第5話 近づきたい



 私は学校帰りに、駅の近くにある本屋さんへ寄った。いよいよ明日に迫る、家庭科の授業に使うノートを買うために。


 家にもまだ使っていないノートはあるけれど、どうせなら新調したい。家庭科は私にとって特別になるかもしれないのだから。


 本屋の右側は文具コーナーになっている。手前の陳列台にはたくさんのノートが並んでいた。ありふれた大学ノートに、ポップでカラフルなノート、可愛いキャラクターつきのノートなど様々だ。


 しかし私はそこではなく隣りの陳列台に目を引き寄せられる。

 全体的にピンクや白でまとめられていて、ノートだけでなく、様々な文具が並んでいた。どれも桜の柄が入ったものだった。


 私は白地に淡いピンク色の桜模様が入ったノートを手に取る。中は普通に罫線が並ぶだけで模様はない。


(これにしよう!!)


 このノートなら授業に使えるし、他のノートよりも特別感がある。そして何より、桜をあしらっているのが、私的にとてもポイントが高い。


 ついでにペンケースとシャーペンも手に取る。


(これでさくら先生の目に留まりやすくなったらいいな)


 淡い期待が膨らむ。


 先生と同じ名前の花がモチーフになっているし、他の子よりは印象に残ったらいいな。


 子供の私が先生に出来るアプローチなんてこれくらいしか思いつかないけれど、やれることはやっておこう。


 あとは家庭科でいい成績を取って、少しでも先生の心を引きたい。

 私は決意を込めて、レジへと向かった。

 家に着いた私はさっそく買って来た文具を机に並べる。ノートの表紙に「家庭科」と書き入れる。他の教科のノートは全部同じなのに、家庭科だけはちょっと特別。


 ペンケースの中身を新しい桜柄のペンケースに入れ替えた。


 たったこんな事でも新鮮な気持ちで楽しくなる。

 これで家庭科の担当がさくら先生じゃなかったら辛いけど、何故だが他の先生になる予感が全くしない。


 こういう時の私の変な勘は意外と当たったりする。


 その日の夜、私はなかなか寝付けず何度も寝返りを打ってしまった。

 

 



 翌朝。


 いつもより少し早く起きた私は、制服にアイロンをかける。普段はお母さんがやってくれているけど、今日は自分でやる。


 髪の毛も時間をかけて梳く。お姉ちゃんがサラサラになるからとくれたシャンプーを使っているせいか、以前より見栄えがよくなったような気がする。


 唇にはほんのり色づくリップを使う。


(ちょっとは良く見えるようになってるといいな)


 星花せいか女子学園はアイドルや女優に、YouTuberまで、可愛くて華やかな女の子たちがたくさんいる。一芸にも二芸にも秀でたようなすごい子もいる中で、私が特別印象に残るようにするにはこれだけではきっと足りない。


 だからと言ってそんな子たちに敵う何かはないけれど、できることはしないよりした方がいい。


(私にも何か特別なものがあったら良かったのに)


 ふと通学カバンの脇にある楽器ケースが目に入った。中には和楽器部で使っている笙がしまってある。


 和楽器部で唯一の笙担当だけど、これが特別かはよく分からない。そもそも先生の前で披露する機会なんて年に一度の星花祭くらいだ。


(あまり恋には役立たないかも)


 笙で何とかするのは諦めよう。


 私は朝食を食べるために、カバンと楽器ケースを持って居間に向かった。 


 居間に行くとちょうど朝の情報番組の占いコーナーが放送されていた。


『今日一番運勢がいいのは、魚座です!』


「魚座⋯⋯」


 私の星座だった。


『気になる人がいたら積極的に声をかけるといい事があるかも。ラッキーアイテムはノート!』


「⋯⋯⋯⋯⋯」


 私はまじまじとテレビに見入っていた。


 毎日の星座占いコーナーなんて、そんなに気にしたことなかったのに、今日は信じてみようかなと思える。


(先生に会えたらまた話しかけてみよう)


 朝食を済ませた私は玄関を出て、家の境内にある社務所に向う。


 社務所の前には何種類ものおみくじが置いてあり、お金を払えば誰でも引くことができた。


 私はスカートのポケットに入れてきた百円玉で、一番シンプルなおみくじを引く。


 ゆっくりと中身を開くと、中吉だった。


 大吉ではなかったけど、悪くない結果だ。


 すかさず恋愛運のところを確認する。


『焦らずとも待ち人と巡り合う』


 と書かれていた。


(先生のことだといいな)

 

 私はおみくじを生徒手帳の中に挟んで、参道に出る。


 拝殿を見上げると、両脇に聳える桜の花びらがはらはらと風に乗り流れていく。まるで応援してくれるかのように。


(神様、いってきます)


