勝負の行方 そのなな。

手を叩きパンクズを払う私にはい、といつの間にか戻ってきていたアデルが両手に持った飲み物二つを差し出して、


「温かいのと冷たいの、どっちがいいかな」

「……あったかいの」


 さっきのこともあるので、またからかわれやしないかと警戒しながら受け取る。しかしそんな警戒も今回は必要なかったようで、伸ばした手にカップがきちんと収まった。


 無事何事もなく受け取れたカップの蓋を開けると、ふわりと甘い香りが。まだほのかに湯気が立つこれは……紅茶、だろうか。

 湯気に混じって、ほんのりと甘酸っぱい果実の香りがする。


 その香りを堪能しつつ、首を傾げてしまう。

 それは小さい胸のしこりのようなものを感じたからで。


「ありがたいんだけど……今日は親切なのね」


 さっき「令嬢」としての扱いをされてないと思ったけど、よくよく考えたら「女性」としては扱ってもらえている……気がする。

 たとえばこういう、進んで物を買ってきてくれたりとか、細かい部分に気を回してくれるところとか。

 ただの親切かもしれないから女性として扱われていることに確信はないけれど。


「親切……?このくらい、当たり前じゃないかな」

「それが当たり前に出来るのは素直に尊敬するわ。人をからかって面白がる悪趣味は心の底から直して欲しいと思うけどね」

「大丈夫、からかうのは君だけだよ」

「それ大丈夫って言わないからっ」


 ……思い違いだったかもしれない。

 細かなところに気を配っていたのは奴のある種の癖なのだろう。これが女性にモテる秘訣でもあるのかも。


 というか、なにその全然嬉しくない特別感!


