第134話

 リリルハさんにあの人のことを任せて、私たちはひたすら走って逃げていた。

 リリルハさんが心配ではあったけど、あの人が狙っているのはメアリーちゃんだから、とにかく私たちは逃げないと。


 リリルハさんに護身術を教えたのは、レミィさんだって言ってたし、身を守る術は心得てるんだと思う。

 幸い、あの人の実力は、レミィさんや竜狩りさんと比べると天と地ほどの差があったし、普段のリリルハさんなら、てこずることすらないと思う。そのくらいの実力。


 だから、今は逃げつつ、なんとか魔法が使えない原因を解き明かして、リリルハさんを助けに行った方がいい。そう思った。


「メアリーちゃん、大丈夫?」


 メアリーちゃんの手を引いて走っているけど、メアリーちゃんは、何も言わずにただついてきていた。

 少し雰囲気が暗い気がしたから、私はメアリーちゃんに声をかける。


 さっきの人のことは、メアリーちゃんも知っているみたいだったから、怯えてるのかもしれない。それなら、少しでも気持ちを落ち着かせてあげないと。

 そう、思ったんだけど。


「うん」


 メアリーちゃんは少し下を向いたまま、小さな声でしか答えてくれなかった。


「メアリー、ちゃん?」


 流石に無視できなくて、私は走るのを止めて、メアリーちゃんの方を見る。


「どうかしたの?」


 明らかに様子がおかしい。

 怯えているようにも見えるけど、ただそれだけというようにも見えない。むしろ、それ以外の感情の方が強いように見える。


 もしかして、何か気になることでもあるのかな。もしくは、疲れてるのか、怪我でもしちゃったのか。


「ぐあい、わるいの?」


 聞いてみるけど、メアリーちゃんは何も言わない。ずっと下を向いたまま。


 本当に具合が悪いのかな。

 そう思った時、微かにメアリーちゃんの声が聞こえた。


「……して、わ……、……るの?」

「え?」


 よく聞き取れなかった。

 本当に小さな声で、走ってたら聞き逃しちゃうような声量だった。


「ごめんなさい。よくききとれなかったの」


 1歩近付いて、メアリーちゃんに顔を寄せる。

 私たちの身長は同じくらいだから、少しだけ屈めば、メアリーちゃんの顔を見ることができる。


 メアリーちゃんの顔を見ると、メアリーちゃんは、何かに怒っているみたいな顔をしていた。

 もしかして、私が聞き返しちゃったからかな。一瞬、そう思ったけど、そういう訳ではなかったみたい。


「どうして、私の話をしんじるの?」


 今度はちゃんと聞こえた。

 だけど、その質問の意味はよくわからなかった。


「どうしてって、どういうこと?」

「どういうことって……」


 私が聞き返すと、メアリーちゃんも困惑しているようだった。だけど、すぐに表情が戻って改めて、メアリーちゃんが質問をしてくる。


「あなたも見てたでしょ? 私がたくさんの人におわれてるのを。あれだけたくさんの人におわれてる私を、どうしてしんじるの?」

「え? うーん。だって、メアリーちゃんがうそをついているようには見えなかったから」


 あの時、メアリーちゃんは、私はなにもしてないよ、と言った。その言葉は、私には嘘だとは思えなかった。それは、リリルハさんだって同じ。

 あの人たちがどうしてメアリーちゃんを追いかけているのかはわからないけど、でも、それだけを理由に、メアリーちゃんを疑うことはできなかった。


「メアリーちゃんがなにをしたのかはしらないけど、でも、うそをつくような人じゃないと思ったの。だから、しんじたんだよ?」

「そんな、かんたんな理由で?」

「かんたんだけど、だいじなことだよ」


 みんなが追いかけているから危険な人だ。悪い人だ。そう感じちゃう人もいるかもしれない。


 だけど、何も事情を知らないで、その人のことを決めつけちゃうのは、すごく失礼なことだと思う。


 メアリーちゃんは嘘をついていない。もちろん、それを断言できるような根拠はない。

 もしかしたら、あの人たちの行動の方が正しいのかもしれない。


 でも、そうだとしても。


