34 儀式の間


 広い暗闇では何もなかった。二人は何事もなく空間を抜けて、壁になっていた坑道に到着した。

 しかし――

「何で壁が開いてんだ?」

 周りを警戒しながらレイルが悪態をつく。彼女の目の前では、前回見た時には動く気配すらなかった壁に、大きな隙間が出来ていた。

 体格の良い大人でも、余裕を持って入れる程の隙間だ。こちら側としては万々歳だが、腑に落ちない恐怖がある。

「この際、そういうのは無視してプラスに考えよう」

「罠……かもな」

「まさか」

 慎重に、ルークが先行して中に入る。奥まで光が届くように万遍なく見渡す。

 その空間は、何かの儀式を行う場所のようだった。何故か部屋の壁の役割をする土が、ぼんやり青く光っている。ライトの光がいらない程の神秘的な光量に、二人は動きを完全に止めてしまっていた。

「なんだここは?」

 シンプルな問いを口にするルークに、レイルは返事すら忘れて部屋を見回しているようだ。

『資料の通りなら……』

 無線からロックの興奮した声が流れる。

『その部屋にコヅチがあるはずだ』

 その言葉に誘われるようにして、二人は部屋の奥――祭壇のような場所に足を進める。

 二人の目に、“それ”はほとんど同時に飛び込んで来た。美しく金色に輝く木で出来たコヅチが、祭壇の上で柔らかい布に包まるようにして鎮座していた。

「ロック……これか?」

 ルークは確かめやすいように、わざとライトで照らしながら問い掛けた。横でレイルが生唾を飲み込む気配がした。この物質からのプレッシャーが相当なものなのは、ルークにもわかる。

『そうだ。それだ』

 低く、しかし確実に興奮しているロックの声に、地下班の二人もテンションが上がる。

「こういう時は慎重に、だ」

 そのままコヅチに触れようとしたルークを宥めて、レイルはそっと辺りを調べ始める。

『何かあるか?』

 ロックも幾分落ち着いた様子で、二人の返事を待っている。ルークも二人に倣うようにコヅチの近くに目を走らせ――何か文字のようなものを発見した。

 それは祭壇の横側に書かれており、少なくともルークの知っている言語ではなかった。カクカクとした全体的に四角いものと、柔らかい曲線が多用されたものが入り混じっている。

『――血の贄を供えよ』

 普段よりも更に低いロックの声が無線越しに流れ、ルークは一瞬違う人間が喋ったかのような錯覚に捕われた。あまりに現実離れした台詞に、頭が上手く回らない。

「何、言ってる?」

 ルークは無線機に、当然の問い掛けを返す。

『それはジャパニーズの言葉だ。カンジとヒラガナでそう書いてある』

「血の贄……生贄か? ますます遺跡くせえな」

 レイルもこちらに近付きながら、覗き込むようにして復唱する。

「生贄のための祭壇……?」

 ルークも自身で復唱しながら、その言葉の意味を頭に浸透させる。

 そんな時、祭壇の両端の部分が目に止まった。ルークは何気なく近付いてみる。そこをよく見るうちに、ルークの脳裏に浮かんだ意味がだんだん現実味を帯びていく。

 その両端は人間を一人ずつ拘束するための手枷のようなものが付いていた。両手両足の部分に意図的――この場合は効率的と言うべきか――に、枷が付いている。少しひん曲がったように歪んだ枷には、無機質の冷たさがこもり、小柄な人間が丁度、大の字に拘束されている想像を掻き立てる。