 アデルの言いたい放題の無遠慮さに会うたび蓄積されていく不信感がいい加減爆発しそうだ。

 気を紛らわそうと、私はカップの中身をあおった。

 ――と、


「――美味しい。これ、なに?紅茶の風味もかすかにあるけど、果実汁みたいな……」


 香り以上に果実感がすごい。でも甘さ控えめでスッキリとしてて、まるで紅茶のようで飲みやすい。


 爽やかな甘さのおかげか、溜飲が下がったように感じる。


 初めて飲むこれがなんなのか分からず、まじまじとその中身を見つめて問いかける。


「果実汁に少し茶葉を入れて、風味付けしたものだよ。普通の果実汁より果実の濃度は薄いけど、そのおかげで甘さ控えめで飲みやすいんだ。気に入った?」

「これは好き。ちょっと面白い味だけど」

「それはよかった」


 そう言ったその声があまりにも柔らかくて、少しドキッとした。――この声音は、お兄さんだ。


 見たいような見たくないような、けどやっぱり確かめたくて、横目にその表情を見やった。


 その表情はしかし、ついさっきまでと同じシャルル・アデルで――――そのことになんでかホッとしてしまった。


 敏いアデルにそれを悟られたくなくて、私は殊更明るい声で誤魔化すように声を出す。


「な、なんか慣れてるわね。よく来るの?」

「ん?ああ、そうだね。頻度で言えばあの森の中に直接行くことが多いけど、こっちまで出向く時もあるよ」

「そう」


 ……。 

 …………。

 ………………、

 ……………………やばい。

 特に聞きたいこととか話したいことがあるわけでもないから、これ以上話が続かない。というか話題がない。


 そういえば私、こいつとなにを話せばいいんだろう。困る。この沈黙がこれ以上続くのは、非常に困る。


 なんでって、ものすごい気まずいもの。


 やっぱりこういう時は世間話がつなぎになるわよね。

 天気の話――は持ちかけるには遅いか。

 じゃあ好きなものがなにか聞いてみる……も、別に興味ないし。

 あ、もう一つの流行りの本の話――は、少女趣味すぎてそもそも読んでないから分からないわ。

 哲学書の類の話ならできる――けど世間話には重いか。


 別にしたいわけでもないが気まずさを和らげるためだけにない話題を必死に手探りしていると、横から「そういえば」と思ってもない助け舟が入った。


「初めに現実的じゃない、と一応の前置きは置いておくけど」

「え?」

「逃げようとは思わないのかい」


 いや、正しくは逃げようとは思わなかったのか、かな。

 そう付け足したアデルがじっとこちらを見据える。


 いきなりの言葉にどういう意味、と問いかけようとして――さっき、森の入り口で彼が手に持っていた本の題名を思い出した。


「さっきの本の話ね」

「読んでて思ったんだよ。君は逃げようと思わないのか、それとも頭の隅にはその考えが浮かんでいたのか」

「…………」


 さっきの本の内容は、一言で言えば恋愛小説。それも駆け落ちものの。


 とある令嬢が地位も名誉も放り出し、うんと年上の相手と無理矢理政略婚を結ばせようとする両親や周囲から真に愛する者と逃げ出す、というものだ。


 少し前に隣国で流行ったのが、今になってジギルド王国で流行り出したらしい。

 正直何が面白いのか私には分からないが。


「そんなに私が嫌なら、両家に頼る術がないなら、逃げたいと思ったって不思議はないだろう?」


 その疑問が本当に読んでいて思い付いたものなのかそれとも違うのか、それをアデルの表情から読み取るのは難しい。少々気になったもののせっかくあちらから話を振ってくれたのだ。ふと顔を出した好奇心は抑え、アデルの疑問になんと答えようかと考える。


「――その欲求が浮かばなかったわけじゃない。だって一番手っ取り早いし、後のことを考えなければ逃げるって手段は一番簡単だもの。でも」

「でも?」


 区切った答えの続きの促しに私は意図的に外していた目線を、ずっと横顔に感じていた視線の持ち主へ合わせた。


 決して逸さず、続きを口にする。


「それだけはしちゃいけないことだと思うから」


 はっきりと、アデルが一言一句聞き逃さないように、聞き間違えないように。

 それが思ったよりもずっと強い口調で出たことに驚くが、それは相手も同様だったらしく、アデルは軽く目を見開いている。


「へえ……それはなぜ?」

「な、なぜって、だってそうでしょう?」


 いたく驚いた様子のまま問いかけてくるアデル。それがどこか感心した風にも見えるものだからなんとなく調子を崩され、私はどもりつつも応えを重ねた。


「貴族には貴族としての責務がある。本人の意思にかかわらずそれは生まれた時点で発生するもので、これから先、生きてる限り一生付き纏うもの。そんな簡単に手放していいものじゃない」

「すぐにその答えが出るとは、さすが次期女公爵として育てられただけあるね」

「馬鹿にしてるの?」

「いや、感心してるんだよ。君みたいに即答できる子女は少ないからね」


 はんっ、どうだか。

 肩をすくめ、カップに口をつける。すっかりぬるくなった紅茶の風味漂う果実汁を飲み干して、


「――貴族にとって一番大事な義務は、国民を守ること。贅沢できるのは『貴族』だからじゃなくて『貴族の義務』を果たすための贅沢でしょう?……たとえば私が夜会や茶会なんかの交流の場に、こういう格好で行くとする」


 ノリのきいてないシャツにベスト、ズボンといった一目で貴族の服ではないと分かる今の格好を指さす。

 私はヒラヒラしたドレスよりこっちの方が動きやすくて好き。けど。


「そんなことすればすぐに舐められてしまう。醜聞が大好物な人は多いからそれはすぐに出回って、大勢の人の耳に入るでしょうね。仮に、もしそれが他国の貴族や商人の耳にまで入ってしまったら。――分かるでしょ?」

「君の家が舐められるだけですめばいいけれど、そんな家を貴族階級の最高位に置いてる国全体が侮どられる結果になるだろうね」


 そう。一度舐められてしまえば、いろんなことに不利に働く。私たち貴族にとっての醜聞とは、私たちだけで済む問題ではないのだ。


「だから贅沢は貴族にとって必須。望もうと望まないとにかかわらず、ね。でも、たとえ望んでなかったとしても、そういった事情があるから致し方なかったとしても、今まで裕福な生活をしてきたことに変わりはない。なのに逃げ出したらダメでしょう」


