勝負の行方 おわり。

「そういえば君は知らなかったんだよね。面倒になってきたし、この際だから教えてもいいかなと思って」

「…………は?」


 肩透かしどころか意味不明の言葉が紡がれたことに私は目を瞬かせた。


 ――私が知らないこと?


「まさか知ってるなんて言わないよね?知っててこんなことしてるなら正直私は君への認識を改めないといけなくなるけど」

「?……待って、ほんとうになんの話?」

「すぐには婚約させられないって話」


 ……………………………え。


 一度探るような口ぶりで確かめてから出された本題に、口が開く。

 婚約させられないって……。


「縁談なんて言ってるけど、無理矢理結婚させられるものじゃないらしくてね。……いわゆるお試し期間があるようなんだ。その間に互いの人となりを知って気に入れば正式に婚約、合わないようならこの話は無かったことに。――ああ、もちろんこの間は一切周りへの公表はされないから後腐れもない。ややこしいから『縁談』で通してるだけなんだよ」

「は」

「この話を聞いて、こうは考えられないかな?お試し期間とやらの間は結婚を催促されることもないんだ。つまりその期間中は煩わしさから解放されて、比較的自由に過ごせる。表向きいい顔を見せておけば、その間に君が君の望む恋人を作るも、私との婚約を避けようと努力するのも勝手なんだよ」

「え」

「そうなると、一旦はこの縁談を受け入れた方がいいんじゃないかな。君のためにも、もちろん私のためにも」


 驚きの新事実に置いてけぼり気味なうえ、混乱でこんがらがった頭でなんとか言葉の意味を咀嚼し…………「はあ!?」と、知らぬ真実を踏まえた提案に、叫び声が裏返った。


 思ったよりも大きく響いた叫びに周囲の注目が集まるが、私はそれどころではない。最早周りの目など気にしている場合でもそんな余裕もなく、アデルに詰め寄る。


「まっ、え、なにそれ!聞いてないわよ!?」

「両家納得済みだと私は聞かされているけど」

「あの阿呆っ!!」


 誰が元凶かなど、考えなくても分かる。


 あの阿呆親父!絶対後で目に物見せてやる!


 あれが今目の前にいたら、多分、というか確実に蹴り飛ばしてることだろう。


「君の言動を見てれば聞かされてないのは初めから分かってたんだけどね。そうでなきゃあんな冷静もなにもない話し合いにならなかったはずだろうし」

「分かってたならなんで言わないのよ!そんなこととは知らないで私っ……!」


 今更ながら自分の盛大な空回りっぷりに顔が熱くなる。

 仮にその事実を初めから知ってたなら、こんなことにはなっていない。互いを知る時間があるというのなら縁談を躱すよりは一旦受けて、しばらくしてからこの人とは合いそうにないと言ったほうが今破談に持ち込むよりももっと穏便になかったことにできるのだから。


 両親から無闇矢鱈に結婚結婚せっつかれることもなくなるだろうし、まあアデルのことでどうのこうの言われることはあるだろうが「ゆっくり互いを知る時間が欲しい」だのと言い訳がきく。アデルの言うように表向きいい顔をしていれば急かされることもなく、心にゆとりを持った状態で理想の結婚相手を探すことだってできるだろう。

 開けっ広げに相手を探せなくなる難点があるものの、それを補ってあまりある利点がある。


 もっと早くに教えて欲しかったが、どうせこの男のことだ。私が知らないのをいいことに態と口をつぐみ、こちらがどんどん横道にずれていく様を愉しげに眺めていたに違いない。

 それも行くところまで行き、そろそろ飽きてきてこれ以上空回りさせるのも面倒だから、と口を開いたのだ。


 アデルの掌の上でコロコロ転がされる自分の様子が目に浮かび、頭を振って追い払う。


 ほんっとうにいい性格してるわ、こいつ。


 ニッコリ笑顔を向けるアデルに私は大きく息を吐き出し、睨みつけつつ唸るように言う。


「――そういうことならちゃんと縁談、受けるわよ」

「そう?それならよかった」


 何が良かった、だ。どうせこの返答まで織り込み済みだったんだろうが、白々しい。


 どうにも溜飲が下がらず、満足げに笑うアデルにちくりと嫌味を投げつける。


「貴方が初めからこのことを教えてくれてたならこんな面倒くさいことにはなってないんだけどね。私だって空回りしなくて済んだし、何よりこれから良い関係を築いていこうって相手に最低評価を下さずに済んだわけだし」


 その言葉にアデルはパチパチ、と幾度か瞬きし――いつものようにニヤリと笑った。


「仕方ないだろう?人間は欲に忠実な生き物なんだ。何も知らず滑稽に駆け回る様子はもちろん、空回りが進んだ果てにこのことをバラされた時、君が歯噛みする表情が見たかったんだよ」

「さ、最低っ、この性わ、るぐっ!――」

「え、ごめんね。聞こえなかった。もう一度聞かせて欲しいな」


 悪趣味な奴の考えに非難の声を上げるも、ガシッと片手で顔を鷲掴みにされてしまいそれ以上の声も出せず。


 ぐ……力が強すぎて指が解けないっ。


 細身で優男な外見からは想像できない力強さだ。加えて解こうとすればするほど余計に力を込めてきやがり――――痛い痛いっ!!放せ馬鹿っ!!


