第104話
私には、生まれた時から、選択肢などありませんでした。
そう言うヒミコさんは、薄く、悲しそうに笑って、教えてくれた。
◇◇◇◇◇◇
竜の巫女様に仕える姫は、ヤマトミヤコ共和国において、一世代に必ず1人生まれます。
それは、姫と呼ばれる存在からしか、姫が生まれないためであり、姫が生まれれば、先の姫は必ず命を落としますためです。
姫は、生まれながらに強大な魔力を有しています。そして、その強大な魔力は、母親からすべてを奪い、命を奪い、もちろん、魔力を受け継ぎます。
私の母も、姫としてヤマトミヤコ共和国に生まれました。そして、姫として、ヤマトミヤコ共和国で竜の巫女様をお待ちし、最期に私を産みました。
しかし、私は母の顔も、声も、何も覚えていません。
母が私に最期に伝えた言葉は、竜の巫女様をお願いします。だったと、あとから他の人に聞きました。
そう言い聞かせられ続けてきました。
姫は、竜の巫女様の魔力の一部を受け継ぐと共に、竜の巫女様の記憶も受け継ぎます。
物心が付いた頃から、私は毎晩のように悪夢を見るようになりました。
それは、私ではない誰かが、何者かに蔑まれ、傷付けられ、貶められ、憎まれ、すべてが敵になる夢でした。
私にはそれが、竜の巫女様の記憶だと、すぐにわかりました。
私ではない、竜の巫女様の記憶なのに、私はそれが自分の事であるように感じました。
夢の中とは言え、毎晩のように見れば、そう思うのも当然でしょう。
それを見続けて、私は思ったのです。
ああ、人間とは、どうしてこうも、醜く、浅ましく、下等な生物なのか、と。
救いようのないゴミのような存在。
私は、竜の巫女様に創られた存在。
ですが、生物としての種族は、人間に変わりはありません。
それが、私には堪らなく嫌だった。吐き気がしました。
こんな下等な生物が、私と同じ。
いいえ、違いますね。結局、私も下等な生物ということなのです。
何を言おうと、私も、竜の巫女様が、心底憎んでいる、嫌っている、ゴミと同じなんだ。
そう思うと、絶望しました。
ですが、そんな私にも、1つだけ救いがありました。
それは、私が、竜の巫女様に仕えることができる、姫、であること。
私は下等な生物ですが。
竜の巫女様にとって、憎まれるべき存在ですが。
それでも私は、竜の巫女様に仕えることができる。それだけが、心の支えでした。
この世界を良い方向へ修正してくださる竜の巫女様の、その尊い行いに、私は協力することができる存在なのだと、私はそれだけを支えに生きてきたのです。
私の周りの人間も、所詮は人間です。
竜の巫女様の力を利用して、世界を我が物にしようとする不届き者もいます。
ですが、私は、そんな人間とは違います。
私は、最期に命を奪われても。例え、すべてが終わり、用済みだと、竜の巫女様に命を奪われても、私は素晴らしい人生だったと、誇れる自信があります。
それだけ、私のすべては、竜の巫女様によって形成されているのです。
生まれた瞬間から、竜の巫女様の魔力に触れ、刷り込みをされているかもしれない、と、考えたこともありました。
ええ、その通りなのでしょう。
竜の巫女様のことは、誰よりもわかります。
竜の巫女様の感情を共有しているのは、この世界で私しかいません。
竜の巫女様のことは、誰よりも知っているのは私です。
だから、わかるんです。
竜の巫女様は、私を利用しているだけだと。
従順に従う人間が欲しかった。だから、姫という存在を創り、必ず従うようにした。
そんなことはわかってます。
ですが、それでも、私は、竜の巫女様に従い続けるしかない。
それが悦びだと、私の中にあるすべてが告げているから。
人間を憎む気持ちは本物です。
誰かに植え付けられたものだとしても、私にとっては、それが本物。
だから、私は、最期まで、竜の巫女様のために働き続けるのです。
◇◇◇◇◇◇
ヒミコさんの顔は、苦しそうで、辛そうで、だけど、何処か穏やかで、諦めているのか、受け入れているのか、私にはわからない。
だけど、ヒミコさんが、お姉ちゃんに従い続けている理由だけはわかった。
そして、どうして、そんなに複雑な顔をしているのかも。
ヒミコさんは、私と似ているんだ。
「ヒミコさんは、どうしたいの?」
「どう、とは?」
私の質問に、ヒミコさんは、無表情のまま聞き返してきた。
「ヒミコさんは、今、この世界のことを、人たちのことをどう思ってるの?」
「何を言っているんですか? それは今、すべてを話しましたよね?」
「ううん。全部じゃないよ」
私の指摘に、ヒミコさんは何も言わない。
多分、ヒミコさんも、心の何処かではわかってるんだ。だけど、それに気付けなくて、気付きたくなくて、それから目をそらしてるんだ。
だから、そんなに辛そうな顔が滲んでいるんだ。
ヒミコさんが、お姉ちゃんの気持ちをわかっていて、その通りにしたいと思う気持ちなのは本当だと思う。
だけど、それと同じくらい、新たに生まれた感情もあるんだと思う。
「ヒミコさんだって、わかってるんでしょ? この世界には、優しい人たちだって、いっぱいいるんだって」
ヒミコさんの表情は変わらない。
身動き1つしないで、私の言葉を聞いてくれているのかもわからないくらい。
だけど、聞いてくれているはず。
そう決めつけて、私は話を続けた。
「ヒミコさんは、おしろにいるとき、ずっとやわらかい顔をしてたよ。その顔は、きらいな人に見せるようなものじゃなかったよ」
