好きが溢れて止まらない
晴月
好きが溢れて止まらない
アンはとびっきり幸せな令嬢だ。
キャスリーア伯爵家の長女で下に嫡男の弟もいる。母と父は仲が良く健康で、領地も貧乏でなく活気に溢れている。
これだけでも充分に幸せだが、さらに幸せなことに幼い頃から大好きだった彼と婚約することができた。
だから、アンはとびっきり幸せなのだ。
「レモンド様!私、今日は髪をハーフアップにして参りました。先日、レモンド様がハーフアップの方がより可愛いよって仰ったから!どうでしょうか!」
アンはキラキラと光る金髪の頭を見つけるや否や小走りで近寄り、焦げ茶色の髪をレモンドのために耳の延長線上の高さで一つにお団子にして貰った髪を指しながら話しかける。
「私がより可愛いと言ったんだから、可愛いよ。そんなにすぐ価値観は変わらないさ。」
と言って、アンより頭1.5個分高い位置から青紫色の目を細めてクスリと笑うこの美丈夫こそ、ダージリー公爵家の嫡男レモンド様だ。
「そうですか!よかったです!レモンド様!私、今日もレモンド様のことが大好きです!」
アンはいつもこの幸せな気持ちを沢山レモンドに伝える。
そうすると、レモンド様は優しく微笑みながら必ず、
「ありがとう。」
と言ってくれるのだ。
ーーこんな幸せなことがある?大好きな方に「大好き」と伝えると笑顔とお礼が返ってくるなんて!
しかし、幸せなばかりではない。なぜなら、レモンド様は地位も性格も容姿も抜群によく、ライバルが降って湧いて来るからだ。
今日も「見て。愛の告白をしたのに、お礼だけで愛を囁かれないなんてとても惨めね。私なら耐えられない。」とレモンド様が立ち去った後にわざわざアンに聞こえるように話す。
そして必ずあの話題が上がる。
「知ってる?婚約を結べたのだって、ダージリー公爵家がこれ以上権力を持たないようにって噂だわ。王命だから避けることも出来ないし、解消できないんだって。あんな見た目も地位も冴えない娘を押し付けられてレモンド様もお可哀想に。陛下も酷な事をなさるわね。」
ーー王命のことは事実よ。
しかし、それ以外のことは唯の噂で真実はアンにもわからない。
陛下に御目通りした時にわざわざ無礼を承知で聞くほど感情的でもない。
ーー見た目も地位も冴えなくはないわ。両親の贔屓目から見ると上の中だって言ってた。それを丸っ切り信じるわけじゃないけど、派手ではないだけだわ!
焦げ茶色の髪に濃いブラウンの瞳をアンは持って産まれて来た。だから、派手ではない。ただ、『それだけのこと』そうアンは思っている。
「アンっ!」
蔑む言葉が行き交う中、明るい声がアンを呼んだ。
「マーサっ!」
「アン!ここに居たのね。授業が終わってすぐ飛び出して行くから何事かと思ったわ。……にしても、よくこんな所にいるわね。」
「だって、レモンド様が見えたんだもの!学校で会えるなんて嬉しくて!それにマーサにも言ったでしょ?今日はレモンド様が『より可愛いよ』って言って下さった髪型にした日だったのよ!見せなきゃ、侍女の腕が泣くわ!こんなところって、まさか嫉妬した令嬢達の会話?なんて事ないわ。だって、相手はレモンド様よ。いくら嫉妬して言葉で落としても私はこの場を譲らないわ!」
マーサはカラッと笑って、
「相変わらずね!私、アンのそういう自己肯定感が強いところ好きよ。」
と言い、「次の授業に遅れるわよ」とアンの手を引き歩き出した。
今の一連の流れは日常の10%にも満たない。
授業の合間の休憩や食事中と1人の時はよほど皆んなレモンド様が好きなのか突撃して嫌味を言って来たり、四六時中噂をされたりしている。
ある夜会では身分が上の侯爵令嬢に直接、
「地味な髪の色に瞳の色ね、私の白金と青い瞳の色と変わってあげたいくらいだわ。レモンド様の横でもよく映えると思うの。」
と言われたので、
「まぁ、ありがとうございます。お優しいのですね。けれど、結構ですわ。レモンド様の青紫の瞳にも金髪にもこの地味なブラウンの方が邪魔せず合いますし、レモンド様のお色を引き立てることができるんですもの。」
と暗に貴方より私の方がお似合いだと言い返して睨み合ったし、
同格の伯爵家の令嬢からは、
「秀でて栄えているわけでもないのに、横でよく胸が張れること。私の家の領地となら、同じ産業で盛り上がっていけるのに、残念だわ。」
と言われたので、
「まぁ、競合相手と盛り上がるなど、敵同士の睨み合いかしら。私の家の領地となら、お互いを邪魔する事なく、味方として協力し違う面を伸ばして互いに栄えていけるわ。」
