第10話 手紙



 家に着いた私は真っ先に洗面所に向かい手を洗った。いつもより入念だったと思う。


 それから部屋に行き、制服から着替える。普段なら着慣れた部屋着にするのだけど、今日はこれから大事な手紙を読む儀式があるから、お気に入りの取っておきの洋服に着替えた。


 私はベッドに座り、通学カバンから手紙を取り出す。大好きなさくら先生からの手紙。淡いクリーム色の封筒には可愛いひよこが並んでいる。大人の女性が使うには幼さも感じるデザイン。


 去年、私はひよこのキャラクターのペンケースを使っていたんだけど、もしかして先生がそれを覚えてくれていたのかも。単に中学生の女子が好きそうなデザインを選んでくれただけの可能性もあるけど。


 きっと私への返事のために色々悩んで選んでくれたのかもしれないって思っただけで、嬉しくなる。先生が私のためだけに書いて、選んでくれた手紙。もしかしたら特に何の意味もないかもしれないということは考えないでおく。


 私は封をするのに使われている赤いリボンのついたひよこのシールをそっと剥がす。二つに折りたたまれた手紙を取り出すと、柔らかな春の始まりを思わせる香りがふわりと漂う。


(これって『桜』?)


 お手紙に香りをつける文香ふみこうというのがある。確か私のおばあちゃんが愛用してた。


 私は優しい桜の香りに包まれながら、手紙を開く。それだけで手が震えて、どきどきする。もう自分の心臓の音しか聞こえない。





 月岡つきおかひなた様


 先日はお手紙ありがとうございました。 


 ひなたさんのお家のお祭りについてのお知らせを読んで、私はとても懐かしくなりました。


 以前もお話したことがあるけれど、あかりさんに招待してもらって、十六夜いざよい神社のお祭りに出かけたことを思い出しました。


 あの時は久しぶりのお祭りで、とてもうきうきしながら出かけたことを、昨日のことのように覚えています。


 お手紙を読んでひなたさんがとてもお祭りを大事に思っていること、そこで演奏するしょうの練習をがんばっていることが伝わってきました。


 せっかく招待いただいたので、是非ひなたさんが頑張っている姿を拝見したいです。


 当日会えることを楽しみにしていますね。



 菅原すがわらさくら


 



 手紙はそれだけの短いものだったけど、先生の綺麗でしなやかな文字が、ずっと目に焼きついている。


 私はすぐに読み終えてしまった手紙を何度も最初から読み直す。何だか気持ちがふわふわして、このお手紙が現実なのかもよく分からなくて。私はその度にまた手紙を読む。言葉一つ一つが先生の声で再生されて、身体の中に響いてゆく。


(さくら先生、お祭りに来てくれる)


 断られるかもしれない、来てくれないかもしれない不安が、ほろほろとほどけて消えた。


 私のために、先生が、大好きな先生が、お祭りに来てくれる。


「ど、どうしようっ」


 もしかしてこれってとんでもないことになってない!?


 だって、だって、先生が来てくれるんだよ? 


 さくら先生は担任でも何でもないのに。


 学校からも少し離れてるうちの神社にわざわざ来てくれるって。


 何だか居ても立っても居られなくて、私は思わずベッドから立ち上がった。


 嬉しいって感情が今にも身体中から噴水のように溢れ出てしまいそう。


「どうしよう、どうしよう」


 私は手紙を持ったまま動物園のライオンみたいに部屋をぐるぐる歩く。


「もしかして夢?」


 突然目覚まし時計の音が鳴って朝になったりしないよね?


 夢じゃないか確かめなきゃ。私は右手で頬を思いっきり強くつねってみた。 

 

「痛い⋯⋯。どうしようちゃんと現実だ!!」


 さくら先生と会える。学校以外で会える。うちに来てくれる。


「笙がんばらなきゃ、もっと」


 毎日練習はしているけど、先生に少しでもいいところを見せたいし。


「新しい服買った方がいいかな」


 私服姿なんて先生に見せたことがないし、おしゃれして、可愛いって思われたいな。 


「髪も整えた方がいいよね」


 ずっと伸ばしたままだったし。


 緊張とどきどきと楽しみと喜びと。


 色んな感情に囲まれて、私はしばらく興奮して気もそぞろだった。





 夜になってお風呂にも入ったので、お姉ちゃんに電話をしてみた。そろそろバイトも終わってるはず。


『ひなた〜、珍しいね〜、電話くれるなんて。なんかあった?』


 お姉ちゃんはすぐに出てくれた。相変わらずのほほんとした雰囲気で、こっちの気が抜けそうになる。


「あのね、お姉ちゃん、あのね、あのね、今日ね、すっごく嬉しいことがあってね、本当にすごくすごく嬉しいことがあって⋯⋯!!」


『ちょっと、ちょっと、落ち着いて。なんかめちゃくちゃ興奮してるけど、もしかしてその様子はさくら先生関係で何かあった?』


「鋭いね、お姉ちゃん。そう、そうなの! この間さくら先生に手紙を書いたの」


『手紙⋯? ラブレター?』


「違うよ、ラブレターじゃないよ。そこまで進んでないよ。ほら、そろそろうちのお祭りの季節でしょ。だからね、先生にうちのお祭りに来てくださいって、招待したというか⋯⋯」


『えー、ひなたやるじゃん。それで、さくら先生はなんて? もちろんいい返事なんでしょ?』


「うん。先生、来てくれるって!!」


『そうなんだ。やったね。雅楽器の演奏会、ひなたが代役だけど出るっておじいちゃんから聞いたけど、先生に演奏見てもらうチャンスだね』


「そう。だから練習もしてるよ。先生、楽しんでくれるかなぁ。雅楽器ってピアノとかバイオリンに比べたらマイナーだし」


『そこはひなたがいい演奏をして、先生に雅楽も素敵だなって思わせなきゃ』


「そっか、そうだよね。先生の心に残る演奏できるようにがんばる!」


『私も応援してるよ。きっとさくら先生に伝わるよ、ひなたが一生懸命頑張ってること』


 その後も私はお姉ちゃんと先生の話で盛り上がった。お姉ちゃんはどうやら先生と出店を回って一緒にクレープを食べたらしい。もうそれってデートみたいじゃないって思ったけど、そんなに仲良くなれてもお姉ちゃんは告白はできなかった。


 私も先生と楽しくお祭りを過ごせても特別になれるわけじゃないと思う。


 それでも私は先生と、他の子が過ごせないような時間を過ごしたい。この恋が上手くいかなくて、今が遠い過去になった時に後悔しないように。

  

 

  

 







 

 

 

 



 

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