第117話

 まず、目の前に広がったのは、何処までも続くような、広大な草原だった。

 空は近くて、雲の流れは早い。


 それに何より、これでもかと感じるお姉ちゃんの気配は、ここにお姉ちゃんがいるという、確固たる証拠だった。


「ここに、お姉ちゃんが」


 ヒミコさんの魔方陣は、何事もなく成功したようで、私たちは、とある島まで辿り着いた。


 だけど、だからと言って、安心はできない。


 というよりも、お姉ちゃんの本拠地に乗り込んできたのだから、何が起きるかわからない。

 油断しないようにしないと。


「ここが、竜の巫女の本拠地なんですわね。確かに、何とも言えない禍々しい気配を感じますわ」

「ええ、そうですね。誰かに見られているような、不穏な気配です」


 リリルハさんとシュルフさんは、周りを警戒しながら、そんな会話をしていた。


「た、確かにな。うん。わかってるぞ。この気配は、そう、あ、あっちからだな」


 だけど、アジムさんは1人だけ、そんな気配に気付いていないみたい。

 キョロキョロと周りを見て、私が感じる気配とは正反対の方を指差す。


 リリルハさんは呆れたように溜息を漏らして、頭を抱えた。


「無理をする必要はありませんわ。とにかく、警戒は怠らずに行きますわよ」

「うん」

「わかりました」


 アジムさんの指差す方とは反対に歩き出した私たちに、アジムさんは恥ずかしそうにしていたけど、すぐに気を切り替えたのか、私たちの後ろを追いかけてきた。



 だだっ広い草原は、地平線まで伸びている。

 ここまで何もなければ、お姉ちゃんやドラゴンさんが近づいてきても、すぐに気付けるはずだ。


 もちろん、四方八方を見ていても、ドラゴンさんたちは空を飛べる。

 それも忘れずに警戒しながら、私たちは進んでいた。


 お姉ちゃんを説得するために、お姉ちゃんに会うとしても、説得する間もなく攻撃をされるのは避けたかったから。


 特に、テンちゃんが心配していたように、私の声も届かない所から、一方的に攻撃をされるのは、どうしようもない。


 だから、できるだけ、お姉ちゃんにバレないように、お姉ちゃんの元に行きたい。


 お姉ちゃんが、私たちのことに気付いていないとは、思えないけど。


「帰ってきたのね。アリス」


 だから、いきなりお姉ちゃんの声が聞こえても、私は驚かなかった。


 リリルハさんやシュルフさんも、ある程度は予想していたみたい。声が聞こえた途端に、魔法を展開して、周りからの防御を固めた。


 アジムさんは、かなり驚いているようだったけど、すぐに剣を構えて、臨戦態勢に入る。


「ふふ。あなたたちに興味はないわ」


 そんな私たちの警戒を嘲笑うかのように、お姉ちゃんは、突然、目の前に現れた。


 魔法による空間転移。

 一緒に付いてきたのは、黒いオーラで全身が覆われたドラゴンさんだった。


「やっぱり、きづいてたんだね」


 私の言葉に、お姉ちゃんは軽く笑った。


「当たり前でしょう。ここのことで、私にわからないことはないわ」


 気付けば、私たちの周りはドラゴンさんたちが囲んでいた。

 お姉ちゃんが、空間転移で、ドラゴンさんたちをここまで連れてきたんだ。


 だけど、これなら、私の声も届く。

 私たちに攻撃をしないように、命令することができる。


 そう、思ったのに。


「無駄よ、アリス。私の目の前で、ドラゴンさんたちに命令することはできないわ。ドラゴンさんたちは、何よりも私のことを優先してくれるから」


 黒いオーラに覆われたドラゴンさんを撫でながら、お姉ちゃんはそう言った。


「だから、私もここに来たのよ。もちろん、あなたを迎えに来たのもあるけど」

「私を?」


 迎えに来たって、どういうことだろう。


 そう考えている間に、お姉ちゃんは私たちの方へ歩いてきた。ドラゴンさんを伴うこともなく、たった1人で。


 アジムさんが私の前に出て、私を守ろうとしてくれたけど、お姉ちゃんが手を払うと、届いていないはずなのに、アジムさんが飛ばされてしまった。