「そんなの、上辺だけです」
「ちがう」
初めて、私の指摘を否定したヒミコさんは、私から目をそらしていた。
表情に変わりはない。だけど、私の言葉から逃げるように、目をそらし続けていた。
だけど、それでもいい。
聞いてくれさえするなら。
「私の目を見て言って。ヒミコさんは、キョウヘイさんのことがにくい?」
「それは……。憎いですよ」
「私の目を見て言って」
ヒミコさんは、口から絞り出すように言う。
だけど、その言葉は、私の目を見ないで、嘘を付いてるのは明らかだった。
私がしつこく言うと、ヒミコさんは、憎らしげに私の目を見て、口を開いた。
だけど、その開いた口から言葉が出てくることはなく、代わりに、震えた吐息が漏れて、それは少しずつ嗚咽に変わっていく。
「憎い、です。憎い。憎いんです。憎い。憎い。憎い。憎い」
何度も言う。
私の目を見て、涙を流しながら言う。
「憎いんです。本当に。竜の巫女様にひどいことをした人間が、私も含めて、すべての人間が憎いんです。憎い、んですよ」
唇を噛み締めて、ヒミコさんの唇から血が流れる。
「憎い、憎い、憎い。憎い。憎い。憎い」
ヒミコさんは、何度も言う
何度も。何度も。
何度も。
だけど、何度言っても、ヒミコさんは、自分で自分を納得させることができていないみたいだった。
何度も、何度も、何度も、口にする言葉は、少しずつ弱くなっていく。
そして、最後だけ、ヒミコさんは一際大きく、叫んだ。
「憎い。憎い。人間が憎い。はずなのにっ!」
ヒミコさんは、膝から崩れ落ちて、顔を手で覆ってしまった。
私はそれを見て、ゆっくりとヒミコさんに近付いた。攻撃なんてされる心配は、もうないから。
「憎いはずなのに。その気持ちに嘘はないのに。竜の巫女様のために働きたいのに。私の周りには、優しい人が多すぎるのっ!」
堰を切ったように溢れる気持ちは、ヒミコさんがずっと抱えてきた感情なのかもしれない。
「姫である私に、ヤマトミヤコ共和国の権力者たちは、その力を手に入れようと近付いてきた。私の役目を知りもしないで、ただ力を得るためだけに近付いてきた。そんな人間だけだったら良かったのに。なのにっ! 私の周りには、私のことを見てくれる人がたくさんいた。竜の巫女様が、心の底から欲しがっていた、信頼してくれる人が、私にはたくさんいた。それは、竜の巫女様への裏切りでしかない。そんなの、私に許せなかった。この世界の人間は、ゴミだっ! 許されない下等な生物だっ! そう思わなきゃいけないのに」
ヒミコさんは、多分、キョウヘイさんや、他の人たちに、本当に優しくしてもらったんだろう。
そして、そんなキョウヘイさんたちを、ヒミコさんは、心から信じてしまったんだ。
だけど、それは、お姉ちゃんへの裏切りのような気がして、ずっと否定し続けてきたんだと思う。
自分の気持ちに嘘を付いて、人が憎むべき存在だと、自分に言い聞かせてきたんだ。
子供の頃からずっと。
ヒミコさんは、まるで子供のように。
見た目から言ったら、私の方が遥かに子供なのに、今だけは、ヒミコさんが私よりも、子供のように見えた。
私は、ヒミコさんを、ソッと抱き締める。
「え?」
「大丈夫だよ。ヒミコさんはお姉ちゃんを裏切ってなんかない」
その場限りの言葉じゃない。
やり方は間違ってしまったけど、ヒミコさんは、お姉ちゃんを裏切ってなんていない。
「だって、ヒミコさんとおなじように、私も、この世界にはたくさんのいい人がいるってわかってるから」
「それが、何の……」
「私も、竜の巫女、なんでしょ? 私は、お姉ちゃんに、おなじ気持ちをしってほしいと思ってるの」
私が感じたことは、お姉ちゃんだって、感じることができるはず。
それはつまり、ヒミコさんが思っていることと、お姉ちゃんが思ってることが同じになるということ。
「そんなこと、ありえません」
「ううん。そんなことないの。ヒミコさんは、お姉ちゃんのことを誰よりもしってるかもしれない。でも、私だって、お姉ちゃんのこと、わかるんだよ?」
少しだけ顔を離して、ヒミコさんの顔を見る。
ヒミコさんは、困惑した顔。私の言ってることがわからないみたい。
そうだよね。
今まで、そんな存在とあったことなんてないはずだから。
「私だって、お姉ちゃんの記憶を見てるんだから。ヒミコさんは、1人じゃないんだよ」
「っ! 1人、じゃ、ない?」
ヒミコさんは、ずっと1人で戦ってきたんだ。
気持ちを共有できる人なんていない。そんな状況でずっと。
それはすごく辛いことで大変なこと。
私なんかが想像なんてできないけど。
でも、私はヒミコさんと同じように、お姉ちゃんの記憶を共有している。
だから。
「そう。1人じゃないの」
もう一度言う。
ヒミコさんに言い聞かせる。
もう、ヒミコさん1人で抱え込む必要なんてないんだよ。
そう伝わるように、私はさらに強くヒミコさんを抱き締めた。
「う、うぅ」
ヒミコさんは、私に体を預けてくれた。
小さく漏れる嗚咽も、震える体も、不安そうな顔も、全部、私に預けてくれた。
「うわあぁぁぁん」
やがて、耐えきれなくなったヒミコさんは、子供のように、わんわんと泣いて、私に我慢していた仮面を外して、素顔を見せてくれたのだった。
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