第7話 ひかりの海

いつかのどこかのお話です。

あるところに、第02特区という島がありました。

みんなはこの島をオズと呼び、日々せいいっぱい生活しています。

この島では、住民の皆が主人公。

そんな彼らの様々ないとなみを、ひととき、覗いてみましょう。


今日の主人公は、アサヒ・ピアース【31歳/男性/塾講師】。パートナーを伴ってランタン岬へ赴く、彼の灯籠流しを見守っていきましょう。


  P-PingOZ 『ひかりの海』/ナレーション:友安ジロー


 オズに墓地はない。この人工島は、増え続ける死者に寝床を明け渡さなかった。だから僕らは海に祈る。

 今日の舞台は、海底で眠る魂へ捧げる、祈りの夜だ。

 オズの北端、ランタン岬から海へ流れる色とりどりの水溶性の灯籠は、鳥の目線で見おろすと蛍【発光する昆虫。オズには再現人形が存在する】が踊るようだ。例年通り、小型スピーカーと防犯カメラを積んだ巡回ドローンが、古い弦楽四重奏を割れた音で流している。

 更に上空を飛び交うのは、メディアのドローンだ。グレイ社の清掃人形暴走事故をはじめ、この年は彼らのエサが多かった。彼らは彼らのエサを貪ればよく、僕らは僕らの主人公を雑踏から見つけるとしよう。

 ……今日の主人公、アサヒ・ピアースは、岬へ向かう海浜公園の遊歩道にいた。さざめく人波を、パートナーである栂遊飛つがゆうひ【30歳/男性/服飾店副マネージャー】と連れ立っている。太陽が渋々空を明け渡してなお橙色が西の空にしがみついている、そんな時間だ。

 太陽の日【一年で最も日照時間の長い日】から一ヶ月後の夜行われる灯籠流しは、元は溟渤教めいぼつきょう【オズで最も信仰されている教義】の物だ。それがいつしか無宗教的な行事として認知され、多くの生者が毎年訪れるようになった。溟渤教では、善人の霊魂は「名前のない海の神様」に守られ、海の御殿で安らかに暮らすという。悪人は魚に囓られながら、その御殿を下で支え続ける。上と下、魂はどちらが多いんだろう?

 きっと僕が死ぬまでそれは分からない。

ただ全ての魂を安んじるべく、海に灯りを送り出すだけだ。

「偉いよねアサヒ。俺んち全然やんないよ、こういうの」

 故人の思い出話がそこここから聞こえる中で、夜気を楽しむように歩く二人。揃いのジーンズで、無地のシャツにデッキシューズのアサヒと、今夏流行ったドット柄のTシャツにサンダルの遊飛。二人で灯籠流しに来るのは初めてだ。

