第118話

「アリス!」

「っ!」


 いきなり呼ばれて、私は自分の思考から呼び戻された。


「リリルハさん」

「アリス。竜の巫女の言葉に惑わされてはいけませんわ。あなたは、あなたの信じるものを信じてください」

「私の、信じる、もの」


 そうだ。

 お姉ちゃんがどれだけ大変な思いをしたのか。

 どれだけ辛い思いをしたのか。


 そんなことは、ずっとわかっていた。


 この世界には、優しい人と同じくらい、悪い人だっているんだって。

 だけど、それでも私は、この世界に住む人たちを滅ぼしてほしくないと思ったんだ。


 私は、リリルハさんに頷いて、お姉ちゃんを見据えた。


「答えは出たの?」

「うん」


 お姉ちゃんの表情は、能面のように動かない。

 何を考えているかもわからない。


 それがすごく恐かったけど、後ろにはリリルハさんがいる。シュルフさんがいる。アジムさんもいる。

 みんながいてくれるから、私は大丈夫。


「私は、お姉ちゃんをとめるの」


 はっきりと言った。


「そう」


 それに対して、お姉ちゃんの答えは簡素なものだった。


「なら、仕方ないわね」


 お姉ちゃんは、右手を上げた。

 そして、それが、攻撃の合図だと気付いたのは、私だけだった。


「あぶないっ!」

「え? くっ!」


 急いで魔法による防御を固める。

 薄い魔法の壁を張って、球体の中に私たちがいる。上からも横からも攻撃を防げる魔法だ。


 そして、その次の瞬間、ドラゴンさんたちが一斉に炎を吐いた。

 間一髪、その攻撃を防いだ私たちだけど、それで終わるはずもない。


 私はすぐに、その球体のままリリルハさんたちを連れて、ドラゴンさんたちの間を抜けていく。

 お姉ちゃんのいる方とは反対側。


 私の全速力に、ドラゴンさんたちは対応して、抜けてもすぐに攻撃をしてきた。


「させませんわ! シュルフ!」

「はい、リリルハ様!」


 私が逃げるのに集中している間に、リリルハさんたちが魔法で応戦した。


 ドラゴンさんたちの炎の威力は凄まじく、リリルハさんの氷でもすぐに溶かされてしまう。だけど、それを少しでも遅らせるように、シュルフさんが魔法で、氷を強化する。そして、その間に私が攻撃を避ける。

