32 ランチタイム


 地獄のような授業だったはずなのに、レイルは清々しい表情でルーク達の元に現れた。

 屋上から別々のタイミングで教室に戻ったルークとジョイン――ジョインは歓声で迎えられ、ルークは白い目で迎えられただけだった――は、昼食にまた屋上を選んだ。ちなみに今は、午前中最後の授業中だ。

 寝ていたため準備が済んでいなかったレイルに、ルークは屋上で待つと小声で伝えていた。本来は生徒のために解放していない区域だが、元から二人はそこで昼を食べて、そのままサボったりしていた。

「いつもここでご飯を?」

「ああ、買って来たパンとかにかぶりついてる。今日はかなり早い方」

「ウェスト通りではどうだったんだ?」

 そう言いながら軽く笑うルークの隣で、既にパンやサラダの封を開けながら、レイルが興味津々といった様子でジョインに話を振る。

 先程までジョインはレイルに、ルークに語った話をもう一度簡単に聞かせていた。どんどん緊張の解けていく彼女の表情に、ルークも安心する。

「あそこは、女子供が生きるには辛い場所だった。学校にもほとんど行ってなかったし、私に青春時代なんてなかったわ」

 辛そうに顔を歪めるジョインに、ルークはペットボトルのコーラを手渡す。そんな二人を眺めながら、レイルは悪びれる様子もなく話を本題に戻した。どこまでもマイペースだ。

「つまり、あんたの話を鵜呑みにするなら、そんな状況を作ったのはクロードさんなんだな。なら、ロックのことなんか言わずに、本人のことを言えば良い。そっちの方が、真実だとしたら強いはずだ」

 封を開けたパンには口を付けずに、レイルは真剣にジョインを見ている。彼女の筋の通った強い視線に、たまらずジョインは顔を下に向ける。

「それは……親の責任は子供の責任よ!! 連帯責任にしないと、こっちの気が済まないわ!!」

 最初は搾り出すようにして出た声が、最後は悲痛な叫びに変わる。それでもレイルはたじろぐこともせず、冷静に言葉を返す。

「それなら、あんたらウェスト通りのガキ共が、まともな学校に行けないのも親の責任じゃねえか。ロックを巻き込むのも大概にしろ」

「おいレイル。確かに矛盾してるが、この子の気持ちも考えろ! 沢山の人が亡くなってるんだぞ?」

 レイルのあまりの言葉に、ルークは堪らずジョインをフォローしていた。普段から言葉の鋭い彼女だが、この件についてはやけに攻撃的だ。ジョインも言葉が見付からずに、口を少し開けたが、結局何も言わずにすぐに閉じてしまった。

 けたたましいベルの音と共に、校庭からの笑い声が屋上にも風に乗って流れてくる。音源に近いせいでほとんど騒音に近いそれも、今の三人には届いていない。午前中最後の授業も終わり、真面目に授業を受けていた学生達が楽しそうに、校庭の先の校門へと走り出している。

「それでも、ロックを巻き込むのは許せない」

 レイルは、二人から離れフェンスに背中からもたれ掛かり、そのまま空を見上げながら独り言のように呟いた。ベルの音は止んでいる。彼女の上空では静かに雲が流れており、そんな彼女を見詰める二人も、沈黙することしか出来ない。

 ルークの目には、灰色の屋上と空の境界線が、まるで二人の少女の境界線のように見えた。二人共、雲の間から伸びる太陽の光で、美しく輝いている。

 二人の女神の、決して交わらない意見の平行線。

――交点の先には何がある?

 ルークは数週間前に受けた数学の授業を思い出した。二本の線が交差する交点を求める問題。計算式等は既に習っていたはずが、数学が――勉強全般は頗る苦手だった。

 直線が交差する点が交点。ならばこの直進する二本の主張の線は、交わることはあるのだろうか?

 そして、仮に交わるとして、その先はまた離れてしまうのか?

 意識の世界に行きかけたルークの心を、レイルの言葉が現実に引き戻した。

「他人の命の価値なんて、その人間のことがどれだけ大事かどうかで決まるんだ。あんただけじゃない、私達みんなが矛盾してるんだ。私にとって、あんたの知り合いがどれだけ死のうが興味ないからな」

 そう言うレイルの表情は悲しみしか映していなかった。口元に浮かぶのは自嘲の笑み。

 そんな彼女をじっと見詰めて、ジョインは静かに涙を流した。






 いつもより早い時間帯のバスに、ルークとレイルは乗り込む。昼過ぎのバスの車内には、やはり学生の姿はまばらだ。

 知り合いの顔が無いことを素早く確認してから、二人はいつもの通り、後ろ側の席に座る。二人掛けの席の幅では、ルークの荷物はいつも足元に置かれることになる。

「ジョインちゃん、悪い子じゃないよ」

 先程――屋上でジョインと別れた二人は、荷物を取りに戻ってから、足早にバスに乗り込んだ――から二人の間に会話はない。沈黙に耐えきれずにルークがポツリとそう漏らすと、レイルはこれみよがしに溜め息をついた。開いた口元が、笑みを形作る。

「権力の被害者で、貧しい可憐な娘だもんな。仮に本当だとしても、やってることはどっちもどっちだぜ? 復讐、黙って見守るのかよ?」

「そんなつもりはないけど……レイル、お前は熱くなり過ぎだ」

 いつもの笑みを浮かべる彼女を、ルークはじっと見詰め返す。彼女の強い視線に引き込まれそうになるのが、ルークは心地好く感じて好きだった。暫しの間見詰め合い、レイルは根負けしたのかその瞳を横に逸らす。

「……そうかもな。悪い」

 視線は逸らしたまま、彼女は肯定した。しかし最後の謝罪はしっかりとルークを見ているところに、筋を通す性格が出ている。

「正直、クロードさんは何かにつけて怪しいとは思ってた。私もあのジョインって子が嘘をついてるとは思えない。でも、私らに何が出来る? クロードさんに詰め寄る? ロックに告げ口する? どっちも出来る訳ない。私には、あいつの家庭を無茶苦茶にすることは出来ない。例え間違ったことをしていたとしても、あいつは最高の親友だ!」

「俺だってそうだ! だから、なんとかしてジョインちゃんに踏み止まってもらいたい! あの子が噂を引っ込めれば、ロックだって来れる。それからは、それこそ“今まで何度もくぐり抜けてきたシチュエーション”だ」

「それにはどうする? 何か案があるんだろ?」

 バスが赤信号でゆっくりと止まった。煩いエンジン音が緩まった車内には、既に乗客の姿は少なく、二人の間に会話を妨げるものは何もない。狭い空間で顔を向かい合わせた状況で、ルークはレイルと同じように笑みを浮かべた。

「俺があの子を説得する」

 彼女は自分が似ていると言った。説得出来る可能性があるとすれば、それはきっと自分の役割だ。

「明日から、やってみるよ」

 レイルが目の前で力強く頷く。

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