第135話

「そう。ここは、メアリーの心象世界なんですわね」

「ええ」


 しばらくリリルハさんに抱き締められて、お姉ちゃんは少しだけ落ち着けたみたい。見た目はさっきまでと同じ、私と同じくらいの姿だけど。でも、口調は元に戻ってるし、記憶も全部戻ったみたい。


 それから、私たちは、この世界のことをお姉ちゃんに教えてもらった。


 どうやらこの世界は、お姉ちゃんの心の中にあったいろんな思いを具現化した世界だったみたい。

 悲しい記憶や辛かった記憶。苦しかったことや嫌だったこと。その全てが、この世界に押し込められているのだとか。


「元々、私の心の中にあったものだけど、それが暴走してこんな世界を作ったのよ」

「暴走、ですの?」

「ええ、あの竜狩りの攻撃を受けた時、私が最初に受けた恐怖を思い出してしまった。怖かった。そしたら、訳がわからなくなって、いつの間にかこの世界にいたの」


 竜狩りさんの攻撃は、お姉ちゃんには届いていなかった。だけど、その刃は、リリルハさんの眼前に迫っていた。

 それが遥か昔に、お姉ちゃんがみんなから受けた迫害の記憶と重なったのかもしれない。


 今のお姉ちゃんなら、それも払い除けることができると思う。でも、お姉ちゃんが私と同じくらいの時は、何もできずに逃げるしかなかった。その時の記憶は、私ではわからないくらいの恐怖だったんだろう。


 お姉ちゃんは、震える自分の腕を抱き締めてうつ向いていた。


「最初は、よくわからなかった。意識もはっきりしないし、記憶もない。だけど、色んな記憶を見せられる度に、少しずつ思い出していって、あなたたちに会って、あの竜狩りに襲われた時、全てを思い出したのよ」

「あ、あの人、竜狩りさんだったんだ」


 お姉ちゃんの記憶にある竜狩りさんということは、もしかして初代の竜狩りさんなのかな。それにしては、今の竜狩りさんよりも弱かったような。

 だとしたら、今の竜狩りさん程、お姉ちゃんに関する知識もないし、あのくらいの実力なのかな。


「この世界の人間は、全員現実より弱いわ。この世界は私が作ったものだから、私の望み通りに作られているわ。だから、今の私の実力と比較した実力差が、そのままあなたたちとあいつらの実力差にもなってる」

「あ、そうなんだ」


 お姉ちゃんは、私の心を読むように説明してくれた。


 つまり言い換えると、この世界では、私たちはお姉ちゃんと同じ強さを持ってるってことなんだ。

 実際の感覚としては、私たちが強くなってるというより、相手が弱くなってる、ということらしいけど。


 だから、あの時、初代の竜狩りさんが、そんなに強く感じなかったんだ。今のお姉ちゃんなら、初代の竜狩りさんを遥かに越える強さを持ってるから。


「なるほど、そういう事情でしたのね」


 リリルハさんは話を聞き終えて、納得したという様子だった。



「それで、メアリー。あなたはこれからどうするんですの?」

「え?」


 リリルハさんの質問に、お姉ちゃんは顔を上げて固まった。そんなお姉ちゃんに、リリルハさんは真剣な顔でもう一度質問する。


「私たちは、あなたを止めに来ましたの。私たちは、あなたの野望を打ち破ろうとしてますわ。それを聞いて、あなたはどうするんですの?」


 リリルハさんの言葉には、何の遠慮もない。

 綺麗事なんてない、隠す気なんてない真実が告げられていた。

 私たちは、お姉ちゃんのやろうとしていることを止めに来た。それは、今でも私たちがお姉ちゃんからしたら、まだ敵であるという事実でもある。


 そんな私たちを、お姉ちゃんはどうするつもりなのか。


 お姉ちゃんはどうなのかわからないけど、この世界では魔法が使えない。今の私たちなら、お姉ちゃんは簡単に倒せてしまうだろう。それをしないにしても、逃げることはできる。


