第94話 その前に その六
リリルハ様を殺す。
それにどんな意味があるのか。そう問うても、エリザベート様は、何も教えてはくれませんでした。
いいえ。理由は教えてくれました。
ただ一言、そうすれば、違う景色を見ることができる、と、ただそれだけでした。
今まで、いつかは見せてくれると、曖昧なことしか言ってこなかったエリザベート様が、初めて明確に答えてくれた、私の願い。
その時の笑みは、あの時のような無邪気なものではなかったですが、それに似た、子供の、そう、イタズラを仕掛けるような笑みでした。
人を殺す、という命令に、そんな笑みを浮かべるなど、狂っていると思いましたが、それを聞いて、今まで仕え私を慕ってくれるリリルハ様よりも、自分の願いを優先しようとする私もまた、非人道的なのでしょう。
もちろん、私は魔人。そもそも、そんな感性は持ち合わせていないのですが。
そう。私は魔人。
どうせ、いつかはリリルハ様も、エリザベート様も、私を疎く思うに決まっています。
人とは違うもの。魔人。
その存在が受け入れられることなんて、決してないのです。
元々、私がエリザベート様に従っているのは、自分の願いを叶えるため。
いつか、エリザベート様が、私を裏切り、約束を反故にする可能性も大いにある。ならば、叶えられる時に叶えるべき。
そう。何も躊躇する必要などないのです。
だから、せめて、苦しむこともないように、終わらせてしまいましょう。
◇◇◇◇◇◇
私の誤算はいくつかありました。
1つ目は。
「誰か、そこにいるんですの?」
リリルハ様が、私の想定よりも、優れた感覚を持っていたこと。
何も、侮っていた訳ではありません。
気配を消していたし、物音も立てていません。
普通なら、気付かれないはずでした。
そう。普通なら。
しかし、それが2つ目の誤算です。
私は、緊張をしていたのです。
その緊張が、剥き出しの殺気となり、リリルハ様に感づかれてしまった。
暗殺者としては失格ですね。
別に私は、暗殺を得意としている訳ではないのですが。
「だれかいませんの? レミィ?」
こんな、命を狙われている場面で、私の名前を呼ぶなんて、どれ程、私のことを信頼しているのでしょう。
私は抱いてはならない感情を抱きそうになるのに気付き、必死に振り払います。
そして、リリルハ様の命を迅速に奪うために、襲いかかりました。
思った通り、リリルハ様と私の戦闘力の差は歴然でした。
これなら、一瞬で終わらせることができる。
なるべく、苦しませずに、一瞬で終わらせることができる。
そう思った。
のに。
「レ、レミィ?」
まさか、私のことに気付くとは思いませんでした。
気付かれないように見た目を変える魔法を使っていたはずなのに。
それに気付かれるなんて。
先ほどの殺気に気付かれた時よりも、遥かに驚きました。
何故なら、先ほどの殺気は、緊張により漏れてしまったものに気付かれただけ。
しかし、これは、周到に組み込まれた魔法。そう簡単に見破れるはずがなかったのです。
リリルハ様の実力は、完全に把握していました。私の魔法を看過できるはずがありません。
ということは、つまり、それ以外の方法により、気付いたということ。
魔法を看過する訳でなく、私に気付くということは、つまり、リリルハ様は、私がこういうことをする人間だと、思っていた、ということでしょう。
それしか考えられませんでした。
ああ、なんだかんだ言っても、やはり、その程度の信頼だったのですか。そう、思いました。
そう思ったら、自分でも思ってた以上にショックだったようで、振るう腕が止まりませんでした。
もちろん、いたぶるような趣味はありません。
早々に終わらせるつもりだったのですが、リリルハ様は、何故か、何度も、何度も立ち上がります。
勝てるはずがないとわかっているはずなのに。
逃げられないとわかっているはずなのに。
それだけ生に執着しているのですね。
人間なら、それも当たり前でしょうけど。
ですが、結果的に、リリルハ様を殺さず、チマチマといたぶるような真似をしてしまいました。
ならば、本気でやればいい。
そう思う私がいました。
そして、これでも本気を出している、という私もいました。
自分のことなのに、定まらない感情は、確かに私の手を鈍らせて、致命傷を与えることができませんでした。
それは、私の中にある、どんな感情なのか、それはわかりません。
「何故、まだ立ち上がるのですか?」
その疑問は、私の中にある、私にもわからない感情の答えになるのかはわかりませんでしたが、聞かずにはいられませんでした。
すると、リリルハ様は、笑ってこう言うのです。
「レミィは、私を殺さないと思っているからですわ」
「私は、レミィを信じると決めているのですわ。ただ、それだけのことです」
「私は、今までレミィと過ごしてきて、レミィは信頼の置ける人間だと、確信していますわ。それを、この程度のことで、変えられる訳がありませんわ」
信じられますか?
