすってやりながらしばらく話をした。

 いま、ここネプチュン鳥島に可愛い旅のぬいぐるみたちが滞在していて、役場の職員やネプチュン鳥の群れと仲良く過ごしている・・・そんな話を村長から聞くと、僅かにフォーチュンの表情に柔らかな微笑みが浮かんだ。

 少し離れて立っていたロージーも、つられて微笑む。つかの間、ビイル薔薇色の霞のようなささやかで平和な空気が流れた。


 村長は『まだ仕事があるから』と役場へ戻って行き、ロージーとフォーチュン二人きりになった。


 ロージーはベッドの傍のパイプ椅子に腰掛け、フォーチュンの手を握った。フォーチュンも弱々しいけれど精いっぱいの力で握り返した。

 しばらく黙って見つめ合うふたり・・・。


 それからロージーはおもむろに、思いつくまま語り始めた。

 小さいころ一面のビイル薔薇畑のなかでネプチュン鳥たちと遊んだ話や、ポセドンさんが先生だったころの小学校の話、マーズタコ市で過ごした大学時代や仲間のこと、それから、湖畔で一度だけ抱き合ったこと・・。


 とりとめのない話を、フォーチュンは喉で微かにうんうんと返事をしながらじっと聞いていた。


「・・・懐かしいな」

 ぽつりと言ったフォーチュンは、声を出すのも苦しそうだ。

「ロージー・・・」

 たった一語の発音さえ命の粉をかき集めて絞り出すかのような、フォーチュンの声のあまりの痛々しさに、ロージーは思わず、

「なにもしゃべらなくていいのよ」

 と言いかけた。

 が、思うように力が入らないのがもどかしくて震えるような指先と、まっすぐロージーを見つめる瞳から、フォーチュンが何か大切なことを言おうとしているのだと感じたロージーは、そのまま、フォーチュンのかすれる声に耳を傾けた。


「・・ロージー、誕生日おめでとう」

「・・・・・」

「・・ごめんね。幸せにしてあげられなくて。・・でも・・君は・・これからだよ。必ず・・・幸せになれよ」

「・・・・・」


 ごめんね、と、幸せになれよ、に込められた辛く切ない思いと優しさが、ロージーの胸の底にずんと響いた。並んで歩いてきた二人の人生が今度こそ本当に別々の世界へと分岐してゆく運命の予感がした。

 堪えきれず、涙がぼろぼろこぼれた。


「・・・泣くな」

 フォーチュンはロージーの腕を引き寄せ、それから二人は二回目のキスをした。十年の間で二回目の。初めてフォーチュンのほうから抱き寄せてくれた。点滴のチューブが刺さった腕で。


 これが最後だった。

 翌週にはお母さんから電話が入り、病院へ駆けつけた時にはもうフォーチュンの意識はなかった。

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