マーズタコ湖

第32話 マーズタコの想い出

 マーズタコ空港へ到着したぴっちぃたちは、歴史の古いこの町の、まるで映画のような重厚で落ち着いた佇まいに感動し、見上げるあれやこれやをいちいち指さしてはロージーを質問攻めにした。


 第四大は大規模な総合大学で、学生数も多い。サターンワッカアルの第六大とはまた異なる趣の広い敷地に、煉瓦造りの校舎はどれも重文級の建築物ばかり。アカデミーって感じなのだ。

 大学に籍を置く研究者にとっては、ここで食っていけるのか、とか、現身うつせみの悩みにも向き合わねばならない職場かもしれないが、学生にとっては、いろいろな責任からはまだ自由で、将来を夢見ることができる貴重な時間と環境を与えてくれるのが大学だ。


 ぴっちぃは、こういう大学のキャンパスを歩くと、懐かしいような、切ないような気持ちになる。俗世のどこかに命綱を繋いでおかなければ深淵に呑み込まれてしまいそうな、危うい青春を想起してしまうからだろう。

 同時に、あの、無限大記号もどきの輪っかのヴィジョンも、頭の片隅に点滅するのだ。


 ロージーはまず、第四大工学部エリアの、とある研究室を訪ねた。フォーチュンドリャの学生時代の親友がいるのだという。

 その人は工学研究科の博士課程を経て、講師をしながら研究を続けているらしい。お名前はテク野さんという。


 テク野さんは、フォーチュン危篤の知らせを受けてネプチュン鳥島へ向かったが、なにしろ遠方ゆえ、最期のときに間に合わなかった。

 フォーチュンの実家を弔問し、ロージーとも会って少し話をした後、すごすごとマーズタコ市へ引き返してきていた。


 テク野さんはロージーとぴっちぃたちを、コーヒーとマーズタコまんじゅうでもてなし、大歓迎してくれた。コーヒーとおまんじゅうって、結構合うのだ。


 彼の研究室でぴっちぃたちは、昔のアルバムを見せてもらった。

 学生時代のテク野さんとフォーチュンドリャさんたちが写っている写真が何枚か貼ってある。

 ぴっちぃたちは病床で意識不明のフォーチュンドリャさんの姿しか知らないが、写真の中のフォーチュンドリャさんは、優しい目をしていて、品の良さそうな口元で、にこやかな人だ。

 ロージーさんが一緒に写っている写真もある。学生時代のロージーは今よりちょっぴりふっくらとした顔立ちだが、そんなに変わってはいない。

 テク野さんは時折涙を拭きながら、フォーチュンドリャさんとの思い出をたくさん語ってくれた。



 第四大の裏山を越えた林の向こうにあるマーズタコ湖。

 ロージーはその近くのペンションに予約を取り、数日滞在することにした。湖畔の宿だ。

 ここはネプチュン鳥島とはまた違った意味で風光明媚なところだ。手入れの行き届いた、洗練された趣の風景なのだ。

 が、ロージーが学生だった頃はもう少し素朴で、このペンションもまだ建っていなかった。十年足らずの間に開発が進んだようだ。


 ロージーは、特に何をするでもなく、ぶらぶらと大学のキャンパスを歩いてみたり、裏山やマーズタコ湖の周りを散歩したり、ペンションの部屋で読書をしたり、静かに過ごした。街のほうへ出かけて行くこともなかった。


 ぴっちぃたちは、林の中や湖の周りを駆け回って遊んでいる。

 時々、ロージーが涙ぐんでいたりすると、まずぺんがロージーのお膝に転がり込んで抱き締めてあげる。手が回らないけど。

 かっぱっぱもそばへ来て、ロージーをいい子いい子して慰めてあげる。

 ぴっちぃはもう少しオトナなので、そっとしといてあげたほうがいいのかな、なんて思いながら優しく見守るのだ。

 もーにはいつものように、黙って肩掛けになり暖めてあげる。


 ロージーは、余計なことを言わず健気に寄り添ってくれるこの子たちを、一緒に連れて来てほんとによかった、と思う。思い出のマーズタコ湖へ来てみると、覚悟していたよりもずっとずっと辛いのだ。

 この町で過ごした学生時代。純粋な向学心を深い懐で包んでくれた煉瓦造りの学舎。青春を共に過ごした仲間たち。そして、フォーチュンと過ごした時間。思い出すと切なくて胸が苦しくなる。



 第四大へ来て二年目の春、ロージーは新入生のなかにフォーチュンドリャの姿を見かけ、声をかけた。

「ネプチュン鳥島村立小学校だったでしょ?」


 それからは、キャンパスで出会うたびにちょっと立ち話をしたり、一緒にお茶を飲んだりするようになった。


 ロージーは友人たちとよく街へも遊びに行き、映画を観たりウィンドウショッピングを楽しんだりもしていたが、フォーチュンはよほどの用事でもない限り街へは出なかった。人混みの中を歩くと気分が悪くなるのだ。学生アパートと学校を往復するだけの地味な学生生活だった。

 それでもフォーチュンは友達は多かった。温厚でおとなしい性格で、わりといつもにこにこしているので、なんか放っとけない感じがするのだ。生まれつき天然の可愛がられ上手なのだろう。だけど、はめをはずすことはなかったし、大勢で騒いで遊ぶようなこともなかった。


 半年ほど経つと、ロージーはフォーチュンをマーズタコ湖へお散歩に誘ったりするようになる。

 ロージーもフォーチュンのことを、なんか放っとけない、世話を焼いてあげたくなるような子だなと思い、もっと一緒にいたいな、と思うようになっていたのだ。

 それで、二人でてくてくキャンパスから裏山を歩き、林を抜けて、マーズタコ湖の岸辺をうろうろお散歩する。


 でもそれだけだ。一年経っても二年経っても、結局在学期間が重なっていた三年間、ほとんどお散歩友達のままだった。


 しかし、ロージーとフォーチュンはたった一度だけ、ここで愛し合ったことがあるのだ。


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