 そんな状況の中で、お姉ちゃんはどうするつもりなのか。

 リリルハさんは、そう問いかけたんだ。


 お姉ちゃんは、リリルハさんを見て、苦しそうに口をつぐむ。何も言えずにうつ向いて、体を震わせていた。


 リリルハさんは、そんなお姉ちゃんに近寄ってしゃがみ視線を合わせる。


「メアリー。あなたの正直な思いを話してくださいな。どんな答えでも、私はメアリーを嫌いになったりしませんから」

「……そよ」

「メアリー?」

「そんなの、嘘よっ!」


 お姉ちゃんは地面の砂を掴んで、リリルハさんに投げつけた。リリルハさんはそれを避けない。

 砂だらけになったリリルハさんに、お姉ちゃんは何度も砂を投げつける。


「嘘よ、そんな言葉、嘘に決まってるわ! 何度も、何度も、信じようとした。でも、結局、みんな私を騙していたわ。私を捕まえるための嘘の言葉だった! どうせあなたも同じよっ!」


 リリルハさんは何度も何度も砂を被せられる。それでも無抵抗に、リリルハさんはお姉ちゃんの話を聞き続ける。


「助けるって言われた。嘘だった。守ってあげるって言われた。嘘だった。もう大丈夫って言われた。嘘だった。辛かったねって言われた。嘘だった。信じてっ言われた。嘘だった。大好きって言われた。嘘だった。みんな、みんな、みんな、嘘だったっ!」


 お姉ちゃんを捕まえるために、お姉ちゃんを騙すために、今までたくさんの言葉があったんだろう。それこそ、数えられないくらいの言葉をかけられたんだと思う。

 その言葉の全てが嘘だった。

 そんなの、誰も信じられなくなる、よね。


「どうして、あなたが泣くのよ」


 気付いたら涙が出ていた。


「私を哀れんでいるの?」

「ち、がう、よ」


 どうして、涙が出たのか。よくわからなかった。でも、お姉ちゃんが可哀想だからという訳ではない。よく言えないけど、そんな言葉では言い表せなかった。


 ただ言えるのは。


「お姉ちゃんを、たすけてあげられなかったことが、くやしいの」


 その時、私は存在しなかった。だから、そんなのは無理だってことくらいわかる。

 だけど、そういう話じゃなくて、私は、お姉ちゃんがそんなに辛い思いをしているのなら、助けてあげたかった。守ってあげたかった。


 お姉ちゃんがいつも私を想ってくれていたように、私もお姉ちゃんを大切に想ってるんだから。


「私がもっとはやく、お姉ちゃんのところにきていたら、お姉ちゃんの味方になれたのに。私も一緒にいることができたのに」


 そう思うと涙が止まらなかった。

 無理なことを言ってるのはわかる。だけど、だとしても、お姉ちゃんを守ってあげられないことが悔しくてたまらなかった。


「何よ、それ。そんなの、無理に決まってるじゃない」


 お姉ちゃんは私を睨むように言う。だけど、その声は、少しだけ掠れていて、泣きそうになっているみたい。


 お姉ちゃんは、それ以上何も言わなかったけど、リリルハさんはそんなお姉ちゃんを慈しむように微笑んだ。


「メアリー。確かに、私のことなんて信じられないのかもしれませんわ。でも、アリスの言うことならば、信じられるのではありませんの? だって、アリスは、あなたの家族なんですから」

「あなたに、言われなくたって、わかってるわ」


 お姉ちゃんはリリルハさんをきつく睨む。

 だけど、お姉ちゃんはそのまま視線を下に落とし、弱々しく口を開いた。


「わかってるわよ。全部。アリスが言うことが正しいことも。私は、あなたたちよりも、遥かに永い時間を生きてるんだから」


 お姉ちゃんは力なく言う。


「この世界には、色んな人間がいて、悪い人間がいるように、優しい人間だっている。そんなこと、わかってるのよ。でも、それを認めたら、あの頃の私が、報われないじゃない。誰にも信じてもらえなかった、優しくしてもらえなかった、あの頃の私が」


