第94話 その前に その五

「まずはぁ、メイドの仕事を覚えてもらうわぁ。他の人の仕事を見て覚えてねぇ」

「はぁ」


 よくわかりませんが、私を雇うことについて、いつの間にか、この屋敷の主人に許可を取っていたようでした。


 しかし、聞けば、このエリザベートは、この辺りの国を治める大領主の娘なのだとか。

 一度、エリザベートと共に、大領主に働くことの報告をしに行きましたが、特に心配する様子はありませんでした。


 これは信頼されているのか。もしくは。


 それはともかく、エリザベートが他のメイドたちに、雑な説明で私のことを紹介すると、すぐに仕事が始まりました。


 メイドの仕事なんてしたこともありませんでしたから、最初は何をすれば良いのかもわかりませんでした。


 ですが、他のメイドたちは、私に優しく仕事を教えてくれました。

 その感覚が私には初めてで、正直、仕事に戸惑うというよりも、メイドたちの態度に困惑したものです。


 もちろん、メイドたちは、私が魔人であることを知りません。見た目だけで言えば、私は普通の人間と大差ありませんから、そういう反応になるのが当たり前なんですが。


 ですが、久し振りに味わった何てことのない普通の感覚に、私は戸惑ってしまいました。


 ちなみに、仕事については問題ありませんでした。


 言ってはなんですが、私は魔人として、記憶力には自身があります。一度見たものは簡単に再現することができました。


 なので、メイドの仕事を覚えるのに、1週間もかかりませんでした。


 ◇◇◇◇◇◇


「エリザベート。話が違います」

「えぇ? 何の話ぃ?」


 エリザベートに言われて、紅茶を淹れていた私は、今の状況の不審さに思わず問いかけていました。


 しかし、エリザベートは、私の質問の意図を理解しているでしょうに、白々しくも聞き返してきました。


 それに多少苛つきましたが、それでは話が進みませんので、グッと堪えて、詳しく説明します。


「あなたは、私に、違う景色を見せてくれると言っていたはずですが?」

「あらぁ? 今まで見たことない景色でしょう? 他人に仕えるなんてぇ」

「まさか、本気で言ってるんですか?」


 もし、本当にそのことを言っていたのだとしたら、流石の私も手が出るでしょう。


 いくら、私が温厚な方だとしても、基本的な思考は魔人と変わりません。

 一度決めれば、情などというものは存在しません。躊躇なく、エリザベートの命を奪うでしょう。


 その雰囲気がわからないような人間でもないでしょうに、エリザベートは、余裕の笑みでした。


「ふふ。冗談よぉ。でもぁ、仕事を覚えるのが先よぉ」

「仕事なら、もう覚えましたが」


 メイドの仕事なら、もう完璧だ。

 他のメイドたちにも驚かれたが、こうしてエリザベートの世話を任されているのがその証拠。


 マニュアルも頭に入っています。

 何が起きてもメイドとして、完璧にこなせる自身がある。


 しかし、エリザベートは、チッチッと指を振りした。腹立たしい仕草です。


「何が足りないというのですか?」

「えぇ? そんなのもわからないのぉ? メイドなのにぃ?」


 人間的な感覚で言えば、女を殴るのは憚れることなんでしょうけど、そんなことも関係なしに、私はエリザベートを本気で殴ろうかと考えていました。


 が、そこで、ふと、気付きました。

 エリザベートの含み笑いに。


 その笑みが意味することは何か。


 それを考えるのと、他のメイドたちの仕事振りを思い出した時、エリザベートの言わんとすることが朧気にわかりました。


 わかってしまいました。


「まさか」

「ふふ。ほらぁ。待ってるわよぉ」


 このガキ。と、睨み付けます。


 そこでふと、部屋の外から声が聞こえてきました。


「エリザベート様。エリザベート様宛に文が届いております」

「ああ、ありがとぉ。レミィ」


 レミィとは、エリザベートがつけた私の適当な名前です。名前がないと何かと不便だからと。


 特に考えることもなく、本当に適当に決められた名前。しかし、この屋敷では、この名前で通っている。


 その名前を呼ばれた、ということは、動かなければ、他のメイドにも不審に思われてしまいます。


「かしこまりました」


 私は仕方がなく、一度頭を下げて、部屋の外にいるメイドの元へ向かいます。


 扉を開けると、文を持ったメイドが立っていて、私を見ると安堵したように表情を和らげました。


「あ、レミィ様。こちらになります。それでは、よろしくお願い致します」

