10 遭遇
先程から続く暗闇のせいで、ルークは時間感覚が麻痺していた。地上ならばもう街の反対側まで歩いている気がするが、地下を慎重に進んでいるため、実際にはまだまだだろう。
『だからあれは死んでるって』
『バーカ、主人公以外がガシガシ死んだら、そりゃ冒険ファンタジーじゃなくて、ホラーじゃねえか』
『奈落に落ちただろ。ヒロイン巡って落ちた時点で、あれは死んだ設定だ』
『レイルお前、エンドロール最後まで見てねえだろ?』
先程から言い合っている“地上班”の二人によって、けっこうな時間が経っていることはわかるが。
「お前ら、ちょっとは俺に気を遣えよ?」
二人が言い合っているのは、三人が大好きなゲームのエンディングについてだ。特にレイルは、一部の台詞を暗唱するほどのファンだった。
主人公とヒロインは結ばれ遺跡から脱出するが、用心棒の元軍人は一人穴に落ちて、そのままストーリーは終わってしまう。一人坑道を進むルークからすれば、あまり良い気持ちがしない話題だ。
『あぁ、わりぃ』
レイルが軽く謝る。
「今どの辺りだ?」
『丁度半分くらいだな』
測定機の表示を見ながらなのか、レイルの声音が事務的な物に変わる。
『カメラを見る限りじゃ、しばらくは一本道みたいだな』
図面とパソコンを見比べながら、ロックも真面目な声で補足。二人の変わり身の早さに思わず笑みを零しながら、ルークはふと違和感を覚える。
――風が吹いている?
「……」
ルークは目の前の空間を凝視する。先の見えない暗闇なのは相変わらずだが、微かに空気の流れを感じとれる。
冷たい――地下独特の冷気のようだ。
『どうした?』
急に黙ったルークに気付いて、レイルが心配そうな声を掛けてくる。
「風が吹いてる……」
『ちょっと待て、図面から言えば広い空間まではまだもうちょっとか――』
「――進んでみる」
ロックの言葉を途中で遮り、ルークは慎重に歩を進める。地上の二人の緊張も、無線機越しに伝わってくる。全員が息を呑み、これから訪れる“広い空間”に意識を集中する。
しばらくは何もなかった。
それまで長く続いていた一本道が、急に開けた。
あまりに急だったために、ルークは慌てて周りを見渡す。目線だけでなく、頭ごと見渡す。こうすることによって全員が、ここの様子を確認出来る。
『いきなりだな』
「広すぎて、ここからじゃ端まで見えない」
『気をつけろよ。その部屋を越えたらコヅチがある場所だ』
ロックの言葉に、ルークは自分を奮い立たせる。慎重に歩き始め、空間の真ん中くらいまで進んだところで、靴の先に何か硬い物が触れた。
なんだ? と思い下を見ると、この空間では頼りなく感じたライトが、役割以上の鮮明さでそれを照らした。
『……っ!!』
自分よりも先に、モニター越しのレイルが反応する。土に塗れて変色してはいたが、それは間違いなく人間の頭蓋骨だった。
父親の職業柄、レイルは死体などに少しは免疫がある。父親の仕事用デスクに悪戯しようとして、棚に片付けてあった被害者の写真とバッチリ見つめ合ったこともあると言っていた。しかし腐敗が進んだ本物を見るのは、自分もそうだが初めてのはずだ。
『レイル。遺跡探索に骸骨、ミイラは付き物だぜ?』
彼女を慰めようとしているのか、無線機からはロックの呑気な台詞が流れる。
ルークとしては、もうすでに泣きたい気分だ。自分が本物と見つめ合うのは嫌だったが、他の二人がモニター越しでまだ助かったと思う。これはもう、しばらくは寝れそうにない。
目を閉じ、ゆっくりと深呼吸する。冷た過ぎる空気が体中に染み渡り、脳が覚醒する。あまりに現実離れしているため、逆に冷静になってきている自分に気付く。
『周りもそうか?』
自分と同じ心境なのか、ロックが冷静に尋ねてくる。レイルがずっと黙っていることを考えると、彼女はモニターから目を離しているのだろう。
今度は、この空間の奥を重点的に観察する。さっきの位置からは見えない奥まったスペースに、数体の骸骨が転がっていた。
「何人か、いる」
ルークがそう呟くと同時に、背後に何かの気配を感じた。ヒタヒタと、足音のようなものが静かな空間に響く。
急いで振り返るルーク。首から先に振り返ったことで、まばゆいライトの光がその何者かを、一瞬捉えた。
『なんだ今のは!?』
ロックが慌てた様子で声を荒げる。
「わかんねえ。速過ぎて追いきれないんだ」
だが、確かに存在している。相変わらずヒタヒタとした足音で、ルークの周りを一定の距離を保ったまま動き回っている。
背筋にヒヤリとした悪寒が走る。地下の遺跡で、わけのわからないアンノウンと遭遇するなんて!
