第15話 お祭りが始まる


 目が覚めたのは朝の九時過ぎだった。本当はもっと早く起きるつもりだったのに、無意識で目覚まし時計を止めていたみたい。


 今日は待ちに待ったお祭り。さくら先生が来てくれる。それが楽しみで、嬉しくて、でも緊張もして、いつもより早めにベッドに入ったのに、なかなか寝付けなくて。


 気づいたら九時過ぎている。お祭りは十時半から始まる。開始早々に来るのはほとんど氏子さんたちだろうけど、急いで支度しなきゃ。


 私は布団を跳ね除けて、顔を洗ってから居間に向かうと、お姉ちゃんがテレビを見ていた。おじいちゃんたちは既にお祭りのため出払っている。


「いつ来たの!?」


 何となくお祭りの日にも帰ってきそうだとは思っていたけれど、寝る前には見かけなかった。


「昨日の夜の十時頃。ひなたはもう寝た後だったみたいだけど。朝ご飯食べよ。ひなたが起きるの待ってたんだ。着替えてきなよ」


「ああ、うん」


 私は急いで部屋に戻り、数日かけて吟味した服を身に着ける。淡い水色のロングワンピースに、クリーム色のカーディガン。


 さくら先生に、少しでも可愛いと思ってもらいたくて、悩みに悩んだコーデ。


 鏡の前に立つと、もっとこれより可愛いコーデもある気がして悩ましい。取り敢えずお姉ちゃんの意見を聞いてみよう。


 私が居間に戻ると、テーブルには昨晩の残りのクリームシチューにサラダ、きつね色に焼けたトーストが並んでいた。


「お姉ちゃん、ご飯の用意ありがとう」


「どういたしましてー。さくら先生には清楚系の服で攻めていくの? 美術館に行った時はもっと短いスカートだったのに」


「あの時は先生に会うとは思ってなかったから⋯。どうかな、大人っぽく見えるかな」


「なるほど。大人っぽく見られたいわけねー。ふむふむ。いいと思うよ、落ち着いて見えるし」


「そっか。良かった! 先生に子供っぽいって思われたら、ちょっと悲しいから」


「分かる分かる。子供に見られたくなかったよね、あの頃は」


 しみじみと昔を思い出すように遠い目をするお姉ちゃん。


「さて。ひなた、先に朝ご飯済ましちゃおうか」


「そうだね、いただきます」


 ついにお祭りが始まる。






 お姉ちゃんと二人で境内に出る。


 吊るされた白い提灯に、並ぶ様々な屋台と、集まって来た人たちで賑やかな景色が広がっていた。


「先生いつ来るのかな。迎えに行った方がいいかな」


「いつ頃来るかは聞いてなかったの?」


「お手紙で時間は知らせたけど、いつ来るかまでは分からない」


「それなら駅まで迎えに行っても会えるか分からないし、来るまでは私たちも散策してよう」


「うん」


 気ばかりがはやるけど、落ち着かないと、午後からの演奏にも影響してしまうかもしれない。


「ひなた、今からそんながちがちに緊張して大丈夫?」


「⋯⋯そんなに緊張してるかな?」


「見るからに緊張してる。リラックスして」


 お姉ちゃんに肩を揉まれる。


「くすぐったいよ〜」


「笑って、笑って。そんな緊張してたら、さくら先生も心配しちゃうよ?」


「そ、それはだめかも」


 せっかくのお祭りだから、やっぱり先生に楽しんでほしいし、心配なんてさせちゃいけない。


「ひなた、何か屋台で買おうよ。あっ、見て電球ソーダある! 懐かしい〜。あれ私が大学生になったあたりの頃に流行ったんだよね」


「私も小学生の時に一回だけ買ったことあるよ」


「久しぶりに買って飲もう!」


 私たちは屋台でカラフルな電球ソーダを買った。お姉ちゃんは緑色のメロン味、私は赤色の苺味を買った。


 ソーダを飲みながらそぞろ歩く。境内の奥の方まで来て、手水舎近くの臨時に置かれたベンチに座った。行き交う人の波はみんな楽しそうで、見ていると私も、緊張よりもわくわくした気持ちが勝ってくる。