「はい、確かに預かりました」

「では」


 軽く話をして、メイドは立ち去っていきました。


 受け取った文を見ることはせず、私はエリザベートの元まで、その文を持っていきます。


「ありがとぉ。レミィ」

「いいえ、エリザベート、様」

「ふふ、あらぁ? あらあらぁ?」


 普段は呼ばない呼び方に、エリザベートは満足げに笑いました。


「やっと、メイドとしての自覚が芽生えたのかしらぁ」


 エリザベートは、エリザベート様は、憎たらしい、小生意気な笑みを浮かべます。

 もはや、何度も殴りたいと思った、憎たらしい顔。


 ですが、しかし、つまりは、そういうことなのでしょう。


 私はエリザベートに仕える従者として、この場にいる訳ですが、エリザベートに、様、という敬称をつけたことはありませんでした。

 ただの人間に、様を付けるのは、かなり抵抗があったからです。


 ですが、エリザベート様に言わせれば、その抵抗感は、メイドには相応しくない。そういうことなのでしょう。


 ふざけたことを、と思いもしましたが、こうしなければ、今までとは違う景色というものを見せてくれないと言うのなら、私が折れましょう。


 別に敬称など、形だけのものなのですから。


「足りなかったのは、これですか?」

「えぇ、そうよぉ。だってぇ、主人を敬わないメイドなんてぇ、メイドじゃないものぉ」

「なら、これで、違う景色を見せていただけるのですか?」

「えー? どうしようかしらぁ?」


 私は、近くにあった果物ナイフを手に取り、エリザベート様の首に突きつけます。


「なるほど。私を馬鹿にしているのですね?」

「さぁ? どうかしらぁ?」


 この女は、本当に何を考えているのかわからない。どう考えても、この場に相応しくない笑みを浮かべているのが気に入りません。


 ですが、エリザベート様は、またしても、チッチッと指を振ります。


「さっきのメイドはぁ、どんな表情をしてたかしらぁ?」

「……。はぁ」


 なるほど。確かに、私と他のメイドの違い、ということなら、それも1つですね。

 もう、やけくそです。


「これでよろしいですか? エリザベート様」


 私は渾身の笑顔を作り出した。

 文句なんて言わせない、完璧な笑顔を。


 それを見て、やっとエリザベート様は、本当に満足そうに頷きました。



「ふふ。そうねぇ、じゃあ、あなたにはぁ、私の妹専属のメイドになってもらうわぁ」

「エリザベート様の、妹?」

「ええ、名前はリリルハよぉ」


 エリザベート様に妹がいたとは驚きです。

 とは言え、こんな人でも、大領主の娘、一人っ子などということはないのでしょう。


 それは別に良いのですが。


「なぜ、エリザベート様の妹のメイドに?」

「違う景色を見たいんでしょう?」


 エリザベート様は、それ以上のことは教えてくれませんでした。


 ◇◇◇◇◇◇


「えっと、お姉さま、この方は?」

「ん? あぁ、そこら辺で見つけてきたのよねぇ。仕事はできそうだし、良いかなと思ってぇ」

「そこら辺で見つけてきたって」

「名前はぁ、うーん。レミィ……、モスティア……、うん。モスティア・レミィよぉ」


 これまた適当につけましたね。

 モスティアなんて、初めて聞きましたよ。


「モスティア・レミィさん」

「よろしくお願い致します」


 エリザベート様の妹、リリルハお嬢さまは、エリザベート様のように大人びている雰囲気はなく、年相応の幼い容姿をしていました。


 しかし、その幼いながらも、毅然とした表情をしているお嬢さまでしたが、エリザベート様の説明には、怪訝な顔をしていました。

 まあ、あの説明では、そんな表情になるのも、致し方ありませんが。


 とは言え、あとはよろしく、と言われたということは、このままメイドを続けろ、ということなのでしょう。


 エリザベート様の言葉を信じるのなら、このお嬢さまと一緒にいることが、今までと違う景色を見るための条件ということになるのでしょうから。


「お嬢さま。早速ですが、何かご用はありますか?」

「え? あ、いえ、今のところは何もありませんわ」

「かしこまりました。それでは、ご用があれば、何なりとお申し付けください」


 ぎこちない会話。

 お嬢さまは、エリザベート様よりも、一般的な感性をお持ちのようで、こんな得たいの知れない私を警戒しているのでしょう。


 私はメイドとしての、当たり障りのない業務を遂行し、当たり障りのない態度でお嬢さまと接していました。


