37 対等な親友
「んじゃ、いきますね」
ルークはさっさとそのドアノブに手をかけると、一気にドアを開け中に入っていく。ヤートもすぐにそれに続くが、正直目の前に立つルークの背中が邪魔だ。
「一人部屋のくせに広い部屋だな」
思わず口に出た文句に、ルークも軽く肯定しながら笑って頷く。
「早く忘れ物、取って来たらどうだ。ここで待ってるから」
「ここでって、全体見渡せるじゃないですか……恥ずかしいなぁ」
少し顔を赤らめるルークに、ヤートは訝しく思い問い掛ける。
「恥ずかしいって、何を忘れた?」
ヤートがそう言うや否や、ルークの顔の赤みが強くなった。
「何って……まぁ、男が喜ぶソロプレイ用のディスクですよ」
少し目を泳がせながら、ルークはまるで白状するかのように言った。その言葉に合点がいったヤートは、警察としてではなく一人の男としての好奇心で、彼を更に問い詰めていく。
「おいおい、まあ……健全なる男子高校生だからな。でも君にはあの、美人な彼女がいるだろ?」
「レ、レイルは、彼女じゃないですよ」
「なんだ……付き合ってないのか。それなら確かに……必要かもな」
「……わかったなら、そっち見てて下さいって」
そう言いながらルークは、テレビの下のデッキからディスクを取り出す。
てっきりいかがわしいパッケージかと思っていたら、ルークはそのディスクをクリアケースに入れていた。見たところ、ラベルも貼っていない自作のようにも見える。
それを横目で確認したヤートは、金銭的に余裕のない男子学生の健全なる性生活を思って、少し同情した。本当ならば合法的な手段で手に入れたのか問い質すべきだが、今回は大目に見てやることにする。
あんまり凝視してやるのも可哀相なので、ヤートは世間話をしながら、少しロックの部屋を捜索することにした。捜索と言っても引っ掻き回すのではなく、目で見える範囲ぐらいだ。
「ルークくんは、ロックくんとは付き合い長いのか?」
「えぇ、中学からずっと一緒ですよ。レイルもそうです」
「仲良しトリオか」
「悪友、ですかね」
そこでルークは笑った。とても素直で、良い笑顔だった。
「だからいつも一緒に、庭で遊んでるんだな」
「あいつの身体が悪くなってからは、だいたいこの家で遊んでますよ」
そう言いながらルークは、彼の物らしき鞄にディスクや散らかっていた紙の束を突っ込んでいく。
「その紙は?」
「学校のテストなんで、見ないで下さい」
「赤点か?」
「そんなとこです。俺は、あの二人と違って馬鹿なんで」
「それは顔見ただけでわかる」
「ヤートさん、けっこう酷いですね」
むくれた表情をするルークに苦笑を返しながら、ヤートは机の上にあったハーモニカを手に取る。どこにでもあるような手頃なデザインだ。
「天才ってのは顔に出るもんだ。本当の天才は、表情に自信が滲み出てる。あの二人は間違いなくその類いだ。さすが生まれが違う奴らだな」
最後は皮肉で締めくくったヤートは、心の中でこの青年を、自分と重ねて見ていることに気付いた。学者の息子と警察署長の娘に挟まれた彼にも、絶対に嫉妬の炎があるはずだと確信している。
「確かに凄い奴らですけど、あいつらは対等の親友ですよ」
ルークが強い口調で言った。その顔はドアとは反対に位置する開いたままの窓に向けられており、ヤートからは彼の表情が見えない。
「ちょっと前までは、凄い嫉妬があったんですけど、自分が対等だって思えなければ、きっと意味がないんですよね。人の意見なんて、結局は物差しの一つでしかないんですから」
「ふーん、なかなか……」
大人だな、と言いかけて、ヤートは口を閉じた。こちらを振り返ったルークの瞳には、高校生とは思えない強さがあった。
「俺にとっては対等な親友で、それは世界中のどんな人間よりも大切なんですよ」
まるで自分に言い聞かせるように言う彼の言葉に、ヤートは小さな嘘を感じ取る。
彼にとって大切な親友は誰なのか?