「いいや、家で毎年来てるの俺だけだよ」

「大事な人なんでしょ? 亡くなった時大変だったもんな」

「あれなあ」

 思い出して苦笑する二人。

「アサヒと知り合ってすぐだったから、母ちゃんに良い診療所ないか聞いちゃったよね」

「本当、あの時は有難うな」

「全然……どういう人だったの?」

 アサヒは、髪と同じ濃い琥珀色の目を懐かしそうに細めた。

「父方の祖父なんだけど、そうだな……命の恩人で、俺の先生」

「そっか。それじゃあ今日はちゃんとお礼しないとだな。今年は休み合わせられてよかった」

 塾の教え子一家に会釈を返したアサヒが遊飛を振り返る。

「遊飛には祖父の写真、見せてなかったっけ?」

 遊飛は頷く。

「見る?」

「見たい」

「分かった」

 二人の歩みがスローダウンし、肩を寄せアサヒの携帯端末を見る。

「これ」

「おー。目元そっくり。あ、けど、爺ちゃん頑固そうな」

 アサヒの祖父は私立の高校で音楽を教え、大変厳格だったという。

「そうだね。頑固っていうか、真面目っていうか。礼儀とかマナーに厳しくて、一通り叩き込まれた」

「そうだ、忘れてた!」

 それで何か思い出したのか、遊飛が声をあげる。

「うちの親が、またアサヒに会いたいって」

「ご両親が?」

 今度は遊飛が携帯端末のショートメッセージ画面を見せる。

「そそ。今までのパートナーで、アサヒが一番ちゃんとして好きって。爺ちゃんのお陰じゃん? ほら、ここ」

「本当だ。こんなに褒められると恥ずかしいな」

「……なあ」

 照れるアサヒに、決まり悪そうに遊飛が切り出す。

「うん」

「本当に、お前の実家行かなくて良かったの? 同居の挨拶」

「良いんだ」

 答えるアサヒは、何かを諦めている素振りだった。

「遊飛は実家にいたんだから、ご挨拶に行くのは当然だけど、実家は俺のこと心配してないから」

「けどさ」

「良いって。あ、飲む物買っていい?」

 あからさまにはぐらかし、アサヒは移動販売のワゴンに向かって遊飛の手を引いた。

 ワゴンの近くまで来たところで、アサヒが遊飛の手をほどいた。

「遊飛ごめん、通話」

「おう」

 ジーンズから携帯端末を取り出し、画面を確認したアサヒは首の後ろを掻くと通話に応じた。

「アサヒだけど。どうしたの?」

 話しながら通行人の邪魔にならない歩道の脇へ向かう。

「……え。はあ、おめでとう」

 ガス灯を模した街灯の下、アサヒは硬い声で応対していた。

「用件なに。今外なんだけど」

 アサヒの様子を、数歩離れた遊飛が意外そうに見つめる。

「え? ……なにそれ? ……いや冗談じゃないよ」

 アサヒの身振りから怒気がにじむ。

「待ってって、考えるって何を……」

 それきり、アサヒは一言も発しない。通話を切られてしまったようだ。

「……なにごと?」

 携帯端末を片手に微動だにしなくなったアサヒへ、遊飛が尋ねる。

「ごめん。上の姉が妊娠したって連絡があって」

 遊飛は短い顎髭を掻いて、更に訊く。

「おめでたい話に聞こえるけど」

「俺に養えって」

「は? え、なんで?」

 あっけに取られる遊飛を置いて今までより広い歩幅で歩き出したアサヒを、遊飛も慌てて追う。

「二人目以降は0歳児から住民税がかかる。俺が一番稼いでるから、それででしょ」

 オズには墓地だけでなく、揺り籠もない。

 惰性で人口コントロールを続ける行政は、数年前に第二子以降に市民登録税の他、住民税を支払うよう義務付けた。アサヒ達の遠く後ろ、すいぎょく地区で淡くエメラルドに光る行政府ビル。街の観光シンボルにもなっている消えない虹がかかっている。

 あそこには、僕らの目も、耳も、声も届かない。

 ……美しい夜景だ。

「祖父から聞いた話だと、昔は三人目からだったんだけどな」

 追いついた遊飛がアサヒの両肩を払う。【この動作には、雨を払う事から転じてネガティブな出来事を払う意味がある】

「いや、だからってお前に押しつける姉ちゃんも大概だぞ。なんつってんの」「また連絡するから、考えといて、って」

 見かねた遊飛が移動販売ワゴンで冷たい炭酸水を二本買い求め、片方をアサヒに渡した。

「で……どうすんの?」

「……どうしよう?」

 混乱と、何故か怯えを見せたアサヒは、戻って来た遊飛のTシャツの裾を掴んだまま、動けない様子だった。

「どうかされましたか」

 歩道の真ん中で立ち止まってしまった二人へ、誘導員が声をかける。

「すみません、大丈夫です」

 少しも大丈夫ではなさそうなアサヒが頭を下げ、彼らの姿は再び人波に消えていった。


   ⛵


 みそら地区、ランタン岬。

 低い岸壁に増設された献火台を越えた生者の列は、思い思いの場所を見つけて灯りを流している。夏でも過ごしやすいオズの夜も、人だかりと揺らめく炎で局所的な蒸し暑さが生まれているはずだ。

 今日の主人公アサヒとパートナーの遊飛も、購入した灯籠を手にその群れにいた。ドローンカメラは離れた上空から二人を追う。

 波の音と、控えめな人のざわめき、相変わらず割れた音でクラシックを流す巡回ドローン。

 アサヒに掛かってきた電話から30分ほど経ったが、彼らに会話はなかった。

「……俺さ」

 アサヒだ。

「俺、産まれてすぐ、捨てるか売るかで揉めたらしいんだ」

「あ?」

 思わず出してしまった大声に、遊飛が恐縮した様に首をすくめる。

「何で……え? ピアース家何があったの?」

「俺がピアース家で三人目の子どもだったからだよ」

 アサヒは仕事用の声で言った。

「うっかり子どもができたんだけど、中絶する貯金がなかったんだって」

「そこは養子に出すとか、色々……いや他にも色々言いたい事あるけど」

 養子縁組は、同性婚や子どもの授からない夫婦、税金対策をしたい富裕層には知られている制度だが、あまり普及していない。理由は簡単で、需要側にしか制度が周知されていないからだ。

