第127話 その前に その五

 次々と町や村を制圧していくエリザベートは、まさに怪物だった。

 民衆の心を巧みに操るエリザベートは、力ではなく、その言葉のみで人を支配していく。


 それは魔人であるレミィよりも、さらに強力な力であった。しかし、あくまで、エリザベートには特殊な力などない。


 子供の頃からそうであったのだ。


 エリザベートは、幼い頃から、自分に戦う力がないことを理解していた。筋力がなければ、魔力もない。

 自分よりも年下であるリリルハは、魔法の才能に秀でていた。


 エリザベートは、その事に心を痛めていた。


 そして、自分には才能がないということを、幼い頃から悟っていた。


 しかし、だからと言って、エリザベートは、自らが他者よりも劣っている人間だとは思いたくなかったのだ。

 それは、妹であるリリルハの存在のせいだ。


「お姉さま! 今日はなにをおべんきょうしてるの? あ、してるざますの?」


 まだ幼いリリルハは、姉であるエリザベートを心の底から慕っていた。


 そんな姉に近付くために、リリルハは言葉遣いから変わっていった。


「どうやったら、お姉ちゃんみたいになれるの?」


 エリザベートに近付くために、リリルハがそう尋ねたのだが。


「少しはぁ、おしとやかでぇ、お嬢様らしくなればいいんじゃなぁい?」


 適当に言ったエリザベートの言葉を、リリルハが鵜呑みにしたのが始まりだ。

 お嬢様らしい言葉使いを目指していたようだが、最初の頃は、どこかズレていて、今のリリルハが思い出しても、恥ずかしい過去の話だ。


 しかし、それでも、リリルハがエリザベートを慕っているという事実に変わりはなかった。


 そんなリリルハに、エリザベートは実は劣っている人間なのだ、と思われたくない。

 幼いエリザベートの心の中にあるのは、そんな気持ちだった。


 だからエリザベートは、誰よりも賢くなろうと努力した。


 そして、その努力は早くから実を結ぶ。


 戦う才能のないエリザベートではあったが、人を操る才能、人を導く才能、そして、先を見据える才能は、誰よりも卓越していたのだ。


 大領主の娘として、武力によって領民を守ることができないエリザベートであったが、そんなことを感じさせない程に、エリザベートは怪物へと成長していく。


 未来予知のように先を読み、人の心を読み操り、そして、誰もがエリザベートという存在に畏怖を感じるようになっていった。


 年を重ね、リリルハを可愛がるあまり、色々と余計なちょっかいをかけてしまい、リリルハからは敬遠されたりもしていたが、エリザベートとしては、あまり気にしていなかった。


 そして、その才能はいつしか、魔人すらも凌駕する。


 レミィを見つけたのは気まぐれだった。


 魔人が近くにいる。という噂はエリザベートも聞き及んでいた。

 そして、その話を聞く限り、エリザベートは、レミィが悪人だとは思えなかった。だから、エリザベートは、レミィを救出する。


 しかし、エリザベートは素直な性格ではない。

 レミィの身の安全を保証しても、長い間傷付けられてきた心を癒すことはできない。


 そこで、エリザベートは、あえて自分からレミィを遠ざけ、リリルハの元に行かせたのだ。

 リリルハならば、必ずレミィの心の闇を払ってくれるだろうと確信して。


 それから、エリザベートはレミィに命じて、裏から、ウィーンテット領国を管理していった。


 もちろん、エリザベートの手駒はレミィだけではない。エリザベートの私物部隊がいることからもわかるように、ウィーンテット領国内におけるエリザベートの支配はかなり進んでいた。


 怪しげな研究を続ける研究者の排除も。

 領主としての責任を果たさない汚れた領主の排除も。

 そして、長らく警戒関係にあった大国の支配も。


 すべて、エリザベートの想定通りに事は運んでいた。


 それが狂い始めたのは、ドラゴンを連れた少女が現れてからだ。


 その存在について、レミィから報告を受けたエリザベートは、すぐにその少女のことを調べた。

 しかし、エリザベートをもってしても、エリザベートの全情報網を駆使しても、その少女、アリスのことはわからなかった。


 最初、エリザベートはアリスを警戒していた。もしかしたら、自分たちの敵なのではないかと疑っていた。信用なんてしていなかった。


 それが変わったのは、やはりリリルハのせい。


 リリルハがアリスを溺愛していたから。

 馬鹿げた理由ではあったが、エリザベートは、リリルハの人を見る目を何よりも信用していた。


 だから、エリザベートは、アリスが敵ではなく、味方だと想定して、すべての想定を組み直していった。


 アリスの正体がわかるに連れて導き出される想定に、エリザベートは対策をしていく。


 自分の国も、妹であるリリルハの命も、自分の命すらも賭けてしまうのは、エリザベートの怪物足る所以だろう。


 しかし、エリザベートは知っていた。

 そうまでしなければ、この世界は破壊されてしまうのだろう、と。

 エリザベートは、その頭脳をもって、竜の巫女すらも治めようとしていたのだ。


 ◇◇◇◇◇◇


「これは、信じられん」


 そう呟いたのは、ウンジンだった。

 目の前に広がるのは、ヤマトミヤコ共和国の民たち。


 制圧してきた民たちは、そのほとんどがエリザベートに従い、従順になっていた。流石にすべての人に言うことを聞かせることはできていないが、それでも常識的に考えて、これだけの人間を従えるのは、あり得ないことだろう。


