第127話 その前に その一

 レミィは、今まで生きてきて、幾度となく命を危険を感じてきた。

 魔人という、圧倒的な力を持って生まれたレミィであっても、死というのは、それほど縁遠いものではなかった。


 特にここ最近は。


 これは、レミィと竜狩りの戦いの決着の話。

 いや、決着の話というと、少し違うかもしれない。しかし、ある意味では決着とも言えるのだろう。


 それは、あの瞬間。

 竜狩りが、レミィの喉に剣を突き立てる瞬間のことだった。


 ◇◇◇◇◇◇


「そこまでよぉ」


 確かに痛みは感じた。

 確かに血は流れた。

 それは確かに死の気配だった。


 はずなのに、レミィは生きていた。


 そして、聞こえてきたのは、聞き馴染みの深い、間延びした声だった。

 その声は、レミィの頭上から聞こえてくる。


 それは、その場にいるはずのない声で、なのに、その声の主は、確かにそこにいた。


「何者だ?」

「ふふ、私はエリザベートよぉ。特別にぃ、エリーと呼んでも良いわぁ」


 そう。そこにいたのは、エリザベートだった。


 そして、そのすぐ近くには、2人の男がいた。それも、片方はレミィも見たことがある人物だった。


「ふんっ!」


 その男、ウンジンは、今まさにレミィの首を貫かんとしていた剣を、その拳で握り止めていた。

 金属の手袋のようなものをつけているウンジンは、竜狩りの力に負けず剣を引き戻し、竜狩りごと押し返した。


「ちっ」

「ふふ。間一髪、かしらぁ?」


 竜狩りの殺気を無視して、エリザベートは軽い調子で言う。

 それは先程まで流れていた決死の世界、生死の境にあった空間からは考えられないような、間延びした声だった。


 当然、竜狩りも、苛立ちを募らせる。


「邪魔をするのなら、貴様も殺す。その男が2人で来ようと、俺には勝てんぞ」

「あらぁ。言われてるわよぉ? 悔しくないのぉ?」


 エリザベートは、面白そうに話に上がった男2人を見た。それは、人を嘲笑うような顔で、その顔に、ウンジンも多少、苛ついた。


 エリザベートは、雇い主である。そこには明確な契約が存在し、契約の範囲内において裏切ることは許されない。

 ということを頭に入れていてもなお、苛ついていた。


 しかし、それはウンジンだけだった。


 もう1人の男、ライコウは、参ったと言うように、両手を上げる。


「残念だがなぁ。そいつの言う通りさぁ。俺たちじゃあ、勝てねぇな」

「ふぅん」


 一見すれば、プライドも誇りもないような発言だが、その実、この言葉はただの真実だった。

 ウンジンが腹を立てつつも何も言わなかったのは、ライコウと同じことを思っていたからに他ならない。


 竜狩りは強い。


 ましてや、ライコウは、そこに倒れているレミィにすら、勝てるとは思えなかった。

 この2人は、明らかに異質。

 普通の人間では勝てないだろう。


 逆を言えば、そんな当たり前のことに腹を立てるのは、時間の無駄である。


 しかも、そんなこと、エリザベートが気付けないはずがない。


 エリザベートのことなど詳しく知りもしないライコウではあったが、底知れぬ雰囲気を持つエリザベートが、こんなことに気付けないはずがないと思っていた。


 そして、それは正しい。


 エリザベートが確認したかったのは、ライコウたち2人が、力任せな、ただの自惚れでないかどうかの確認だ。

 それは、今後の仕事を任せる上で、信頼を置ける人物であるかのテストでもある。


 ここで腹を立てて、自分を襲ってくるのであれば、元から信用したのが間違い。身を持って、自らの過ちを受け入れる。

 そして、ただの自惚れであった場合も同じ。

 やられる相手が、竜狩りかライコウたちかの違いだけだ。


 そして、結果はすべて、エリザベートの読み通りだった。


 と言っても、エリザベートは、自分の読みが間違っているかもしれないなど、考えもしなかったのだが。


「なら、仕方ないわねぇ。私が何とかするしかないわねぇ」

「……ふざけるのも大概にしろよ?」


 エリザベートの言葉に、竜狩りは静かな怒りを示した。

 しかし、今にも斬りかかりそうな竜狩りに、動いたのはライコウたちではなかった。


「さ、させま、せん」


 エリザベートを守るように立ち塞がったのは、もう動けないはずのレミィだった。


 レミィは、立つことすらできていなかったが、這うようにエリザベートの元まで移動して、竜狩りからエリザベートを守ろうとしていたのだ。


「退け。もはや、お前に勝ち目はない」

「それでも、退くわけにはいきません」


 例え一瞬でも、レミィはエリザベートを守らなずにはいられなかった。


 竜狩りは、レミィが邪悪な存在であるとは思っていない。しかし、それでも、自分の正義のために、レミィを斬らなければならなかった。


 しかし。


「それじゃあ、意味がないじゃなぁい。大丈夫よぉ。竜狩りさんは、私を斬れないからぁ」

「……なんだと?」


 苦しそうにしながらも自分を守るレミィの肩を優しくさすり、エリザベートが笑う。


「エリザベート、様?」

「ふふ。私を信じなさぁい」


 そう言われてしまえば、レミィはエリザベートを信じるしかない。