「メアリーちゃんが、必死に伝えようとしてくれたことは、むしできないよ」

「っ!」


 メアリーちゃんは真剣で、必死で、正直に話してくれた。少なくとも、私にはそう見えた。

 だから、私はメアリーちゃんなら信じられると思ったの。


「どうして、よ」


 メアリーちゃんは、肩を震わせて、拳を握って、絞り出すように言う。


「メアリー、ちゃん?」

「どうしてよっ!」


 叫ぶように声を出したメアリーちゃんの声は悲痛なものだった。泣き声のようにくぐもった声で、だけど、その声には激しい感情が込もっている。


 キッと私を睨む目は、さっきまでのメアリーちゃんの雰囲気とはかけ離れていて、少し怖いぐらいだった。


「どうしてあなたは、あなたたちは、あのゴミみたいな人間たちと違うのよっ!」


 あの人間たち、というのは、メアリーちゃんを追っていた兵士さんやあの男の人のことだと思う。

 確かに、あの人たちと私たちでは、メアリーちゃんに対する態度が全然違うだろう。


 だけど、それは、別に私たちだけの特有のことじゃない。たまたま、私たちはメアリーちゃんを信じただけで、人すべてが、私たちと違う訳じゃない。

 そう伝えようとしたけど、メアリーちゃんの勢いは止まらない。


「どうして、あの人は……、あんなに優しい顔を、私に見せてくれるのよ……」

「あの人? リリルハさんのこと?」


 ギュッと自分の腕を握るメアリーちゃんは、悔しそうに顔を歪めていた。


「人間なんて、みんなクズよ。自分の信じたものしか信じない。自分と違う存在は排除しなければ気が済まない。他人の言うことに聞く耳も持たない最低な生き物よっ! 生きている価値なんてない、そんなゴミみたいな存在よっ!」


 メアリーちゃんの叫びは、メアリーちゃんのこれまでが、どれだけ悲惨だったのかを物語っていた。


 裏切られ続けて、傷付けら続けて、誰も信じられなくなった。そんな所が、やっぱり、お姉ちゃんに似ているように感じた。


「そうよ、あの女だって、心の底では何を考えてるかわからないわ! 心の底では、私のことを蔑ずんでるのかもしれない。油断させて、私の命を狙ってるのかもしれない。いえ、そうよっ! そうに決まってるの!」


 メアリーちゃんは、初めて感じた感情に戸惑ってるんだ。今まで、誰も信じてくれなくて、話しすら聞いてくれなくて、そんな人しか見たことがなくて。


 なのに、初めて、リリルハさんみたいな人に出会った。それはメアリーちゃんにとって、今までの出来事が、人に対して持っていた感情が、揺らいでしまうような出来事なんだろう。


 だから、受け入れられない。

 受け入れたくないんだ。

 受け入れたら、今までの自分を否定してしまうような気がして。


 メアリーちゃんは、どうしていいのかわからないみたいで、心がうち震えている。不安定で、脆くなって、このままだと消えてしまうんじゃないかってくらい。


「メアリーちゃん!」


 本当に消えてしまうような気がして、私は考えるよりも先に、メアリーちゃんを抱き締めていた。


「メアリーちゃんは、なにもわるくないの。メアリーちゃんは、ずっとつらかったんだもん。人をしんじられないのは、メアリーちゃんのせいじゃないの」


 消えてほしくなくて。

 いなくなってほしくなくて。

 私は必死に抱き締めた。


 メアリーちゃんは、何も悪くない。

 ずっと、そう言った。


 言い続けた。


 私は、メアリーちゃんのことをよく知らない。

 ううん。ほとんど、何も知らない。


 だけど、何処かお姉ちゃんと重ねて。私と重ねて。他人のようには思えなかった。


「どうして? どうしてよ?」


 メアリーちゃんの悲痛な叫びは、止まらない。


「私は、ただ信じてほしかっただけなのに。話を聞いてほしかっただけなのに。一人は寂しかっただけなのに。誰も信じてくれなかった。話を聞いてくれなかった。みんなが私を責め立てた。何もしてないのに。悪いことなんてしてないのに。私のことなんて、何も知らないくせに。私は、ただ誰かと一緒にいたかっただけなのに」