 家に祀られているのは縁結びの神様。


 帰って来た時に、先生のことを報告したい。


 私はバスに乗るために大通りへと足を向けた。

 

 

 駅のホームで電車を待つ列に並ぶ。


 間もなく電車が滑り込んで来た。


(今日も先生と会えたらいいな)


 なんて考えながら、満員の車両に乗り込む。後から乗ってきた人たちに押されるように、私は入口から奥の方に追いやられた。手前にいた大きな男の人が後退って来たため、さらに追いやられて背中が誰かにぶつかった。


 妙に柔らかな感触が背中越しに伝わる。


 私は慌てて謝ろうと、振り返った。


「すみません、ごめんなさい」 


月岡つきおかさん、大丈夫?」


「先生⋯⋯⋯」


 そこには私が会いたいと願ったその人、さくら先生が立っていた。


「お、おはようございます」


 条件反射で挨拶してしまう。


「おはよう」


 こんな状況でも、先生は花のように優しい笑顔で応えてくれる。


(今日はすごく運がいいのかも)


 星座占いもたまには当たる。


 うっかりにやけそうになったので、口を結ぶ。

 先生がすぐ側にいるせいか、どんどん脈拍が早くなる。シャンプーの香りなのか、先生から甘く爽やかな匂いがした。


(何か話さなくちゃ。でも何を話したらいいんだろ。この状態で話しかけても迷惑じゃないかな)


 取り敢えず私はカバンが先生に当たらないように、体の前に持って来る。


 電車は時折、大きく揺れる。 

        

 その度に先生の体とより密着状態になって、気が気ではない。


 先生の体にばかり意識が集中する。


(これじゃ何か変態みたいだよ)


 先生のことを考えたいけど、今は心を無にした方がいいかもしれない。


 私は心の中で先生に謝り倒しながら、学園前駅に到着した。


 ホームに出て、春の和やかな風に吹かれる。少し安堵したような、残念なような気持ちにかられる。

 一緒に降りた先生も、満員電車から解放されてほっとしたようだ。


 そんな穏やかな横顔を見せる先生に思いきって声をかける。


「あの、先生」


「なぁに、月岡さん」


「い、一緒に学校に行ってもいいですか?」


「ええ、もちろん」


 先生の笑顔が返って来て、私の気持ちは盛大に飛び跳ねた。


「そういえば最近、よく月岡さんと一緒に登校してるね」


 嬉しそうにも見えるその表情に、私の胸はどんどん高鳴る。


「は、はい」


(焦らずとも待ち人と巡り合うってこういうことなのかな)


 私は先生と並んで歩き出した。


 ホームを出て、駅の出口まで来たところで、私は構内の壁に貼られたポスターに引き寄せられる。


十六夜いざよい神社じんじゃ 例大祭』


 白い筆文字で流麗に書かれたそれは、夜のお祭り風景写真を背景にしている。


「月岡さん?」


 立ち止まった私を不審に思ったのか、先生に顔を覗き込まれる。


「ご、ごめんなさい。あの、これ家のお祭りで。ここの駅にもポスター出てたんだなぁって」 


「家のお祭り?」


「あ、はい。私の家がこの十六夜神社なんです」


「そうなんだ。私も十六夜神社のお祭りに行ったことあるよ。確かあかりちゃんに誘われて⋯⋯、月岡さんのお姉さんもしかしてあかりちゃん?」


「はい、そうです。月岡あかりは姉です」


 お姉ちゃんがもう卒業して何年か経つのに、先生は覚えていてくれたらしい。


(それにしても『あかりちゃん』なんて呼ばれてたなんて聞いてない。私は『月岡さん』なのに)


 お姉ちゃんに対して嫉妬心が沸き立つ。


「名字を見た時にあかりちゃんの妹さんかなって思ってはいたんだけどね」


 私とお姉ちゃんはあまり似てないから、すぐに姉妹だとは気づかなかったのはありそうだ。


「先生、家のお祭りに来たことがあるんですね」 


 しかもお姉ちゃんが誘っていたらしいとは聞き捨てならない。


「そう。あかりちゃんに遊びに来て欲しいって言われてね」


 先生は懐かしそうに目を細める。


(お姉ちゃんが誘って、それで来てくれたってことは、私が誘っても来てくれるのかな)


 今度はどうやって先生を誘うか、誘ってもいいのか。そんなことばかりが頭の中をぐるぐるし出す。


 お姉ちゃんは片想いで終わったって言っていたけれど、それなり頑張って先生にアピールしてたのかもしれない。


(私も頑張ろう!!)


 取り敢えず、お祭りより先に家庭科がさくら先生になるかだ。


 私は楽しそうに話す先生を見ながら、きっと授業でも会える確信を抱いて、先生と共に学園へ向けて歩き出した。 

  

          

      

    

        

 

     

 

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る