第5話 時間逆行しても存在するものは。

「はっ!仕事へ行かないと!」


私は1ヶ月前の記憶を呼び起こし、仕事の進捗状況を思い出す。


「レンって学生なのにいつも仕事のこと考えてるよね。今回も急ぎなの?」

アルフィは本棚から数冊の本を物色しながら問いかけてくる。


「ええ、件の連続放火事件が魔法発現のために引き起こされた可能性がありまして…報告に向かいます。」

私は時間が逆行する前に追っていた事件を思い出す。


「前々から思ってたけど、君の仕事って公爵令嬢としての教育の範囲を越えてない?」

アルフィは不満そうに唇を引き結ぶ。

「成り行きですよ。仕事なんて、押し付けられて仕方なくやっているうちに責任を負っているものでしょう?」

バルバストル公爵家は建国時から仕える古い家柄であると同時に、代々騎士団の統括を負い、父もまた第1騎士団長の任を受けている。

父の勧めもあって私は幼少期から第3騎士団に配属され、公務に追われていた。


「…言っても聞かないだろうけど、無理はしないでね」

アルフィがぼそぼそと呟き、視線をさまよわせた。

「ふふっ、あなた身長はそこそこ高いでしょうに。小動物みたいですね。」

こちらを伺うような様子が可愛らしくて、つい口元が緩んでしまった。

「ひどいな、僕だって堂々としたいけど…」

「可愛らしくて結構じゃありませんか、私はあなたのこと気に入っていますよ?」

誤認で容疑をかけてくる婚約者よりもずっと。そう心の中で付け加える。

「バカにしてるの間違いでは?」

アルフィは拗ねた様子で縮こまり、椅子の上で体育座りする。

「引きこもりとはいえ、天才魔導具師様に畏れ多い」

私は大仰に諸手を挙げて降伏のポーズをとってみせる。

「…天才なんかじゃないよ」

アルフィは自信なさげに俯いてしまった。

私は彼の様子を気に留めることなく話題を変える。

「いずれにしても、無責任な仕事をして後悔するのは自分ですから、やるからには責務を果たすと決めています」

私はシニカルに笑い、肩をすくませた。


「レンはそういう人だよね」


アルフィは眩しそうに目を細めた。


「さて、私は仕事に向かいます。失礼しますね。」


私は踵を返してアルフィに背を向ける。頭の中で仕事の優先順位を整理していく。

周囲の音が消え、床の木目をぼんやりと視界に捉えながら思考する。

上司へどこまで報告していたか、またその対応方針はどのようにすべきか、同行を依頼する同僚の予定は空いていたか…。


一歩。

足を進めたとき。


「レン待って!」


アルフィに腕を掴まれ、引き戻された。


「どうしました?」


私は驚きながら振り返る。


「君…そのまま出勤はダメ」

「へ?」

「…いや、だって…とにかく、1回部屋に戻って着替えた方がいいよ」

「着替えは職場に置いてありますし、あなたの実験着は大きいですが寒さは凌げます。」

私は意味がわからず、小首を傾げる。

「ー〜っ、だから。あの…その…ついてきて」

アルフィはそれ以上の説得を諦めたのか、私の手を引いて歩き始めた。

私は連れられるままに図書室を出て、廊下を進む。図書室は校舎の外れに位置しており、生徒たちが賑わう教室や寮とは逆方向にある。

手入れの行き届いた中庭とは異なり、薬草を植えた畑や木々が茂り、雑然とした印象を受ける図書室の裏手を抜けて、聖堂から漏れ聞こえる祈りを聞き流し、校舎の横を通り抜ける。