 自然とそんな役割分担になった。


 だけど、ドラゴンさんたちもたくさんいて、四方八方から攻撃が飛んでくる。一瞬でも油断すると撃ち落とされてしまいそう。


「ドラゴンさん、こうげきをやめて!」


 しかも、私の命令は、ドラゴンさんたちには効かなかった。

 やっぱり、お姉ちゃんの言う通りなのかも。


 でも、だとすると、今の状況はかなりまずい。


 ここでお姉ちゃんを説得できないと、町を攻撃しているドラゴンさんたちを止めることができない。


 今から行って助けるにしても、とてもじゃないけど間に合わないし、それにここにこれだけのドラゴンさんがいるなら、助けても助けてもキリがない。


 そもそもの話、ドラゴンさんを相手にして、助けになれるのかも定かではない。


 だから、私たちはここから逃げることはできない。


 なんとかして、お姉ちゃんを説得しないと、私たちの負けになってしまうから。


「アリス。諦めなさい。あなたでは、絶対に私には勝てないわ」


 お姉ちゃんの言葉が、無情にも真実であると信じるしかなかった。


 ドラゴンさんたちの攻撃を辛うじて避けているけど、こんなもの、長くは持たない。

 早くどうにかしないと。


 ドラゴンさんたちの攻撃に、どうすることもできずに困っていたのは確か。


 だけど、焦ってはいないつもりだった。

 だって、焦ったりなんかしたら、相手の思う壺だし、すぐに捕まると思ったから。


 でも、そんな私の認識も、結構甘かったらしい。


「往生際の悪い子ね」

「あっ!」


 気付いた時には、お姉ちゃんは、すぐ後ろにいた。


 リリルハさんたちも気付かなかったのか、魔法の展開が間に合わない。


 お姉ちゃんは、私たちが入っている球体の防御魔法に蹴りを入れてきた。


 そんな蹴りで、どうにかなるはずがないと思ったんだけど、その足には魔法を纏っていたようで、防ぐこともできず。


「きゃあ!」

「うあっ!」


 そのまま地面に叩きつけられた。


「くっ」


 防御魔法のおかげで、地面に叩きつけられても、そこまでのダメージはない。

 ダメージはない、けど、すぐに動ける訳でもなかった。


 打ち付けられた衝撃でクラクラする。

 早く起き上がらないと。


 だけど、そんな隙を、ドラゴンさんたちが見逃してくれることはなかった。


「グオオオオオン!」


 動けなかった私たちに、ドラゴンさんたちの一斉放火が迫った。


 これはまずい。

 流石にこれだけの攻撃は耐えられない。


「くっ!」


 すぐにリリルハさんが、私たちの周りを分厚い氷で囲ってくれたけど、それだけでは数秒も持たなそうだ。

 シュルフさんの魔法で強化されても結果は同じ。


 それになにより、それで攻撃を防いだとしても、全方位を囲まれている以上、逃げ道なんてないんだ。


 迫る炎が遅く見える。

 だけど、私の体も動かない。思考だけが加速して、どうにかここを切り抜ける作戦を考えるけど、何一つとして思い浮かばなかった。


 このままじゃ、みんな死んじゃう。


 どうすることもできない。

 諦めたくない。だけど、どうすることもできなくて、泣きそうになる私の目の前を、誰かが動いた。


「くそがぁっ!」

「アジムさん!」


 アジムさんが、私の魔法の外に出て、ドラゴンさんの炎を剣で受け止めようとしているのか、剣を構えていた。


「ちょっと、アジムさん! 無謀すぎますわよ!」


 どんどん溶かされていく氷に、焦りを滲ませるリリルハさんだけど、それでもアジムさんに叫んだ。


「そうですよ。あなたでは何もできません!」


 シュルフさんもそれに続く。

 私はうまく言葉にできなくて、ただ見守っていることしかできなかった。


 そんな私たちに、アジムさんは振り向いて言う。


「例え一瞬でも、たった1点でも、攻撃を遅らせることができたら、そこから逃げれるだろうが。俺だって覚悟決めてるんだ。お前らはすぐに逃げられるように準備でもしてろ」


 アジムさんの顔には決死の覚悟が滲んでいた。


「だ、だめだよ、そんなの」


 やっと声が出たけど、そんなことしか言えなかった。だけど、そんな私の言葉を、アジムさんが遮った。


「このままじゃ、何もできないで終わる。そんなの許されるはずがないだろ!」

「でも……」

「とにかく、準備してろ! 時間なんてないんだよ!」


 アジムさんに怒鳴られて、私は思わず魔法を発動させてしまった。

 防御用に張った球体が少しだけ浮いて、いつでも動けるようになる。


「あ。アジムさん!」

「それでいい。一瞬しか持たないぞ。絶対見逃すなよ」

「くっ。こ、のっ、だ、駄目、これ以上は、持たない」


 リリルハさんも限界に近いようだった。

 これまで耐えているだけすごいのに、それでもなお、氷を作り続けていた。

 シュルフさんと2人で、すでに限界に近い魔力を消費しているみたい。


 特にリリルハさんは、以前にリミッターの解除までしている。その反動で、しばらくの間、無理に魔力を行使することができなくなっているようだった。


「それでいい。後は任せたぞ」


 アジムさんの声が聞こえると同時に氷が溶けて穴が空いた。


「うおおおおおぉぉぉぉ!」

「アジムさん!」


 アジムさんが剣を構える。

 そこに目掛けて来た炎を受け止めて、押し戻されそうになるのを踏みとどまった。


 だけどそれは、刹那の瞬間だけ。


 まるで時が止まったような世界で、アジムさんは1秒にも満たない時間だけ、炎を止めてくれた。


 私は考えるよりも先に、動き出す。


 逃げるために?

 ううん。違う。


 アジムさんを、助けるために。


「だめえええぇぇぇ!」


 アジムさんの驚いた気配を感じた。

 私は無我夢中で、アジムさんの前に瞬間移動していた。魔法による空間転移だ。


 リリルハさんたちを守る球体は、そのままで私はアジムさんを襲う炎から、みんなを守るように体を張った。

 私の小さな体なんて、何の意味もないってわかってるけど。


 1秒未満のその時間で、私は自分に振りかかる死の気配を感じた。


 その瞬間、ふと目に浮かんだ。


 いつも一緒にいてくれたドラゴンさんの姿。


 別れてしまったとわかっているけど、その姿に、救いをも止めてしまう。


「たすけて、ドラゴンさん」


 目を瞑って、そう呟く。


「グオオオオオン!」

「むうううぅぅん!」


 次の瞬間、私たちに迫っていた炎がすべて、跡形もなく消え去った。


「……え?」


 誰の声かわからない困惑した声が漏れた。

 多分、誰とかではなくて、みんなの声なんだと思う。


「ブウウン」


 私の目の前に降りた、そのドラゴンさんは、いつも見ていた、白くて、綺麗なドラゴンさんで。

 私は、泣きそうになった。


「やっぱり、あなたは、裏切るのね」


 お姉ちゃんの声が聞こえてきた。


「ドラゴンさん!」

「ブウウン」


 私を助けてくれたのは、私をいつも守ってくれた、白いドラゴンさんだった。


 私はドラゴンさんに抱きついた。

 ドラゴンさんも、そんな私を受け入れてくれるように目を細めていた。


「戦場で、呑気なことだな」

「あなたは、どうしてこんな所にいるんですの?」

「え?」


 ドラゴンさんに会えたのが嬉しくて気付かなかったけど、現れたのはドラゴンさんだけではなかった。


 そこにいたのは。


「竜狩りさん!」


 あまりにも想像していなかった人物に、思わず叫んでしまった。


「詳しい説明は後だ。とにかくここをどうにかするぞ」


 竜狩りさんは、そう言って、私たちの前に出てくれた。


 ど、どういうことなんだろう。

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