31 屋上にて


 セントラル大学付属高校の秋は忙しい。新学期早々の一大イベントの歓迎会が終わったら、次は学力テストが始まる。今日からはその前準備として、全てのクラスが午前中のみの授業で終わりだ。

「転校翌日から授業をサボるなんて、ウェスト通りのみんなが聞いたら呆れちゃうわ」

 まだ授業中の為に他に誰もいない屋上で、ジョインはルークに言った。

「『ちゃんと噂話を流せ』って!」

 そう続けておかしそうに笑う彼女に、ルークはどう言葉を掛けて良いのかわからない。

 昨日の混乱から一日経ったが、ロックを取り巻く状況は悪化し続けていた。おまけにルークやレイルも白い目で見られるようになったので、仕方なくルークは、噂話の中心人物を屋上まで引っ張って来たのである。

 また噂話が悪化するだろうが、それはもう仕方がない。レイルはこんな状況でも、呑気に教室で爆睡中だ。本当に普通の心臓をしていない。

「なんとか言いなさいよ」

 少し冷たい風に吹かれながら立っているジョインが、つまらなさそうに言う。彼女のボディラインは繊細で、長めのスカートと髪の毛が風にたなびいている。

「なんで、俺らが穴掘ってるって知ってるんだ?」

「クラスの人から聞いたのよ。どうせ、ロックに言われてあの遺跡を探り当てたんでしょ?」

「確かにロックに言われたが、あいつもお伽話をヒントに探したんだぜ?」

 正確にはクロードの書斎のホワイトボードだが、そこは黙っておく。向こうがどこまで事態をわかっているのか知りたかったからだ。

「ならロックは、クロードから聞いたのよ! 私達でも知らないのに、貴方達が知ってるわけないじゃない」

――ちょっと待て、なんの話をしている?

「それはあの遺跡の存在か?」

「違うわよ。存在なんてどうでも良い。あの遺跡を掘った理由よ。私達はクロードに依頼されて、あの遺跡を掘る為にこの街に来た。でも、発掘作業をしていた人間は全員死んだ。おまけに私達の住む区域には、警察官がウロウロするようになった」

「……殺人事件が起きたせいじゃないか?」

「……何か事件はあったらしいわね」

「……らしい?」

 眉間にシワを寄せるルークに、ジョインは「何も知らないのね」と呆れた。

「私達は“貧困民”だけど、みんながみんな仲良しグループな訳じゃない。それは同じ人種でも対立する貴方達と同じ。そのことを、貴方達はみんなわかってない。差別――いいえ、優越感や嫉妬は、皆が持つ感情よ」

「同じ人間だからな」

「……嬉しい言葉をありがとう。だけど、世の中の大多数の“人間”が『自分より下の奴らは、同じような奴らと一緒くたに群れている』と考えているのよ」

「つまり、殺人事件があっても、誰が死んだかまでは詳しくわからないと?」

「そういうこと。貴方達だって、ニュースで殺人事件を見てもそんな気分でしょ?」

 ルークは黙って彼女を見る。沈黙は肯定だ。

 少しすっきりしたような表情をする彼女に、昨日感じた嫌悪感は感じられなかった。彼女の方も、ルークの肯定的な素直な態度が、少しは嬉しいらしい。先程までは険しかった表情が、幾分か女の子らしい表情に戻っている。

「……本当のところ、貴方達まで巻き込むのは嫌だったの」

 ポツリとジョインが呟いた。弱い風に流されたその言葉に、ルークは彼女の顔に目をやった。

 美しいエメラルドグリーンの瞳に、長い睫毛がかかっている。憂いを帯びた聖母のような彼女の表情に、ルークは一瞬時間が止まったような感覚を覚える。

「自分で言ってて辛いのよ。『群れていても違う』のは、貴方達だってそうなのに」

「俺も、そこまでじゃないが貧しい家庭だ」

「そうみたいね。クラスの人達が言ってた。『あの二人は金持ちの奴隷だ』って」

「俺らにそんなつもりはないんだけどな」

「羨ましい頭ね」

 皮肉を言いながら、それでも彼女は笑った。優しい花弁が咲くような、本当の笑顔だった。そんな彼女に見惚れるルークに、表情とは裏腹に、彼女は冷酷な真実を繋げていく。

「……貧困街の人間達は協力してクロードを殺そうと考えた。私達の仲間がどんどん発掘作業が原因で死んでいったんだから当然よ。でも私はそれに反対だった。私と同じ考えの人間は、団結してある計画を立てた」

