第127話 その前に その四

 エリザベートの作戦は、竜の巫女がウィーンテット領国に攻め込んでからが肝となる。

 しかし、人間を滅ぼそうとしている竜の巫女が

、そうのんびりと動くとは思えない。


 そのため、作戦の準備は速やかに行う必要があった。そのため。レミィはすでに単独でヤマトミヤコ共和国に向かっている。

 まだ怪我をして半日しか経っていなかったが、動ける程度には回復しており、なんと切り捨てられた腕までも回復していた。

 それもこれも、魔人の回復力ゆえだろう。


 エリザベートの調べでは、竜の巫女は、すでにヤマトミヤコ共和国から離れていた。


 まずレミィに向かわせたのは、竜の巫女の側近にして最大の重要人物、姫ヒミコが住まうヤマトという都市だった。


 ヤマトは、ヤマトミヤコ共和国でも、特に重要な場所であり、ヤマトミヤコ共和国全体に影響をもたらすような重鎮が数多くいた。


 それらの人物を洗脳し操ることができれば、国を滅ぼすのも容易いだろう。もちろん、今のように軍がすべて出払っているのが前提ではあるが。


 レミィは、ヤマトにあるヒミコがいた城を目指していた。

 そこであれば、ヒミコ以外の重要人物がいるとわかっていたからだ。


 流石に軍が全くいないだけあって、潜入はこれ以上ない程に簡単だった。罠なのではないかと思う程に。しかし、その気配は全くない。


 それだけで、この都市が、いや、この国が、竜の巫女にとって、どうでもいいものなのだということがわかる。


 大した警備もなく、城の最奥まで侵入したレミィは、大広間が明るくなっていることに気付き、ソッと中の様子を窺う。


「おい。本当に大丈夫なんだろうな?」

「落ち着け。慌てるようなことじゃない」

「しかし、今、この国には我らを守るべき兵士がいない。こんな状況で、何処かから攻められたら」


 そこから聞こえてきたのは、紛糾する会議の声だった。しかも、その声はどうやら、竜の巫女の行動について、疑問を述べるものであるようだ。


 ヤマトミヤコ共和国の民は、盲目的に竜の巫女は信じられているとレミィは思っていたのだが、どうやらそうでもなさそうだった。


「竜の巫女様ならば、かの国など容易く攻め落とすだろう。そうなれば、かの国の富はすべて我らのものだ。竜の巫女様は、そういったものには興味がないと聞く。そうなれば、後は、我らの天下よ」

「であるな。従ってさえいれば、滅多なこともされまい。それはこれまでで証明されたはず。伝承にある竜の巫女に比べれば、大して苛烈な性格でもなさそうだ。ならば、利用もできようというもの」


 聞こえてくる声は2種類だ。

 竜の巫女が、全軍を連れて行ってしまったことに対する不満から、焦ったような怒号をあげる者。

 もしくは、竜の巫女は利用できる存在だと信じ、自らの私利私欲にしか目が行かない様子の落ち着き払った者。


 どちらも、竜の巫女に対する信仰などというものは皆無に等しいだろう。


 レミィは、思わぬ事実に驚いていた。


 曲がりなりにも、竜の巫女は、ヤマトミヤコ共和国では神のような存在だ。実際、ヤマトミヤコ共和国の民たちのほとんどは、竜の巫女を敬っていた。


 しかし、すべての人間がそうだという訳ではない。それは何処でも同じことなのだろう。

 遥か昔から言い伝えられてきた竜の巫女という存在に対する畏怖と尊敬は、その永い時間で風化してしまっている。


 今や、神と同様の存在を、自らの欲を満たすために利用しようとすらしていた。


 竜の巫女が人間を信じないのはこういう所もあるのかもしれない。と、レミィは、少しだけ竜の巫女の言い分を理解してしまった。


 本当の意味で、竜の巫女の力、恐ろしさ、性格、それらを知らない彼らは、もし未来があっても必ず失敗をするだろう。

 自らの利益とならないと判断すれば、簡単に竜の巫女を切り捨てる。もちろん、その時の制裁は苛烈を極めるだろうが、彼らには想像もできないだろう。


 人間を洗脳するというのは、魔人であるレミィにも多少なりとも抵抗がある。自由意思を否定して、人間としての尊厳を無視するからだ。

 そんな行為を、何の躊躇もなくできる程、レミィの心は魔族に染まってはいなかった。


 だからこそ、エリザベートは、レミィにその権限を与えなかった。その権限を自分の物として、少しでも、レミィの心の罪悪感を無くそうとしていたのだ。そんなこと、口が裂けても言わないだろうが。


