第7話 桜の魔法



 眠い目をこすりながら私はまだ寝たい気持ちと格闘しつつ、ベッドから起き上がった。


 いつもより早い時間に起きたので、頭が眠気でぼーっとしている。


 それでも私は布団を跳ね除けて、ベッドから出ると洗面所へ向かった。途中でお母さんとすれ違う。


「ひなた、珍しく早起きね」


「うん、何かいつもより早く目が覚めて」


 私は適当な言い訳をする。


 本当は今日の朝、さくら先生に会うためとは言えないから。


 お祭りに先生を誘うための手紙。


 それを確実に渡すにはどうするのがいいのか考えて、私は朝渡すことに決めた。


 先生とはたまに一緒に登校しているし、ここがベストなんじゃないかと思ったからだ。


 いつもの時間に家を出て、確実に先生に会えるかは分からない。それなら早めに出て駅で待っていればいい。


 そのために私は早起きをした。


 洗面台で私は顔を洗う。


 鏡の向こうには少し眠そうな私の顔があった。


(たまには髪型を変えるのはどうだろう)


 私は習慣で伸ばしたままの長い髪をつまみ上げる。


 手でまとめてポニーテールにしてみた。


 先生は家庭科調理実習の時はこうやって同じようにポニーテールにしていたなと思い出す。


 次にツインテールにしてみたり、サイドアップにしてみたり、できそうな髪型を作ってみる。


(うーん、どれもしっくり来ない)

 

 色んな髪型が似合うような女の子だったら良かったのに。


 髪型は諦めて、私は部屋に戻ると制服に着替えて居間に向かった。


「ひなた、昨日渡すの忘れてたんだけど、お姉ちゃんから手紙来てるよ」


 お母さんがテレビの横にある棚を指す。そこには薄いピンクの封筒が置かれていた。


「お姉ちゃんから?」


 メールやチャットアプリで常日頃連絡し合っているので、わざわざ手紙を送って来るなんてどうしたのだろうか。


 私は手紙を手に取り、ハサミで端を切り落とす

 中には白い紙に包まれた何かと手紙が入っていた。


 手紙には一言だけ。


『ひなたへのプレゼント』

 と書かれていた。


 私は白い包みを開く。桜の形の飾りが付いたヘアピンが出てきた。真新しく、買ったばかりのものだと分かる。


「あら、可愛い髪飾りね」


 横で見ていたお母さんが私の手元を覗き込んだ。


「うん」


 桜のヘアピンは控えめな薄紅色で、けして目立つようなものではないけれど、おしとやかな可愛さがあった。どことなく先生宛の手紙に使われている桜模様と雰囲気も似ている。


 お姉ちゃんは私がさくら先生を好きなことを知っているから、これを選んでくれたに違いない。


 私はヘアピンを持って居間の隣りの部屋に入る。ちょうど姿見が置かれてあり、私は頭の左側にそれを付けてみた。


 私の黒い髪にひっそり小さな桜が一輪咲く。


月岡つきおかさん、そのヘアピン可愛いね。とてもよく似合ってる』


 脳裡に浮かんだ私の中のさくら先生が褒めてくれる。


 現実はそう上手くいくかは分からないけど、もしかしたら先生が気に留めてくれるかもしれない。


「ひなた、それ付けて学校行くの?」


 私を見ていたお母さんが言う。


「せっかくお姉ちゃんが送ってくれたから」


 桜柄のノートとペンケースを揃えたら、家庭科がさくら先生になったし、桜のアイテムはちょっとした魔法のようだ。


 私はかばんの中を確認する。


 そこにはやはり桜柄の封筒がある。


 手紙をきっと渡せる。そんな確信が私の中に芽生えた。

 

 



 家を出てバスに揺られ、駅に到着する。


 電車に乗り込んだ私は、もしかしたらさくら先生がいるかもしれないと、辺りを見回す。だが先生らしき人はいない。


 残念ながら同じ電車ではなかったみたい。姿が見つからないと、寂しい気持ちになってしまう。


 降車駅である学園駅前に到着し、同じ制服を着た一団と共にホームへと出た。


 そこでも自然と目は先生を探してしまう。


(私、一日中先生のこと考えてるかも)


 改めて実感すると、ちょっと恥ずかしい。


 今だって私の心には先生の笑顔が花開いているのだから。


 私は構内に貼られた例大祭のポスターの前で待つことにした。ここからは構内がよく見渡せるし、先生が通ったらすぐに分かるはずだ。


 私は見逃さないように行き交う人たちを目で追う。


 そこを星花の制服を着た二人組が通って行く。二人はとても仲がいいのか手を繋いでいた。


(付き合ってたりするのかな)