 それだけじゃない。

 貴族には地位と名誉を確固たるものにし、安定を後世に受け継いでいく義務と責任もある。今まで私が勉学や社交に励んできたのはそれを果たすための過程であって、全部ほっぽりだして逃げたりしたらその努力と時間全てが水の泡になってしまう。

 私はそれだけはしたくない。


「まあ言ったとおり現実的じゃないしね……というか」

「ん?」


 ここまで普通に会話していて今更な話だが。


「術、効いてない?」


 あの惚れ薬は十中八九誰かに惚れるように依頼したものだ。汚い手だと自覚しているが、アデルに惚れてる令嬢の誰かしらを絶対好きになるというもの。

 効果のほどは王族御用達の時点で保証されているし、なんなら効かなかったら返金してもいいわ!とリリーからの自信満々なお言葉もいただいている。


 しかし、これまでの会話の内容にアデルの口から他の令嬢の名前が出てくるどころか誰それに惚れたのほの字も出てこない。


 これはまさか本当に……?


 唐突な不安に駆られまじまじとアデルを見る。どこか含み笑いを思わせる微笑みに、背筋に冷たいものが流れた。


「――まさか。効いてない、なんてことはな・か・っ・た・よ・。スワルモ嬢の薬がここまで強力とは思ってもみなかったさ」

「ぇ……」


 ちょっ、ちょっとやめてよ、なんで過去形で話すわけ?しかもなんでリリーのことを知って――。


 ひくっ、と頬が引き攣って、ベンチに腰掛けたままの状態で一歩後ろに後ずさる。


 そんな私を横目にアデルはその長い足を組み替え、あろうことか優しく微笑みかけてきた。


 ――ああ、嫌な予感しかしない。


「もしあのまま術が作動していたなら、君の思惑通り私はどこかの誰かと恋仲になり、その関係に邪魔な君との縁談などすぐさま破棄するよう手筈を整えたことだろうね。でも、そうならなかった。なぜか分かるかい?」

「…………」


 そんなのこっちが聞きたいくらいだ。

 魔術は魔法で解くことはできない。仮にアデルが魔術に関しての造詣が深かったとしても、魔術薬でかけられた魔術は作った本人にしか解く術はない。

 私だって馬鹿じゃない。これでもきちんと予習はしてきている。


 けれど、アデルがどうやって惚れ薬の効能から逃れているのかがさっぱり分からない。


 まさか一歩も外に出なかったなどとは言うまい。


 それとも本当に、誰にも優しくされることなく……?


 そこまで考えて、頭を振る。


 ――いや、それも違う。卑怯だが、本気でアデルに惚れてる子と接したなら優しくされようがされまいが、否が応でも惚れるようにしてあったのだ。

 それに、こいつは今なんて言った?私の耳が確かなら、『も・し・あ・の・ま・ま・術・が・作・動・し・て・い・た・な・ら・』と――


「…………あ」


 ここにきて一つ、嫌な、あり得てほしくない可能性が頭に浮かんだ。そのひらめきに呻く私にアデルはニヤリと笑って、


「気づいた?――そう、自分で解けないなら作った本人に解呪してもらえばいいというわけだ」

「っ!」

「スワルモ嬢を特定するのは簡単だったよ。なんせあの、特定の人物以外にはとことん冷淡なシャンタル嬢とよく一緒にいるのが君とスワルモ嬢の二人だからね。魔術師の友人を持つ君が、魔法関連に疎いくせにどこから『魔術薬』なんてものを持ってきたのか――そこまで考えれば、答えはもうでたようなものだろう」


 リリー!?と喉から出かかった叫びをなんとかすんでのところでこらえる。裏切ったの、との考えが頭を掠めるが、『裏切る?まさか、そんなわけないじゃない。ただ私の店は誰にでも平等が信条なだけよ!』と、想像の中のリリーに言い返されあえなく撃沈。