 メアリーちゃんの体が、淡く光って、少しずつ見た目が変わっていく。


 わかっていた気がする。

 最初から、気付いていた気がする。


 メアリーちゃんは、少しずつ見た目を変えて、そして、その姿は私の知っているものになっていた。私が知っている姿よりは、遥かに幼いけど。


「お姉ちゃん」


 メアリーちゃんは、お姉ちゃんだった。

 この世界は、お姉ちゃんの記憶の世界。


 私が記憶の欠片で見てきたような、あの世界。

 だからあの人たちは、お姉ちゃんを実際に傷付けてきた人たちなんだろう。その記憶なんだろう。


「私は、人間を信じたかった。悪い人がいても、良い人だっている。いつか必ず、そんな人と出会えるんだって。なのに、私の目の前には、そんな人は現れてくれなかった。それどころか、人間は、私の大事なドラゴンさんにも手を出した! 私の大切な家族を傷付けた、奪ったのよ! 許せなかった。絶対に許せない。許しちゃいけないのよ!」


 初めてお姉ちゃんの本音が聞けた。

 本音を話してくれた。

 私はさらに強く抱き締める。


「お姉ちゃん。私は、ずっとお姉ちゃんの味方だよ」

「でも、あなたは、私の邪魔をするじゃない」

「それも大事だからなの。私は、お姉ちゃんにまちがったことをしてほしくないから。でも、絶対にお姉ちゃんのことをきらいになったりしないよ」


 間違ってると思うことは間違ってるって言うし、誰が言おうが、私以外のみんなが言おうが、お姉ちゃんが信じてというなら、私はお姉ちゃんを信じる。


 私にとって、お姉ちゃんはかけがえのない人だから。



「アリスー! メアリー!」


 そんな時、後ろの方からリリルハさんの声が聞こえてきた。


 その声が聞こえてきて、お姉ちゃんが身構えたのが雰囲気でわかった。見た目の通り、子供のように怯えているのがわかる。


「お姉ちゃん。大丈夫。リリルハさんは、やさしい人だから」

「でも……、怖い」

「私もいるから。絶対に、はなれないから」


 私は手を握ったまま、リリルハさんの声がした方を向いた。

 そのすぐ後に、リリルハさんがこちらに駆け寄ってくるのが見えた。


 そして、私たちのことが見えたのか、リリルハさんは安心したように笑う。


「アリス、無事でよかったですわ。あいつ、いきなり消えてしまって、逃げたようにも見えませんでしたし、何だったのかし……、え? 竜の、巫女? え? メアリー?」


 リリルハさんは、お姉ちゃんを見て驚いていた。そうだよね。メアリーちゃんがいなくなって、いきなりお姉ちゃんが現れたら、驚くのも無理はないよね。

 しかもお姉ちゃんは今、私と同じくらい幼い見た目だし。


 だけど、すぐに事情を察したようで、リリルハさんが真剣な表情に変わる。


「そう、メアリーは、竜の巫女でしたのね」

「うん、そうだよ」


 私が答える。

 お姉ちゃんは、怯えていて声が出せないみたいだったから。


 私の答えを聞いて、リリルハさんが静かに私たちに近付いてくる。その1歩1歩が、お姉ちゃんには長く感じているのかもしれない。

 私の手を握る力は少し強くなって、震えが大きくなっていく。


 そして、目の前に来ても、お姉ちゃんは顔を上げられない。だけど、リリルハさんは、それに何も言わず、ソッと私たち2人を抱き締めてくれた。


「え?」

「メアリー。無事でよかったですわ」


 そう言うリリルハさんに、お姉ちゃんは、泣くのを堪えているみたいだった。

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