 前に出るエリザベートを見送り、それでも、何かあれば動けるようにと警戒するレミィに、エリザベートは振り返った。


「言い忘れてたわぁ。私が来るまで堪えてくれて、ありがとねぇ」

「っ!」


 嬉しそうに笑うエリザベートは、本当に安堵しているようで、レミィの心が跳ねた。まさか、エリザベートが、素直にそんな言葉を言ってくれるとは思ってなかったからだ。


 そんな顔を見せられたら、レミィは何も言えなくなってしまう。


「どうか、お気をつけて」

「ええ。任せなさぁい」


 そこには、確かな信頼があった。

 エリザベートなら、何の心配もない。そう思わせるには充分すぎる言葉だった。



「貴様が戦えるようには見えないが?」

「えぇ。私はぁ、戦いの才能なんてぇ、これっぽっちもないのよぉ」

「だろうな」


 それは、謙遜や油断させるための虚言ではない。完全なる真実の言葉だった。

 竜狩りに、全く悟らせず、実力のすべてを隠すことは不可能だ。戦える存在であれば、少なからずその気配を感じることができる。


 しかし、エリザベートは、本当に全く、戦うことができるような力はなかった。


 それでも、無防備に目の前に立つエリザベートに、竜狩りはその真意を探る。

 斬ろうと思えば、いつでも斬れる。


 しかし、それをしようとは思えなかった。


 エリザベートの真意は、知らなければいけない。そんな直感が、竜狩りにはあった。


「ふふ。理性的でよかったわぁ」


 エリザベートは、竜狩りのそうした心を読んでいたのだろう。しばらく睨み合いが続いたかと思うと、おもむろに口を開いた。


「これはぁ、あなたにも関係のある話よぉ。私とぉ、協力しないかしらぁ」

「なんだと?」


 唐突に告げられた言葉に、竜狩りは眉を潜めた。


 竜狩りも気付いていたのだ。


 戦う力がなくとも、この女は油断できないと。

 戦う力がない。だが、それでも、エリザベートは、レミィを従え、ライコウやウンジンを従えている。


 それは、戦う力以外の何かが、エリザベートにあるからだ。

 そしてそれは、恐らくは頭脳。


 エリザベートは、その智略をもって、こうして自分の前にいるのだろう。竜狩りはそう考えていた。

 だからこそ、竜狩りは、エリザベートの言葉を罠だと思った。


「くだらない。命乞いのつもりか?」


 協力とは、多少なりとも信頼関係がなければ成り立たない。しかし、竜狩りに、エリザベートを信じる気などなかった。


 一考の余地すらない戯れ言にしか聞こえなかった。


 だというのに、エリザベートの表情は、余裕ありげで、まるですべてを見透かされているようで、竜狩りは気が抜けなかった。


「違うわぁ。これはぁ、あなたのためでもあるのよぉ」

「はっ。さらにくだらんな」

「あなたは強いわぁ。でもぉ、それでもぉ、竜の巫女には勝てないのよぉ。何故ならぁ、あなたはぁ、竜の巫女のことを勘違いしてるからのよぉ」

「……勘違いだと?」


 聞く価値もない話だと切り捨てようかと思っていた所で、エリザベートから聞き捨てならない話が聞こえてきた。


 それは、竜の巫女を倒すため、先祖代々進めてきた研究を否定するようなものだった。それは、例え、それが時間稼ぎだろうが、あり得ないと思っていようが、可能性が僅かにでもあるのなら、聞かない訳にはいかなかった。


 話を聞く気になったのを確認して満足そうに笑うエリザベートは、それから真剣な表情で話を続けた。


「そうよぉ。勘違い。正確に言うとぉ、あなたたちの考えは間違ってないわぁ。だけどぉ、今は状況が変わっちゃったのよぉ」

「状況が変わった、だと?」

「あなたはぁ、アリスに会ったんでしょう?」

「……あぁ」

「私が調べた推測だとぉ、竜狩りはぁ、別に普通の人間なのよねぇ」


 エリザベートの言葉に、竜狩りは目を見開いた。

 それは、エリザベートの推測が真実だったからだ。その真実は、竜狩りの一族にだけ伝わる機密であるはずなのに。


 エリザベートの発言に驚いたのは、竜狩りだけではない。


「竜狩りは、普通の、人間、ですか?」


 竜の巫女に対して、絶対的な優位性を持つとされている竜狩り。当然、竜の巫女を妥当する不思議な力を持つ者だと考えるのが普通だ。


 だというのに、エリザベートはその竜狩りを、普通の人間だと言った。さらに驚くべきは、その話を竜狩りが否定しなかったことだ。


 あまりに馬鹿げた発言で、言葉も出ない。という雰囲気ではなかった。それはつまり、エリザベートの推測が核心を突いているという証明であった。


「ふふ。図星ねぇ」

「ふん。だが、それでも、俺たちが竜の巫女に有利なのは間違いない」

「えぇ。今まではねぇ。でも、今は違うわぁ」

「どういうことだ?」


 もはや、エリザベートの推測は、無視することができないものだった。


 竜狩りの一族しか知らないような機密を当てて見せ、その上、自分には気付けない何かに気付いているというのなら、エリザベートを信じざるを得なかったからだ。


 そして、エリザベートは、答えを語る。


「それはぁ、アリスちゃんがぁ、竜の巫女にとってぇ、守るべき存在になっているということよぉ」

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