 仮に彼女の前で文句を垂れたところで同じ言葉で言い返されるのがオチだろう。店を構える上で掲げている信条を覆す権限など私にはないのだし。


 とはいえ。


「卑怯なことに変わりはないわ。そんなの、勝負を根本から覆してるじゃない」


 この賭けはあくまで「アデルが術にかかってる」上で成り立っていたのだ。それを壊してしまっては勝負として成り立たなくなる。


 私はそう指摘するも、彼は若干笑いながらも不思議そうに「そうかな?」と首を傾げ、


「『賭けを根本から覆してはならない』なんて決まり、君が禁止していた覚えはないんだけど」

「うっ」


 いや、それはまあ、してないけど……。


 痛いところを突かれ途端に目が泳ぎはじめた私にそれに、とアデルが付け加え、


「君、あの薬で言ってないことがあるだろう?驚いたよ。スワルモ嬢に椅子を勧められただけで好意的に見えるようになってたんだからね。ほんとう、飲んだ当日に解呪へ向かった自分を褒めたいくらいだよ」


 そんなに効き目が強かったのかと感心する一方で、その行動の速さと勘の良さには舌を巻く。


 さてどう言い訳したものかと考えて――、


「……ん?ちょっと待ってよ、私があの薬を作ってもらった時は四日も待ったのに、解呪を一日でしたの?」


 魔術薬は解呪するにも解呪薬というものが必要なはずで、それも作るのに相応の時間がかかるはずだ。

 なのになぜアデルはその日その場で解呪できたかのような語り草なのだろう。


「ああ、スワルモ嬢の店は何かあった場合にすぐ対処できるよう、魔術薬と一緒に解呪薬も作っておくんだと言っていたよ――で、わざと話さなかったことについての申し開きはなにかあるのかな?」


 キラキラしい笑顔を向けられ、返す言葉もない。


 奴に卑怯だとは言ったが、アデルがしたことは別に禁止事項でもなんでもない。奴を責めるのはお門違いというもので、むしろここで卑怯な手を使っていたのは私なのだから責められるとしたら私の方だ。


 卑怯だと自覚しているからこそ何を言っても裏目に出そうで、何も口に出すことができない。アデルは私の出方を伺っているようで、黙って果実汁を飲むばかり。


 ――この勝負、どう見ても負けたのは私だ。


 卑怯な手を使ったのにも関わらず早とちりし、細部まで詰めない計画の杜撰さ。挙げ句の果てにその杜撰さを逆手に取られる始末。

 穴があったら入りたいとはまさにこのこと。


 せめてもう少し慎重だったなら、と後悔しても後の祭りで、今は正直なところ、自分がここまで馬鹿だったとは、と呆れ果てている。


 負けは負け。

 これ以上騒ぎ立ててもみっともないばかりか更に恥の上塗りでしかない。それは分かってる。ちゃんと理解している。


 …………が。


 素直にそれを認めたくない気持ちでいるのもまた事実。


 だって負けを認めるってことは、今日から婚約者の立場であることを認めることと同じ。一度婚約してしまえばあっという間にその事実は社交界中に広がってしまい、到底逃げることなど不可能。


 シャルル・アデルと婚約に結婚?


 考えただけでゾッとする。

 なんで生きてるだけで令嬢から目の敵にされるような真似しなければいけないのだ。


 これが私の理想像そのものな人だったならまだしも理想とは正反対の位置にいる相手などお断りに決まってるだろう。


 そんな往生際の悪い葛藤で頭を働かせていると、ふいに軽く肩を叩かれた。


「――?……あ、なに?」


 叩いた相手はもちろんアデル。


 まさかあまりに見苦しい態度に呆れて、真正面から堂々と敗北宣言を突きつける気なのだろうか。

 恐ろしい予感に身構えるも、次に放たれたアデルの言葉に肩透かしを喰らう。


「そういえば君は知らなかったんだよね。面倒になってきたし、この際だから教えてもいいかなと思って」

「…………は?」


 あまりにも脈絡のない言葉に、目が瞬く。


 私の知らないこと?


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