 無関心に寛容という宝石を飾りたて放置するこの街の欺瞞が、無関心ゆえの無知を救うことはない。

「そういう制度を知らなかったらしくて。それで、話に割って入ったのが父と絶縁していた祖父」

 アサヒは淡々と続けた。

「俺が大学を出るっていう条件で、養育費出してくれて……俺だけ祖父宅に泊まる事が多かったし、親と姉たちからは物盗まれたり虐められるし、小さい頃は変だと思っていたんだけど」

 アサヒの声は暗い。

「俺、なんなんだろうな?」

 吐き捨てるように囁く。そこにあったのは、失望と怒りだ。

「ごめん。初めて人に話した」

「謝るな。実家の話露骨に避けるから、何かあるとは思ってたよ。行こう」

 膝丈の柵の向こうで、波の音と柔らかな光が揺れる。二人はひしめく光の隙間を見つけて、そっと灯籠を水面へ下ろした。

 波に押し出されるように沖へ向かう灯籠を見送り、胸の前で錨十字を切る。十字のあと下に弧を描く、溟渤教のシンボルだ。それから、右の手を心臓の上に当て、黙して祈る。

 アサヒが顔を上げると、隣の遊飛はまだ祈りの姿勢でいた。遊飛を待ちながら光の海を眺める彼の胸の内は分からない。

「アサヒ」

 アサヒの気づかない内に、遊飛は顔をあげていた。

「俺決めたわ」

「何を?」

 遊飛が大きく息を吸う。

「結婚しましょう、俺たち」

 アサヒは何かを言おうとしたようだったが、遊飛に遮られる。

「結婚するなら養子迎えたいって話、俺がしたの覚えてるか」

「……付き合う前……?」

 遊飛が頷いた。

「でさ、俺達の給料なら、結婚すれば姉ちゃんちの子を養子にできる。俺は夢が叶うし、お前も不幸にならない」

「でも」

「んー……俺、同居する時に『そうなんだな』って思ってたんだけど。もしかして違った?」

「違わない!」

 それを聞いた遊飛が破顔した。

「良かった」

 立ち上がる遊飛が、アサヒに右手を差し出す。

「アサヒ。一緒に暮らすって、こういう事を二人で助け合ってくって事じゃない? 違う?」

 数秒、その言葉がアサヒの中に落ち、波紋が広がっているようだった。

 何かが解けるように笑うと、「違わないな……有難う遊飛」アサヒはパートナーの手を取った。

「なんの、貸しイチ」

「うん」

 二人は数歩下がって、後ろで待っていた親娘連れに場所を譲った。

「長々すみません」

 アサヒが会釈すると、十代前半ほどの娘に大輪の笑顔を向けられた。

「いいえ。お幸せに!」

「こら!」

 娘を窘めた父親に頭を下げられる。

「申し訳ない」

「いえ。お二人も良い夜を」

「バイバイ!」

 二人は、娘に手を振って見送られた。二人は笑いを堪えながら高台へ続くスロープを上り、上り切ったところで堪えきれなくなったのか、声を上げて笑った。

「聞かれてたの恥ずかしすぎるんだけど! 高潮にさらわれたい【羞恥心がきわまる事を指す慣用句】」

 天を仰ぐ遊飛。

「いや……良い子だよ……あの子」

 笑い声の隙間からアサヒ。ひとしきり笑ってようやく落ち着いた二人は、来た道を公園前駅までのんびりと歩き出す。

「遊飛、この後どうする? どこか食事とか?」

「いやいや、まず俺の渾身のプロポーズに返事くれ」

「あ」

 上ずった声をあげたアサヒは立ち止まり、首の後ろをさすった。

 辺りはすっかり夜で、空には夏の星が、海では灯籠の光が瞬いている。これ以上彼らの姿を映すのも、野暮だろう。

「あー……えっと……喜んで……よろしくお願いします」




【スタッフロール】ナレーション:友安ジロー/音声技術:琴錫香/映像技術:リエフ・ユージナ/編集:山中カシオ/音楽:14楽団/テーマソング「cockcrowing」14楽団/広報:ドロシー/協力:オズの皆様/プロデューサー:友安ジロー/企画・制作 studioランバージャック


  P-PingOZ 『ひかりの海』 終わり

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