第30話 簒奪
その日は晴天だった。
『聖地』を巡礼していた数百万の人々にとっては、まさに晴天の霹靂、いやそれ以上の衝撃的な光景だったに違いない。……もし、その光景を目撃できていたとすれば、だが。
かなりの速度で巡礼者たちの頭上に降ってきたのは、異形の生体のような存在だった。おそらくほとんどの巡礼者たちは、その存在を認識することすらできなかったに違いない。『聖地』上空2000メートルにまで降下してきたその異形の生体は、一瞬にして直径4000メートルの巨大なドームを形成した。ドームの外側は、漆黒の闇である。
それきり、中で何が起こったのかは全くわからない。
当然、何が起きているのかはわからないが、『聖地』に対する異常な事態に、『聖地』のある国は対応しようとする。警察や、軍を投入し、内部を調査しようとした。だが、投入された警察官や軍人たちは二度と帰ってこなかった。
ドームに対する攻撃も行われたが、全く効果を発揮しなかった。質量を持った砲弾なども効果を発揮せず、熱や光、電気などのエネルギーによる攻撃も全く通用しない。漆黒の闇の先に何があるのかは全くわからなかった。
それどころか、投入されたエネルギーや質量などが関係するかはわからないが、漆黒のドームはその大きさをどんどんと拡大していく。そして、漆黒のドームから何かの生体組織が射出され、再度ドームが別のところに形成される……僅か6日の間で、一つの国の人間の済む場所が全て漆黒のドームと化す。
軍隊を派遣した周辺国も、同様の事態に巻き込まれていき、後に残ったのは漆黒のドームのみである。ついにある大国が、核兵器をドームに向けて発射した。にもかかわらず、核兵器は不発に終わった。その後も複数の核弾頭がドームに向けて発射された。やはり不発に終わる。
唯一、超上空で炸裂した核弾頭のみがドームへの攻撃を成功させた、はずだった。だが、その成功した攻撃こそがさらなる惨劇を生み出した。無数の巨大な昆虫のような存在が、破壊されたドームから出現した。後に蟲機と呼ばれることになるそれは、核弾頭を発射した大国の人間を
ドームと蟲機による世界の侵食は続き、別の大宗教の聖地にも巨大な生体組織が出現、そしてドームを形成した。こちらも結果としては全く同じことになる。蟲機との闘いは、序盤は人類側に不利なものだった。無数に作られていく蟲機に対して、人類の生産力には限界があり、じわじわと人類の生存圏は削られることとなる。
訪れた転機は、欧州の生物学の研究機関がもたらしたものだった。蟲機を構成するゲノム解析の結果、蟲機のゲノムは作られたものだということが明らかとなってきたのだ。これまでの地球上に存在せず、ゲノム編集の痕跡が存在する塩基配列が見つかった。
蟲機の技術は人類に巨大なbreakthroughをもたらした。生体による核融合の実現、金属に匹敵する強度の生体組織といった生物基準を遥かに上回るバイオニクス技術を、人類も入手できたのである。そのタイミングで、次の蟲機の攻撃が行われた。世界規模のネットワークの寸断。何者かがわざとバイオニクス技術を世界中にばら撒いた後に、ネットワークの切断を行ったと考えられている。
日本や中国には、ドームによる攻撃は何故か行われてこなかった。蟲機による侵攻は熾烈を極め、多くの人間が蟲の餌食となり、時に蟲化病による犠牲者となった。日本や中国では地上から人間の姿はなくなり、無数の屍と廃墟も数年のうちに森や荒野へとその姿を変えていった。
地上での最後の戦闘は、ベルリンで行われたものが最後だと言われている。多くのバイオニクス兵器が投入されたが、全滅したと伝えられ、こうして地球から人の姿はなくなったとされる。しかし、この最後の戦闘の際に、ある接触が行われていたことがこれより明らかになる。大天使の言伝と、託されたものが。
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「これほどの情報をDNAに格納するというのは考えていなかったわ」
ミコトがそう呟く。蟲機とミナが接触した際に発動したGFPによる発光。発行した光から得られた情報が二次元バーコードとして読み取ることができ、その二次元バーコードに含まれていたのは、蟲機内のデータ解析のハッシュ値である。こんなややこしい仕掛けは何のために作られたのか。差出人にはある名が記されている。
「ジブリール……欧米だとガブリエルの方が通りがいいかもしれないわね」
「聖書でイエスの誕生を伝えたり、クルアーンでムハンマドに預言者であることを伝えた天使ですね」
「そうねククルカン。どうやら、この仕掛けを作ったのは『彼女』のようね」
「大天使が?でも、大天使ってさすがに実際に人間に干渉してくると思えないですぅ」
ユウナの言うことももっともで、神が実在することの証明など本来なら無理な話なのだ。仮にそのジブリールのメッセージが本当だとして、大天使はどこから現れたと言うのか。
「……これはドームや蟲機で人類を滅ぼそうとしたものにとっては誤算だったようですね」
「どういうことだククルカン?」
「ドームでは、究極的には史上最大規模のバイオコンピュータを作ろうとしています。その材料は人間の脳です」
胸糞悪い話にも程がある。俺が眉をひそめるのをちらっと見つつ、ククルカンが続ける。
「ですが、個々の人間をどうやって一つのバイオコンピュータとして扱うか。普通に考えたら無理な話だと思いませんか?」
「だよな。個々の人間には別々の人格がある」
「仮想的な共通のモデルがあれば、どうでしょう?実在するしないは別です」
「まさか!」
俺は思わず叫んだ。キリュウが目を丸くして俺を見つめる。
「まさかって、何がだ?」
「あるんだよ共通の人格モデルは!『神』だよ!」
「神……!?」
「その通りですタケルくん。一神教の神をOSとして、バイオコンピュータを動作させていると考えると話の筋が通ります」
「なんてこった……だから日本にはドームが落ちなかったのか」
「はい。信仰の主体が単一な民族の方が、組み込みやすかたったのでしょうね」
ククルカンの説明は
「ならガブリエルはなんだって出てきたんだ?」
「おそらくは統合された人類側の反撃ですね。情報を受精卵の形や蟲機に落とし込んで流出させる」
「そんなことできるのかよ?」
「逆にそうとしか説明ができないんですよ。いつ誰がヒト受精卵に組み込んだのか、蟲機にどうやったら情報を組み込んだのか、これらは全くわかりませんが……」
にしても、その情報を貰ったからといって俺たちはどうすりゃいいんだろう。キリュウがつぶやく。
「それで、そのバイオコンピュータとやら、どうやって破壊するんだ?」
「バカ野郎!20億人を殺すつもりかキリュウ!?」
「だがノジマ、それならどうやって止めるんだこの状況?」
「そう言われると……」
ノジマは腕を組んで考え込んでいる。止める方法はわからないが、いずれにせよ俺たちがやることは、一つである。だから俺はこう切り出した。
「何にせよ行ってみるしかないよな?アブドラ国王大学で開発中の機体とやら、使えるかもしれないだろ?」
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