 彼女の瞳に冷たい色が宿る。こんな瞳の人間を、ルークは見たことがない。

「学校に潜入して、クロードを社会的に抹殺する」

 低く冷たく言い放つ彼女に、ルークは人間的な暖かみを感じなかった。ただそこにある。無機物のような彼女。

「最初は反対されたのよ。特に強行派の男達にね。『女は男に従ってろ』と言われて驚いたわ。私達は復讐に狂ったとしても、彼と同類になっちゃダメなのに。でも、ちゃんと諭したらわかってくれて、今私がここにいるの」

「同じ人種の中にも、いろいろあるのはわかった。そんなとこにいたら、レイルなら暴動を起こすよ」

 ルークの言葉にニッコリと笑う彼女の目には、また感情が浮かんでいた。

 風が止み、辺りには優しい静寂が訪れている。この場所だけは、学校の喧騒とは無縁の場所だ。

「あの子、曲がったことが嫌いそうだものね」

 一瞬、思い出すような表情をしてジョインは言う。

「純粋で凶暴で、筋を通す良い奴だ」

「よくわかるわ……良い“女”、じゃなくて?」

 ジョインのからかうような言葉に、ルークは苦笑する。

「あいつにとっても俺は“男”なんだろうけど、お互いに……恋人には出来ないな……上手く言えないけど」

「ふーん」

 口を尖らす仕種をしながら、ジョインがフェンスから離れた。それまで体重を預けていたそのフェンスから、小さく音が鳴る。

 屋上から降りる階段に向かうジョイン。レザーで作った花が付いた可愛らしいデザインのパンプスが、くるりとルークの方を向いた。二人の距離が近付く。

「付き合ってないんだ? それなら今は、フリー?」

 もう目と鼻の先まで近付いたジョインが、妖艶に微笑んでいる。

「……フリーだけど、それとこれとは……」

 目を合わせていられなくて、ルークは彼女から顔ごと視線を逸らしながら言う。

「どうして? 人種が違うから? 親友を傷つけるから? それならレイルさんだって一緒でしょ?」

 彼女の発した最後の言葉に、ルークは反射的に振り向いた。振り向いてから慌てて顔を戻そうとしていると、両頬に暖かい感触が触れた。その温もりに顔の方向が固定されて、目の前はジョインしか見えない。

 ルークの顔を両手で挟み込んだジョインは、そのままゆっくりとキスを仕掛けてきた。しばらく柔らかい感触を楽しんだのち、ニッコリと笑って階段に向かい出す。

「……なんだよ?」

 歩みを止めない彼女に、堪らずルークは声を掛ける。

「何?」

「だから、なんなんだよ?」

 ルーク自身も何を聞いたら良いのかわからず、ただ顔だけが熱くなるので余計に焦る。

「それは、どっちに対する何なの?」

「っ……どっちって……」

 言われてから頭が覚醒した。自分は、レイルが親友を傷つけていると言われた。

「どっちもだよ!」

 一瞬わからなかった自分を隠すように、ルークは声を荒げた。そんなルークにはお構い無しに、ジョインは右手を持ち上げ指でピースサインをして見せた。

「まず第一に」

 ピースサインの指が一本折り曲げられる。

「レイルさんが親友を傷つけているのは、実際に貴方の心を傷つけているからです」

 授業で当てられた時と同じ口調で、ジョインはスラスラと解説していく。

「第二に、キスをしたのは、私と貴方が似ていると感じたから」

「どこが?」

「例え傷つけられるとしても、好きな人と一緒にいたいと思う。もっとその人の一番になりたいとは思うけど、本当にそうはなりたいとは思わないから。どう? 一緒でしょ?」

 ルークは驚いてジョインから目を離せない。背を向けているのに、ジョインはまるでわかりきっているかのように、軽い足取りで階段を降りだす。

 そして、ふと思い出すように振り返ってルークを呼んだ。

「お昼ご飯、一緒にどうかしら?」

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