しかし、それを問い掛けるようなヤートではない。
「……青春だな」
恋に友情に忙しそうなルークに笑い掛け、ヤートはロックのことを心の底から羨ましいと思った。彼は間違いなく、金よりも重要なものを手にしている。
思わずルークから視線を外し、窓の近くのベッドに目をやる。洗練された室内で、この一点だけが生活感に満ちている場所だった。シワになっているシーツから、彼の闘病の辛さが窺える。
「オジサン臭いですよ。さぁ、忘れ物も全部入れたんでもう大丈夫ですよ」
そう言われてルークに視線を戻すと、彼はもう柔らかい表情に戻っていて、その広い肩にはパンパンに膨らんだ大型のスポーツバックと、女物のエナメルバックが掛かっていた。
「レイルの分もついでに、ね」
そう言って笑うルークには、重そうな素振りは一切感じられない。
「それは? 学校行くだけにしては、えらい大荷物だな」
あまりの鞄の膨らみように、ヤートは不審に思い尋ねる。するとルークは一瞬沈黙した後、崩れた笑顔を戻して話し始めた。足はもう廊下に向かって踏み出している。
「これは、俺のラグビーのユニフォームとギターが入ってるんですよ」
「おっ、バンドでもやってるのか?」
「趣味でロックやレイルと。音楽、スポーツ、ゲーム……三人でやれることはだいたいやり尽くしました」
「なるほど。こりゃほんまに親友だな。次は何をやるつもりだ?」
ドアに手を掛けながら話すヤートに、ルークも照れた笑いを返す。
「とにかく共同作業するのが楽しいんです。周りから見たらいつも同じメンバーの、積極性の無い集団みたいだけど、そうじゃない」
そこで息をついたルークは、ヤートに向き直る。彼が立ち止まった為、ヤートも自然に立ち止まることになる。
豪華な廊下に二人。シャキッと背筋を伸ばしたルークの姿は、まるで表彰台に上がった生徒のように凛々しい。廊下の光景と合わせると、本当に表彰台にいるかのような錯覚に陥る。人の良さそうな顔と相まって、好青年という印象を更に強くする。
「俺達はいつも一緒に、全てのことをやりたいと思っています。その為には、ロックの身体を治さないといけない」
「ロックくんには残念だが、それはなかなか厳しいんじゃないか?」
皮肉めいた笑みを浮かべる自分を自覚し、ヤートは自分で自分を殴りたくなった。しかしヤートは言わずにはいられなかった。子供じみた願いは、“これから”が長い彼を縛る鎖になってしまう気がした。
「わかってます。だから……治す行程すらも楽しむことにしたんです。歌にもあるでしょ? “人生はゲームだ”って」
「えらい後ろ向きな歌詞だな」
「パンクバンドですから。ゲームは言い過ぎかもですけど、俺達はあいつを絶対治す。どんな壁も乗り越えて、三人で人生を楽しむ」
強い信念のこもる瞳を向けられて、ヤートは妙な恐怖を覚えた。青春が作りだす、危険なまでの純粋さを目の当たりにしたからだろうか。
「君は……どうしてそこまでする?」
「……最初は、あいつに憧れてた」
視線はそのままなのに、彼の瞳はヤートを飛び越し、先程出て来た部屋のドアに注がれている。
「死に物狂いで頑張っても、全然勝てない。スポーツ以外の何もかも。知らない間に、あいつも初恋の女も勝手に遊びの恋人をつくって別れての繰り返し……美男美女に挟まれて、俺だけただの“良い人”止まり」
思い出したように溜め息をつくルーク。そんな彼にヤートは、口を出せないでいた。上流階級を妬む自分がそこにいたからだ。
「憧れた親友にどうやったら勝てるのか。そればっかり考えてたのに、あいつはまた勝手に病気になんかなっちゃって……」
ルークの口調が変わったことにヤートは気付いたが、それでも口を挟むことはしなかった。溜め込んでいたものを吐き出すように話す彼を、止めることは自分には出来ないと思えた。
「……身体が悪くなったって、あいつはあいつのままなんだって!! わかってるけどっ! それでも、やっぱり、心のどこかで“あいつは下だ”って思う自分がいて……勝ち負けなんてないのに」
一気に話す彼の姿からは、優越感などとは程遠い、自己嫌悪しか漂ってこない。
「身体が治ったあいつとまた、馬鹿なことしながら競い合いたいんです。だから、俺はその為ならどんな危険なことだって出来るし、命を懸けられる」
――そうしないと、対等じゃないから。
最後は少年らしい大きなことを言っているが、きっと決意はそれに近いのだろう。先程までの人懐っこい瞳には、いつの間にか熱意がこもっている。いかにも青春らしい。
そこまで考えてヤートは、自分がまだそこまで歳をくっていないはずだと気付いて愕然とした。内心落ち込みながら、それを悟られたくないプライドでさっさと歩き始める。
「熱い友情だな。もういい。さっさと行こう」
ルークと一緒に来た道は、しっかりと覚えている。明らかに無駄な上り下りまでしっかりと。廊下に敷き詰められた赤い絨毯が、まるでスターが歩くレッドカーペットのようで心地好い。
「ルークくん?」
後ろから一向に物音がしない。絨毯によって足音は消されているが、返事くらいはするのではないか?
嫌な予感がして後ろを振り返ると、そこにルークの姿はなかった。すぐ横には階段がある。
間違えて降りてしまったか、あるいは――
「――まさか、な」
人懐っこい笑みを浮かべるドジな印象を与える彼が、何かを隠していると思いたくなかった。
リビングまで戻ってみて、そこで彼の姿がなかったら探してみよう。彼への猶予を与えることで、ヤートは自分の心のざわつきを誤魔化した。
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