枯葉がカサカサと音を立て、小枝がパキリと折れる音がした。

アルフィは無言のまま私の先を歩く。

秋の木枯らしが吹きつけ、肌寒さに身震いした。繋がれた手首を伝わる体温がやけに熱い。


「…着いた」


アルフィの言葉に顔を上げれば、そこは寮の入口だった。

「送ってくださったんですか?」

わざわざ獣道を進む必要はなかったように思うが、引きこもりのアルフィは人と対面することを嫌うから、いつも彼が通る道はこの道なのかもしれない。

そう思うと可愛らしく感じてしまう。

「アルフィ、少しかがんでくださいませんか?」

私が頼めば、アルフィは不思議そうに首を傾げながらも腰を曲げてくれる。

私は彼の頭に両手を置き、思いっきりかき混ぜた。

「え!?え?なに?どうしたの!?」

混乱するアルフィを無視して、髪を撫で続ける。

「ふふっ、満足しました。ここまでで大丈夫ですよ。送ってくださってありがとうございます」

私はアルフィに礼を言い、彼の頭から手を離す。

「…うん、またね」

アルフィは困った顔をしながらも、こくりと頷いた。

「実験着と革靴は洗ってから、お返しします」

私はそれだけ伝え、寮の自室へと向かった。

アルフィも先程通った藪へと戻って行った。


「一旦、戻りましょうか」


ここまで来たのだから、着替えてから出勤した方が楽だろう。

私は寮の自室へと向かう。流石は貴族御用達の学園、全室が個室となっており、各部屋に風呂トイレが完備されている。

ベッドとクローゼット、勉強机が置かれた部屋は簡素であり、元々備え付けられていた家具をそのまま使用している。生徒の中には実家から家具等を運び込む者もいるようだが、私は特にこだわりもなく、私物もほとんど持参していない。メイドを連れては来ているが、部屋の掃除以外は頼まず、妹のフレアに付くよう指示していた。

私は手短にシャワーを済ませて、クローゼットから第3騎士団の制服を取り出してジャケットに袖を通し、スラックスとベルトを締める。


「アルフィの実験着はあとで洗いますか」


私は彼から借りていた実験着を簡単にたたみ、勉強机の上に置いておく。身に着けていたドレスと片方だけのピンヒール、それからアルフィから借りた革靴はクローゼットの中へ放り込んだ。

「えっと、あれはどこだったか…ああ、あった」

私はベッド下に置いてあるトランクを回収する。ずしりと重みのあるトランクを手に持ち、いつもの使用する編み上げブーツを履いて手早く自室を後にした。

職場は学園から徒歩数分の城の敷地内に位置している。馬車を頼むよりも歩いた方が早いと判断し、私は足早に職場へと向かった。

石畳の敷かれた寮と校舎を繋ぐ道、両端に植えられたコスモスが鮮やかに花開いている。

鱗雲が空高くを漂い、秋風が頬を撫でていった。

深く息を吸い込めば、冷えた空気が肺を満たす。

底冷えする地下牢も湿ったかび臭い空気もここにはなく、自身の処遇が不透明な漠然とした不安感に押しつぶされそうになることも、大勢に非難されることもない――そう理解できた瞬間、無意識に頬を涙が伝った。


