第8話 どきどき、そわそわ、ふわふわ

 


 教室に着いてからも、何だか頭がぽわぽわして、頬が熱い。


 何度も脳内でさっきのさくら先生が再生されて、その度に私の顔は締まりがなくなりそうになる。


 お姉ちゃんが送ってくれた桜のヘアピンは効果抜群だった。あとでちゃんとメールで報告しておこう。きっとお姉ちゃんも喜んでくれるに違いない。


「ひなっち、さっきからぽーっとしてどうした?」


 私の前に座る紗幸さゆきちゃんが、ツインテールを揺らしながら振り返った。紗幸ちゃんは今年度から星花に転校してきたばかりの私のクラスメイト。


 ちまたでは「クイズ姫」と呼ばれて、テレビのクイズ番組で見かけない日はないという、人気タレント顔負けの活躍をしている。


「クイズ姫のお部屋」という動画番組も配信していて、校内でも話題になっている。


 平凡に生きてる私なんかは気後れしちゃうけど、紗幸ちゃんは気さくに接してくれている。


 席も前後だし、何となく話すうちに仲良くなった。


「な、何でもないよ! 春だし、暖かいからぼーっとしちゃうよね!」


「そうか? 何か怪しいなぁ。これは恋の悩み⋯⋯!?」


「ぜ、全然違うから! 違うよ!」


「必死に否定するところがますます怪しい」


 クイズ姫の紗幸ちゃんは妙に鋭いところがあって、前にさくら先生の話になった時に、私が好きなことを勘づかれていたような気もする。恥ずかしいから内緒にしておきたいのに。


「ちょっとね、いいことがあったというか⋯⋯」


「さくら先生に褒められでもしたのか。例えばその初めて見る髪飾りを褒められたとか!?」


「紗幸ちゃん、声が大きいよ。⋯⋯正解だから、もう少しこっそり喋って」


 私たちは顔を突き合わせて、ひそひそと声を落とす。


「好きな人に褒められたなら、いいじゃないか」


「うん」


 これで何か前より進展したってわけじゃないけど、後退もしてないし、何だか幸先さいさきがいい。


 あとはこれでさくら先生がお祭りに来てくれたら最高なのに。


 けど学校の先生は残業が多いとニュースで見たし、さくら先生も忙しいかもしれない。プライベートな時間はゆっくりしたいだろうし、お祭りに来てくれるだろうか。


 私の視線は自然と窓の向こうに咲く桜へと向かう。はらはらと淡い薄紅色の花びらが風でふわりと舞っていた。


「桜ってあんなに綺麗なのにすぐ散っちゃうよね」


「もったいないよねー。もっと長く咲いてたらいいのに」


「桜の季節、短すぎるよ」

 

 そんな何気ないクラスメイトの会話が聞こえて来る。


 桜の花はあんなにも毎年毎年人を魅力するのに、花の時期は短い。


 でも私のさくらの季節はすぐに終わらせたりなんて、したくない。


(弱気になったりしたらだめだ。やれることをやるって決めたんだから)


 私の決意を後押しするかのように予鈴が鳴り響いた。

 

 

 



 気づけば桜も散り、青葉が芽吹き始めた。そのうちあっという間に葉桜になるだろう。家の神社の桜も似たようなものだ。


 輝くように咲く桜の花がなくなってしまうと、目に寂しいものがあった。


 桜の季節は終わってしまったけれど、私の髪にはお姉ちゃんからもらった桜がまだ咲いている。


 桜が散ったのに変かな。


 でも桜が咲いているからとかじゃなくて、私が好きなのはさくら先生という意味が込められているから。せめて春が終わるまでは飾っておきたい。


 私はあれからずっとそわそわする日々を過ごしている。いつ先生からお返事がもらえるだろうかと。なるべく期待しすぎないようにしていても、期待せずにはいられない。


 だけどこんな時に限ってなかなかさくら先生に会うタイミングが授業以外ない。


 朝一緒に登校することもなくなってしまった。


(これって『縁』がないってことなのかな)


 私のお祖父ちゃんはよく言う。


『どんなものにも縁がある』と。


 最近先生とすれ違いばかりなのは、家のお祭りとは縁がないからなのかもしれない。


 校内でばったり先生に会ったりしないかと、私は休み時間に教室の外にいることが増えた。


 三階にある教室から一階にある職員室の前を、たまたまですよと言わんばかりに通ってみたり。さりげなく、開いたままのドアから中を伺ってみたり。


(あ、さくら先生!?) 


