第11話 ゴールデンウィーク

 今日は四月最後の金曜日。今日学校が終わったら、しばらくはゴールデンウィークで休みになる。今年は二十七日の土曜日から休みが始まり、五月の六日まで休み。十日も連休になるとあってか、クラス内もどこか浮かれたような、楽しそうな空気が漂っていた。


 私は大好きなさくら先生と会えない日が続くのかと思うと、なんだか寂しくて早く休みが過ぎればいいのにって、始まる前から考えてる。きっと去年までの私なら長い休みに、うきうきしてたはずなのに。


 先生から手紙をもらって以降、タイミングが合わなくて会えていない。休みさえなければ家庭科の授業で会えたのに。だんだんとゴールデンウィークが恨めしくなってきた。


 帰りのホームルームが終わり、私は沈んだ気分のまま教室を出た。次に先生に確実に会えるとしたら、連休が明けて最初の土曜日。お祭り当日になる。先生がお祭りに来てくれることを考えたら十日近く会えないだけで落ち込むなんて、贅沢かもしれない。そんなことを考えながら階段を降りて、昇降口まで向かう。せめて一目でいいから先生に会ってそれから帰りたいな、なんて思っているから足が外に進まない。


 私は昇降口の傍の職員室に自然と歩いていた。開いたままのドアをおずおずと覗く。さくら先生の席がある辺りを見て、でもそこには先生はいなくて⋯。


 あまりに最近先生についての運が巡っていた気がするから、何でも上手く行くと思い過ぎだったのかも。


 私は諦めてまた昇降口に戻ろうとして、体が止まる。だって⋯⋯。


月岡つきおかさん!」


 目の前にさくら先生がいたから⋯⋯!! 


「さっ、さくら先生っ」


 先生に会いたい、会ってから帰りたいと思っていたけど、あまりに急すぎてどきどきしてきた。


 今日のさくら先生は名前にぴったりな白に近い淡いピンク色のワンピース姿で、まるで桜の妖精みたいで、余計にどきどきが増えている気がする。


「月岡さん、職員室に何か用事があったのかな?」


「⋯⋯そういうわけじゃないんですけど⋯⋯。あっ、さくら先生に伝えたいことがあって!!」


「私に?」


「あの、あの、先生っ、えっと⋯⋯、その、お手紙ありがとうございました! 先生からお返事もらえて、すごく嬉しかったです!!」


「お手紙読んでくれたのね。そう言ってもらえると、先生もお手紙書いたかいがあったな。お祭りの日、今からすごく楽しみにしてる。月岡さんも練習大変だと思うけど、頑張ってね」


「はい! 先生に素敵な演奏を披露できるように頑張ります!」


 先生に応援されただけで、体中の血が沸き立つような熱さが心に灯る。来てくれた先生が後悔しないような、お祭りに来てよかったと思えるような演奏をしたい気持ちがより強くなる。


「気をつけて帰ってね」


「はい、ありがとうございます、先生。さようなら」


「さようなら」


 私は自分の中で燃え上がるやる気が覚めないうちに、急いで家に帰った。



 



 月岡家のゴールデンウィークはあってないようなものだった。子供の頃からずっとそうだったから慣れている。


 家は神社だから、世間は休みでも参拝する人たちをお迎えしなければならない。だから連休中に遠くに出かけたりする縁にはなかなか恵まれない。


 今年は何より、お祭りでの演奏会のために練習しなければいけないから、そんなことは関係ない。


 連休がスタートしたばかりの日曜日はみんな集まっての合同練習。参加者はほとんど大人だけど、若い人も少ないながらいる。とは言っても一番若くて大学生なので、同い年の人はいないけれど。


 多分今年は連休のほとんどは練習に明け暮れる。これもさくら先生にいい演奏を見せるためだと思えばなんでもない。むしろ楽しくて、何回だってできる。演奏は元々好きだし、それがさくら先生のためなら、よりもっと楽しくなる。


 練習中、私はただ昨日よりいい音を奏でられるように意識を集中して、しょうを吹いた。


 先生への『好き』の気持ちが音になって伝わったらいいのに。さすがにそこまでの表現力はまだないけれど。


 でも伝えられるくらいになりたい。


 今の私はどんな難曲でも自在に演奏できそうなくらいに、笙と一体になっている感じがした。


「ひなた、随分張り切っていたな」


 練習が終わり、お昼を食べるために家に戻ると、おじいちゃんがジュースをいれてくれた。私は半分ほど飲み干す。練習で疲れていた体が癒やされる。


「お祭りの演奏会に出るの久しぶりだから、下手な演奏はできないでしょ。それによく考えたら、私代打だから。余計に失敗できないよ」


「それだけか?」


「それだけって?」


 おじいちゃんの湖のように深い静かな瞳が私を見据えている。


「いや、何かひなたは上手く演奏したい以上の気持ちがあるんじゃないかってね。なんとなくそんな気がしたんだよ」


 たまに妙に鋭いことを言い出すおじいちゃんだから、私が本当はなんで張り切っているのか勘付かれているのかもしれない。


「実はお祭りに好⋯⋯、そ、尊敬してる人を招待してて、その人に聞いてもらいたくて⋯⋯」


 さすがに大好きなおじいちゃんにもさくら先生のことは打ち明けられないので、取り敢えず尊敬している人ということにしておく。


「なるほど。それならひなたがいつも以上に頑張っているのにも納得だなぁ」


 おじいちゃんは目を細めて頷いている。


「話は変わるが、お姉ちゃんが帰ってくるそうだよ」


「お姉ちゃんが!? 連休は東京むこうで過ごすって言ってたけど」


「何か気が変わったらしい。練習ばかりなのもあれだろう。お姉ちゃんとどこかに出かけるのもいいんじゃないか」


 もしかたら私がさくら先生をお祭りに誘ったから、それが気になって帰って来るのかもしれない。




 