「……動物用、じゃなさそうだな」

 レイルが小さく呟く。

『人間も、大きく分類したら動物だぜ?』

「それにしても小さいな」

 言葉を無くしているルークとは違い、レイルとロックは冷静に状況を分析していく。

「大人が対象じゃなさそうだ」

『対象年齢は十歳以下くらいか?』

「これに拘束される光景は、どっちかっつーとアダルトな方向性だがな……コヅチを使うには人間の子供が必要なのか?」

 レイルが恐ろしい可能性を事もなげに言った。

「そんな……」

『考え過ぎるなルーク。とにかく手掛かりが少ない。他に読めそうな文字はないか?』

 相変わらず冷静なロックに、ルークは少し安心する。ライトでしっかり照らしながら、見落としがないか祭壇をゆっくりと調べる。

「……あっ!」

 横に長い祭壇の下――床の部分に長い文章が記されている。

『……明かりが足りない。青の照明だと影で見にくいな。レイル! 右側を照らしてくれ』

「りょーかい」

 床の広い部分を埋める長文は、二人掛かりで照らして丁度良い光量になった。

『読むぞ……二つの血の贄が眠る時、コヅチ握りし者の理想は現実となる……』

「眠る時……死ぬのか?」

 腕組みしながらレイルが呟く。

『待て、まだ続きがある……理想は儀の空間を支配する……異なる地には強き支配は至らず……』

「終わりか?」

『ああ』

「ギとかイとか、難しい言葉だな」

 ルークは溜め息をつきながら床に座り込む。これなら歴史の授業の方がまだマシだ。

「ここに眠る二人は死ぬのか?」

 レイルが先程からの疑問をもう一度口にする。しかし答えられる者はいない。

『とにかくそれは後回しだ。それ以外は仮説が成り立つ』

 無線機から響くロックの声は自信に満ちている。地下にいる自分達にはわからないが、きっとパソコンや資料を引っ掻き回して立てた仮説だろう。

『おそらくそのコヅチには、願いを叶える力がある。しかしそれには二つの条件がある。まず一つは、願いを叶える対象がそこにいないといけないってことだ。文面を見る限り、小さな願いは遠くても大丈夫みたいだが、大きな願いはそこにいないといけないらしいからな』

「身体を治すのは大きいか? 大金持ちや世界征服、不老不死よりは全然現実的じゃね?」

 口を尖らせながらそう言うルークに、レイルが呆れた口調で反論する。

「今の時代より昔の方が医療は貧弱だ。恐らく古代の産物のこのコヅチに、今でも難しい身体の治療が小さなことってのは有り得ないだろ。だよな? ロック先生」

 教科書を読み終えた優等生のような発言に、ロックは肯定の笑い声で応えた。

『そういうことだ。拗ねるなよルーク。とにかく僕も行った方が確実で、それは難しいことじゃない。問題は、もう一つの条件だ』

 そこでロックは一呼吸置いた。彼の呼吸の音が無線機越しに聞こえてくる。緊張がルークの全身を包んだ。

『血の贄……つまり生贄が二人必要ってことだ。これは文面だけじゃどうなるかわからない。死ぬのか何か他に代償があるのかも、だ』

「……普通なら死ぬよな」

 レイルが何かを考えるように言った。一瞬嫌な予感がして、ルークは彼女を見る。

 レイルの視線は、入って来た坑道の奥に注がれている。彼女の口元に広がる笑みを見て、ルークは思わず声を掛けた。

「おい、レイル――」

『――お前ら、急いでこっちに戻れ!!』

 しかしそんなルークの葛藤の末の言葉は、無線機から飛び込んで来たロックの怒声によって掻き消された。

『警察が家宅捜索に来た! ちくしょー! レイル、何か聞いてないのかよ!?』

「なんだよそれ!! 私は知らない!」

 目を丸くするレイルからは、嘘をついている様子はない。第一、嘘をつくメリットもない。

「とにかく、急いで戻ろう」

 ルークは戻りながらレイルの手を引く。彼女もすぐにルークの後に付いて走り出した。そのまま真っすぐ、二人で広い空間を走り抜ける。

 前を向いて焦るルークとは違い、レイルは左の方向を凝視していた。頭の上のライトは、彼女の顔の向いた方向と同じ場所を照らし出している。

 漆黒の闇が広がる奥行きのある空間。自分達の出す足音で、他の雑音は掻き消されていたが、彼女の目ははっきりと、光に照らし出された影を見ていた。四本の――二対の人間の足が、光から逃げるように走り去った。

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