第14話 晴れ晴れと

 さくら先生と一緒に展示室に入る。先日来た時に比べて、人は少ないけど、正面の絵には人だかりができていた。


 その絵は私も初めて見る作品で、これが展示替えの一つらしい。


 絵は淡い色彩で描かれており、どこか儚げだった。木の上に座る少女が黒く長い髪を風に揺らしながら、篠笛しのぶえを吹いている。その隣りには少女のお姉さんなのか、大人の女性が目を閉じで笛の音に耳をすましている。 


 こんな風にさくら先生も私の演奏を聞いてくれるだろうか。私の音に耳を傾けてくれるだろうか。


 いや、そうではなくて。先生が聞きたいと思うような演奏をできるようにならなくちゃ。


 この世の全ての人を魅了できなくてもいい。たった一人の大好きな人を、私の奏でる音で楽しませたい。


 絵の少女と目が合う。『あなたも素敵な演奏できるといいね』そんな風に言ってるような気がした。


 横を向くとさくら先生もちょうどこちらを向いた瞬間で、視線が交差する。


「あの女の子、きっと素晴らしい演奏をしているのね。聞いてみたい⋯⋯。どことなく月岡つきおかさんに似てるね」


 先生が囁く。


「⋯⋯そう、ですか? ありがとうございます。私もそんな風に思ってもらえるような演奏をしたいです」


「月岡さんならきっとできると思うよ」


「⋯⋯⋯! 頑張ります!」 


 さくら先生が応援してくれるなら、どんなに難しい曲だって演奏できる。


 なんだか不思議だな。大好きな人いるだけで、私を見ていてくれるだけで、何でもできるような、そんな気持ちがふつふつと湧いてくる。


 たとえ片想いでも、私の想いが実らなくても、こんな幸せな気持ちをくれるのは、さくら先生だけで。恋をするのは幸せなことなんだって、それを教えてくれたのは他の誰でもなく、目の前にいる先生で。


 だから私は先生の一番になれなくても、この想いが届くまで、走り続けようって思った。さくら先生を好きになったことを後悔したくないから。この桜色の想いが後で黒く塗りつぶされてしまうのは嫌だから。


「⋯⋯⋯⋯あの、さくら先生」


「なぁに、月岡さん?」


「例えば、あの女の子が私だったとしたら、隣りにいるのはさくら先生だったらいいなって思って」


「私?」


「はい! 私が今まで生きてきた中で、最高の演奏をするなら、その時隣りにいるのは、さくら先生だったら嬉しいです」


 言った後でとんでもないことを口走った気がして、頬が熱くなってくる。


「月岡さんの一番の演奏を隣りで聞けるなんて、贅沢ね。先生もその時に隣りにいられたらいいな」


 さくら先生がにこっと笑う。私には手が届かないくらい大人で、とっても素敵な先生の、くったくのない笑顔。


 もしかしたら、先生は私のことを気遣ってってそう言ってくれてるだけかもしれないけど、でもそれって私を大事だと思ってくれてるからじゃないかなって。


 だって、もし私が先生にとってただの子供でどうでもよかったら、そんなこと言わないんじゃないかって。


 私は自分に都合よく、考えすぎかな。


 でもいいよね。今だけは。今日だけは、先生を独り占めしても。私だけの先生だと思っても。


「さくら先生、次はあっちの絵も見てみませんか?」


「そうだね。どんな絵だろうね」


 私は自然と先生の手を取って次の展示スペースへ歩き出していた。


(なんかデートみたい。もし先生とデートしたらこんな感じなのかな)


 今までの私なら考えられないくらい、今日は大胆になってるかも。


 先生の柔らかな手の感触に今更心臓をばくばくさせながら、絵まで進んでゆく。


 なんだかすごくいい日になりそう。





 その後、私と先生はゆっくり絵を見て回った。お互い絵に詳しいわけじゃないから、出てくる感想も他愛もないものばかりだったけど、何気ない会話ができることだけで、私は胸がいっぱいだった。


 この間はろくに目にも入らなかった絵たちが、先生といるだけで、キラキラと眩しく感じた。きっとどの絵も忘れられない作品になる。


 展示室を出た後は、少しだけ寂しい気持ちになる。楽しい夢から醒めてしまったような。もっと夢を見ていたかったような、そんな気持ち。


 私たちは同時に出てきた場所を振り返る。


「終わっちゃいましたね⋯、先生」


「そうね。もう一回見て回りたいくらい。でも、楽しかったね」


「はい!」


 先生と一緒なら何度だって見て回れると思って勢いよく返事をしたところで、きゅるるると間抜けな音が静かな廊下に反響した。


「ふふっ、月岡さん、お腹空いた?」 


 その間抜けな音の主は私のお腹だった。


「すみませんっ!」


 私は恥ずかしくて消えてなくなりたい。こんな時にこんなかっこ悪いところを見せてしまうなんて!

 

 空気を読まない自分のお腹がうらめしい。


「いいのよ。気にしないで。それにもうお昼だし、お腹が空く頃よね。どこかでお昼でも食べましょうか?」


「はい⋯⋯」


 恥ずかしいところを見せてしまったけど、先生とご飯を食べられるなら、むしろラッキーだったのかな。


 私と先生は美術館のすぐ傍にはある喫茶店に向かうことにした。


 そこは昔ながらの落ち着いた雰囲気の喫茶店で、レトロな店内は映画にでも出てきそう。私たちは美術館が見える通りに面した窓側の席に座る。


「ここの喫茶店、たまに来るんだけど、ランチもすごく美味しいのよ」


 さくら先生お墨付きのお店なら間違いない。


 私も先生と同じサンドイッチ定食を頼む。飲み物は先生と同じホットココアにした。


「私、コーヒーよりココアの方が好きなのよね」って先生が言っていた。


 思わぬところで好きなものを知ることができ嬉しい。これは心のメモにしっかり書いておかなくちゃ。


 注文を待っている間、美術館でもらったパンフレットを開く。今日見た絵がいくつか載っている。入ってすぐの場所にあった、篠笛を吹く少女の絵も大きく掲載されていた。


 先生と見た絵について話していたら、どこからか軽快なメロディが鳴り出す。


「ごめんなさい、私のスマホ!」


 先生はカバンからスマホを取り出すと電源を切ってしまった。


「電話に出なくて大丈夫ですか?」


「今のはメールだから大丈夫よ。みずき⋯⋯、妹からのメールだから急ぎじゃないと思うし」


「み、み⋯」


 私は途端に忘れていた『みずき』さんの存在を思い出す。そして、先生が口にしたのは⋯。


「月岡さん?」


「いえ、あの、妹さんがいらっしゃるんですね」


「ええ、大学生の妹がいるの。ちょうど、あかりちゃんと同い年くらいかしら」


「年、離れているんですね」


「そうなの。だからなかなか妹離れができなくて。すぐかまいたくなっちゃって。まぁ、みずきの方はとっくに姉離れしてるんだけどね」


 さくら先生は少し寂しげに笑う。


(そっか、『みずき』さんは妹だったんだ。だから、あの時に電話でもすごく優しく話してたんだ)


 私は恐れていた箱を開けてみたら、何もなかったみたいに、ちょっと拍子抜けして、でもすごく安堵した。


 私の中にわだかまっていたモヤモヤは、あっという間に消え去った。


「先生、みずきさんってどんな方なんですか? 私もお姉ちゃんとは年が離れてるから、何かみずきさんは他人に思えなくて⋯」


「みずきはね⋯」


 先生は楽しそうに家族の話を聞かせてくれた。

 

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