 しかし今回は、エリザベートの許可が下りている。しかも、聞こえてくる話は、竜の巫女を、単なる道具にしか見ていない言葉ばかり。


 竜の巫女は敵である。

 が、竜の巫女の経験してきた過去は、同情の余地があると、レミィは思っていた。


 魔人として、人間と相容れなかったレミィも、1つ間違えれば、同じような道を辿っていたかもしれない、と。


 だから、レミィは、目の前にいる人間の会話に虫酸が走っていた。


 洗脳をするという行為に、罪悪感が感じない程度には。


 そして、レミィは、勢いよく襖を開け、自分の姿を晒した。


「な、何者だ!」

「くっ。まさか、敵襲か? こ、こんな時に!」


 自分たちを守る兵はいない。

 そんな状況で敵が現れれば、慌てふためくのは当然。


 しかし、現れたレミィの姿を見て、何人かの男が、安堵したように肩を竦めた。


「なんだ、女か。何をしに来たのかは知らんが、1人で来るとは、馬鹿なやつだ」


 少しは自分の腕に自信があるのだろう。

 見た目は可憐な女性であるレミィを見て、その男は無謀にも勝てると思い込んだようだった。


 それに苛立つレミィだったが、ここで時間をかけている場合でもない、と、速攻で方をつけることにした。


「ん? ぐはっ!」


 刀を手に取り構えようとした男を、レミィは一瞬で蹴り飛ばした。


「は? な、何が起きた?」


 突然の光景に、何が起きたのかを理解できた者はいなかった。


 そんな中、レミィだけは、冷静に状況を分析に、自分のすべきことを遂行する。


「時間もありませんので、勝手にさせていただきますね」


 レミィは、魔方陣を展開し、この部屋全体を覆った。大規模な魔方陣は、レミィの魔力を受けて、ゆっくりと描かれていく。


「ひ、ひぃ。に、逃げろぉ!」


 そこまで見せられて、初めてその場にいる人間たちは、自分の危機的状況を理解することができた。


 しかし、逃げるにはあまりにも遅すぎた。


 洗脳の魔方陣は、レミィの持つ魔法の中でも特別、発動が遅い魔法だった。しかし、それはあくまで相対的な話であって、実際にそこまで遅い発動ではない。


 つまり、レミィを見てすぐに逃げたのならまだしも、魔方陣を見てから逃げたのでは、普通の人間が逃げられる訳がなかった。


「もう遅いですよ。さあ、私に従いなさい」


 その言葉を聞くことができた者は、誰1人としていなかった。


 ◇◇◇◇◇◇


「本当に恐ろしい力じゃねぇか」


 ライコウがそう漏らすのも仕方がなかった。


 レミィの合図を受けて、エリザベートたちは、ヤマトへ侵攻した。

 しかし、結果は降伏。


 確かに、ヤマトミヤコ共和国には軍がいない。

 戦う戦力はないのだから、降伏するのも仕方がない。


 しかし、その行動は見事なものだった。


 エリザベートが自分で動かせる部隊というのは、100人にも満たない小規模なものだった。


 ちなみにこの部隊。父親であるアドルフですら認知していない完全なる私物部隊だが、その問題は置いておこう。


 確かに軍はいない。

 しかしそれでも、この程度の人数であれば、そう易々と降伏をせずとも、レミィに歯向かった男のような少しでも戦える者がいれば、数で押し返すこともできただろう。

 もしくは、何か事情により軍には入らずとも、実力のある者はいたかもしれない。


 にも関わらず、エリザベートがヤマトに対して宣戦を布告しただけで、現在、ヤマトにいる最高権力を持つ男、アズマという男は、降伏を宣言したのだ。


 ヤマトの民も、唖然としたのは間違いない。


 まさか戦わずして敗けを認めるなど、流石に考えてすらいなかったのだ。


 しかし、この国における権力者とは、つまりは竜の巫女の加護を受けし者たち。その考えに逆らうというのは、竜の巫女に逆らうのと同義だった。


 そういう事情もあって、ヤマトの民も、納得はできずとも従う他なかった。


 そして、アズマはさらにヤマトの民に宣言する。


「我々は竜の巫女の逆鱗に触れてしまった。贖罪の機会はない。それを、ウィーンテット領国の者が教えてくれた。故に我らは、その言を信じ、一度、この地を離れることとした」