と家の関係も我が家の方が安寧だと言い返してやったし、
格下の子爵家の令嬢からは、
「アン様とは真逆でレモンド様はお優しい性格でもの静かな方なのですね。とても合うようには見えず心配しております。」
と言われたので、
「ご心配ありがとう。でも、要らぬ世話だわ。反対同士の方がお互いに惹かれ合うでしょう。知らなくって?」
と、もうこれ以上、要らない世話も焼かせないし、同じような性格だからと続けることが出来ないように言い回してやった。
そう、誰に何と言われようとこの場所を自分から手放すようなことはしない。
しかし、最近正面突破出来ないなら、裏口からと知能戦を挑んで来る令嬢がいた。
男爵令嬢のリナリーだ。
リナリーは嫌味を直接アンに言って来はしない。
ただ、その庇護欲をそそる仕草と白金の髪に白金の瞳とスレンダーなボディで、レモンド様にすり寄っていく。
「ダージリー様。おはようございます。ああ、ごめんなさい。今日も麗しいからと近づき過ぎてしまったようです。婚約者の方にも謝っておかなければ。また、睨まれてしまいますわ。」
と近過ぎる距離をキープしたまま、上目遣いでしょんぼりとした雰囲気で挨拶し、さらにアンのことを怖がっているように言っていた。
またある時は、
「ダージリー様。これ、授業で作ったクッキーです。授業で作ったので安全ですわ。こんな所で偶然会えるなんて学校の中とはいえ、嬉しいです。受け取って下さい。婚約者様もこれくらいで目くじらを立てたりされないでしょう?」
と小首を傾げて言い、手作りクッキーをレモンド様に渡そうとした。
そして、
またある時はレモンド様の隣で躓き腕を取り照れ笑いし、またある時はハンカチをレモンド様の前で落とし拾って貰ったお礼にと刺繍入りのハンカチを手渡そうとしていた。
抜かりなくて本当に嫌いだ。
その気持ちから強めによく睨んでしまい、怖くもない癖に「怖いわ」となぜかレモンド様を盾にして逃げるのだから、余計に気に食わない。
「アン?どうしたんだい?今日もとても可愛いよ。」
今日も今日とて、リナリーが横槍を入れて来たので睨み、リナリーが「怖いわ」とレモンド様を盾にして逃げたので、いつまでも逃げた方角を睨んでいると、何もなかったかのように話しかけてくれる。
「レモンド様!ありがとうございます!私ったら、せっかく2人でお話が出来たのに、勿体ないことをしましたわ。」
本当に勿体ない時間の使い方をしたと憤慨すると、レモンド様は可笑しそうに笑って、
「やっぱりアンは最高に可愛いよ。」
と言ってくれた。
その言葉を言うレモンド様の笑顔が眩しくて胸がキュンキュンする。
「安心してね。私は婚約者がいるのに他の令嬢から贈り物を貰ったりはしないし、自分からはなるべく接触しないようにするからね。」
「わかっております。でも、そうやって口に出して下さるのでとても安心します。ありがとうございます。」
ーー顔も性格も抜群に良過ぎて、尊い。
今日という日もアンはレモンド様が好き過ぎて幸せだ。
だがある日のこと、男爵令嬢のリナリーがアンの方にコンタクトを取って来た。
「アン様。実は折り入ってお話があるのです、一緒に来て頂きたいのです。」
「私には話などないわ。」
と一刀両断しリナリーの横を通り過ぎようとすると、
「もちろん、レモンド様のことよ!」
と声を張り上げてくる。
いつも「ダージリー様」とレモンド様の前では控えめに呼んでいるのにと腹が立ち睨みつけ、
「そうでしょうね。でも、貴方から聞く気はないわ。」
と言い再び背を向ける。しかし、リナリーの話は止まらない。
「貴方ね、自分が好かれている思ったら大間違いよ!貴方は好かれてなんていない!レモンド様が私に言ったの!『好きじゃないよ』って!」
「だったら、何だというの?人の婚約者にしなだれ掛かる貴方に言われても困るわ。今度は『好きじゃない』と言ってるから婚約を解消しろと言い出すのかしら?この婚約は王命よ、無理があるのではなくて?」
平静を装って言い返してやると、垂れ目の目を釣り上げて、
「私の事はきっと好きだわ!いずれ愛のない結婚をして、後悔すればいいのよ!その時は私がレモンド様のお側にいるわ!」
と高らかに叫んで引き返して行った。
思い上がりが激しくうるさい女だ。
ただ、『好きじゃないよ』とレモンド様なら言いそうな気がした。言い方がリナリーが考えた言い回しにしては優し過ぎる。いずれ愛のない結婚をする羽目になるとリナリーは言っていた。
本当に?