 お姉ちゃんはその日の夜に帰って来た。


「やっぱりひなたの恋の行方が気になってね」


 帰省理由は私が想像した通りのものだった。


 私とお姉ちゃんは同じ人を好きになった同士で、でもお姉ちゃんはさくら先生との恋は実らなくて。だから私の恋は叶ってほしいと思ってくれている。


 お姉ちゃんが帰って来てからも私は日々笙の練習。せっかくの休みなのにお姉ちゃんは毎日、演奏会の練習をする私にも付き合ってくれた。


 その度にお姉ちゃんなりに、演奏のどこがよかったと褒めてくれたり、時にはダメ出しもあった。


 私も自分の演奏は客観的には聞けないから、アドバイスはとても役に立ったし、前より成長できてると感じている。


「ひなたの音は以前に比べるとなんだか柔らかくなったね」


 笙の師匠でもあるおじいちゃんも褒めてくれた。


 お祭りまでもうそんなに日はないけど、本番まで、自分の演奏を磨けるだけ磨くつもりだ。


 きっとさくら先生にとって私はたくさんいる生徒の一人で、お祭りに来てくれたからって特別になれるわけじゃないけど、一生忘れられないくらいの演奏をしたら、少しは、ほんの少しは特別になれないかなって夢を見ている。


 ごくごく普通のなんの取り柄もない生徒の私にできるのはそれくらい。だからできることは頑張る。全力で。


 そんな私を見ていたお姉ちゃんが

「アウトプットも大事だけど、たまにはインプットもしないとね。いい体験をしたら、それが演奏にも還元されると思うんだ」と言い出した。


 気づけばもう五月になっていた。


「いい体験って?」


「それはまだ秘密!」 


 私はみどりの日にお姉ちゃんと二人で出かけることになった。


 電車とバスを乗り継いでたどり着いたのは美術館だった。学校の社会見学で何回か来たことがあるけど、プライベートでは初めて。そんなに大きくはないけど、建物の洗練されたフォルムがかっこいい。


「でもお姉ちゃん、どうして美術館に?」


「この展示をひなたに見せたくてね」


 お姉ちゃんが美術館の入口に貼られたポスターを指した。そこにはカラフルなピアノの絵が描かれていて「音楽と美術」という文字が並んでいた。


「この展覧会のテーマが今のひなたに合ってるかもと思って。音楽を表現した絵や彫刻が展示されてるんだって。何か演奏のヒントになったらいいなって思ったんだけど、どう? ひなたにはまだ難しいかな?」


「分からないけど、お姉ちゃんが言うとおり何か演奏のヒントがあるかもしれない」


 正直、美術とかアートとか詳しくないから理解できないかもしれない。でもお姉ちゃんが私のために考えてくれたのが嬉しかった。


 私たちは受付でチケットを買って、展覧会場に入った。祝日ということもあってか、けっこう人も多い。美術館という場所のせいか人が多くても館内は静かだった。


 お姉ちゃんと二人で一枚一枚絵を見て歩く。最初は楽器を演奏する人たちの絵が飾られていた。それはピアノだったり、バイオリンだったり、琴を演奏する人もいる。さすがに笙を吹く人の絵はなかったけれど。


 次のゾーンは音楽を表した抽象画になった。明るくほがらかな絵もあれば、ホラーのようにおどろおどろしい絵もある。


 私は桜色の絵を見つけて、しばし見入っていた。この絵を描いた人はどんな音楽を聞いてこの色使いにしたのだろう。


 じっと見つめていると、肩を叩かれる。


 振り返ると驚いたような、困ったような顔をしたお姉ちゃんがいた。


「どうしたの?」


 小声で返すと黙って私の手を引いて歩いていく。さっきいたのとは別のゾーンに来た。そこは開けていて見上げるほどの大きな絵があったけど、お姉ちゃんは特にそれを気にするでもなくすたすた歩いていく。


「ひなた、あそこ見て」


 お姉ちゃんは大きな絵を見上げる観覧客の端を指す。人の群れ。その中に見覚えがある横顔があった。


「さくら先生⋯⋯?」


 確かにそこにいるのはさくら先生だった。一人で来ているのか連れらしき人はいない。先生の横顔はこちらに気づくことなく絵を見つめていた。


「ひなた、これはチャンスだね」


「チャンスって?」


「先生に近づくチャンスだよ」


 お姉ちゃんは意味ありげに微笑んだ。 

  

  


   


 

 

 

 

 

 

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