こんなことをされているのに、私を信じると、そう言ったのです。
例えそれが、命乞いの言葉であったとしても、こんな絶望的な状況で、そんなことを言えるなんて、私には信じられませんでした。
信じたくありませんでした。
信じてしまえば、今までの私が、すべてが、否定されてしまいそうで。
私は、リリルハ様の首に手をかけます。
無防備に。
やろうと思えば、簡単に抵抗することができるでしょう。
蹴りの1つでも入れることはできます。
今なら、魔法をぶつけることすらできます。
なのに。
リリルハ様は、私を睨み付けるだけで、反撃をしようなどという素振りは微塵も見せませんでした。
生にしがみついている人間なら気付けるはずなのに。
リリルハ様は、私の見せるあからさまな隙に気付く様子はありませんでした。
それは、私の隙をついて逃げようとしている人間なら、ありえないことでした。
ギリギリと、限界近くまでリリルハ様の首を絞めます。
徐々に力が抜けていくリリルハ様。
ですが、リリルハ様は、決して私に反撃することはありませんでした。
「どうして、あなたは」
リリルハ様が事切れる寸前で、私は手を緩めます。
それは無意識に、でした。
ドサリと倒れるリリルハ様は虫の息で、もし私が今、手を離していなければ、死んでいたでしょう。
それは、本当に死が目の前まで迫っていても、反撃よりも私が見逃してくれる可能性に賭けた、ということなのでしょう。
「どうして?」
聞こえるはずなんてないのに、もう一度繰り返してしまいます。
どうして、あなたは、そんなにも、私のことを信じてくれるのですか。
私は、あなたのことを信じてなんていなかったのに。
「レミィは、私のメイドで、私の相棒ですわ。だから、私を殺したりしないと、そう信じているのです」
そう言われたのを思い出しました。
私が相棒、なんて。
そんなの。
私はそんな人間ではないのに。
そんな風に思っていたのに、いつの間にか私は、リリルハ様を自分の膝の上に眠らせて、頭を撫でていました。
こんな感情、間違っているとわかっているのに、私のことを信じてくれるリリルハ様が、どうしても愛おしく見えてしまうのです。
しばらくすると、リリルハ様が目を覚ましました。
目を覚ましたリリルハ様は、私がリリルハ様を殺さなかったことを、さも当たり前のように受け入れていました。
いえ、むしろ、自分の考えが当たっていたことに、自慢げな顔すら見せていました。
憎たらしい顔。いえ、嘘です。
その自慢げな顔は、裏を返せば、それだけ私を信じてくれていたということ。
それがすごく嬉しかった。
そして、リリルハ様は、一度だけ、と言って、私に今回のことを依頼した人物を尋ねてきました。
リリルハ様の目を見れば、なんとなくの予想はできている様子でした。幼くとも、大領主の娘と言ったところでしょうか。
ですが、私は、その質問に答えられませんでした。
どうしても、エリザベート様のことを裏切ることはできなかった。
ここでエリザベート様の名前を出せば、確実に2人は敵対することになる。
エリザベート様なら、そんなことも気にしないのかもしれませんが。
それでも、何故か、エリザベート様に危害が加わる可能性のあることはしたくありませんでした。
答えられない私に、リリルハ様は、簡単に諦めてくれました。
それもまた、信じられませんでした。
本当に、リリルハ様は、何を考えているかわからない。
エリザベート様とは、違う意味でわからない。
これだけのことをしでかした私を、リリルハ様はビンタ1つで許そうと言うのです。
「あなたには、私の生涯を最後まで守り抜く義務を与えますわ」
そんな、何の罰にもならないものしか言わず、私を側に置いてくださろうとする。
それがどれ程危険なことか。
依頼主のことを言わない私は、リリルハ様が信じるに値しない存在であるはずなのに。
それでも、私を信じてくれる。
今まで生きてきていて、そんなこと、考えられませんでした。
こんなにも、信じてくれる人がいるなんて、考えられなかった。
ですが、そんな人が、紛れもなく目の前にいる。側にいてくださる。
そう思った瞬間、世界が輝いて見えた気がしました。
生きるということが苦しくて、世界に希望なんてないと思っていた、そんなついさっきまでが嘘のように、世界に希望が、目の前に希望が広がっているような気がしました。
ああ、そうか。
エリザベート様が言っていた、今までとは違う景色とは、こういう景色のことだったのですね。
私は、存在して初めて泣きそうになるのを堪えるために下を向きました。
