15 可愛い可愛い演劇を
劇は完全オリジナルのファンタジーだった。猫の王国の王女が、平民の男と恋に落ちるベタベタのラブストーリーで、最終的には親である王が決めた婚約者を、平民が打ち倒してクライマックス。
台本を読んだ瞬間に人生最大の後悔に襲われたレイルだが、震える拳を目の前の女友達に浴びせることだけは我慢した。苦し紛れに机を少し蹴った。痛い。よくあるストーリー過ぎて欠伸が止まらないが、それも我慢する。
「ストーリー的にも、自信作なんだよ!」
「……うん。女の子ウケしそうなストーリーだね……」
「そうでしょ!! 衣装ももう用意してあるの。レイルさんは王女様だからドレスなんだよ」
「スカートは、ミニしか穿かない」
眉間にシワを寄せてレイルは言う。
「……短いの、レイルさんなら凄く可愛いと思うけど、なんかちょっと……いかがわしくなっちゃいそう」
いかがわしいのはお前の頭の中なんじゃねえの?
喉まで出かけた言葉を、慌てて飲み込む。絶対に表情には出ていただろうが、相手は悦に入っていて気付いていないようだ。セーフ。
レイルの目の前で妄想の世界を駆け回っている彼女は、普段から「将来は小説家になりたい」と息巻いていた。せっかくの黒髪も、ボサボサしていて魅力がない。こういう、真面目な根暗タイプは苦手だった。
「今日からの練習は、役に入るために衣装を着て練習だから!」
「はいはい」
急に大声を出す彼女を冷ややかに見つめながら、レイルは面倒くさいが頷いてやる。
よほど放課後からの練習が嫌なのか、レイルとルークには授業時間がとても短く感じられた。一瞬「本当に時間が早いのでは?」と思ったが、クラスメートの表情を見る限り、こんな心境なのは二人だけらしい。
「あーあ、もうすぐ練習始まっちまうよ」
教室の廊下側の開いた窓に腰かけたレイルが、生気の無い顔で呟く。その下でルークは、直接廊下に座っている。
「お前は王女様より、女王様タイプだよな」
「平民役のクソ野郎に跪かれてもねー」
「俺だって平民なんて嫌だよ。出来れば裏方が良かった」
「どっちにしろ気楽だよなぁ」
図星だ。思わず苦笑いをするルーク。
「お前のあの衣装、なんとかなんねえの?」
今度はレイルが苦い顔をした。
練習は初めからハードだった。長年部活を続けていたルークも、雑用や演技練習で息が切れる程だ。ただし、体力的な問題ではなく、精神的な疲労の方が大きい。
二クラス合わせても少ない方の人数だったので、この劇のスタッフには大道具を運ぶ係がいない。制作から運び込みまで、手の空いた人間がやっていく。
必然的にルークとその周りのお友達には、運び込みの仕事が回ってくる。スムーズに本番を執り行うために、練習でも気を抜かずに運び込む。本番は体育館を借り切って公演するので、教室内の端から端まで、大荷物を抱えて大移動しなくてはならない。
「そのA塔は左じゃなくて右! ちょっとバランスを考えたらわかるでしょ!?」
少し置く場所を間違えただけで、舞台袖(今は教室の隅だが)から“監督”の罵声が飛ぶ。長いボサボサとした黒髪を振り乱して叫ぶ彼女に、ルークは開いた口が塞がらない。
「あいつ、あんなにうるさいキャラだった?」
「知るかよ。あいつがあんなに喋ってんのなんて見たことねーよ」
友人二人が愚痴を零すのも頷ける。
「レイルちゃんになら、どれだけ命令されても良いのに」
友人の一人が調子に乗ってふざけたことを言ったので、テレビで見たプロレスの技を掛けてやった。配役、城下街の人間ABCは、普段からそれなりに仲が良い。
その時、ドアの方から歓声が上がった。ルークも、思わずそちらに目を向ける。
そこには、クリーム色を基調にした美しいドレスに身を包んだレイルがいた。その横には主人公役の男がいるはずだが、ルークは彼女から目が離せない。
あれだけボロカスに批判していた小説家志望の女――確か名前はカレンと言った――にも、今なら感謝しても良いと思える。美しく化粧したレイル。彼女の瞳が、ルークを捉える。
「っつ!! いてー!!」
全身が硬直した拍子に、技に力が入ってしまった。もう少しで友人の腕をへし折ってしまうところだった。
「はいはい! ヒロインも到着したから、プロレスなんかやってないで早く舞台作って」
ようやく現実に戻った教室内で、レイルは優しい笑みを浮かべていた。
それから地獄の練習が続いて今に至る。劇のせいで忙殺された一週間だったが、気が付けば発表は明日に迫っていた。
「あの衣装にも明日でお別れか」
心底嬉しそうにレイルが零す。短いスカートで脚を組み替え、彼女はルークに挑発的な笑みを向ける。“面白いことが起こるぜ”と、口元だけで言葉を伝える。
「は? ちょっと……」
ヒラリと座っていた窓から飛び降りた彼女が廊下に着地するのと、隣の教室から男が出て来るのは同時だった。
「レイル!」
男は教室から出て早々、一瞬でレイルを発見し呼ぶ。その男をルークは知っていた。
今回の劇での主人公、つまりレイルの相手役だ。自分と同じ“平民”役なのにここまで違うのか、とルークはやっかみも込めて彼を凝視。
スラリと細い高身長に、一般的に美形と称されるであろう顔立ち。切れ長の瞳が、レイルを愛おしそうに見詰めている。
「こんな所にいたんだ。早く着替えて、相手してくれないと」
どうやらルークのことは目に入っていないらしい。
「そうしないと、怒られるからさ」
申し訳なさそうに、しかし期待を隠し切れない口調だ。
――やっぱりコイツも、気楽な平民だ。
ルークは全てを理解し、黙ってレイルに視線を送る。二人の男の視線を受け止めても、レイルはどこまでもマイペース――いや、支配者だ。
「うん、わかった。ルーク、それじゃ。今日も私達に、女神のご祝福がありますように」
普段では絶対に出ない猫撫で声で、レイルは彼の腕に自分の腕を絡める。一人置いてきぼりの形となったルークを、事の成り行きを見守っていた友人達が取り囲む。
レイルの好みは今までの経験上わかっている。あのタイプの男は、元恋人の中で一番多いタイプだった。
すぐに練習が始まり、嫌でも立ち去った二人の姿が目に入る。丁度、主人公とヒロインの出会いのシーンの練習で、レイルの声が響く。
「それでは私はこれで。貴方に女神のご祝福がありますように」
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