「俺は、コミックの主人公とは違うんだぞ!」
思わずルークはそう叫んでしまう。一瞬、足音の主が怯んだ気配がした。
『隣の空間にコヅチがある……』
ロックの静かな口調に、ルークは自分の耳を疑った。
「おいおい、まさか……この状況で、コヅチまで持って帰れっていうんじゃないよな?」
『一度帰って、それからワンモアしてくれるのか?』
「ロックお前、悪魔なのは女に対してだけじゃないんだな」
『まさか! ちゃんとアシストしてやるから。方角を!』
「……物理的なアシストが欲しい」
思わず出た台詞に、ロックではなくレイルが応えた。
『物理的になら、私が行ってやる』
『さすがはレイル!! ルークの野郎とは胆の座り方が違う。あ、そっちの安全装置外したら撃てるから』
「あ?」
『サンキュー! ルーク、待ってろ。キツいのぶち込んでやるよ』
先程から感じていたロックの余裕。その理由にルークはようやく気付いた。
レイルの、こういうことに対する“勘”が働く性格を、忘れていたなんて。
女は男よりも、土壇場に強い生き物だと言う。彼女もまさしくそれで、骸骨を見付けた時点から危険を嗅ぎ付け、ロックの邸宅から護身用の銃を借り出して来たらしい。
過激な友人二人の援護があれば心強い。力を取り戻したような気分だ。さっきまでは震え出しそうだった両足が、今では力強く地面を踏み締め、いつでも全力疾走出来るようにスタンバイしている。
目の前の暗闇に目を凝らす。足音は聞こえない。目の前で、何者かが闇に溶け込むようにして佇んでいる。ようやく瞳が、暗闇に慣れて来た。
『ルーク! お前の今いる位置から真っ直ぐ! そこに、コヅチがある場所への道が続いてる』
地図とパソコン画面を照らし合わせ、ようやく方角を割り出したロックが叫ぶ。レイルもこちらへ向かっているはずだ。
すっと目を閉じ、ルークは目の前の感覚だけに意識を集中させる。
――ラグビーの試合を思い出す。
『こんな時、僕だけ動けないのは辛い』
ロックがポツリと呟いたのを合図に、ルークは目の前に向かってタックルを仕掛けた。
中学時代から鍛えたルークのタックルは、スピードとパワーを併せ持っている。中学の練習試合では、相手の骨を折ってしまったこともある。
相手との距離が縮まる。暗闇の向こうの相手が、一瞬怯んだ。ライトに、その細い体躯が照らされる。
「……えっ?」
もう少しでぶつかる。その時ルークの後ろで、新たな物音が響いた。目の前の暗闇には、まだ正体不明の気配がある。
それとは、違う。新しい気配。その気配は、何かを引き摺るような音を立てながら、ルークの背後まで近付いてくる。
明らかな殺気を背後に感じ、ルークは反射的に振り返る。物音の大きさもあるが、殺意の大きさで、新たな気配の方が危険だと判断したからだ。
振り返り、ルークは自分の目を疑った。
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