「うおっ!」

「アジムさん!」


 魔法によるものなんだろうけど、ただ飛ばされただけで、怪我はしていないみたい。


「これは、流石に、ヤバイですわね」


 リリルハさんの焦った声が聞こえてきた。

 どうしたのかと思ったけど、その理由はすぐにわかった。


 そういえば、お姉ちゃんが現れてすぐに、リリルハさんとシュルフさんが防御系の魔法を展開してくれていた。


 なのに、アジムさんは今、何の抵抗もできずに吹き飛ばされている。


 それはつまり、リリルハさんたちの魔法が、全く通用しなかったということだ。

 しかも、見る限り、威力が弱まった様子もないし、言ってしまえば、何の効果もなかったようにしか見えない。


 もちろん、お姉ちゃんの魔力が凄まじいということは、私たちだって知っている。

 だからこそ、リリルハさんたちは、最大限の魔力を込めて、魔法を展開したはずなのに。


「この程度で、私をどうにかできると思っていたなんて、腹立たしいわね」

「くっ!」


 お姉ちゃんが、リリルハさんを睨み付けると、その下の地面から、蔓のようなものが飛び出してきて、リリルハさんを捕まえた。


「いたっ!」

「リリルハ様! くっ!」


 すぐに助けようとしたシュルフさんも、同じように蔓に拘束されてしまう。


 そして、そのまま地面に叩きつけられて、身動きが取れないようにされてしまった。


「リリルハさん! シュルフさん!」

「大丈夫よ、アリス。殺しはしないわ」


 気付くと、お姉ちゃんは、すぐ目の前まで来ていた。


 お姉ちゃんは、穏やかな顔をして私を見ている。何を考えているのこわからないけど、お姉ちゃんの言う通り、リリルハさんたちに、大きな怪我はなかった。


 ということは、お姉ちゃんも、私と話をしてくれる気があるってことなのかな。

 もし、わかり合えるなら。


「お姉ちゃん」

「アリス。私はね、少しだけ、考えを変えることにしたわ」

「え?」


 私が何を言うでもなく、お姉ちゃんは、そう切り出した。


「あなたが言うように、この世界には、色んな人間がいるのね。そして、その人たちを、あなたは快く思っている。それは理解したわ」

「お姉ちゃん!」


 優しい笑顔を浮かべるお姉ちゃん。

 どうしていきなりそんな風に考えが変わったのかはんからないけど、お姉ちゃんは私のことをわかってくれたんだ。


 そして、リリルハさんたちのように、優しい人だって、この世界にはたくさんいるんだってわかってくれたんだ。


 私が説得しようとしていたことを、先に言ってくれて、私は嬉しくなった。


「だからね、方針を変えることにしたのよ」


 リリルハさんやシュルフさん、それに、起き上がってこちらに向かっていたアジムさんも、驚いて動けなくなっている。


 だけど、私は嬉しくて、そんなことも気にならなかった。


「ほうしんをかえたの? どういう風に? もしかして、みんなにあやまるの? それなら、私もいっしょにあやまるよ」


 お姉ちゃんが今までしたことは、みんなに迷惑をかけちゃった。

 また新しく何かをするにしても、まずはみんなに謝らないといけない。


 その罪は、私にもあるから、2人でみんなに謝ろう。そう思った。



 だけど。


「ふふ。ふふふ。アリス。何を言ってるの? どうして、私が謝る必要があるの?」

「……え?」


 お姉ちゃんの笑顔は優しいままだった。

 だけど、その声からは、優しさがなくなっていた。ううん、違う。最初から、声には優しさがなかった。


 私に向ける顔と、私ではない人たちに向ける声には、全く違う感情が込められていた。


「アリス。あなたの気持ちは尊重するわ。だから、あなたの生かしたい人間だけは助けてあげる。それなら、あなたも、幸せでしょう?」


 お姉ちゃんは、私の頬に手を添えた。


「あなたの優しいと思った人間だけを生かす。そうすれば、この世界も優しさで満たされるわ。そんな世界なら、私も少しは赦せるかもしれない」