ですが、これだけは先に言っておきたかった。
「ええ、私はリリルハ様を、生涯守り続けると誓います」
◇◇◇◇◇◇
「ふぅん。失敗したのねぇ」
「はい。申し訳ありません」
今回の件、私はエリザベート様に報告しました。
エリザベート様は、興味なさそうに爪を眺めるだけ。私の方を見ようとしませんでした。
「がっかりだわぁ」
その声音は、心底呆れているようでした。
「エリザベート様。エリザベート様は、私に今までと違う景色を見せてくださると言っていましたよね?」
私の言葉に、エリザベート様は答えない。
これは私の思い違いなのかもしれない。
ですが、エリザベート様の表情を見ても、それが正なのか非なのかがわからない。
だから、聞かずにはいられませんでした。
「私は、リリルハ様を通して、違った景色を見ることができました。エリザベート様は、それを見越していたのですか?」
エリザベート様は、最初からリリルハ様を殺すことが目的ではなくて、私とリリルハ様を一緒にすることが目的だったのではないか。
そんな風に思ったのです。
素直に言うことのしないエリザベート様なら、十分に考えられることでした。
ですが。
「そんな訳ないでしょう?」
エリザベート様は、その一点張り。
何を考えているかわからないエリザベート様。
それは今も同じでした。
本心なのか、嘘なのか。
それは闇の中。
ですが、私には、そんなことはどうでもよくなっていました。
「申し訳ありませんでした。どのような罰でも、お受けいたします」
私は頭を下げてそう言った。
リリルハ様に忠誠を誓いましたが、それでも、私はエリザベート様には、覆しようのない義理があります。
それを、無視することはできませんでした。
エリザベート様は、そこで始めて、私の方を見ました。
その顔は、何かを企むような悪魔の笑み。
最近思い始めたのですが、エリザベート様は、魔人よりも、悪魔に近いように思えます。
力はありませんが、自分以外のすべてを手駒にするような、すべてを見透かすような頭脳は、もしかしたら、単純な腕力よりも厄介かもしれません。
「良い心がけだわぁ。なら、あなたにはぁ、スパイとしてぇ、引き続きぃ、リリルハの側にいなさぁい」
「それは、言われるまでもありません」
「ふふ。それとぉ、あなたは私の従者でもあるのだからぁ、私の仕事もぉ、引き続きやりなさいねぇ」
「それも、当然です」
結局、エリザベート様は、それだけしか言いませんでした。
この姉妹は、本当に。
一般的な感性を持つ者なら、こんな処置ありえません。
甘すぎます。甘々です。
なのに、それに甘えてしまっている私は、誰よりも甘ちゃんなのでしょう。
それが心地よいと感じてしまっているのですから。
◇◇◇◇◇◇
走馬灯なように、エリザベート様、リリィと出会った時のことを思い出していました。
すぐそこに迫る凶刃は、避ける余地はなく、私の死は確定でした。
ですが、リリィを助けることができるなら、この死も私にとって、恐いものではありませんでした。
心残りがあるとしたら、リリィとの約束を守ることができなかったこと。
ですが、リリィには、アリス様がいる。もう大丈夫でしょう。
最初にアリス様を見た時、アリス様は、私と似ていると思いました。
存在するだけで、他人から疎まれ、傷付けられる。誰にも必要とされない。言葉は信じてもらえない。世界には救いがないと思わせるような、悲惨な状況。
そして、そんな状況を、リリィが救ってくれたことも含めて。
だから、アリス様は、信頼できる。
リリィを知ったアリス様なら、信じることができる。
だから、私は、自分の命と引き換えに、リリィとアリス様が助かる道を選んだ。
それに後悔はありません。
ただ、エリザベート様に一言、お礼だけは言いたかった、かもしれませんね。
まあ、エリザベート様は、私がいなくなっても、大して気にしないような気がしますが。
どちらにしても、私はここで終わりです。
1人で、消えることに、不安がない訳ではありませんが、今までの幸せがあれば、堪えられます。
剣先が喉に刺さる。
血が出て、痛みが走る。
ああ、リリィ、エリザベート様、アリス様。
申し訳ありませんでした。
不出来なメイドの勝手な行動を、どうかお許しください。
目を開き、最期の景色を目に焼き付けます。
希望に満ちた、最期の景色を。
そして、その瞬間に目に浮かんだのは、リリィではなく、エリザベート様でした。
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