 エリザベートのことを快く思っていなかったウンジンも、素直に感心するしかなかった。


「確かに、これは、恐ろしい力ですね」


 エリザベートのことを間近で見てきたレミィですらも、本気を出したエリザベートの才能には驚かされるばかりだった。


 作戦はほとんどが予定どおり進んでいて、後は、竜の巫女を待つだけとなっていた。


 そして、別動隊として、竜狩りは、リリルハの元へと向かっていた。

 竜狩りには、そこで竜の巫女を仕留めるように伝えている。


 しかし実のところ、エリザベートの予想では、竜狩りは、竜の巫女を仕留められずに逃げられると思っていた。

 実際、エリザベートの作戦はそれを前提とした作戦になっている。



「ふふ。呆けてる場合じゃないわよぉ。そろそろぉ、準備をしなくちゃねぇ」


 エリザベートは、これまで順調に避難を進めてきたというのに、ある地点で足を止めた。


 そして、そこでレミィや私物部隊に指示したのは、大規模な魔法の発動だった。


 ありったけの魔力を込めて展開する魔法は、かなり精密な調整が必要になるものだ。僅かなズレすらも許さない魔法の発動を、エリザベートが完璧に計算し、指示を出す。



 そうして、竜の巫女に見つかり、攻撃を受けたエリザベートたちだったが、展開された魔法はまさしく完璧で、ドラゴンたちの攻撃を完璧に防いでみせた。


 そして、エリザベートは、次の策を仕掛ける。


 それは、竜狩りの召喚ではない。


 肝となるのは、リリルハの召喚だった。

 竜の巫女を止めるためには、必ずどこかでリリルハが必要になる。エリザベートはそう確信していた。


 そして、エリザベートは、リリルハを召喚するための準備を整えていた。準備とは、リリルハを呼び出すことができる魔法具の準備のこと。


 それは、以前にアジムがアリスに渡していたもので、実際にそれの効果を目の当たりにしてから、エリザベートはすぐにレミィに指示を出して、リリルハをその魔法具に登録させた。シュフルも含めて。


 問題だったのは、この魔法具には、ドラゴンを登録することができないことだった。


 エリザベートとしては、アリスと常に一緒にいたドラゴンも、いつでも呼べるようにしておきたかったのだが、そう都合よくはいかなかった。


 仕方なく、エリザベートは、リリルハたちだけを召喚することにしたのだ。

 ちなみに、竜狩りは、手を組んだ際に、密かに登録していたのだった。


 そして、竜の巫女との戦いは、おおむねエリザベートの予想していた通りになった。


 しかし、やはり多少、計算がズレてしまう。それ程に、竜の巫女という存在は規格外過ぎた。


 あらゆる策を労しても、結局最後には、竜の巫女の力を抑え込まないといけない。

 どうしてもそれだけができなかった。


「あぁ、流石にぃ、このままじゃ、まずいわねぇ」

「ちょっ、え? お姉さま。大丈夫なんですの? 他に策はありませんの?」


 産まれて初めて聞いた姉の弱気に、リリルハが驚きの声を上げる。


 敬遠していたといっても、リリルハは心ではずっと、エリザベートを尊敬していた。

 エリザベートなら、例え竜の巫女が相手でも何とかなると信じていたのだ。


 そんなエリザベートから漏れた弱音。

 それも本心から言っているような声音に、リリルハは思わず振り向いたのだ。


 その直後。


「くっ。きゃあぁ!」


 レミィの悲鳴が聞こえてくる。


「レミィ!」


 戦況は最悪。

 エリザベートの持てる戦力はすでにここに終結していた。策もすべてを発動した。

 これ以上、何もできない。


 エリザベートは産まれて初めて、何もできずに目の前の光景を眺めることしかできなかった。


 今までなら、どんなに相手が強くても、どんなに狡猾な相手でも、その上を行く頭脳で切り抜けてきた。


 しかし、竜の巫女の力はそれを上回るものだった。


 どうすることもできずに立ち尽くしているエリザベート。


「まさかぁ、この私がぁ、運に身を任せるなんてねぇ」


 しかし、策は尽きても、エリザベートに諦めるという気持ちはなかった。

 どんなに惨めで、意味なんてなかろうと、エリザベートは諦めることをしなかった。


「ねぇ。あなたは、アリスちゃんのことぉ、どう思ってるのかしらぁ?」


 その質問に意味なんてなかった。

 何かの策の準備でもなければ、いつものような相手を支配する言葉でもない。


 それはただの時間稼ぎだった。


「どういう意味かしら?」


 しかし、運はエリザベートに味方をした。

 エリザベートのこれまでを知っていれば、まさかこの会話が意味のないものだとは思わないだろう。

 その点に関しては、エリザベートの読みどおりだったかもしれない。


 しかし、運はさらに味方をする。


 遠くに感じる気配は、この場を逆転しうる最高の気配で、エリザベートは内心歓喜する。


(人事を尽くして天命を待つ、ねぇ。ふふ、案外ぃ、馬鹿にできないかもぉ)


 エリザベートに気を取られていて、竜の巫女はまだ気づいていない。


 そして、気付いた時にはもう遅かった。


「そう。それは、人だけではないわぁ。ドラゴンさんも、その気持ちは同じよぉ」

「くっ。しまったっ!」

「グオオオオオン!」


 正真正銘、これが最後の策。

 エリザベートは、結果を予想できなかった。


 しかし、もうこれで最後。どうなろうとも、エリザベートは覚悟ができていた。


「さぁ、反撃開始よぉ」

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