 そっか。そういうことだったんだ。

 お姉ちゃんは、人を憎んでいた。

 それは、今まで受けてきた苦しみからだ。あの頃の辛かった気持ちを忘れることなんてできないし、思いが薄れることも嫌だったんだろう。

 だからこそ、あの頃の自分が感じていた思いを決して曲げることなく、ここまで来たんだ。


 人間は悪い人ばかり。だから、滅ぼすしかない。その思いを決して曲げる気はなかったんだ。それは、昔の自分を否定することになるから。


「お姉ちゃん」

「さっきの質問。そっくりそのまま返すわ」

「え?」

「あなたは、これからどうするの? 私は自分を曲げるつもりはないわ。何があっても、私の野望を達成してみせる。それを聞いて、あなたたちは、どうするの?」


 お姉ちゃんはリリルハさんを見る。その目は挑戦的なもので、リリルハさんのことを試しているようだった。


 だけど、リリルハさんは、お姉ちゃんの視線を受けて少しも怯むことなく、はっきりと答えた。


「なら、私はあなたを止めますわ」


 何の迷いもなく言うリリルハさんに、お姉ちゃんは馬鹿にしたように笑った。


「そう。所詮、そう言うわよね」

「ええ、当たり前ですわ。それで?」

「は?」


 リリルハさんに興味をなくしたように笑うお姉ちゃんは、リリルハさんの言葉に首をかしげる。


「それでって、あなた、何言ってるの?」

「あなたこそ、何言ってますの? その質問は、あなたが私を信じられないという話と繋がってるのでしょう? 私があなたを止めることと私があなたを嫌いになること、全く関係のない話ですわ」


 リリルハさんは自信満々に言う。


「言っておきますが、私はメアリーもアリスも大好きですわ。この気持ちが変わることはあり得ませんわ」

「そんなの嘘よ。だったら、私がやることも許せるはずでしょう」

「残念ながら、私は大好きだからって、えこひいきはしません。悪いと思ったら怒る。当たり前ですわ」

「うん、そうだね」


 リリルハさんはそういう人だ。

 私も何度も怒られた。でもそれはいつも、私のことを考えてくれているものだってわかるから、逆にそれが嬉しかったりする。


「だから、メアリー。私はあなたが大好きですが、あなたが悪いことをするのなら、私は全力であなたを止めますわ」

「何よ、それ」


 お姉ちゃんは信じられないという顔をしていた。

 そうだよね。お姉ちゃんが戸惑っている理由がわかったような気がした。リリルハさんみたいな人、出会ったことなんてなかっただろうから。優しさで怒ってくれる人なんて、誰もいなかっただろうから。


 戸惑っているお姉ちゃんを、リリルハさんがソッと抱き締める。


「メアリー。もうやめて。あなたがやろうとしていることは、何の解決にもなりませんの。あなたを苦しめていたものがなくなる訳ではありませんわ」

「でも、なら、どうすればいいって言うのよ」

「わかりません。でも、私が、アリスが、あなたと一緒に探してあげますわ。いつまでも、何があっても。誰が何と言おうとも、私たちは、あなたの味方なんですから」


 私たちは、お姉ちゃんを止めようとしていた。

 それはお姉ちゃんの敵だから。ううん、そうじゃない。お姉ちゃんが大切だから。


 お姉ちゃんがそれを信じてくれたのかはわからない。だけど、お姉ちゃんは、リリルハさんの胸に顔を埋めて、悔しそうに、でも少しだけ嬉しそうに笑っていた。


「その言葉、ずっと誰かに言ってほしかった」


 お姉ちゃんから漏れたその言葉は、本当にずっと、待ち望んでいた言葉なんだと思う。それくらい、お姉ちゃんの表情は柔らかかった。



「私は、この世界が嫌い。人間が嫌い。その気持ちが変わることはないわ」


 静かにお姉ちゃんが言う。


「だから、私はあなたたちに負けたくないし、私の今までの思いを否定したくない」

「ええ」

「でも、もうわかってるの。それが間違ってることなんて。だから……」


 お姉ちゃんは一度口を閉じて、それから少しだけ目をつむり、そして、意を決したように口を開いた。


「だから私は、あの世界には、戻らないわ」

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