 私も演奏でさくら先生やお姉ちゃんに、お祭りに来ている人たちを笑顔にできたらいいな。


「ひなた、さっきより表情が柔らかくなったね」


「そうかな。ソーダのおかげかも」


「魔法のソーダだったのかな、これ」


 なんて二人で笑ってたら、視線を感じて人波に目を向ける。もしかして先生がいるのかと探すけど、目に留まったのはどこか見覚えのある女の子。目が合うと、こちらに駆けて来てる。


「ねぇねぇ、月岡つきおかさん、だよね? 覚えてる?」


「えっと⋯⋯、大石おおいしさん、かな」


「そうそう! 大石でーす。懐かしいね。小学校卒業以来だよね」


「うん。久しぶりだね。お祭り来てくれたんだね」


 大石さんは姫沼ひめぬま小学校時代の同級生で、小五と小六の時に同じクラスだった子。


「そう言えばここ、月岡さんのお家だっけ。忘れてた〜。十六夜いざよい神社のお祭り久しぶりに来たんだ!」


 話しているとお姉ちゃんが気を利かせてか、そっとベンチから離れるのが視界の隅に映った。


「お祭りは明日までだから、よかったら明日も来てね。明日はお神輿みこしが出るから」


「お神輿か〜。小学生の時に参列したなぁ。ところで月岡さんは今日は一人?」


「えーっと⋯⋯。知り合いの人と合う予定で⋯⋯」


「もしかして、彼氏とか!? 星花せいかの子って男子にモテるよね。可愛い子とかアイドルもいるし」


「ち、違うよ! 全っ然違う! モテないし、関係ないよ、私には!」


「え〜、そんな慌てて怪しいなぁ」


「違うの。本当に違うから」


 でも素直に学校の先生です、とは言えないし。困ってしまった。


「星花の友だち?」


「あー、うん。そんな感じ⋯⋯」


「そっか。実はこれから、松下まつした稲葉いなばも来るんだ。今日は三人で屋台巡りしようって約束しててさ。よかったら月岡さんもと思ったんだけど、先約があったらしょうがないね」


「ごめんね、誘ってくれようとしたのに」


「いいよ、いいよ。気にしないで。そうだ、さっき駐車場の方で寺田てらだ先生見かけたんだよね。バッティングしないように気をつけた方がいいかも。会ったらうるさそうじゃん」


 その言葉に私はどきりとして、背筋がぞくっとした。変な汗が流れる。


 寺田先生は小学校の時の担任だった先生。怖くて厳しい先生で、苦手だった。私はどんくさくてよく怒られてたから、余計に苦手で⋯。


「⋯⋯そうだね」


「もううちらは卒業したけど、小言こごといってきそうだもんね。寺田先生相変わらず厳しいらしいよ。うちの弟が言ってた。プライベートに先生なんかにとやかく言われたくないよね」


「⋯⋯うん。でも、大人しくしてたら、大丈夫じゃないかな」


 言いながらそれは自分に言い聞かせていた。だってずっとずっと楽しみにしていたお祭りで、寺田先生に怒られるなんて嫌だから。


「ねぇ、月岡さん、顔が青いけど平気?」


「えっ?」


「具合悪くなっちゃった?」


「ううん。全然そんなことないよ!」


「寺田先生のこと思い出したら、何か嫌な気分になるよね。うちら、よく怒られてたしさ。余計な話しちゃったよね。でもまだ寺田先生いるかもしれないから、月岡さんも気をつけてね」


「うん。見つからないようにしないとね」


 それから私と大石さんは昔話を少しして別れた。正直何を話したかよく覚えていない。


(寺田先生に会ったら嫌だな)


 小学生時代の思い出したくないことが、走馬灯みたいに蘇る。そんなこと、全部、星花に入学して忘れたと思っていたのに。



『おい月岡! こんな簡単な計算もできないのか!』


『そんなびくびくしてたら、跳び箱なんて一生跳べないぞ! ほら、さっさと跳べ!』


『月岡! 掃き掃除くらいもっとテキパキできないのか! 授業を掃除の時間で潰す気か!』

 


 寺田先生の怒鳴る声が頭に響く。


 思い出したくないのに。


 どうして、今日という日に現れるの?





  

 



 

 

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