あんなにアンの事を『可愛い』と言ってくれて、いつも紳士的で優しいレモンド様が?
しばらく、アンはその場から動けなかった。
それでも、1時間ほどすると再び決意する。
例えもしもリナリーが言う事が本当だったとしても、やっぱり大好きだと。
あんな横槍女の言うことを聞いてダメージを受けている場合ではない。
今日も愛を伝えにいきたい。そして、いつも通り「ありがとう」とその愛を受け取って貰いたい。
アンはやっとその場から立ち去り、小走りでレモンド様を探す。
すると、庭園の薔薇を眺めているレモンド様を発見した。
「レモンド様!」
アンが呼ぶと優しく微笑んで手をあげてくれる。
「こんなに走ってどうしたんだい?」
そう言いながら手を引き、ベンチに促してくれたが、その手を握り返し、
「レモンド様、今日も大好きです。」
と青紫の瞳を見つめて言った。
いつもなら、すぐに「ありがとう」と返されるのだが、今日はその目を横に逸らすだけで中々返答がない。
「レモンド様?」
アンが少し不安になって呼びかけると、耳が赤くなっていく。
「かっこ悪いかな。見つめられて赤くなるなんて?」
「いいえ!照れていらっしゃるのですか?」
「そうだよ。」
と言い深く息を吐いたあと、アンの目をしっかり見つめて、
「今日も飛び切り可愛いね。」
と言ってくれた。そんなレモンド様がアンを好きではないなんてあり得るのだろうか。言葉にしてもらった事はないが、リナリーに言われた言葉がやはり引っかかり、繋いでいた手をさらにぎゅっと握り、
「私の事は好きですか?」
と聞いてしまった。
レモンド様は耳を赤くしたまま、薔薇園に目をやり、再びアンを見つめて、
「好きどころではないよ。」
と言いアンの手を離す。
そのまま、側の薔薇を一本折り棘を確認しアンの髪にさして、
「可愛い過ぎて困るくらいに愛してる。」
とはにかみながら言ってくれた。
「アンが卒業したら結婚しよう。」
「もちろんです。絶対にレモンド様の隣は誰にも譲りません。」
泣きそうになりながら、続ける。
「その自信はあるのですが、時に自信を無くす時もあるので、レモンド様も私以外の誰かを隣に置かないで下さいね。」
「当たり前だよ。ずっとアンだけを愛してる。」
耳が真っ赤のままサラリと『愛してる』と言ってくれた。今までも、アンが聞けばこうやってきっと照れながら答えてくれたに違いない。
それに、レモンド様の『可愛い』は『愛してる』と同義なのかもしれないと思った。
これからも降って湧いて来るライバルを蹴散らさなければならないだろう。
でも、これだけお互いに好きが溢れて止まらないのだから、お邪魔虫もいずれ消えてなくなるはずだ。
髪にさしてくれた薔薇の花を撫でながら、アンは言った。
「レモンド様!大好きです!」
好きが溢れて止まらない 晴月 @chihi1215
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