 その発言は、ヤマトの民を混乱に陥れた。


 竜の巫女の逆鱗に触れた。

 それは、竜の巫女を信奉する者にとって、何よりも恐ろしいことだ。

 それを他国の者に告げられたというのも信じがたいが、その贖罪もできずに逃げるというのは、それ以上に恐ろしいことだった。


 この発言には、流石に黙っていられなかったようで、民たちは口々に不満を漏らす。


「どういうことだ! 竜の巫女様は、我らをお救いくださる存在ではないのか!」

「恐ろしや。竜の巫女様に歯向かうなど、神を愚弄するつもりか」

「ふざけるな! 私たちは、竜の巫女様の忠実なる僕だ! この地を離れるなど、考えられない!」


 アズマは紛れもなくこの地で最も権力を持っている。しかし、それでも、竜の巫女と比べれば、些末な違いしかない。

 結局、どれだけ権力を持っていようと、竜の巫女を信じる心には勝てないのだ。


 そこに。


「静かにしなさぁい」


 そこまで大きな声ではないのに、凛と響く綺麗な声が、空間を支配した。

 それは、レミィの魔法により、遠くまで声を届かせているエリザベートだった。


「な! だ、誰だ、お前は!」


 多くの疑問の内から、1人の男が口にした。


「ふふ。私は、エリザベート・デ・ヴィンバッハ。ウィーンテット領国の大領主、アドルフの娘よぉ」

「ウィーンテット領国だと?」


 今まさに、国を攻めてきた国の名に、一気に場が殺気立った。


 そんな殺気を受けても、エリザベートは平然として、自分が言いたいことだけを言う。


「私たちはぁ、竜の巫女様についてぇ、あなたたちよりも詳しいわぁ」


 ザワザワと騒がしくなる。

 そんな中で、レミィがパチンと指を鳴らした。

 すると、キィンという耳をつんざくような音が響き渡り、民たちは静かになった。


 それに満足そうに笑い、エリザベートが続ける。


「あなたたちの罪はぁ、まぁ、私たちの罪でもあるんだけどぉ。つまりはぁ、私たち、人類の罪なのよねぇ」


 そうして、エリザベートは、竜の巫女に起きたことについて、すべてを語った。


 レミィから聞いていた話と、エリザベート自身が調べた話は、ヤマトミヤコ共和国の民ですら知らない話だった。


 そんな話を信じさせるのは、エリザベートの巧みな言葉のせいだろう。


 魔法など使っていない。

 しかし、魔法のように、民たちは、敵であったはずのエリザベートの言葉を、すんなりと信じてしまったのだ。


「私たちの罪はぁ、抗えないわぁ。でもぉ、1つだけ、助かる道はあるわぁ。そのためにはぁ、私たちの言うことに従ってほしいのよぉ」


 エリザベートは、竜の巫女に歯向かうという言葉を使わない。あくまで竜の巫女から逃げるのだということを強調した。


 何故なら、人間は神に歯向かうことには抵抗がある。しかし、神の怒りから身を守ることにはあまり対抗がないからだ。


 もちろん、それ以外にも信じる理由はあるのだが、それらすべてを計算して、エリザベートの演説は締め括られる。


「さぁ、私たちに従いなさぁい。贖罪の機会はないと言ったけどぉ、生きていれば、いつかはあるかもしれないわぁ。もし本当に、竜の巫女様に、報いたいのならぁ、ここでただ死を待つのはぁ、むしろ愚かだと思うわぁ」


 そう締め括られた演説で、ヤマトの民のほとんどは、エリザベートに従うことにした。



 ライコウの発言は、レミィに対する言葉でもあったが、同時にエリザベートに向けたものでもあった。


「洗脳は数人で良いって言ってたよなぁ? それは残りの人間は自分がやるからってことかよ」

「ふふ、何のことかしらぁ。私には洗脳の魔法なんて使えないわよぉ」


 確かに、エリザベートは魔法を使えない。

 しかし、それと同等の力をエリザベートは見せつけた。


 エリザベートは、人を従える力がある。

 それは、言葉、容姿、状況、感情、それ以外も使えるものすべてを利用する。

 エリザベート自身に戦う力はない。


 だが、それ以上に恐るべき力を持っていた。

 それがエリザベートだった。


「さあ、他の場所も行くわよぉ。ここさえ押さえればぁ、後は簡単だからねぇ」


 こうして、エリザベートの快進撃は続くのだった。

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