「どうして今更なのでしょう…」


婚約破棄を言い渡された時も、死刑宣告を受けた時も、断頭台にこの首を置いた時さえも。一滴も流れなかった悲しみが、ただの木枯らし一つであっさりとあふれ出す。


「誰もいなくてよかった…」


私は歩みを止めず静かに深く呼吸を繰り返した。

目元が赤くなることが気になって、拭うことはしなかった。

数分程度の時間でしかなかっただろうが、それが止まる頃には胸がすっと軽くなっていた。

私は背筋を伸ばし、手に持つトランクを強く握りしめた。

校門を通り抜ければ、大通りが目の前に走っており、馬車が行き交っている。その奥には出店がにぎわいを見せ、食べ物や反物などを売り買いする人々の生活が目に入った。


「あんたがレンフレッド・バルバストルか?」


後ろから声を掛けられ、私は首だけで振り返る。

「何用でしょう?」

大柄な男は薄汚れた衣服に不精髭を生やし、いかにも不審者といった風貌をしていた。

「ちょっと痛い目に合わせるだけさ。悪いがこっちも仕事なんでね、恨むなよ。」

男は言うが早いか一歩踏み込み、私の顔面に向かって大きく腕を振りかぶった。

私は手に持っていたトランクを地面に置いて、一歩前へと踏み込む。

眼前へと迫る男の拳、私はそれを右手でいなし、左足で男のみぞおちをけり上げた。体制を崩した男の腕を右手で掴み、左手で肩口に手刀を入れて地面へと引き倒す。


「うわ?!」


一拍遅れて驚く男の声を無視し、そのまま関節技を決めて拘束する。

拘束から逃れようと動く男の背中を左ひざで踏みつけ、体重を乗せてうつ伏せのまま押し付ける。


「さて、このまま騎士団へ引き渡すべきか…」


頭の中で今後の行動を判断していた時だった。


「レンフレッド嬢か?」


聞き覚えのある声に顔を上げれば、ルーカスが馬車を止めて窓からこちらを見ていた。


「ルーカス様、ご健勝のこととお慶び申し上げます。只今、手が離せない状況におり、御無礼のほどお許しください。」


私は男を拘束したまま、頭だけを下げて非礼をびた。


「いや、それは仕方ないだろう…それより…」


ルーカスは困惑した様子で拘束された男を一瞥する。


「歩行中に襲撃を受けました。私をバルバストル公爵家の嫡女と知っての行動と思われ、詳細を確認すべく身柄を確保しております。」


私の回答にルーカスは少し考えてから、馬車の中へと戻り、従者に指示を出してくれた。

「レンフレッド嬢が取り押さえている男を預かり、騎士団に引き渡してくれ」

指示を受けた従者が馬車から降り、こちらへと向かってくる。

私は男の拘束を解いて、地面に転がしてから、両手の埃を払った。


「ありがとうございます、ルーカス様。助かりました。」


「いや、女性が一人で不審者を拘束している様を見れば、誰だって助けには入るだろう。まして貴女は私の婚約者だ、見て見ぬふりはしないさ。」


ルーカスの微笑む表情は柔らかく、婚約破棄を告げられた際の印象とは異なった。彼が私に向ける表情の中には、確かに優しさや温もりを感じる部類のものがあったのだと思い出す。


「…感謝いたします」


私は事務的な言葉しか吐けない己を恨みながら、妹ならどのような言葉を紡げたかと自己嫌悪に苛まれた。


「それにしても、貴方はバルバストル公爵家の令嬢だろう?護衛も付けずに移動とは不用心ではないか?」


ルーカスは非難するわけでも、責めるわけでもなく、ただ心配だといった声音で訊ねてくる。私はその純粋な眼差しに困惑しながら、気丈に笑顔を張り付けて答えた。


「ご心配なく、私はこれでも第三騎士団に所属する騎士です。多少の心得はあるつもりです。それに、護衛は私よりも妹に割くべきでしょう。」


私はこの程度は些末なことであると訴えるように、口角をあげて表情をつくる。

ルーカスはしばし逡巡する様子を見せたが、「そうか」とだけ呟いた。


「私は職場へ向かいますゆえ、これにて失礼いたします。」

私は一礼してから、地面に置いていたトランクを回収し、その場を後にする。

震えそうになる手を強く握り込み、地面を踏みしめて職場へと急いだ。

ルーカスを乗せたものと思われる馬車が動き出す音が背後から聞こえる。

ガラガラと、ガタガタと、土砂を跳ね上げる車輪の音が耳に届いた。

頭上には雲一つない秋晴れが広がっていた。冬へと近づいていく木枯らしに体がぶるりと震える。


「他者から向けられる敵意の視線だけは…慣れることができないな…」


一人つぶやいた言葉は風に流され、落ち葉とともに落ちていった。

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