 あまりに仲睦まじい雰囲気にそんな考えがよぎる。


(私もいつか先生とあんな風になれたらいいな)


 先生は手の届く距離にいても、実際にはすごく遠いところにいる。


 ただ仲良くなるだけなら私にもできる。


 でも恋を叶えようと思ったらとても長くて簡単ではない道程だ。


(でも絶対、諦めない)


 百パーセント無理だと分かるまでは。


 決意を新たにしていたところで、ホームの方から淡いピンク色のカーディガンを羽織った女性が近づいて来るのが目に入った。


 そこにいると目印があるわけでもないのに、私の瞳は吸い寄せられるようにその人を見ていた。


(先生だ!)


 どうやって声をかけようか。途端に胸が騒がしくなる。


 こちらに近づく前に他の生徒たちが先生へ駆け寄る。


(どうしよう、今日は一緒に行けないかもしれない)


 焦りがじりじりと私の中に沸き立つ。


 足を踏み出せずにいたら、生徒たちは挨拶しただけのようで、すぐに先生から離れると私の前を横切って行った。


(今だ!)


 先生が一人になったのを見計らい、私は駆け出して行った。


「さくら先生、おはようございます!」


 私は周りの足音やざわめきにかき消されないよう、精一杯大きな声を出す。


「月岡さん、おはよう」


 気づいてくれた先生はこちらに笑顔を向ける。


(先生、今日もきれいだな)


 桜の女神様みたいな柔らかな笑顔に私は嬉しくなってしまう。


「さくら先生、あの⋯⋯、えっと、また一緒に学校に行ってもいいですか?」


 少し緊張しながら聞くと、先生はいつもと変わらずに優しく答えてくれる。


「ええ、もちろん。一緒に行きましょうか」


 私たちは並んで駅を出た。


 会話が途切れないように、私は当たり障りのない話をしていく。


 先生も気さくにそれに応じてくれた。


 でも私はいつ手紙を渡すか、それに気を取られてそわそわしている。


「ところで先生、先生はうちのお祭りに来たことがあるって前におっしゃってましたよね」


「そう、あかりちゃんに誘われて。もう何年も前だけど、楽しかったな」


「楽しかったですか?」 


「あかりちゃんが色々と案内してくれたの」

 

「お姉ちゃんが⋯⋯。先生はお祭り好きなんですね」


「うん。子供の頃から大好き。お祭りってなんだかわくわくするでしょう」


「はい。私も毎年お祭りは楽しみにしてるんです」


 会話をしながら、手紙を渡すチャンスを探る。


 気づけば私たちは学園の前まで来ていた。


 校門を通り抜ける。


「今年の例大祭に先生をお誘いしたいんですけど、だめでしょうか?」


「私を?」


 私は何度も頷く。そこで急いでかばんから手紙を取り出した。


「えっと、これに詳しくうちのお祭りについて書いたので読んでください!」


 私は手紙を差し出した。


 少し強引だったろうかと不安になる。


 私は先生がどんな反応するのだろうかと、どきどきしていた。


 先生は手紙を手に取った。


「お手紙?」


「はい。お祭りの詳しい日程とか、行事とか書いてきて⋯⋯」


 今になって急に、おかしなことをしているような気がしてきて、私の顔や耳が恥ずかしさで熱くなっていく。


(今すぐにでも逃げ出したい。先生に変な子って思われてるかもしれない)


 私は怖くて先生の顔をまともに見られなくなっていた。


「わざわざお手紙に書いてくれたのね。ありがとう、月岡さん。後で読ませてもらうね」


 先生は安堵させるような、優しい声音で私に返事をしてくれた。


(良かった! 受け取ってもらえた!)


「お手紙もらうのなんて、久しぶりだな。今はみんなメールだもの。何だか嬉しい」


 お世辞を言っているような感じもなく、先生は本当にそう思ってくれてるように微笑む。


 私に気を遣ってる可能性もなくはないけど、今はそのままの先生を信じてもいいような気がした。


「先生、ありがとうございます!」


「いいえ、どういたしまして」


「それでは失礼いたします」


 私は生徒用の昇降口へ向かう。


「月岡さん」


 先生に呼び止められて私は振り返った。


「今日の髪留め、可愛いね。お手紙とおそろいね」


 予想外の言葉に私は棒立ちになる。


(先生、気づいてくれたんだ)


 ヘアピンの桜に手紙の桜。


 体中に幸せな気持ちが満ちあふれてくる。


 去って行く先生の姿を見つめながら、私は今この世で一番幸福なのではないかと感じていた。        

                                   

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