 お姉ちゃんの言葉が、中々理解できない。


「お前っ! アリスに、人間を選別させるつもりかよ!」


 アジムさんがお姉ちゃんに斬りかかった。

 だけど、お姉ちゃんはそちらを見ることもなく、溜息を漏らす。


 そして、何もない空間に、アジムさんの剣は弾かれて、また吹き飛ばされてしまった。


「ぐはっ!」

「アジムさん!」

「選別なんてさせないわ。私は、人間をすべて滅ぼそうと思ってる。だけど、アリスが優しいと感じた人間は、竜の巫女を崇める使徒として向かえようと思ってるのよ」


 使徒。

 お姉ちゃんが言うには、人間の枠組みを超えて、竜の巫女のために尽くす存在らしい。


 人間のように自由はないけれど、安定した生活は約束される。


 そんな存在。


「でも、それじゃ、みんなは私たちにしばられちゃうよ」

「ええ、それが使徒だもの。生きることができるだけでも、感謝してほしいわ」


 お姉ちゃんは、何のこともないように言う。

 本当に、そう思っているように。


「アリス。この世界の人間を、全員、生かすつもりはないわ。その考えは間違っている。だけど、あなたが悲しむのは、やっぱり私も嫌なの。だから、最大限、譲歩したのよ。ねぇ? これなら、あなたも、受け入れられるでしょう?」

「そんな、の……」


 私が選んだ人だけが生き残れる世界。


 私は、リリルハさんたちを見た。

 少し離れた所で、蔓に締め付けられて苦しそうなリリルハさんとシュルフさん。


「あの2人は、使徒として認めるわ。もちろん、あの男もね。その他にも何人かいるでしょう? その人間たちも、認めてあげる。何人でもいいわ。でも、あなたが本当に優しいと思った人間しか認めない。それだけは変わらないわ」


 リリルハさんたちは助けてもらえる。

 何人でもいいのなら、リリルハさんの町の人たちや、アジムさんの町の人たち、テンちゃんの町の人たち、ヒミコさんの町の人たちも。


 だけど、私の知らない人たちは選べない。私が会ったこともない人たちは選べない。

 私が本当に優しいと思った人しか選べないのなら、ほとんどの人を選べないことになる。


 そんなの、おかしいよ。

 私が選んだ人しか生き残れない世界なんて。


 その世界には、私に優しい人しかいないのかもしれない。

 だけど、そんな世界、不気味でしかない。


 恐くて仕方がない。


 お姉ちゃんは、ドラゴンさんさえいれば、私さえいればいいと考えているのかもしれない。


 だけど、私は。


「見たこともない人間も、もう少しでいなくなるわ。あなたが気にすることはないの」

「え? どういうこと?」


 お姉ちゃんがパチンと指を鳴らすと、空中に大きな透明の板のようなものが浮かび上がった。


 そこには、何処かの光景が写っている。


 そして、それは、目も当てられない、ひどい状況だった。


「これ、は」


 ドラゴンさんたちが、暴れまわっている姿。

 逃げ惑う人々。怪我をしている人々。


 そして、もう動かなくなってしまった人々。


 見ていられない光景だ。

 目を背けたくなる光景だ。


「どうして、こんなことが」

「そう思ったのは、あの時の私も同じだった」


 言われて、ハッとした。

 この光景は、お姉ちゃんが遥か昔に経験したことと、正反対なことだ。


 あの時、お姉ちゃんはドラゴンさんといっしょに逃げていた。

 そして、それを追う人々。動けなくなったのは、ドラゴンさんたちの方だった。


「これが現実よ。世界はそうやって、歴史を繰り返す。だからこそ、ここで人間をすべて滅ぼすの。そうしないと、また、繰り返されるから」


 お姉ちゃんの言葉が、重くのし掛かった。


 お姉ちゃんの経験した歴史が、私の心に、一縷の感情を落としたから。



 人との世界は、本当に、優しい世界になるのだろうか、と。

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