 私はちらっと視界の端に映った茶色の柔らかそうな髪に釘付けになる。けどよく見たらそれは、社会科担当の愛瀬まなせ先生の後ろ姿だった。


(そう言えばさくら先生と愛瀬先生って仲いいけど、今日は一緒じゃないみたい)


 目的の人がいなくて、気分がしょんぼりしてしまう。

 いつまでも職員室前をうろうろするわけにいかないので、私はおとなしく教室に戻ることにした。階段に向かいかけて、背後でドアの開く音がしたので、反射的に振り返る。そこには印刷室の扉があり、中から出てきたのはさくら先生だった。手にはおそらく印刷したのであろうプリントの束。目が合う。


「さくら先生、運ぶのお手伝いします」


 私の体は自然と先生の元へと駆け寄る。


月岡つきおかさん、ありがとう。大丈夫よ。職員室まで持って行くだけだから」


「⋯⋯すみません。差し出がましいことをしてしまって」


 悪いことをされたわけでもないのに、何だか少し凹んでいる。


「ううん、全然そんなことないよ。声をかけてくれて嬉しかった」


 先生は自分より低いところにある私の目に合わせて、顔を覗き込んで微笑む。


「⋯⋯本当、ですか?」


「もちろん。⋯⋯そうね、せっかくだからお言葉に甘えようかな。半分だけ持ってくれる?」


「⋯⋯はいっ!」


 私は先生の持っているプリントを半分手に持った。そのまま職員室へ向かう。


 プリントを見ると見やすくて綺麗な文字が並んでいる。所々に可愛いイラストも入っていた。


 さくら先生はテストや授業で使うプリントは手書きで作っている。パソコンで作る先生が多いから、その分とても印象に残った。


「これは次の授業で使うプリントですか? ⋯⋯難しそうですね」


 授業で習っていないことが書かれている気がする。


「そうなの。と言ってもそれは高等部の授業で使うやつなんだけどね」


「そうなんですね。どうりでいつもより難しそうだと思いました」  

 

 さくら先生は中等部だけじゃなく、高等部でも教えている。


(高等部に上がっても家庭科の授業はさくら先生のままだといいなぁ)


 私はそんなことを考えながら先生の後について職員室へ入る。さくら先生の机までプリントを運んだ。


「月岡さん、ありがとう。助かっちゃった」


「いえ。私も先生のお手伝いができて良かったです。それでは失礼します」


「待って、月岡さん」


 私は先生に手首を掴まれて、引き止められた。


 突然先生に触れられて、どきどきしてくる。


「せ、先生、何でしょうか」


 さくら先生は机の引き出しを開けると何かを取り出した。それは可愛いひよこの絵が描かれた封筒だった。


「これ、この間のお返事」


 先生は私を引き寄せ、周りに聞こえないように、私の耳元で囁いた。手紙が他の先生たちに見えないように隠すように私の手に渡される。


「遅くなってしまって、ごめんなさい。最近月岡さんとなかなか会えなかったでしょう。他の子の前で渡すわけにはいかなかったから、授業の後で渡すこともできなくて⋯⋯」


 すぐ間近でする先生の柔らかで優しい声が耳に当たって、更に心臓が速くる。


 こんなに近くに大好きな人がいる。


 あんまりに心臓がうるさくて周りの音も聞こえない。


「⋯⋯大丈夫です。ありがとうございます」


 予想外の展開にまだ現実を上手く認識できない。


(先生から手紙⋯⋯。私への手紙。わざわざ私のために書いてくれたってことだよね)


 さくら先生の方へ向くと、ちょっと照れくさそうな表情が目に入って。そんな先生もすごく綺麗で。先生も私みたいにどきどきしたりするのかな。なんて考えたら、嬉しくて飛び上がってしまいそう。


「⋯⋯あの、お家で大切に読みます」


 私も小さな声で、先生にだけ届くように囁いた。それを聞いて先生が頷く。


「月岡さん、プリント届けるの手伝ってくれて本当にありがとうね。そろそろ戻らないと次の授業に遅れちゃう」


「そうですね。それでは失礼いたします」


 私たちは手紙のことを他の先生たちに悟られまいと、今度はわざとらしく大きめの声で話す。


 私は先生からのお手紙を胸に抱えて教室へと急いで戻った。


 足が軽い。体が軽い。ふわふわ、ふわふわ。


(先生からのお手紙!!)


 私はすっかり舞い上がっていた。 




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ゲストキャラクター

百合宮 伯爵様

「先生。恋のQuizが解けません!」(カクヨム)から

多賀島紗幸さんと愛瀬めぐみさん。

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