「ゔ、ーーっ!」

「っっ!!」


 もがいても力が強まるだけで抜け出せず。ならばせめてものお返しにとそこそこ厚みと硬さのある靴底で思いっきり脛を蹴りつけてやった。すると今まで決して緩むことのなかった手が嘘のようにあっけなく離れ、ようやく私の顔が解放される。


 うあー、じんじんする。これ絶対赤くなってるわ。


 頬をさすりながら距離をとりつつ隣を伺えば、脛を押さえ悶絶している男が一人。


 自業自得だこの野郎。けっ。


「――あー、酷いなあ。これ明日あたり絶対あざになるよ。君、どうしてくれるの」

「どうしたもこうしたも、先に自分が何したか分かってないわけ?」


 見てみなさいよ、ここ。女の顔にこんなことして、紳士が聞いて呆れるわ。


 自分の所業をしかと見よ、と未だ痛みも引かず熱を持った頬を指差し睨みつけるもアデルはそんな視線などどこ吹く風で「はあ」とさする手を止め、


「ダメだね、傷物にされてしまったよ。これはちゃんと責任とってもらわないと。大丈夫、結婚諸々の手続きは私がするからさ」

「なっ、何馬鹿言ってるわけ!?先に仕掛けてきたのはそっち!どちらかと言えば被害者は私!」

「あ、じゃあ責任取るよ。式はいつにする?」

「だからなんでよ!!」


 なにこの会話。今日のこいつ、いつも以上に疲れるし面倒くさいんだけど。

 なんで私たちの間の責任取るとられるで結婚が絡まねばならんのだ。冗談でも笑えないわ。

 そもそもこんな開き直ったような冗談を言う奴だとは思わなかったから驚きだ。


 想像してた人物像との違いにちょっと、というか大分混乱する。


 …………あれ、なんでここまで話が脱線したんだっけ?


 話題がズレていっていることに気づいた時一気に怠さが襲ってき、耐えきれずベンチの背に深くもたれかかってしまった。

 その横ではアデルが大変機嫌良く笑みを浮かべており――あ、また私としたことが、と自己嫌悪に項垂れた。


 ダメだ。長くこいつといると調子が崩れる。この状態で一緒にいるのは私の精神の健康上良くない。絶対に良くない。


 目を開けると周囲の女性たちが見惚れるほどの笑みを浮かべる顔が。目があったのでとりあえず舌打ち。


 このままここにいても、掌の上で更にコロコロ転がされるだけだろう。

 悲しいかな、私が一人ギャーギャー騒ぐ様が目に見えすぎているのだ。

 正直今ここで引くのは散々してやられた後なだけに気が進まないが、今の私ではやり返せるものもやり返せない。

 居座っても恥の上塗りで終わることだろうし。


 悔しいが今の私では敵わないのだし、やり返すからにはちゃんと気持ちを切り替えて、うまく言い負かせられるよう予習してからでないと。 


 深々と息を吐き出し、お腹に力を込める要領で一息に起き上がる。


「もう行くのかい?」

「だって疲れ……じゃなくて、縁談のこと、父様たちに伝えないといけないもの」


 私がアデルに惚れたから前向きに考えているなどと誤解しないようちゃんと丁寧に一から十まで説明して、その上で今回黙っていた説明責任を果たしてない件について締め上げないと。


「追って書面を送るから。次会うのは多分、両親も含め両家同士の顔合わせの場ででしょうね」


 さて、父様とアデルには大事なことを当人に伝えていない件と私で遊んでくれた件についてどう後悔させてやろうか――そう、闘志を燃やしていたせいだろうか。

 アデルが立ち上がったことに気づくのに、少しの間を要してしまった。


「あ、貴方も帰る――」


 の。


 そう言い切る前に、声が詰まった。


 熱くて柔らかいものが、ほんの一瞬だけ唇の横を掠めたのだ。


 何をされたのか理解が追いつかず、思わずそこに手を伸ばす。


「――――」

「それじゃあ私はこれで。……さっき話したことだけが私が君との縁談を受け入れた理由ではないんだけどね」


 アデルはそう言って柔らかく笑った。笑って、背を向けて、何事もなかったかのように人混みに紛れて行く。


 そうして離れていって初めて、アデルが案外近くにいたことに気づいた。


「…………あつい」


 じわじわ、じわじわ、何をされたのか遅れながら理解して、押さえた部分が熱くなっていく。


 あと少し右にずれていたら唇に触れていただろうすぐ横に、き、き、キス、された……。


「――っっ!!」


 話し方はアデルなのに、最後に笑った顔は優しいお兄さんの表情そのものだった。

 あの顔は卑怯だ。『お兄さん』がアデルだったってことをちゃんと分かってるはずなのに、どうしてか私はあの表情に弱い。

 アデルの奴、そのことに勘づいてやがった。だからこそ最後、あんな風に笑って見せたのだろう。


 ていうか、なに?


 確かに私あの表情に弱いけど、でも別に私、アデルのこと好きでもなんでもないんだけど。いや、それよりなにより、キ………………こんなことされる関係でもないし、なりたいとも思ってないんだけど!!


 だから、変な意味なんてない。


 さっきからずっと心臓がバクバクうるさくて痛いのは、驚いただけ。

 ただそれだけの理由で、そこに変な意味なんてなくて。そう、そうに違いない。というかそれ以外に理由なんてない。なにせこんなことされたのなんて初めてだったんだし、びっくりしてしまうのも無理はない。だから、そう、仕方なくて。


 触れられたところから、いつまで経っても熱が引かない。心臓も、いくら待ってもうるさいまま。

 それもこれも全部、あの男が悪い。アデルのせいだ。


 熱も動悸も治らないのが煩わしくて仕方がない。だって、色々と理由づけしたところで、これじゃあまるで、私があんな男相手に――――照れてるみたいじゃないか。


 〜〜〜〜っ、ああもうっ!


「腹立つーーーーっっ!!」



 こうして私は、今日一番の大声で吠えたのだった。



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