 お嬢さまは、時折、何かを言いたそうにしていることもありましたが、恐らくは、私に対して不信感があるのでしょう。

 心の底では、この空間に息苦しさを感じているのかもしれません。


 ですが、なんとも平凡な毎日でした。

 確かに、こんな平凡な日々は、以前では考えられないものでしたが、ただそれだけでした。


 エリザベート様が言っていたような、今まで違う景色、なんてものが、私には理解できませんでした。

 それに、お嬢さまと一緒にいて、そんな景色が見えるようになるとは、到底思えませんでした。


 所詮は人間の言うこと。

 私の力を知った上で、私を利用しようとしているだけなのかもしれない。



 そう思い始めたある日。


「レミィさん」

「はい、何でしょうか?」


 何か、申し付けたいことでもあるのかと、振り向いた私に、お嬢さまは、少し言いづらそうに、遠慮がちに口を開きました。


「レミィさんは、ここに来る前は、何をしていたんですの?」

「え?」


 そんなことを聞いてくるなんて。


 まさか、私の正体に気付いて、と、一瞬頭をよぎりましたが、流石にそれは考えすぎだとすぐにわかりました。


 ただ、正直に答えることもできないので、適当な理由をつけると、お嬢さまは簡単に信じてくれました、


 しかし、どうしてそんなことを聞くのかと考えていると、その答えは、お嬢さまが直々に教えてくれました。


「レミィさん。もっと、色々聞いてもよろしくて? 私、レミィさんのことを、何も知らなくて」


 正直、その言葉に驚きました。

 私のことを知りたいと思う人間がいるなんて。


 いえ、お嬢さまは、私の正体を知らない。

 だからこそなんでしょう。


 ですが、それでも、私を知りたいと思ってくれる人間がいるということが、私は信じられませんでした。


 戸惑いながらも、それを許すと、お嬢さまは、私にいくつもの質問をしてきました。

 それはもう、他愛ないものばかりで。


 言えることなんて少なくて、ほとんどははぐらかして終わりだというのに、たまに答えると、お嬢さまは、これ以上ないという程に喜んでくれました。


「お嬢さま。紅茶を淹れました」

「あら、ありがとう。レミィさんも、一緒にどうですの?」

「いいえ、お嬢さま。私にはまだ仕事がありますから」


 最近、お嬢さまは、最初の頃よりも私に話しかけてくるようになりました。


 それを僅かに心地よいと感じていることは自覚していましたが、だからといって、何と言う訳ではありませんでした。


 ですが。



「私のことは、お嬢さま、ではなく、名前で呼んでください」


 子供のわがままのように言うお嬢さまは、一歩も引く様子がありませんでした。


 根負けしたのは私の方で、結局、お嬢さまのことを、リリルハ様と、呼ぶようになりました。

 そして、リリルハ様は、私のことをレミィと呼んでくれるようになりました。


 やれやれ、仕方がない。

 子供のわがままに付き合ってあげるか。

 本当に仕方がないのだから。


 そんな顔をしてみせましたが、内心、私は嬉しくて仕方がなかった。

 エリザベート様が、適当につけた名前ですが、こんなにも、愛情を注いで、私の名前を呼んでくれるということが。


 それは、さも、お互いの気持ちが通じあったかのような錯覚でした。

 そんなことなんて、ありえないはずなのに。


 魔人と人間が、わかりあえるはずなんて、ないはずなのに。

 今までの記憶がそう告げているのに。


 今までであった人間と明らかに違う人間。

 リリルハ様。


 もしかしたら、リリルハ様なら、そんな淡い期待が、頭に浮かんでは消えていました。



 それからまた数日後のこと。


「レミィ。ちょっといいかしらぁ?」


 久し振りにエリザベート様に呼ばれました。


「はい。なんでしょうか?」


 エリザベート様は、以前と変わらぬ、何を考えているのかわからない顔で、私を自分の部屋へと招き入れました。


 あらかじめ、人払いをしていたのか、部屋の中には私たちしかいません。

 嫌な予感が頭をよぎります。


 エリザベート様のことなんて、わからないことだらけですが、こういう時のエリザベート様は、大抵、録でもないことを言ってくるのです。


 そして、その感覚は、決して間違ったものではありませんでした。


「リリルハをぉ、殺せるぅ?」

「……は?」


 そんな、ふざけたことを抜かすような人間なんですから。

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