11 大きな敵意


 この地方は豊かな農作物が育つので有名だ。特産品である緑黄色野菜にはブランド名も付いている。人間が好む、よく味の付いた作物。それは、周りの土壌が潤っている証でもある。科学肥料に頼らない環境は養分を生み出し、それは人間だけでなく他の生物も好む環境だ。

 ルークの目の前には、ミミズらしきものが地面から顔を出していた。街中に住んでいるルークでも、ミミズくらいは見たことがある。だからミミズだと辛うじてわかったのだが、今ルークの目の前にいる存在は、この世の常識を超越していた。

 地面から出ている部分だけでも、ルークの身長の倍はある。胴幅――と、言うべきなのかはわからないが――は、三倍程度か。

 下から上に向かってライトの光が移動する。ようやく頭の先端まで視界に入れることが出来た。地下に住む生物らしく、視覚に関連する器官はない。おそらく匂いと気配で、ルークを敵と判断したようだ。

――まるで、遺跡を護るガーディアンだ。

 背後で小さな気配が動いた。ルークの真横を気配が走り抜ける。フワフワとした金髪がライトに一瞬照らされる。巨大ミミズは“彼女”を無視。

 理由は、わかっている。とにかくミミズにとって、部外者はルークの方なのだ。

 ルークの後ろ――コヅチへと続く道があるはずの場所から、ミミズのもう一方の先端が出て来た。どっちが頭なのか、なんて疑問も浮かんだが、それより問題なのが八方塞がりなこの状況だ。これでは奥に進めそうにない。

 ミミズの後ろ――レイルが来るであろう坑道への出口に目をやる。ひしゃげるようにして広がった白木がまわりを囲むその坑道は、今のこの状況からしたら最高の出口に思える。

 地中での腐敗により、ところどころが鋭利に尖ったまま腐り落ちている先端を見、続いてミミズの体表に視線を戻す。ライトの光に照らされる潤いとは無縁のその肌に、ルークは勝機を見出だした。

「ちゃんと責任持って戻るから、今日は勘弁してくれねえ?」

 ロックに小さい声で懇願する。

『さすがにライフルがあってもヤバいか……戻ってこい』

 なんとか、了承が出た。

「了解っ!」

 今までで一番力強い返事を返し、ルークは走り出す。なんとかしてこのミミズをやり過ごし、坑道に逃げ込むしかない。

 ルークの動きに合わせて、相手の体が震えるようにして動く。頭(かどうかは怪しい)から地面にぶつかってくる巨体を、紙一重で避けながら走る。

 ミミズの動きに合わせて空間全体が振動する。地下道としての補強が足りていないことは、ルークは入り口の材木を見た時から気付いていた。だが、この空間はちゃんと岩等も使って補強されている。崩れ落ちることはないだろうが、それでも冷や汗は出る。

「ルーク!!」

 ひしゃげた白木に囲まれた入り口から、レイルがライフルの照準を合わせながら叫ぶ。

 スピードだけならルークでも敵わない瞬発力を持つ彼女は、全力で坑道を突っ切って来たのだろう。ルークとは違う意味での汗をかきながら、片膝をついた射撃体勢を取っている。

 警察官の父を持つレイルは、射撃の才能に恵まれていた。素人とは思えない集中力で、巨大ミミズに驚きつつも発砲。空間を震わす銃声と共に、被弾した巨体がのたうちまわる。

 その隙をついてルークはレイルと共に、坑道の奥に待避する。振り向きもせず走る二人に追い縋ろうと、坑道の入り口にミミズが体当たりを仕掛ける。しかし、坑道よりも幅のあるその巨体は、入り口の鋭く尖った部分で自身を傷付けるだけだった。

 後ろを振り向く勇気もない二人は、ひたすら出口を目指して走る。ライフルを抱えて、ルークよりも荷物が重いはずのレイルだが、小柄なため、この狭い空間でも走りやすそうだった。先を走るレイルが、“天井”にある出口に差し掛かった。

「ロック! 上げてくれ」

 ルークの腰から無線機を乱暴に奪い取り、怒鳴る。

『はいよー』

 ロックの気のない返事を、レイルは無視。

 やがて無線機越しに、重低音の駆動音が響いてきた。ルークの体が命綱に引っ張られる。

 重力に逆らえない二人を地中から引っ張り上げるため、ロックが引き上げ用の機械を稼動させたのだ。元が何の道具だったのかすらわからない安っぽい改造をされた機械を思い出し、ルークはそれでも安堵の笑みを零す。

 頑丈に補強された命綱に引っ張られ、ルークの身体がついに空中に浮いた。

 命綱は腰に繋がっているため、丁度座るような姿勢で落ち着いたルークは、命綱を握っていない左手をレイルに差し出す。彼女はその手を掴み、そのままルークと接続しているベルト部分に足を掛けてバランスを取る。座った姿勢のルークの上に立つようにして、器用にライフルが通るように抱えていた。

 やがて、太陽の光に照らされた地上に出る。探検を開始した時には残暑の厳しい攻撃的な光だったが、二人が顔を出した時には、夕方の美しいオレンジ色の光が輝いていた。

 光に慣れるためか、夕日を見たレイルの表情が固まる。この顔をルークは知っている。美しいものを見る表情。

 ほんの少しでも、地底でクリーチャーと闘った。怖かった。

 でも、現実味はあまり無かった。それがこの光景を見た瞬間、三人の頭に強烈なリアルとなって襲い掛かる。

 ルークは、自分の手が震えていることに気付いた。一時の興奮から醒めつつある今、一番大事なことを冷静に話し合いたい。

「大丈夫だったか?」

 ロックが車椅子でバランスは悪いながらも、ルークに手を伸ばしてきた。一部始終をモニターを通して知っている彼は、精神的なことを聞いている。

「大丈夫だ。とにかく……」

 ルークはその手を力強く握り返し、そのまま装備一式をベストと共に脱ぎ捨てた。

「あぁ。映像は全部録画してる。僕の部屋で観よう」

 ルークの言葉を引き継ぎ、ロックが静かに言う。こんな時まで、まるで彫刻のように整った表情だ。一人で、地下からの帰りを待つ。こんな状況でも、どこまでも冷静な男だった。

 レイルも少し落ち着いたようで、ルークの脱ぎ捨てたベストと無線機等を抱えている。

 ロックは自力で部屋まで戻らないといけない為か、伸びをしながら気合いを入れるような声を上げている。薬の効果が切れかけて腕が少し痙攣しているのは、手を握り返した時にわかった。

「とりあえず片付けて……」

「飯だな」

 誰とも無しに言ったルークの言葉を、レイルが違う方向で引き継いだ。

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